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 佐伯晃太郎、二十歳。

 漆黒の瞳と比較的整った顔立ちの男は、村一番のべっぴん初を二年前に妻として娶った。貧しい暮らしでも彼女がいることで重労働を強いられる樵の仕事も精を出す。初の腹が子を宿し、さらに奮励を誓う中での出来事。



 それは、前触れもなく一人の少女によって粉々に砕かれた。――妻の死という歪な形で。


「くくっ。溜まらんのう、その憎悪に満ちた瞳。奪いたい、がしかし殺したら二度と拝めなくなるのは辛いところじゃのう」

 迷い、少女の中で最善の選択をする。その狂気に溢れる決定事項は最愛だった夫婦の片割れだけを生かすという絶望を。

「ぐっ」

 晃太郎は力強く下唇を自身の歯で噛み締める。目先の存在への怒りと、それに対して何もなしていない己の後悔を恥ずように。血が顎と首元を伝い、滲む。

「そう、せっかく親から授かった美顔をそのような自傷行為で瀆すのは感心せんよ」

「っ、誰の、せいで……っ!」

 睨み、警戒心を向上させる。だが、それは一瞬だけ。晃太郎は無念を抱きながらも前を向く。


「……あんた。高笑いの暗殺者、八重姫だろ」

「ほう、姫の名称は知らんがわしを知っておるのか。くく、人を殺めて数年……わしも随分と有名になったのう」

 少女の不敵に嗤う内容に青年は一切言及せず、冷静さだけを保ち続けた。妻の遺体を苦しそうに小さく見落として。

「話がある。あんたがさっき言った件について」

「ふむ、夫になれという話か?」

 晃太郎は目を細めて同意、頷く。

「ほほう。前向きに検討したのは意外も、意外。では早速、婚姻の儀を」

「ただ、場所を変えてくれ。ここは……血の臭いが蔓延りすぎている、そうだろう?」

 うつ伏せで横たわり、何も動かなくなった妻の遺体。

 晃太郎の中で二つの決意――妻を捨てる覚悟と新たな妻を向かい入れる狂った内容に腹を括る。

「くく。確かに。村外れの森、あそこなら対して人通りも皆無に等しく、邪魔されんじゃろう」

「……ああ、わかった。悪いが先に行ってくれ、すぐに向かう」

「致し方ない。別れは大事じゃからな。くふふ。わし、酷く優しいのう。……ただ、五分じゃ。それ以上、わしを置いて待たせたら村の者を一分経過毎に葬る。さ、行くぞーい!」

 感情落差の激しい少女が外へと出ていくと、晃太郎はホッと胸を撫で下ろす。そして、自身への失望が濁流の如く押し寄せた。

「初……ごめん、俺……最低、だ……」

 自分だけ生き残ったことへの遺憾。助けることが許されなかった状況に対する、最善の対処法が浮かばなかったこと。簡単に太刀打ちが出来ない相手にしても何もしなかったこと。全てが混ざり強い憎しみへと成長させる。

「あの女は絶対に、俺が殺すから。――八重姫、貴様だけは死んでも殺す。それが俺の復讐、生き甲斐だ……っ!」

 晃太郎は勢いを付けて立ち上がる。元妻、初に触れることなく家内にある一番切れ味の良い包丁を懐に隠しておんぼろの家を去った。

 青年は強い復讐心を燃やしながら、少女の指定場所へと静かに向かう。仕事での疲弊も、腹の虫さえも復讐心にすべて変換させて……。

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