05 東京百鬼夜行
結局この夜の火災で浅草の象徴たる
幸いに延焼もなく、人々はまた、明日はどうやって観光客から搾り取ろうか考え始めている。だがそんな中にもなぜ、よりにもよって
曰く。都からの違法ID売買に対する警告。
「日本が……」「…………忍者……? 本当に……?」
「………………電子戦への牽制……」「近々……全面的に……?」
「……トイレットペーパーを……」「いや水と米を…………」
…………まったく、なんて一日だ。
浅草、地下第三層にある馴染みの漫画喫茶に潜り込み、おんぶしていた色葉を寝かせてやると、ようやく一息つけた。三畳程度、まるで棺桶のように狭い部屋だが……これでもこの店で、一番広い特等席。事務所に戻るわけにもいかないので、今はここにいるしかない。しばらくは
………………まったく、今日は本当に、なんて日だったんだ。
痛み止めのまだ残る、少しぼんやりした頭ながらも、なんとか考えをまとめようとする。
「…………ねえ、久太郎くん。ちゃんと、教えてくれないかな」
すやすやと穏やかな寝息をたてる色葉を見下ろしながら、里咲が呟いた。まだ彼女から、あの地下で依頼をしてくれないかと頼んだ返事を、はっきりとは聞いていない。
「………………色葉には…………親が八人いましてね」
しばらく逡巡したが、諦め、端末前の座椅子にどっかりと沈み込みながら、久太郎は言った。
「……どういうこと?」
「家庭の事情が複雑って言ったでしょ。色葉には、親が八人いるんです。いや、十人か」
「…………へ?」
「……最初からちゃんと、話した方がいいですね……」
久太郎はそう言うと、色葉との出会いを語り始めた。
※※※※
新宿の夜を、百鬼夜行がうろついている。
そんな噂が囁かれ出したのは、今から数年前のことだった。
当時、奴隷労働の泥沼から抜けだし
「ばっかばかしい、よりにもよってなんで百鬼夜行なんだ? カラカサお化けにだいだらぼっちに子泣きジジイやらのパレードを、現代人がどうやって怖がれってんだ」
「いやいや、そんななまっちょろい妖怪じゃないらしいぜ、出るのは。
噂好きの
「あほくさ……だいたいなんで夜叉とか阿修羅ってわかるんだよ、今の東京じゃ、夜叉みてえな顔したヤツも阿修羅みてえなヤツも腐るほどいるだろ」
「そいつが自分で言うらしいよ、私は夜叉よぉ~! おれは阿修羅だぁ~! ってさ!
楽しそうに、大げさな身振り手振りも交えて言う。
「はぁ……? わざわざ夜叉だ阿修羅だって自己紹介してくる頭のヤバいヤツに、ゴリゴリ武闘派の
東京の八つの
「ってなると……ここにいる誰かが百鬼夜行の一人って可能性もあるか? 誰だ!?」
隣の
「オレが聞いた話じゃ
テーブル席にいる
「矢車ぁ……? それじゃ百鬼夜行だって、千鬼夜行ぐらいにバラバラにされたんじゃねえの?」
「わざわざ
「んなこと言ってるとぉ、今度はお前さんが狙われるかもよぉ?」
「バーカ! オレたちみたいなのを襲って、何を得るってんだそいつは? 今まで
「あっほくっさ~……」
久太郎は天丼をかき込み茶で流し込むと、代金をカウンターに投げ、立ち上がり言った。
「僕が百鬼夜行に出くわしたら、言っといてやるよ、お前ら
一瞬の沈黙の後、店が爆笑に揺れた。
東京で
久太郎はそんな笑いを背に店を後にし、お、結構ウケたな、と上機嫌で午後の配達を始めた。
※※※※
東京
どいた どいたよ
じゃら銭集めて 一ヶ月集めて
家賃払えば すっからかんのかん
そこを そこのけ
墜落 衝突 通り魔 強盗
あの世の道のり よりどりみどりで
命と体は 一つのみ
いそげ いそげや
おどき おどきよ ぼっちゃん じょうちゃん
宿題忘れず 立派に育ったら
※※※※
いつものように小声で歌いながら午後の配達をこなし、十五時頃。実際に出会った百鬼夜行は、予想していた存在とまったく違った。そもそも夜ではなかったし、百でもなかったし、人を殺して喰う鬼ではなかったし、わざわざ
だが人であるかどうかは怪しかったし、命があるかどうかは、わからなかった。
新宿、地下第二層。
配達先である路地に落下していった久太郎は、いやな予感を覚えた。
見下ろした先に立っているのは黒づくめの男と、一人の少女。
「だあああああああらっしゃああああ!」
久太郎が落下を始めた上空三十メートルからでも、男の叫び声が聞こえた。同時に剣戟じみた金属音。笑い声。いや……嗤い声と書いた方が合っているような、そんな声。
「おい、なあ、二つだけってこたぁ、ねえだろう……!?」
男が、両手に持った金属バットで少女に襲いかかっていた。その動きはまるきりでたらめ、洗練のかけらもない素人丸出しの動きだったが……嵐を貫く一筋の稲光のように素早かった。久太郎はゴーグル越し、その軌跡しか追えないほど。
だが少女は顔色一つ変えず、手にした刀で男の攻撃を防ぎきっている。
………………ヤバ案件か……。
内心でため息をついた久太郎は、路地を囲むビルの壁面に着地。座り込んで成り行きを見守ることにした。暴力沙汰最中への配達は、
……八人?
