10 忘れられた場所の忘れられた景色
「あんなこと、言っちゃってよかったんですか?」
色葉がどこか楽しそうに言う。
「あの都知事のことだから、自分の偽物がみんなに
「……それって、樫村さんがお尋ね者になるってことじゃ……ない、ですか?」
ぷつっ、ぷつっ、と明滅する旧式蛍光灯が薄ぼんやり、二人を照らす薄暗いトンネル。ぬるい風がどこかから吹き、うすく湿った空気が渦巻き、カビの臭いが巻き上がる。
「ばれるようなヘマはしてないさ。これに関しては自信もって言えるよ」
「ホントに都知事そっくりでしたね……私、びっくりしちゃいましたよ」
「そっくりじゃなくて、そのものだよ。そのもののデータを使ったんだから」
現代東京では過去の発達した地下鉄網、そのすべてを第零層と名付け、地上第一層と地下第一層の間に置き、電気ガス上下水道、都市のライフラインを支える層としている。ここには常に惜しみなく最新技術が注ぎ込まれ、居住環境は最高の状態で保たれている。
が……常に最新の技術が使われる、ということは、古くなったものは廃棄される、ということであり……そうすると、今、二人がいるような場所も生まれる。
忘れられた地下道。
第零層にはそんな道が多く存在している。その多くは埋めることもできず、あちこちで繋がり、あるいは繋げられ、こうして秘密の抜け道めいて、ある種の人々に使われる。
……たとえば、オーナーと話をしてくる、と言いその場を去り、わー都知事サインください、と言ってついていって、
「でもやっぱり、樫村さん、お尋ね者になっちゃうんじゃないですか……?
色葉は不安そうだが、久太郎は平然とした顔。
「
「そこはダメなんじゃないですか?」
「ハックはハックだけど中をいじったわけじゃない。データを無線で飛ばすタイプだから、そこに割り込ませただけ……ま、バレたらぶん殴られるけど、殺されるほどじゃない」
この技術は
名前はどうあれ効果はたしかだ。特にこの東京では、無敵の技、とも言えるかもしれない。
任意の対象に、任意の映像を、現実のものとして認識させる。
十割に近く普及しているレンズは通常、記憶・演算装置を内部に納めることが難しく、ポケットや荷物、服のどこかにそれを請け負う別の端末がある場合がほとんどだ。
久太郎はその端末の間にデータを割り込ませる。今回は都知事の映像を割り込ませ、それを自分の上にかぶせた、というわけだ。久太郎の動きにリアルタイムに連動する、ニュースや公報で収集した一万時間に及ぶ映像から都知事の外見データを収集し、AIが統合した3Dモデルはもはや、現実の風景と区別はつかない。
「そうだ、声は? 前に聞いたときは、視覚だけ、って言ってたと思うんですけど」
色葉が首をかしげると、久太郎は笑って鉄帽を叩く。こぉん、と、広大な地下道に硬質な音が響き、ガスマスクのような形をしたマイクとスピーカーが久太郎の口元を覆う。
「物事はもっと、単純に考えた方がいいよ」
色葉の声だった。収集された音声データを統合、解析し、元となる音声データを作成。そして久太郎の発話、唇形を元に、スピーカーから彼女の声となって響く。
疑念を持って直接肉体に触られなければの話だが、言うなれば久太郎は、データのある人間になら誰にでも変身できる。
「……ふへー、すごいですね……」
感心したように色葉が息を漏らす。
「すごいのは君だよ」
スピーカーをしまい、元の声。かつーん、かつーん、ちかちか、蛍光灯が明滅する地下道を進む。元々は真っ暗だった空間に、事務所への近道だから、と久太郎が整えた道だ。
「相当、我慢してたろ」
「……でも……約束、ですから……」
色葉が少し頬を赤く染め、俯く。そんな彼女がどうにも可愛らしくて、久太郎も少し、頬を染めた、が……頭の中に彼女がこの前、我慢できなかった時を思い出して色々我慢した。後始末で依頼料の数倍が吹っ飛ぶのはもうこりごりだ。
「……だからまあ、これは我慢したご褒美。この前復旧してみた」
久太郎はゴーグルから、辺りに設置しておいた端末にアクセス。スイッチオン。
た、た、たたた……まばゆいほどの光が、あたりを満たしていく。
「これって……え……え……?」
色葉が少し目を細めながらも、突如として前方に現れた空間に足を踏み入れる。
「……すごい! ……すごいすごい、すごーーーーい!」
驚きに叫ぶと、その場でくるくると回る。スカートがふわり、綺麗な円を描く。
半径十メートルの半球を描く空間は、それまでの地下道にはありえないほどまばゆい照明に照らされていた。けれどそれは無機質な旧式蛍光灯の明かりではなく、赤、青、緑、様々に彩られている。くるくる回る色葉の目に飛び込んでくるのは、壁を埋め尽くすステンドグラス、駅広告、案内板……背後に光源を仕込まれた様々なものが、光を色とりどりに染め上げている。
「いいだろ」
久太郎も満足げに微笑んで色葉の隣に歩み寄る。
「な、なんなんですか、ここ……」
色葉はなんらかのコンセプト、意図らしきものを空間からつかみ取ろうとするけれど、さっぱりわからない。すごい、のはたしかだけれど……。
