06 家に帰れない時は

 地下第三層の自宅まで、謎の少女をキャリアに乗せて運ぶのは少々骨だった。その後目を覚ました少女から事情を聞いて、それを納得するのはもっと。なにせ彼女は一日中寝続けた。ようやく話を聞き出せたのは、次の日の夕方。

「おいおい……嘘をつくにしても、もうちょっと……」

 マシな嘘をつけよ、と言おうとして、久太郎は口をつぐんだ。

「ううん、本当」

 澄んでいて、良く通る声が言った。

 すべての派閥技術ファクトを扱える最強の契約人ハンターを作る、プロジェクト七芒星ヘプタグラム。彼女はその実験体、〈1.a:B-c〉だという。久太郎は首を振りつつも、思い出す。あのとき少女はたしかに、三つの派閥技術ファクトを使っていた。悪賊ギャングのものと、警士サムライのもの、フォースのもの。

 派閥技術ファクトの多数使用。これは絶対にあり得ない。

 派閥技術ファクトは法的に、条例的に保護されているだけではなく、その本質は派閥ファクション本拠地内に厳重に秘されている。構成員による使用も実際のところは、重要パーツ、機関を構成員が持つ形ではない。派閥技術ファクトの核となる要素は本拠地に置かれ、利用のたびに通信し、遺伝子認証をパスして初めて利用可能。つまり、利用にはオンライン認証が必須なアプリのような形態。これによって正式に登録されている遺伝子情報を持つ者でなければ使えず、だからこそ、派閥技術ファクトの多数使用は不可能なのだ。派閥ファクションに属するための儀式は様々だが、どこでも共通しているのは、他の派閥ファクションに属していないかどうかの確認である。

 だがコンピュータを利用した認証である以上、ハッキング手段がないわけではないだろう。実際、協定破棄者コードブレイカーという言葉がある以上、東京の歴史の中で先例は存在するが――危険すぎる。

 運が良くて死刑、悪ければ派閥技術ファクト情報の流出を何よりも恐れる派閥ファクションが内々でもみ消そうとし、死刑が人道的に思える最後を迎える。

 しかし久太郎にとって、抜け道を考えるのはいつものことだ。頭脳を高速回転させながら仮説を導き、検証し、結論づける。派閥協定コードを破る方法。

 ……契約同盟ハンターズ・アライアンス派閥技術ファクトは遺伝子編集……連中はまるで、小学生が考える最強動物みたいに遺伝子を組み合わせられる……熊と人間、虎と人間、この間なんか龍を作り上げたって自慢してた……って、ことは……。

「…………つまり…………君は遺伝子認証情報を、八人分……持ってる……?」

 三畳の狭い部屋、せんべい布団に横たわった彼女の横、あぐらをかき、頭をぼりぼりとかきながら久太郎は言った。その言葉に少女は、こくり、頷く。

 人を虎の形、鳥の形に仕立て上げられる連中なら、それができたのだろう。おそらく、他の派閥ファクションから盗み出した遺伝子認証情報を、この子の体に八人分、入れ込んだ。

「私みたいな子どもを作って、量産する、っていう、計画」

「……作ってって……まさかゼロから作られたってことか、君は」

「ううん。誘拐されてきた。十人ぐらい」

「……おいおい、いくらなんでもそこまで違法な……」

「地下第三層の孤児だったから。孤児院が火事になって、大人の人みんな死んじゃって、それで路頭に迷ってたら、契約人ハンターがおにぎりくれて、ついてった」

「…………ああ、そうか……」

 地下第三層。東京の最下層であるそこに、治安、といった概念は存在しない。警士サムライたちですら入る前に必ず連絡を義務づけられる、修羅の層。おかげで機動配達人ピンポンでも住めるほどに家賃は安いが、それ以上に人の命は安い。ここの住民の五年生存率は七十%を下回る。それでも、住人は増える一方だが。

「…………あの矢車は、なんで?」

「たまたま私が他の悪賊ギャングに絡まれて、二派閥ファクションの力で大けがさせたところを見られた。そしたら私に、悪賊ギャングになれって。派閥協定コードを破れる技術と根性のあるヤツが欲しいんだって」

