06 家に帰れない時は
地下第三層の自宅まで、謎の少女をキャリアに乗せて運ぶのは少々骨だった。その後目を覚ました少女から事情を聞いて、それを納得するのはもっと。なにせ彼女は一日中寝続けた。ようやく話を聞き出せたのは、次の日の夕方。
「おいおい……嘘をつくにしても、もうちょっと……」
マシな嘘をつけよ、と言おうとして、久太郎は口をつぐんだ。
「ううん、本当」
澄んでいて、良く通る声が言った。
すべての
だがコンピュータを利用した認証である以上、ハッキング手段がないわけではないだろう。実際、
運が良くて死刑、悪ければ
しかし久太郎にとって、抜け道を考えるのはいつものことだ。頭脳を高速回転させながら仮説を導き、検証し、結論づける。
……
「…………つまり…………君は遺伝子認証情報を、八人分……持ってる……?」
三畳の狭い部屋、せんべい布団に横たわった彼女の横、あぐらをかき、頭をぼりぼりとかきながら久太郎は言った。その言葉に少女は、こくり、頷く。
人を虎の形、鳥の形に仕立て上げられる連中なら、それができたのだろう。おそらく、他の
「私みたいな子どもを作って、量産する、っていう、計画」
「……作ってって……まさかゼロから作られたってことか、君は」
「ううん。誘拐されてきた。十人ぐらい」
「……おいおい、いくらなんでもそこまで違法な……」
「地下第三層の孤児だったから。孤児院が火事になって、大人の人みんな死んじゃって、それで路頭に迷ってたら、
「…………ああ、そうか……」
地下第三層。東京の最下層であるそこに、治安、といった概念は存在しない。
「…………あの矢車は、なんで?」
「たまたま私が他の
「ヤバい奴には好かれるのが一番ヤバいな……そりゃまた、難儀な……」
「難儀?」
「こまったな、ってこと」
ほら話とも、子どもの夢想だとも、思えなかった。
少女の顔には、まったく色がない。感情のようなものが、ひとかけらも見えない。作りは整っていたけれど、それこそ人形のよう。それも、怖い話になるような。
「それで…………これから、どうするんだ?」
久太郎は尋ねた。すると、少女は首をかしげた。
「自由」
「金はあるの?」
「……金? 金って何」
「ったく…………どうしろってんだ」
頭を抱えてしまう。すでに仕事を一日と半日分休んでしまっている。自営業扱いの
「しかし、なんでまた……外に出てきたんだ……?」
久太郎が呟くと、少女はすらすら話した。
実験の最中。遺伝子認証情報を重ね持つ彼女は、肉体も精神も何度も不安定になり、生死の境を行き来した。そのたびに苦痛を味わい、そのたびに手当を受け、そしてまた
するとある日、妙な注射をされ意識を失った。
そして目覚めてから、頭がヘンになってしまったのだと思う。名前も、どこに暮らして、何を思っていたのか、モヤがかかったようになって思い出せない。なのに何も思わない。悲しくも嬉しくもない。
それでも、自分は毎日殺されているんだ、と思った。それでも、受け入れるしかなかった。
なのに、たしかなものが一つだけあった。
憎悪。溶岩のような憎しみ。敵意。悪意。あいつらを、絶対に許さない、という思い。
それだけが腹の奥底に溜まっていって……そして爆発した。それが先週。
「……君、先週から今までで、全員殺したのか、その計画の
「うん。ちゃんと、全員、殺した。八つ使って。だから薬はもうないけど」
「薬、って……?」
「四つまでなら寝るとなんとかなるけど、五つ以上は一時間ぐらいで死んじゃう。使ったら薬を飲まないとだめ。研究所にはまだあったけど、全部は持ってこれなかった」
「はぁ……!? ……それで……それで……何人、殺したんだ」
「二十五人。私のこと機械だと思ってたから、あの人たち。警戒もしてなかった」
少女は唇をゆがめた。笑おうとしたのかもしれない。久太郎はその顔に息をのんだ。年端もいかない子どもの顔に見たくない表情があるとすれば、今の彼女のものだろう。
「…………ちょっと待て、たしか……先週ぐらいに、
まだ記憶に新しい事件。配達中、アルタ前のニュースで見かけたのだ。暇が出来たらなにか金になるものでもないか、こっそりゴミあさりに行こうと思っていたのだが……。
「うん、潰した」
平然と言い放つ少女。ただ口を中途半端に開け、なにも言えなくなる久太郎。
