素敵な落とし物

@zawa-ryu

第1話

―○○には三分以内にやらなければならないことがあった―


「なに?これ」

 拾い上げたメモ紙の文字を見て、私は首をかしげた。


 曇天が広がるグラウンドには、校舎裏の山から吹く我が本宮高校名物

 “本宮おろし”が吹き荒れている。

 そんな1月最終金曜日の五時限目、この時期の体育と言えば例のアレだ。

 教室にも届く「びゅごおぉぉぉ」という風の声を聞くだけで思わず身震いする寒空の中、予鈴が鳴るとクラスメートはみな死んだ目をして更衣室に向かい、マラソンという名の地獄へと旅立っていった。

 頑張ってと手を振る私に級友たちの冷ややかな視線が突き刺さる。

 唯一、勉強はからっきしダメでも体育に命を懸けている春菜だけは「しゃーっ!」と両手を上げ、気合充分で私にウィンクする。

 その日たまたま女の子の理由でマラソンを回避できた私は、授業を欠席する代わりに先生から教室の掃除を仰せつかっていた。

 

 ふと綺麗に折り畳まれた白い紙が視界に入ったのは、手始めに黒板の水拭きを始めた時だった。

 教卓の横に落ちていたメモ紙。そこに綴られた謎の文章。

 これは一体なに?


「よっ我が同士よ」

 お手洗いから戻った芽理が満面の笑みで私に手をあげる。

「いやぁ上手くいったわ。このクソ寒い中3キロも走れるかっての」

 同じく欠席を申し出て掃除組に回った芽理は、

「右腿と左肘に強い違和感がありまして……」

 と、まるで野球選手のような理由をつけて、体育教官室でお弁当を食べていた担当教師を唖然とさせていた。

 相手が今年に入って赴任してきた新米の中途採用教師だったから良かったものの、昨年までの生徒指導兼任の蜂田教諭(通称毒バチ)にそんなことを口にしようものなら、きっと掃除どころじゃすまなかっただろう。

 まあ、そこらへんは芽理も分かってやってるんだろうけども。


「みんな顔死んでたね」

 芽理は舌を出して悪戯っ子のように笑う。

「私はみんなの視線が痛かったよ。春菜以外は」

「春菜は脳筋だしね。でもまあ結愛は仮病じゃないんだし、しょうがないじゃん」

 そう言って私の肩をぽんぽんと叩くと、芽理は私の手にある白いメモ紙に目をやった。

「え?なにそれ、もしかしてラブレター?」

「そんなわけないでしょ。落ちてたのよ、そこに」

 ぶんぶんと手を横に振り、教卓を指す。

「ふうん。じゃあさっさとゴミ箱に捨てちゃいなよ」

「駄目よそんなの。大切なメモかもしれないし」

「大切なメモなら落とすなっつうの」

「そりゃそうだけど、落とした人は困ってるかもしれないでしょ」

「なら、みんながマラソンから戻ってきたら聞いたら?それかホームルームで落し物ですよーって声かけるか」

「それもちょっと考えたけど見られたら嫌なものかもしれないじゃん」

「見られたらマズそうな内容なの?」

 私はそっと芽理だけに見えるようにメモを開いた。

「なんじゃこりゃ」

「わかんない。どうしよう、先生に届けるべきかな」

「それがいいかもね。教室のゴミ箱か職員室のゴミ箱に入るかの違いだけだけど」

「そんな酷いこと言わないで、ちょっとは真剣に考えてよ」

「はいはい、結愛は変なとこ真面目なんだから」

「そもそも誰が落としたメモなのかもわからないし」

 決して上手ではないが丁寧に書かれた筆跡からは、落とし主の几帳面な性格が窺えた。

「うーんこの字に見覚えはないなぁ」

「だよね。クラスの女子だったらなんとなく判りそうなんだけどな」

「うーん、3分。3分かぁ」

 あごに手を当てたり腕を組んだりして唸っていた芽理は、ハッと目を見開いた。

「あっ!キューピーちゃんのじゃない?」

「へ?」

 聞きなれない名詞が出て頭の中にハテナマークが広がる。

 クラスにそんなあだ名の子いたっけ?