「ヤバい奴には好かれるのが一番ヤバいな……そりゃまた、難儀な……」

「難儀?」

「こまったな、ってこと」

 ほら話とも、子どもの夢想だとも、思えなかった。

 少女の顔には、まったく色がない。感情のようなものが、ひとかけらも見えない。作りは整っていたけれど、それこそ人形のよう。それも、怖い話になるような。

「それで…………これから、どうするんだ?」

 久太郎は尋ねた。すると、少女は首をかしげた。

「自由」

「金はあるの?」

「……金? 金って何」

「ったく…………どうしろってんだ」

 頭を抱えてしまう。すでに仕事を一日と半日分休んでしまっている。自営業扱いの機動配達人ピンポン、ペナルティなどはないが働かなかった分はきっちり、収入に反映する。

「しかし、なんでまた……外に出てきたんだ……?」

 久太郎が呟くと、少女はすらすら話した。

 実験の最中。遺伝子認証情報を重ね持つ彼女は、肉体も精神も何度も不安定になり、生死の境を行き来した。そのたびに苦痛を味わい、そのたびに手当を受け、そしてまた派閥技術ファクトの実験と特訓にたたき込まれる。お家に帰りたい、と泣き言を漏らすと次の日、孤児院で同じ部屋だった親友の首が部屋に届けられた。焼け焦げていた。もう殺して、というとその親友の体の方を刻ませられた。それでも、反抗、とも呼べないような泣き言は出てしまう。

 するとある日、妙な注射をされ意識を失った。

 そして目覚めてから、頭がヘンになってしまったのだと思う。名前も、どこに暮らして、何を思っていたのか、モヤがかかったようになって思い出せない。なのに何も思わない。悲しくも嬉しくもない。地下三チカサンのガキが何人死んだところで誰も何も思わねえよ、と言われた時にも、何も思わなかった。たしかに、私自身が何も思わないな、と少しおかしかったぐらい。

 それでも、自分は毎日殺されているんだ、と思った。それでも、受け入れるしかなかった。

 なのに、たしかなものが一つだけあった。

 憎悪。溶岩のような憎しみ。敵意。悪意。あいつらを、絶対に許さない、という思い。

 それだけが腹の奥底に溜まっていって……そして爆発した。それが先週。

「……君、先週から今までで、全員殺したのか、その計画の契約人ハンター全部」

「うん。ちゃんと、全員、殺した。八つ使って。だから薬はもうないけど」

「薬、って……?」

「四つまでなら寝るとなんとかなるけど、五つ以上は一時間ぐらいで死んじゃう。使ったら薬を飲まないとだめ。研究所にはまだあったけど、全部は持ってこれなかった」

「はぁ……!? ……それで……それで……何人、殺したんだ」

「二十五人。私のこと機械だと思ってたから、あの人たち。警戒もしてなかった」

 少女は唇をゆがめた。笑おうとしたのかもしれない。久太郎はその顔に息をのんだ。年端もいかない子どもの顔に見たくない表情があるとすれば、今の彼女のものだろう。

「…………ちょっと待て、たしか……先週ぐらいに、契約同盟ハンターズアライアンスのオフィスが一つ、手抜き工事で崩壊したってニュースがあったけど……」

 まだ記憶に新しい事件。配達中、アルタ前のニュースで見かけたのだ。暇が出来たらなにか金になるものでもないか、こっそりゴミあさりに行こうと思っていたのだが……。

「うん、潰した」

 平然と言い放つ少女。ただ口を中途半端に開け、なにも言えなくなる久太郎。

「…………どうかした?」

「いや………………本当に、殺したのか、全員」

「うん」

「そりゃ…………」

 言うべき言葉は、見つからなかった。

「あと、逃げた後に見つかって襲ってきたから、ロリィタと悪賊ギャングは五人ぐらい重傷にした」

 おそらくは契約人ハンターたちが差し向けた追っ手だろう。さらに、何を言えばいいのか、わからなくなってしまった。

 十歳程度にしか見えない少女が、百戦錬磨の契約人ハンターたちを二十五人殺した、建物も潰した、武闘派のロリィタと悪賊ギャングも問題にならなかった、などと言っている。一番の問題は、それがどうにも、嘘には思えないこと。嘘だったとしてもこの少女は、警士サムライ悪賊ギャングフォース、三つの派閥技術ファクトを使えるとんでもない子どもで、おそらくは本気でなかったとはいえ、あの矢車を相手にできる戦闘能力なのは、たしかなのだ。

