09 憲兵さん、よーくお聞き。都知事閣下の言うことにゃ

 その場の誰もが、口を開けなかった。

 特殊機甲警士隊SASS、ロリィタに悪賊ギャング、観客の一人一人、いつもの名調子で続いていた実況と解説。すべてが止まった。ライフルを天井に撃ち、周囲の注目を集めようとしていた軍服の人間たちについても、それは同様だった。

 暗く赤い軍服に身を包む、東京正規軍メトロフォース、特別高等憲兵隊、通称特憲隊とっけん警士庁サムライレギオン以上に都民から疎まれる、東京正規軍メトロフォースの治安部隊。

 警士サムライはまだいい。かろうじてだが話は通じるし、弁護士をつけて裁判もできる。だが特憲隊とっけんはダメだ。都条例で特別承認されたこの連中は、気にくわなければどんな都民でも適当な口実で連行し、気ままに拷問できる。都の治安維持のため、日本のスパイによる破壊活動を防ぐため、人道と条例にのっとった捜査をしているというが……尋問から戻った人間を一目見た上で、その言葉を信じられる者は誰もいない。

 だがそんな特憲隊とっけんでさえ、あり得ないものを見ている、という顔をしたまま、固まっている。

 こつ、こつ、こつ。革靴がフロアを打つ、規則正しい、上品な音だけが響く。

「やあやあやあやあ都民諸君! 今日も元気に励んでおるかね!」

 深く響く独特の声。トレードマークの口髭、オールバック、形のいいイタリアンスタイルのスーツに、てかてか輝き、のぞき込めば顔が映り込みそうなほど輝く革靴。

 ざっ。静寂が支配していた場に、三つ重なった一つの音が響いた。特殊機甲警士隊SASSの三人が警士刀サムライソードをいっせいに鞘に納め、いっせいに片膝をつき、いっせいに礼の姿勢をとる。

都知事閣下ミニスター。お疲れさまです」「都知事閣下ミニスター。ご苦労様です」「都知事閣下ミニスター。恐縮です」

 警士サムライにとって都知事は、警士大将マスターサムライのさらに上の存在……というより、警士庁サムライレギオンは都庁、ひいては都知事直轄の派閥ファクションでもある。立って抜刀したまま話しかけるなど切腹ものの無礼だ。

 森羅万象のすべてを感知できるはずの上級警士グレーターサムライが跪いたのをきっかけに、その場にいる人々は、今自分の目にしているものが、幻覚や錯覚の類いではないと気付く。気付いて、先ほどの熱狂とは打って変わって不穏にざわつく。その最中、モヒカン頭が好機とばかりに音もなく店の外に飛び出していったが、気付く者、あるいは気にかける者は少なかった。

 都知事閣下ミニスター松平龍太郎まつだいらりゅうたろう

 人口一億二千万、事実上独立を果たした東京の政治的指導者、東京都知事、こと、通称都知事閣下ミニスター。四年に一度の選挙で任命されるとはいえ、カジノゲーセンで熱狂するような層とはおよそ無縁なはずの存在。大手疾靴テックス会社のCEOから政界に転身、見事成功し都知事となり、日本国に対し年の半分を休戦状態とする条約を取り付けるなど、その功績はめざましく、三期もの間、都庁舎迷宮メトロダンジョンの最上階に君臨し続けるトップ政治家。それがどうしてか、新宿のカジノゲーセンにいる。

「やあやあやあ、これはどうも、お祭りを邪魔してしまったようだね、申し訳ない」

「……都知事閣下ミニスター、現場は未だ安全が確保できておりません、急ぎ避難を」

 軍服の男、特憲隊とっけんの上官が場の主導権を握ろうと進み出るが、松平はそれを手で制する。

「すると、この場はキミたちの手に余る、ということかい? 東京正規軍メトロフォース、特別高等憲兵隊第二十七班、班長、新部良蔵にいべりょうぞう少尉……鬼の新部、悪鬼良蔵、ともあろうものが、この程度の現場を掌握できない、と? まさか、ねえ……? そもそも……君はカジノゲーセン自治原則を忘れているのかね?」

