エピローグ なーにが五輪だ勝手にやってろってんだ

「わっ、すごいですよ樫村さん! あのロリィタさん、空飛んでる! ……樫村さん?」

 まだあちこち壊れたままの〈9+1ナイン・プラス・ワン〉事務所。

 壁に五輪の公式配信を映し出し、ポップコーン片手に熱中している色葉が呼びかけるが……久太郎は視線を向けなかった。修理した机の前、ゴーグルを下ろし端末操作に集中している。

「……樫村さん、火の巻の決勝戦ですよ、ようやく延期期間が終わったのに、見ないんですか?」

「…………あのな、色葉、五輪なんて結局、体育会系どもの馬鹿騒ぎだろ、もともと僕はそんなもん興味ないよ。それより色々大変なんだよ……後始末が……」

 大きなため息をつくも、また端末操作に集中。

「まったくもー……樫村さん、あれから人と会うか端末いじるかしかしてないじゃないですか、ちょっとは息抜きしないとー」

「あのな……誰の後始末をしてると思ってるんだ……」

「誰の後始末をしてるんですか?」

「君のだよ!」

 一ヶ月前。五輪史上、もっとも多くの死者が出た、あの開会式の後。

 里咲の疑いは映像によって晴れたものの、八派閥ファクション派閥技術ファクトを同時に操る色葉の姿を、ほぼ全都民が配信越しに見た。本来なら問答無用で死刑、あるいは各派閥ファクションから暗殺チームが派遣されているはずだが……。

「もー……そこまで心配しなくてもいいじゃないですか、こんなに感謝されてるんですし」

 配信を映している壁の横には、それぞれの派閥ファクションから、それぞれの様式で届いた感謝状。黒石を捕らえ、派閥戦争コンフリクトを止めるため動いた三人は、調停の英雄だ、と判断されたのだ。大概のことはそれで許され……許されていない部分は、侵攻してきた日本軍との本格的衝突でうやむやになった。もっともこちらは、東京での内戦煽動に失敗したとわかると即座に撤退したようだが。

「あのな、そこに至るまでにどんな苦労があったと思ってるんだ君は……」

「ふふふ、樫村さんは働き者さんですねぇ、お疲れ様です」

「君なぁ……」

 のほほん、と言う色葉にはため息しかでない。

 あれからずっと、久太郎は働きっぱなしだ。

 都知事閣下ミニスターへの面会を取り付け色葉の生い立ちを説明したり、特赦令ひけしを出すのが黒石を捕らえてから一時間もしてからだった、と後手を踏んでしまった二次元教団カルト・オブ・オタクが、他派閥ファクションから今回の件の責任をまとめてとらされそうになったのを擁護したり……一番大変だったのは、プロジェクト七芒星ヘプタグラムが表沙汰となり、しかし一部の粛正予定だった構成員が勝手にやったこと、と開き直った契約同盟ハンターズアライアンスが、しかしそのクセ、色葉はウチが製造した備品、財産である、と、所有権を主張してきたのを、泥沼の法廷闘争に入る前になんとか示談にしたり……本当に、目の回るような忙しさだった。

 特に一番最後の問題については、まだ決着がついたとは言えない。

 色葉の姿を見た人々の間、条例を改め、他の派閥ファクション派閥技術ファクトを、積極的に使うようにしていくべきなのではないか、という世論が形成されてしまっている。もちろん反対派も多いが、色葉は今、悲劇の生い立ちを背負った、東京最強の協定破棄者コードブレイカーとして時の人。顔を変えずに外を歩くのが難しいほどだ。

 一ヶ月間事後処理に奔走してようやく人心地がつけた、と思えば今度は、調停業バランサーとしての久太郎と色葉、〈9+1ナイン・プラス・ワン〉に、依頼が山のように舞い込んでくる。