キリストの生誕を描いたステンドグラスの横に、古ぼけた「橋新」という駅名表示版があって、その周囲に蓮の花に包まれている仏陀、机に向かう宮崎駿とウォルト・ディズニー、手塚治虫とスタン・リーなどの宗教的タペストリが並び、さらにその周囲に、新宿、三丁目、B2出口、職業安定所、といった駅の案内看板が細切れに並ぶ。さらにその周囲にスルス体のアラビア文字とアラベスクのステンドグラス、さらにその周囲に白人と日本人が並ぶ中国語学習の広告が並び、さらにその周囲に……と、さながら意味不明の曼荼羅。床は床で点字タイルが集まり、東京都、と文字を描いている。
「さて、僕にもわかんない。いろいろ調べてみたんだけど……十年以上前からあったのはたしかみたいだよ。そこの
壁の一面を指す久太郎。ステンドグラスに挟まれ、ARで、たき火の傍らに座る男が浮き出ている看板。BONFIR、という文字までは読めるが、それ以降にノイズが混じり読めない。
「はー……電気はどこから?」
「事務所から」
東京全土を覆うのは無料の高速通信網だけではない。電気、水道、ガス、ライフラインはいくつかの例外を除き、すべて無料だ。
「それにしても……どうやって見つけたんです、こんな場所?」
「……ん……まあ……ここら辺の近道を副業で漁っててさ」
そういった瞬間、色葉は顔をしかめた。
「も~……またゴミあさりしてたんですか? やめてくださいって言ったじゃないですか」
「ゴミあさりじゃない、宝探しだ」
「そう言って事務所をゴミで一杯にして……自分で片付けもしないで……」
「だからゴミじゃない、ジャンクだ、お宝だ。全部使えるもんだから集めてるんだよ」
「同じでしょ。んも~……
「……ふん、今日の変身だって、それで見つけた機材で改造したからできたんだぜ。ここだってそうさ。僕の副業には感謝してもらいたいね」
「……しょうがないんだから~」
まだ少し唇を尖らせつつも、笑みを零す色葉。久太郎も満足げに周囲を見つめる。
宝探し……ゴミあさりは、過去、久太郎が本当に金に困っていた時代の副業で、今は趣味となっているものだ。先週発売した新製品が来月には型落ち製品となっているような現代東京では、ゴミ……ジャンクの量も膨大となる。そして見る者が見れば、それはまさに宝の山。ジャンク・ハント、ダンプスタ・ダイビングなどと称し各地のゴミ捨て場巡りを趣味とする人間も多い。もちろん違法だが……東京独立以来、これで逮捕された人間はいない。もっともジャンクを使いこなすにはそれなりの知識と腕が必要なのだが……。
久太郎のようにテクノロジーに長け、それを改造して使いこなす、ストリート育ちのタフでクールなハッカーにとってそんなのは朝飯前……と、いうのは彼自身がいつも色葉に言い訳として使っている言葉。これを言うと数分間は爆笑されるが、事務所をゴミで汚すな、というお叱りは回避できるのでいつも使っている。それに実際役立つことは役立つ……ことも、あるのだ。
「……にしても……なんなんでしょうか、ここ」
「さあ……ただ……なんとなく教会っぽいから、地下教会って呼んでる」
ステンドグラス越し、オレンジとモスグリーンの柔らかな光が二人を包む。
「不思議……ですね」
「でもなんかさ……東京にはこういう場所、ほかにもたくさん、ある気がしない?」
人口一億二千万人、極大過密の積層都市。その中にあって、こんなにも人気のない、忘れられた場所は、そうそうお目にかかれるものではないだろう。
けれど、色葉はその言葉に頷ける気がした。都市で埋め尽くされた都市の中、虫食い穴のように、忘れ去られた場所が人知れずたくさんある。どうしてか……そうだろうな、と思ってしまう。人間は忘れて生きていく生き物だ。
「みんなから忘れられて……壊すのも忘れられて、そのままで……」
そう呟いてから、色葉はこくりと頷き、続ける。
「そうですね、なんか……教会、っぽいかもしれません。地下教会……いいですね」
「そーづら!?」
そう言う久太郎はいつもの大人ぶった顔ではなく、秘密基地を自慢する少年のような顔。普段はひた隠しにしている方言まで出ていて、色葉はくすくす笑ってしまった。
「……なあ、今回の依頼だけどさ、ひょっとすると僕ら、やっかいなこ」
方言に気付き少し赤くなった久太郎が口を開いた、次の瞬間。
ぽんっ。
「……うん?」
コルク栓の抜けたような音と、一陣の風が頭上からして、二人は視線を天井に向ける。
女が浮いている。
「「…………へ?」」
しばらく、空間に貼り付けられたように女は制止していたけれど、やがて、この世界には重力があると思い出したのか、当たり前の加速度で落下を始めた。
「わわわ、わ、わ! え、や、ちょ、樫村さん! こ、この人!」
どさり、二人は慌てて落下してきた女をキャッチし、色葉が叫ぶ。女の左手は鋭い金属の破片がずぶりと入り込み、盛大に血が流れている。体はぐんにゃりと力なく、意識があるようには見えない。
「……ったく、なんなんだよ今日はホントに! 色葉、オフィスまで運ぶぞ!」
「あ、あいあいさー!」
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