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 必死に怒りを抑えていると、会社員だったときのことを思い出した。


 あの、忌々しい、高圧的な部長のことを頭に浮かべると、さまざまな言葉を使って罵倒したくなる。なにを言えば相手が傷つくのかを細かく考え尽くし、独創的な言葉の群れを次から次に生み出すことができそうだった。あの部長を地獄に叩き落すために効果的な言葉を募集するコンテストがあったら、金賞をとるに違いない。


 だが、もう同じことは繰り返さない。


 西島は、一気に高まった怒りを静かに見つめ、じっと耐え、緩やかに落ち着いていくのを待った。


 ウルルは、さっきからずっと瞬きをしないで、こっちを見つめている。どこまで読まれているかはわからないが、ダメ出しに対する不満がありありと露出してしまっていることには自分でも気が付いていた。


「間違えないでほしいんだけど」

 ウルルは、そこでようやく瞬きをした。力を抜いたようだ。

「これはサトシにもっと売れてほしいから言ってるんであって、サトシの取り組みを否定してんじゃないからな。お前は顔がいいから、正直、うまく接客しなくても、女の子は喜んでくれるよ。でも、もっと上、行きたいだろ」

「当然です」

「だったら……」

「わかりました。大丈夫です。そんなふうには受け取ってないんで。ウルルさんの言ってることはよくわかりますから」

 強引に遮ったのは、フォローされる間抜けさに耐えられなかったからだ。


 まるで子ども扱いだ。実際、子供だった。自分の反応が幼いことは承知しているから、そこを指摘されるような真似をされると辛い。


「すんません。ありがとうございました」

 西島は、手短に助言への感謝を伝え、ウルルの前から離れた。長居すればするほど傷が深く複雑になりそうだった。


 やっと控室へ戻った。誰もいなかった。ロッカーが並んでいるだけの高校の部室みたいなところだ。タバコと汗が混ざり合ったような臭いがする。店内のように大音量のBGMがないので、静かに休憩したいときに適している。


 真ん中の低いソファに座ると、ふーーっと長い溜息が出てきた。


 心が揺れている。ウルルが原因ではない。もともと揺れていたのだ。ウルルは揺れている心に気付くきっかけを与えたに過ぎない。


 いままでの自分が平静であるかのように無理に強がっていたことが、惨めなくらい明白になった。


 今日はずっと、心の中のざわめきから目を逸らし、目の前の仕事に逃げていた。ウルルはその異変に気が付いたのだ。その異変の理由を、女の子じゃなくて自分のために働いているからだ、と解釈したようだが、正しくは、どうしても隠さなければいけない秘密を隠すために働いているからだ、ということになる。


 鋭い男だ。

 目をつけられたら、きっとボロが出てしまう。ウルルに怪しまれないように、もっと集中しなければならない。


――一歩、間違えれば、人生、終わるぞ。


 西島は、自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいて、立ち上がった。ふと、ぬめっとした温かい液体に包まれているような感覚がした。そんな不合理な不安を看過することができず、苛立ちながらも、身にまとったグレーのスーツを見回した。どこにも血はついていない。


 大丈夫だ。うまくいく。そう思い込むことにして、控室を出た。そろそろ、サチちゃんが来店してくる時間だ。

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03:21 山本清流 @whattimeisitnow

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