 都知事閣下ミニスターとの面会で、今後も調停業バランサーとしてしっかり東京を守っていきます、などと強気に出たのがまずかった。返答に気をよくした都知事閣下ミニスターは今後、働きのめざましい自由業フリーランス調停業バランサーには都からの公認を与える、と言い出し、〈9+1ナイン・プラス・ワン〉はその認定第一号となり、都の公式サイトに連絡先を載せられてしまった。事務所がパンクしてしまうからそれだけは勘弁してくれと言ったのだが、どのような形であれ君たちになんらかの決着がつかないと、黒石、スパイ絡みの容疑でレギオンに引き渡すしかなくなる、と言われてはどうしようもない。たしかに、重要参考人であることに間違いはないのだ。レギオンとしては黒石以外にも誰かを捕まえないと、腹の虫がおさまらないのだろう。都知事からの公認がある自由業フリーランスは、さすがの警士サムライたちも手出しはできないはず。それにしても彼らは今、フォースと共同戦線を張りつつ、まだ残っているかもしれない忍者のあぶり出しに忙しいはずでもあるし。

 しかし、依頼がなければ報酬もない。万年金欠の〈9+1ナイン・プラス・ワン〉にとって、渡りに船の東京都公認だったが……週に三回も依頼があれば繁盛だと思っていた事務所に、一気に数百の依頼が舞い込むことに。いたずらやインタビュー依頼などをより分け、良さそうな案件をより分けるプログラムかAIをA―Knowエノウに依頼するしかないかもしれない。あるいは人を増やし、事務所の規模を拡張するか、だが、そこまでの金はないし……。

 ……良さそうな人、実家に帰っちゃったしなぁ……。

 自分が働いていくことに精一杯で、誰か人を雇う、などという発想はついぞなかった久太郎は、自分たちの状況が激変していることに、またため息をついた。

 あの後、身の潔白を証明し、黒石から日本国の陰謀についてを警士サムライたちに白状させ、スーツの充電が済んだ里咲は、ためらいもなく元いた異世界に帰ってしまった。もちろん、黒石を連れて。おたずねモノなんだからこっちに残ってた方がいいんじゃないか、とも言ったけれど……里咲の目的はそもそもおたずねモノになることだったし、彼女のスーツの、東京の派閥技術ファクトさえ越えるオーバー・オーバーテクノロジーに、どの派閥ファクションも狙いをつけ始めていたから仕方ない。しかし、お別れを言うヒマもなかったのはなんとも彼女らしいな、とも思う。どういう技を使ったのかはわからないが、都知事経由、里咲からの報酬ということで、一千万円をもらえたけれど……九割方、部屋の修理や、各派閥ファクションと交渉する時のなんだかんだで消えてしまっている。多少の余裕はできたけど、金欠は相変わらず。都知事が取りなしてくれなければあの、LOVEのオブジェの弁償金まで請求され借金さえ負っていたはずだ。

 ……でも、まあ、それもいいかな、しばらくは。

 久太郎は、配信に熱中し、そこだ、いけーっ、などと叫んでいる色葉を見つめる。その肩で揺れる、修復した亜空間装置、艶やかなツインテールも。

 色葉の力は、危険すぎる。

 一つでも危険な派閥技術ファクトを多重に扱える存在。今となっては四つまでだが、それでも、その気になれば東京全体を揺るがしかねない。知らない人間を雇い、そいつが妙な気を起こすのが一番危険だ。異世界の技術を持っている里咲が一緒にいたら、危険は何倍にもなる。

「…………なんです?」

 と、視線に気付いたのか、色葉が不思議そうな顔をして久太郎を見た。

「なんでもないよ、しばらくは……」

 と、無意識にその先の言葉を言おうとして、自分が言おうとしている言葉に気付いた久太郎が、さっ、と顔を赤く染める。

「……なんでもない、ほら、もうすぐ優勝決まるぞ」

「えー、なんですかぁー、気になりますよー」

「だからなんでもないって」

「気になる気になる気になる! 相棒に隠し事はなしですよ樫村さん!」

 だだだっ、色葉が小走りに走ってきて、ずい、とデスクに身を乗り出し、久太郎に顔を近づけた。幼いながらも整った、美しい顔が間近に来てうろたえる久太郎。ふわり、と揺れたツインテールから、なんとも言えないいい香りがして、心がよろめく。