「あれは三分以内に終わらせないとヤバいよ。番組の沽券にかかわる」

 ああ、あのお昼の料理番組のアレか。

 いや、あの番組はそもそも3分どころか10分ぐらいの枠のはず。

 ってそうじゃなくて。

「芽理、真面目に考える気ある?」

「うーん……ないっ!」

 あっけらかんと言い放つ芽理の頭を小突くフリをしたとき、ふいに教室の扉が開いた。

 思わず二人して振り返ると、

 そこに現れたのは、同じくクラスメートの西山さんだった。

 おとなしくって人と接するのが苦手なのか、クラスメートと交わっているところを見たことがない。彼女は休み時間、いつも一人で小説を読んでいた。

 そういえば、体育の授業もいつも欠席していたし、きっと今日も先生に欠席の許可を取りに行っていたのだろう。

「あっゴメン。騒がしかった?」

 芽理が慌ててそう言うと、西山さんはうつむき加減で小さく首を振った。

 しかし、彼女は私の手に握られたメモ紙をみると、ギョッとして目を見開いた。

「っ!?」

「えっ?これ、もしかして西山さんの?」

否定はしなかったが、真っ赤になってうつむく彼女を見て、そうなんだろうなと察しがついた。

「ゴメン!勝手に中見ちゃったけど、そこの教卓の横に落ちてたの。なんだろうと思って、つい」

 私の言葉に、少し涙目になって、彼女の顔はますます赤くなっていく。

「なぁんだ、西山さんのだったの。まあ良かったじゃん、落とし主がわかって。めでたしめでたし」

 芽理がパンパンと手を叩く。

「と言いたいところだけどぉっ」

 芽理はそう言うと西山さんにグイッと顔を近づけた。

「ねえ西山さん。そのメモに書いてた文章なんだけどさぁ」

 西山さんがビクッと肩を震わせ芽理から目を逸らす。

「私たちこれが何なのか、二人で考えてもさーっぱりわからなかったの」

 西山さんは完全に怯えきった子猫のように、小さな体をますます小さくさせて下を向いている。

「お願い!ねえ教えて。私たちだけの秘密にするからっ」

 そう言って彼女の両肩に手を乗せた。

「ちょっとやめなよ芽理、西山さん困ってるじゃん。西山さんだって言いたくないことかもしれないでしょ」

「なによ結愛だって気になってるくせに。お願い西山さん!私このままじゃ気になって気になって今日きっと眠れないわ。お願いっ。この通り!」

 そう言うと芽理は両手を合わせて下を向く西山さんの顔をさらに下から覗き込んだ。

「ちょっとやめなって……」

 見かねた私が、芽理を引き離そうとしたとき、それまで一言も話さなかった彼女の口が、ほんの少しだけ開いた。

「私、小説を書いてるの……」

 それはすごく小さかったけど、ゆっくりとした、とても可愛らしい声だった。

 私は彼女とクラスメートになって、初めて彼女の言葉を聞いた気がする。

「えぇっ小説?マジでっ?すごいじゃん!西山さん小説書いてるの?えっ?えっ?そのネタってこと?マジでっ?」

 芽理が心底驚いた声をあげたが、私も同じぐらい驚いた。

 小説を読む姿は目にしていたけど、まさか自分でも書いていたなんて。

「うん……あのね。小説を書けるサイトがあって……。そこで、書いてるんだけど……」

 芽理も私も興味深々になってうんうんと頷き彼女の言葉を待つ。

「そこで小説のお題って言うか……。そんな感じのがあったから……、私も挑戦してみようかなって……思って」

 そこまで言うと彼女の顔はもう熟れたトマトよりも赤くなって、今にも首からポトッと落ちてしまいそうになった。

「えええっ。ちょっと読みたいんだけど!てか小説書いてるなんてマジですごい!尊敬する!」

 芽理は西山さんの手を握るとぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「えっ?芽理って小説読むの?全然イメージわかないんだけど」