「ったく…………」

 久太郎は途方に暮れてポケットに手を突っ込んだ。そして、矢車に突っ込まれた貴金属がまだそこにあるのを発見し、一つ手に取ってみる。妙な赤黒い汚れや、気味の悪い肌色のかけらなどがくっついているものの……偽物ではないだろう。機動配達人ピンポンに危害をくわえてしまった悪賊ギャングが金で片をつけるのはよくある話だ。悪賊ギャングの長、賊長ビッグ・チーフともなれば懐具合もいいのだろう。貴金属類は片手一杯、少なく見積もっても数百万はあるように思える。

「おい……マジでまいったな……」

 あと一年間、なんとか死なずに機動配達人ピンポンを続け都民IDを買う計画が、あっという間に叶ってしまった……。

 奇妙なおまけ付きで。

「しばらく……僕と一緒に来るか?」

 どうにも居心地が悪くて、仕方なくそんなことを言ってしまう。見捨てるのは簡単だけれど、そうしたらきっと、一生このことを思い出して罪悪感を胸の中に飼い続ける人生になるだろう。そんなのはごめんだ。

「どうして?」

「どうしてって……お金も家もないんだろ」

「やることはある。お洋服を着る。かわいいの」

 少女は起きてからずっと、胸の中に抱きしめていた袋を一際強く抱きしめた。それがただ一つ、少女に残された人間らしさのように思えて、久太郎はやるせなさで目を逸らす。

「それ……ロリィタか? どうやって買ったんだ?」

「うん。殺した後、研究室から。ブートだけど」

「……好きなのか」

「こういうお洋服のことだけ、覚えてた。カワイイは、無敵なんだって」

 少女の顔に、少女らしい笑みが浮かんだ。けれど。きっと。

 なぜ自分がそれを覚えているのか、少女はもう覚えていない。

「…………そう、か……で……着てからどうするんだ」

「……わかんない」

 少女は途方に暮れていた。その顔を見て久太郎は、上京してきたばかりの自分を思い出した。

 東京に行けば、その空気を吸っていれば、何もかも自動的にうまくいって、死ぬほど嫌いだった地元のことなんて一ミリも思い出さなくて済むようになる、そうでなくとも、酒と女と車とワル自慢の話しかしない、休日は国みたいにデカいショッピングモールに行くしかやることがない、勉強をしているとマジメく~ん、とからかってくるような連中とは、おさらばできる……。

 そう思っていた久太郎は上京初日、カジノゲーセンで全財産を巻き上げられ、奴隷商にたたき売られた。ぶち込まれた派遣社員待機所という名前のタコ部屋に詰まっていた面々は、今の少女と同じ顔をしていたと思う。そして、その時の自分も。

「ねえ……家に帰れない時は、どこに帰ったらいいの?」

 少女は久太郎をまっすぐ見つめ、尋ねた。瞳は澄んでいて、魂まで透けて見えそうだった。

 適当にあしらってその場をごまかそうとしていた言葉が、ぐっ、と喉に詰まる。何も言えない。適当な言葉がすべて、少女の澄んだ瞳の冷たい熱で蒸発させられしまったかのようだった。久太郎はため息をついて、本当のことを言った。少なくとも、自分では本当だと思っていることを。

「……自分で家を作ったらいいさ」

「…………そうなの?」

「そうさ、自分の名前の表札を家の前に張って、中を好きなように整えて、ここは自分の家だ、って思って寝て起きたらそこが、君の家」

 東京に出てきてからずっと、久太郎がやってきたのは、やろうとしてきたことは、そういうことだ。だが少女はまた無表情になって、うつむいた。少し疲れているようにも見える。

「なあ、君……もうちょっと……休んだら?」

「ううん、たくさん寝たから、もう大丈夫……ねえ、名前がないと、家はできないの?」

 まあ、作りにくいんじゃないか、契約できないし、と答えようとしてそこで気付いた。

「そうか、君は……思い出せない……?」

 少女はまたうつむき、それから首を縦に振る。ひょっとしたらそれ絡みの編集も受けたのかもしれない。あるいは、単に心理的なショックからかもしれないが。

「だったら、自分で勝手につけたらいい」

 なるべく軽く、あっさり言う。

「………………わかんない」

「ごっこ遊びとかで、名前つけたことない?」

「覚えてない」

「そりゃ……ごめん……」

「つけて」

「え」

「あなたが、名前、つけて」

 僕なんかでいいのか、と尋ねようとして、やめた。

 少女はただ、まっすぐに久太郎を見つめている。

「それじゃあ………………」

 それから数分後。

 一丸色葉いちまるいろはが産まれた。

 そうして彼女は、人になった。

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