久太郎は少し首をひねってあたりを見回した。配達場所はこの路地なのだが、受取人には八人の名前が並んでいる。珍しいが、ない話ではない。先週は十五人の受取人相手に乱交パーティ用の器具を五キロ分配達した。
だが眼下の路地に、闘っている二人以外に人影はない……というか、どうやって入ったのかもわからない空間だ。道はなく、四方をビルに囲まれ、複雑な地権の問題で産まれてしまったような、細長い十五メートルほどの空間。さらに。
「もっとだよ、もっと見せろよ!」
げらげら嗤いながら叫び、それでもバットを振るうことをやめない男。
黒いライダースーツ。黒い
東京都最高額賞金首の一人にして
その彼が、矢車が、少女と殺し合いを繰り広げている。身長百三十センチ程度、どう見ても十歳前後にしか見えない、刀を手にした少女と。
おまけにその戦いは……互角。少なくとも互角に、見える。
矢車が彼専用の黒い
……うそぉ……?
また一合、バットと刀を打ち合わせると、少女はその勢いで背後に跳び、背中からもう一振りの刀を抜いた。だがその背中には特に鞘も、何も背負っている様子は見られない。
…………
「っっかぁ~~~! 惚れ惚れするぜ
ゲームのアイテムボックスじみた亜空間を携帯し、そこから多種多様な武器を取り出す。これこそ
少女はよく通る声で言う。
「そんなに見たいなら……見せてあげる……
そう言うと、灼熱に滾る二振りの
弾倉を必要としない世界唯一の銃……とはいえ、
「ハっ……! ハハハハハハハハ! イカすじゃねーかよ! なあ、おい! てめえ、やっぱウチ来いよ! オメエは最高の
銃口が自分に据えられていても、矢車は狂喜の笑いを響かせるだけ。少女は無慈悲にトリガーを引く。亜音速に達する六.九mm弾が秒間十三発。矢車の体に着弾。
「オイオイオイオイマジでマジのマジモンじゃねーかよマジで! この前撃たれた時とおんなじだぜマジで! フツーのライフルよりでかくてよぉ骨の砕けっぷりがちげえんだよ連中のは!」
だが。
銃弾に体を貫かれながら、矢車はただ嗤うのみ。そうしている最中でさえ、彼の胸を、腹を、腰を、足を、食いちぎるようにして六.九mmライフル弾が貫いているというのに、痛みの声一つあげず、血の一滴も流さない。
「……体、なにが入ってんの……?」
少女も呆れたように言って銃撃を止める。
「夢と希望」
嗤った矢車が、穴だらけになった腕をくいくいと振り、重金属バットを構えて見せる。
「なあ、足りねえぜ、もっとだ、もっとあんだろ
……狂って、る。
その音に反応した矢車が、跳んだ。
一瞬にして久太郎との距離をつめ、狂喜の表情で
……ほ、ほんも……
の、を思い終える暇もなく、ぴたり、久太郎の鼻先でバットが止まる。風圧で顔が歪む。
「……あ、
こくり、こくり、ゆっくり、頷く。
「やーー! お疲れお疲れ! すまんね、あいつの関係者かと勘違いしちまった! お詫びってわけじゃねえけど、これで暖かいもんでも喰ってくれや! ちっと汚れてっけどよ!」
殺気が嘘のように消え失せ、ポケットから出した貴金属をひとつかみ、久太郎のポケットにねじ込む。それから少女に振り向き、予告ホームランのようにバットを突きつける。
「結構頭使ってんじゃねえか! ますます気に入った、が……水入りだ、また来るぜ!」
そう言い残すと、ロケットのように天井近くまで加速し、飛び去っていった。
呆然とする久太郎はしかし、一息ついて少女の元に降りていった。
だがよくよく見てみると……少女、と呼べるかどうかさえ危うい存在だった。年の頃は十かそこら。獣のようにぼさぼさな頭、薄黒く汚れた入院着のようなもので小さな体を包み、あちこち汚れた顔の中、らんらんと光る目で久太郎をにらみつけている。
「……遅い」
「あ、す、すいま、せん……?」
「ん」
少女が指を、にゅい、とさしだしてくる。認証だ。だが……。
「えーと、すいません、データだと、八名様にお届け、となってるんですが……」
もう七人の認証がない限り、荷物を運ぶ籠、キャリアは開けられない。だが少女は首を横に振り、ん、ん、と指を突き出す。困り果てた久太郎は、とりあえず、腕につけている配達用端末を差し出す。
少女が小さな親指を端末に押し当てた瞬間。
ぴぴぴぴぴぴぴぴんぽん。
「これで……自由だ……」
言うが早いか、糸を切られたかのように体から力が抜け、その場に倒れそうになったところを、久太郎は慌てて抱き留めた。
「ちょ、ちょっと、お客さん!?」
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