「何よ失礼ね。私はこう見えても読書家よ。ちなみに好きな作家は司馬遼太郎!パパの本棚にあったんだけどマジで面白いから」

「誰それ?」

「あんた司馬遼太郎知らないとか日本人としてヤバいよ?」

 芽理が心底呆れたように言う。

「なんか名前は聞いたことあるような気がするけど、たとえばどんなお話なの?」

「そうねぇ。新選組のやつとか面白かったな。切り合いのシーンとか凄い迫力なんだから」

「新選組血風録、だね……」

「そうっそれ!私なんかテスト期間中に読みだしちゃったもんだから、やめられなくなって大変だったんだから。そういう結愛こそどうなのよ」

「えっ私?私は、アニメとか漫画になったやつの原作を読むことが多いかな。ほら、最近やってる魔法学校のとか」

 私の言葉に西山さんの目が輝いた。

「あれ、面白いよね……私も大好き」

「うん、すっごく。ちなみに西山さんはどんな小説を書いてるの?」

「私が、今書いてるのは…魔法の世界で、剣士が活躍する……みたいな」

「へぇすっごい!一気に私たちの需要満たしてるじゃん!」

「面白そう!ねぇ、西山さんの書いた小説、私も読んでみたいな。そのサイトってスマホからも読めるの?」

「うん。スマートフォンからも……読めるよ。そんな、大したものじゃないし……下手、なんだけど……。読んでくれたら、嬉しいな」

 彼女はもう下を向いていなかった。顔はまだ少し赤かったけど、その表情はさっきまでの怯えていた彼女とは別人のようだった。

「読むっ読ませてっ!そうだ今日3人で帰ろ。ファミレスかどっか寄ってさ」

「いいね、賛成!西山さんさえ良ければだけど。このあと予定無い?」

「私は……うん大丈夫。予定もないよ」

「よし決まりっ!ホームルーム終わったらさっさと出るよ!ふたりとも私についてきなっ!」

 張り切る芽理を見て笑う私につられて、西山さんもはにかんだ笑顔を見せた。


「ちょっとちょっと病欠組!ずいぶん楽しそうじゃないの」

 マラソンを終えた春菜が教室に戻ってきた。

 いつの間にかもう授業終了の時間。盛り上がりすぎて、チャイムが鳴ったことにも気づかなかったみたいだ。

「あら、春菜早かったじゃない。今日もトップを独走?」

「あったり前でしょ、私を誰だと思ってんの。本宮高校の女子陸上部のエースよ」

「はいはい、すごいすごい。終わったんならさっさと着替えてきたら?」

「今日はこのあと部活だからこのままでいるの。それより何か楽しそうな話してたじゃない。あら、西山さんまで。珍しいわね」

「まあね。わたしたち3人だけの秘密を共有してたとこよ」

「ちょっと何よそれ、私も今度仲間にいれてよ」

「もちろん。ねっ?いいでしょ西山さん?」

 彼女は照れながらも小さく頷いてくれた。


「さっみんな席に戻ろっ。そろそろ担任来るよ」

 芽理はそう言うと、春菜と連れだって教室の前にある机に戻っていった。

 私は後ろの席に戻ろうとする西山さんを捕まえて、こっそり尋ねてみた。

「ねえ、西山さん。さっきのお題なんだけど」

「えっ……うん」

「どんなお話にしようかってもう考えてるの?」

「実はまだ、そんなにちゃんと考えてなかったんだけど……」

 そういうと彼女はノートを取り出した。

「ネタ帳 西山真由」と書かれた表紙のノートは、随分と年季が入っていて使い込まれているのがわかる。

「今だったら……こんな感じかな」

さらさらとシャープペンを動かして、彼女はそっとそれを私に見せてくれた。


私には三分以内にやらなければならないことがあった。

スマートフォンを急いで操作する。

三分、いいえもっと早く。待たせちゃったら悪いから、

今日できた友達に、私の書いた自信作を読んでもらうために。

 

 おおっ即興で書いたにしては凄い。

 それに私たちのことを友達って書いてくれてる!

 私は嬉しくなって、新しい友達に賛辞を送った。

「いいじゃん、最高!西山さん、ううん、真由。素敵なお話になりそうね」

 私が微笑むと彼女は一瞬驚いた顔をしたが、

「あ、ありがとう……………結愛」

 ゆっくりと、可愛らしい声で私の名前を呼んでくれた。

 それから真由と私は、肩を寄せて二人で笑いあった。


 さっきまで激しかった風は、ようやく弱まってきたようだ。

 ねずみ色の雲の隙間から届いた柔らかい光が私たちの教室に射し込んで、

 二人の間に置かれたノートを優しく照らした。

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