「だから……しばらくは、二人きりで、いいかな、って、そう思ったんだ。ほら、その……依頼、来すぎてるだろ、で、都知事閣下ミニスターは人を雇え、って言ってたけど…………まあ、その、新しい人を雇うのは、その、リスクだし、お金はないし……」

 しかし、そう聞くと今度は色葉が赤くなった。いかにも合理的な判断を装っているが、彼からそんな、二人きり、なんて直接的な言葉を聞くのはあの時以降、これが初めてだ。

「そ……あ…………樫村、さん……」

「……なあ、その……」

「ね、あの…………ちゅー、したく、なりました……」

「なっ! ……あー、そ、それは……」

「だめ、ですか?」

「いやっ! だめ、じゃ、ないが……」

「だめじゃないけど……なんです?」

「そ……その、僕ら、あ、相棒、だろ、その、だから」

「…………恋人じゃない、ってことですか?」

「い、いや、だから……」

「ふふ……樫村さんらしいんだから、も~……ね、じゃあ、あの……そっちにも、なりましょう、あはは」

「ほへっ、そ、そっち、って……こ、こっ……い、びと、にっ……て……」

 久太郎が、恋人、という言葉に戸惑っている間、色葉はデスクを回り込む。座っている彼の腿の上、遠慮無く腰掛ける。

「えへへ……私なんかじゃ、だめですか?」

 どこからどう見ても。

「……こっ……のっ……」

 色葉の顔は、そんなことを言っていなかった。

 それで久太郎は、なんだか腹が立った。腹が立って……自分から彼女の肩に手を置いて……それでもゆっくり、彼女の唇に、自分のそれを押しつけた。

 数秒後、あるいは、数十秒後。

「えへへへ……ねえねえ、樫村さん……?」

 顔を真っ赤にした久太郎に、そっと唇を離した色葉が問いかける。

「な……なん、だよ……」

 色葉の、どこかからかうような顔に、どこか拗ねたような顔で答える久太郎。

「昔の恋人の人としたキスと、どっちが良かったですか?」

 一瞬、答えに詰まり……そして大きく息をついて言った。

「ごめんあれはウソです見栄を張りました」

「あはは、よ~やく言った~」

 色葉が微笑みながら言うと、ふっ、と肩の力が抜けたような気がした。東京に来てからずっと、張り詰めていた緊張の糸がはじめて、そこで緩んだような。だからきっと、口が滑ったのだと思う。

「……じゃあ、ついでに、言っとくよ。その……だから……くそ、どう言えばいいんだよ、こういうの……」

 それでも、皆目見当もつかなかった。

「ふふ、思うがままに、自分にしょーじきに言ってみたらどうですか?」

「正直、って言ったって……」

「も~……じゃ、私のこと、どう思ってますか?」

「好きだよ。大好きだ。ずっと一緒にいたいと思ってる……だから……その……あ~……くそっ、だから、だな……えー……」

「……も、もうっ……そこまでいって、なんでそこからを恥ずかしがれるんですか」

「し、仕方ないだろ……好き、なんて、その、単体で抜き出せばただの動詞だ、それに、後は事実の羅列だ、端末の動作周波数と変わんない……そもそも、君は、なんで、こういうの平気なんだよ……」

「それは……だから、あなたに、教えてもらったから。自分にウソをつかないこと、それが自由ってこと……ふふふ、ね、樫村さん」

「な……なんだよ」

「私も、好きです。大好きです。ずっと、一緒にいたいです」

「…………こういう会話をした後に、好きです付き合ってください、恋人になりましょう、とか、むしろヘンじゃないか……?」

「………………あはは、そうかも……」

「……………………」

「…………………………ね、ねえ、樫村さん? じゃあ……?」

「いや僕らまだ十八歳未満だろ無理だぞ」

「も~……すぐに現実に戻るんだから~……」

「ふん、現実以外に行ったことなんてないね、僕は」

「ん~……もうしばらく、夢の国にいたいですよぅ……」

「どこだよそりゃ」

「こーこっ」

「……おい、くすぐったいってば……」

「えへへへ、止める方法はただ一つですよ~……」

「…………その顔、ちょっとばかみたいだぞ」

 それから二人はしばらくの間、そこでそうしていた。




    〈了〉

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