2

 冬が近い。

 まだ暮六つの刻過ぎだというのに、空は漆黒に染まっては森の不気味な静けさが際立つ。おまけに肌が寒さを覚えた。


「……冷えるな」

 暫しの間、厚着をするべきだったと後悔が脳裏に流れるも引き返すわけにはいかない。

「初……。っ……!」

 力む。この先には妻を目の前で殺害した本人が待っている、そう改めて認知すると再び怒りに支配されそうになった。

 首を振るう。

 生かされた理由はともかく、これは好機であると脳をすり替える。交渉の余地がある人間に殺気など不利益にしかならない。

「おっ、逃げずに来たとは関心じゃ。流石は我が夫。惚れ直したあまり、その心臓をひと突きしたいところじゃのう!」


「……冗談でもやめてくれ。今は――死ぬわけにはいかない」

「くふふ、そうじゃった。わしもそう簡単にくたばってしまう貧弱な主人など、不要。故に汝には心身ともに逞しくあって欲しい。……と、ここへ来る間にふと思ったのじゃ」

 弱者に用はない、遠回しでもそう解釈出来る事に晃太郎は都合良く解釈した。目先の女を葬るには最終的に強さに行きつく、その為には。

「具体的に、何を」

 その問いに少女はふっ、と鼻で嗤う。

「わしが汝に稽古を付ける。突然、人殺しの鍛練じゃ」

「っ……!? そ、それは」

 早速、願ってもいない絶好の機会だった。

「どうじゃ? と、まあ問うたところ汝に拒否権などは存在しな――ほう」

「っ、何だ?」

「早速、ちょうど良い獲物がおる。ふっ」

 刹那、八重は光の如く半径三メートルほど先の木々に一瞬で移動。そして、それは現れた。

「ひぃ!」

 まだ輝く未来ある少女の恐怖に満ちた声音。そう、晃太郎が視角として捉えたのは八重がその隠れていた少女を目先で取り押さえたが故に。

「村の、子供……?」

「みたいじゃな。大人の話を盗み聞きするとは、将来が心配になるのう」

「離して! 離して、ってば!」

 齢十四の少女の両手首は、八重の片手によって束ねられていた。高性能な拘束具とはいかないが暴れる女児ひとり程度ならびくともしない。

 しかし、苛立ったのか空いた左手で鋭利な刃が少女の喉元に当てられる。先に初を刺した、彼にとって憎き短刀にて。

「ほほう、素直な子じゃ。自身の立場を僅か数秒で理解したとは」

「……血の臭い」

「くはは! 分かるか。そうじゃよ、わしの愛刀は血液を好む。故に、時期に汝もその糧になるであろうて」

「っ……」

 少女の愉快で狂った嗤いが周囲、まだ幼き彼女と晃太郎を不快へと導く。その狂気に満ちた空間により、彼女は気付いた。目先の人物が誰であるか、を。

「その薄気味の悪い嗤い方、あたし知って……。っ、八重姫……あんた、高笑いの八重姫ね!」

「ほう、如何にも。姫の名称と安っぽい肩書きは知らぬが。くく、本日二度目の反応じゃな」

「うっ」

 八重が腕に力を入れたことにより、少女は強制的に立ち上がる。

 晃太郎が隠した包丁と並びに一緒に持ってきた灯りにより、微かに少女の顔が晒される。初ほどではないが整った顔立ちの勝ち気な女性。

 少女と晃太郎は互いに面識はなくとも村人だと理解する。それでも彼女は助けを請わない。何故なら意地を張ったから。

「ふむぅ、わしよりも年下のくせして憎いくらい豊満な体をしておる。これでは酒に呑まれ、鼻を伸ばした男がうじゃうじゃ寄ってくるだろう」

「……っ。ええ、そうよ! 金銭を得るには春を売るしかなかったのだから仕方ないじゃない! あんたが、あんたが……あたしの両親を殺さなければ、こんなことにはっ……!」

 少女の目元に水滴が幾つも湧く。無念に満ちた声で叫び、声にならない泣き声で壮絶な人生だと語る。それには八重も同情する、僅かに。

「そうか、それは悪いことをしたのう。しかし、要するにまた生娘ではないか。なら――やはり用はないな」

 八重の口角が不敵に上がり、晃太郎を見た。彼は一瞬だけ肩が跳ねるが、次に彼女が放つ言葉をあらかじめ予想するくらいには余裕だった。この短期間の付き合いでも、不名誉ながら妻だから。

「我が主君よ、この娘を殺せ」






「………………………………え?」


 驚嘆はたったひとつ。少女の、年相応に満ちた恐怖を付け足した声のみだった。

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