09 鉄帽とリボンタイ

 こん、こん、こん。

 音が聞こえる。

 慣れ親しんだ、久太郎の音。彼が考え事をする時の癖、鉄帽を親指の関節で叩く音。カッコいいのか悪いのか、よくわからないけど、その音は色葉の日々の中、読点のように馴染み深い音。

 …………樫村さん、怒ってるかなあ。

 真っ白になった意識の中、そんなことばかりが浮かぶ。

 里咲がスーツの転移機能について解説している時に思いついた作戦だった。自分のフルパワー、八つの派閥技術ファクトを使っている時ならできる、そう確信していた。そんなだから、彼には絶対、言えなかったけれど。

 里咲に、忘れ物を取りに行ってくる、と言って十秒だけ、救出作戦の間に西新宿へ転移。待ち合わせスポットとして有名なオブジェを亜空間に入れ、それから戻った。バレたらとんでもない請求が都から来る気がするけど……まあ、仕方ない。人を埋められるサイズの石塊、と聞いて最初に思いついたのがそれだったのだ。きっと許してもらえる……とは、思う……。

 でも、そんなことより。

 ……できれば、私の体、見て欲しくないなぁ。

 体の感覚が、ない。視覚も、触覚も、嗅覚もない。ひょっとしたらもう溶け始めているのかもしれない。あるいはもう死んでいるのかもしれない。それもわからない。

 こん、こん、ここん。

 けれどなぜか、あの音だけが聞こえて。

 …………ああ、もっと、もっと樫村さんと、一緒にいたかったな。

 ……そうだよ、だって、まだ、なんにもしてないもん。

 手も繋いでないし、お仕事ばっかで、デートとかしたことないし、ちゅーもえっちもしてみたかったし、それに……それに、それにまだ、すきです、って言ってないし……あは、でも、それは言ってたみたいなものかなあ、ふふふ、でも樫村さんだってそれはそうだったよね。

 それに……。

 ……信じてるもん、私、樫村さんのこと。

 だから、使えたんだもん。

 樫村さんなら、絶対、拾ってきてるって。

 だから、この音がするんだって。

 誰よりも、知ってるもん。樫村さんのこと。

「……くそっ……」

 久太郎の声が聞こえる気がする……。

「色葉!」

 いや、気のせいではないのかもしれない。人間の形を保てなくなりつつある自分のそばに、久太郎がいてくれているのかもしれない。

「絶対に、絶対に、約束は守らせるからな馬鹿野郎……!」

 次の瞬間。味覚だけが戻ってきた。

 はじけるような、甘いような、どこか覚えのある刺激的な味が、少しぬるい水の感触と一緒にした。そうすると、味がしている場所の感覚が、徐々にはっきりしてくる。口だ。口の中には歯があって、舌があって……唇に暖かい感触がする。口の中に注ぎ込まれた水を、なにかと一緒に飲み込んでしまう。けれど、それも気にならなくなるほど……柔らかく、ぷにぷにとした、不思議な感触。

「色葉……」

 久太郎の声。今度は、間違いようがない。しかも、それが聞こえるのは自分の至近距離、というか、しゃべるたび、誰かの唇がかすか、自分の口元に触れるような距離。

「……………………ちゅー?」

 声が、出た。

 目を、開けた。

 ぼろぼろ泣いている久太郎が、いた。

「よ…………よかっ…………」

「私……あ……」

 視界を巡らせてみると、久太郎の鉄帽が脱ぎ捨てられ、転がっているのが見える。そしてよくよく見てみるとその内側に、透明なピルケースが仕掛けられていた。中身は、空。

 そして、色葉は頬を緩ませた。

「あは……やっぱり……」

「…………やっぱり……?」

「何回言ったって、事務所に、ゴミ、拾ってくる人だもん、樫村、さんは……」

 自分を生み出したような研究所が潰れて、ゴミあさり……宝探しに、でかけない訳がない。耐火金庫の中に厳重に保管されていた、色葉のための薬だって、拾ってくるに決まってる。

「な……こ……き、きみ……」

 気付かれているとは思っていなかったらしいのが、本当に、樫村さんらしいな、と思う。自分にそれを、言い出せなかったことも。

 自分を道具として、使いたくなかった。

 けど、自分が死んでしまったらどうしよう、と、不安だった。

 だから。

 こん、こん、こん。

 彼はきっと、いつも確かめていたんだろう。色葉を死の淵から引き戻す薬がそこに、しっかりとあるかどうか。財布や鍵をなくしていないか、不安な人がポケットを叩くみたいに。

「…………なあ、色葉、お願いだ、もう、こんなこと…………」

「……やー、です」

 彼が何を言おうとしているかがわかって、先回りして答えた。

「………………僕は、君を、失いたくないんだ。君が、君がどんどん、僕の中で大きくなっていって…………君が人間らしくなっていくたび、僕も一緒に、大人になってってるみたいに、そんな風に思えて…………君が、君がいなくなったら…………」

「…………もっかい」

 わがままが言ってみたかった。それぐらい、許されるはずだ。

 薬があるだろう……と予想はしていたけど、この展開は予想外だった。

 まさか、まさか、彼が……。

「………………え?」

「もっかい」

 それが何を指しているか、数秒遅れでわかった久太郎は顔を赤くし、ぽりぽりと頬をかき……少し笑った。色葉が、いかにも、という調子で唇を尖らせている。

「ば、ばーか、今のはただの人命きゅんんんっ!」


 …………ああ、良かった、腕があって。

 ……あなたのこと、抱きしめられるから。


 再び唇を合わせた二人は、しばらくそのままでいた。

 久太郎はしばらくもがいていたけれど、やがてあきらめ、そっと、色葉の髪を撫でた。


 ※※※※


「あ、その状態、意識あるんだ?」

 めまぐるしく表情を切り替える黒石を見て、里咲が言った。彼は今や、石造りの巨大な四文字のアルファベットオブジェ、『LOVE』の文字と同化し、顔が間抜けに『O』の真ん中にはまり込んでいる。体がぴくぴくと動いているが、どうやらオブジェと同化したスーツはその機能を失ってしまったようだ。そんな自分の状況にかまわず、言う。

「忠告しておきますが、もしあなたが本当に、自分の目的だけを追求するのなら、私を今ここで殺した方がいい」

 だが、その言葉を聞いた里咲は、にんまりと笑った。

「私ちょっと、思いついたことあるんだ」

 破壊されきった会場、客席で睦み合う二人を見つめ、少し笑みをこぼす。そうしてから、黒石に視線を戻し、言った。

「今度はあんたの嫌がることを、全力でやってあげる! 手始めに……その格好のまま、生きたまま、元の世界に返してあげる! 愛と平和のメッセージを伝えなきゃね!」

 彼の手元から落ちていた里咲のスーツを回収し、にっこりと笑った。

「……仕事が大失敗したあげく、敵に助けられて、歴史上初にして、最高に惨めな格好で帰還……あ、それともさ、その格好のままこの世界に飾っておくってのもいいかも……ね、どっちにする? 元の世界で戦犯として晒し上げ? それともこの世界で待ち合わせ場所になる? どっちがアナタのお気に召さないかしら、ダーリン?」

 黒石を固く目をつぶり、何も答えなかった。

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