「…………どうかした?」
「いや………………本当に、殺したのか、全員」
「うん」
「そりゃ…………」
言うべき言葉は、見つからなかった。
「あと、逃げた後に見つかって襲ってきたから、ロリィタと
おそらくは
十歳程度にしか見えない少女が、百戦錬磨の
「ったく…………」
久太郎は途方に暮れてポケットに手を突っ込んだ。そして、矢車に突っ込まれた貴金属がまだそこにあるのを発見し、一つ手に取ってみる。妙な赤黒い汚れや、気味の悪い肌色のかけらなどがくっついているものの……偽物ではないだろう。
「おい……マジでまいったな……」
あと一年間、なんとか死なずに
奇妙なおまけ付きで。
「しばらく……僕と一緒に来るか?」
どうにも居心地が悪くて、仕方なくそんなことを言ってしまう。見捨てるのは簡単だけれど、そうしたらきっと、一生このことを思い出して罪悪感を胸の中に飼い続ける人生になるだろう。そんなのはごめんだ。
「どうして?」
「どうしてって……お金も家もないんだろ」
「やることはある。お洋服を着る。かわいいの」
少女は起きてからずっと、胸の中に抱きしめていた袋を一際強く抱きしめた。それがただ一つ、少女に残された人間らしさのように思えて、久太郎はやるせなさで目を逸らす。
「それ……ロリィタか? どうやって買ったんだ?」
「うん。殺した後、研究室から。ブートだけど」
「……好きなのか」
「こういうお洋服のことだけ、覚えてた。カワイイは、無敵なんだって」
少女の顔に、少女らしい笑みが浮かんだ。けれど。きっと。
なぜ自分がそれを覚えているのか、少女はもう覚えていない。
「…………そう、か……で……着てからどうするんだ」
「……わかんない」
少女は途方に暮れていた。その顔を見て久太郎は、上京してきたばかりの自分を思い出した。
東京に行けば、その空気を吸っていれば、何もかも自動的にうまくいって、死ぬほど嫌いだった地元のことなんて一ミリも思い出さなくて済むようになる、そうでなくとも、酒と女と車とワル自慢の話しかしない、休日は国みたいにデカいショッピングモールに行くしかやることがない、勉強をしているとマジメく~ん、とからかってくるような連中とは、おさらばできる……。
そう思っていた久太郎は上京初日、
「ねえ……家に帰れない時は、どこに帰ったらいいの?」
少女は久太郎をまっすぐ見つめ、尋ねた。瞳は澄んでいて、魂まで透けて見えそうだった。
適当にあしらってその場をごまかそうとしていた言葉が、ぐっ、と喉に詰まる。何も言えない。適当な言葉がすべて、少女の澄んだ瞳の冷たい熱で蒸発させられしまったかのようだった。久太郎はため息をついて、本当のことを言った。少なくとも、自分では本当だと思っていることを。
「……自分で家を作ったらいいさ」
「…………そうなの?」
「そうさ、自分の名前の表札を家の前に張って、中を好きなように整えて、ここは自分の家だ、って思って寝て起きたらそこが、君の家」
東京に出てきてからずっと、久太郎がやってきたのは、やろうとしてきたことは、そういうことだ。だが少女はまた無表情になって、うつむいた。少し疲れているようにも見える。
「なあ、君……もうちょっと……休んだら?」
「ううん、たくさん寝たから、もう大丈夫……ねえ、名前がないと、家はできないの?」
まあ、作りにくいんじゃないか、契約できないし、と答えようとしてそこで気付いた。
「そうか、君は……思い出せない……?」
少女はまたうつむき、それから首を縦に振る。ひょっとしたらそれ絡みの編集も受けたのかもしれない。あるいは、単に心理的なショックからかもしれないが。
「だったら、自分で勝手につけたらいい」
なるべく軽く、あっさり言う。
「………………わかんない」
「ごっこ遊びとかで、名前つけたことない?」
「覚えてない」
「そりゃ……ごめん……」
「つけて」
「え」
「あなたが、名前、つけて」
僕なんかでいいのか、と尋ねようとして、やめた。
少女はただ、まっすぐに久太郎を見つめている。
「それじゃあ………………」
それから数分後。
そうして彼女は、人になった。
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