 所属と名前、ふざけてつけられた通り名まで把握されていて鼻白む新部。だが、たかだかスーツ組のトップ程度に遅れをとるものか、とばかりに言い返す。

「……ははは、おかしなことを仰いますな。我々は一般都民の皆様と」

 くい、と、手にしたライフルの銃口で、警士サムライたちを指す。

「おサムライさん方の間で、暴動が起きているという通報を受けまして出動した次第です。カジノゲーセン自治はあくまで原則、都条例にしか過ぎず、我々が第一に遵守すべき都軍令ではありません。ご不満なら……次の議会でそのような条例を策定しては如何いかがですかな」

 東京正規軍メトロフォースは東京の事実上独立を死守する派閥ファクションだが、警士庁サムライレギオンのように都知事閣下ミニスター直轄ではない。どころか、時として現場の指揮権をめぐり激しく対立する。軍人と警官と政治家は、どの時代のどんな場所でも、協力できない運命なのだろう。だが松平は、お説ごもっとも、とばかりにわざとらしく肩をすくめただけだった。気をよくした新部はさらに続ける。

「現場の状況を鑑みるに、通報は妥当であったと言わざるを得ません。都軍令第百二十七号第壱条第壱項附則イの2により、事件現場の収束、指揮には特憲隊とっけんがあたります。都知事閣下ミニスターにおかれましてはどうか、ご自身の安全を第一に考え迅速に」

 ぴ、と一本指を立てた松平が、それを新部の唇の前に。脇に控えた隊員たちがライフルを構えかけるが、新部はそれを手で制する。

都知事閣下ミニスター、現場の安全確保にあたってはいかに」

 松平の指を気にせず、新部が口を開くがまるでとりあわず、くるり、一回転。偉そうな特憲隊とっけん無碍むげにあしらわれた様が滑稽こっけいで、ギャラリーから笑いが漏れた。口笛を吹いてはやす者さえいる。新部は眉一つ動かさず、この場の全員を軍用レンズで記録に残すことに専念する。

「さて、我が警士サムライ諸君。現場の報告をお願いできるかな?」

 芝居がかった口調に、しかし警士サムライたちはうろたえず、跪いたまま答える。

「はっ。しかし殿、予定表によるとこのお時間は庁舎にて小休憩となっておりますが……?」

「例の影武者がようやく完成してね。小休憩といっても君らの大将と茶飲み話をするだけだから、退屈で抜け出してきたんだ。四刀流のやつめ、昔の自慢話しかせんのだから。地下開拓時代の、体長八メートルの怪物白鰐と素手でやり合った話はもう、百回は聞いたというのに」

 あっけらかんと言う松平に、くすくす笑いが広がる。上流階級の伊達男として知られる都知事だが、時にこうした子どもっぽさを見せ、ふらりと都内にあらわれるのは有名な話だ。歓楽街を一時間も歩けば、都民と酒を酌み交わす赤ら顔の都知事の写真を掲げた店が見つかるだろう。警士サムライたちの顔も、鉄面皮の中で緩む。

「はっ……それでは……十七分前、カジノゲーセン、新宿MOREモア内でロリィタが悪賊ギャングを使い大規模なテロを実行中、至急鎮圧せよ、との桜田門命令ゲートオーダーがあり、我々即応第四十七班が出動。現場にて同二名を確認、確保のため作戦行動に突入したところ、そちらの」

 鞘に収まった警士刀サムライソードが、新部の鼻先を指す。刀は赤熱こそしていないものの、今すぐにでもあの首を切り飛ばしてやる、と言っているように見えた。新部はわざとらしく鼻を鳴らす。

東京正規軍メトロフォースの方々が現れ、天井に向かって銃を乱射、制圧対象の変更を桜田門ゲートに要請中、殿がお見えになりました。以上です」

「ふむ……桜田門ゲートのオペレーターがまた、コーヒーでもこぼしたか、あの税金泥棒どもめ、まったく……では、そこのロリィタさん……そう、君だ。茜ヶ原円さん」

 都知事から声をかけられ、うろたえる茜ヶ原。これも都知事の特徴の一つ……というより、政治家としての技能だろうか。彼はレンズがなくとも、人の顔と名前を瞬時に把握すると言われている。

「私は……その……」

 ちらちらあたりを見回すが、久太郎の姿も、それどころか先ほどまで肩を並べて戦っていたはずの悪賊ギャングの姿もないと気付き、大きなため息をつく。疾靴テックスをはいた人間に共通していることだが、逃げ足が神がかって速い。残された色葉を少し、同情の視線で見てから言う。

「……守護者ガーディアンとしての職務を全うしたまでです。当店、そして当店のお客様に対し、金銭ならびに肉体両面で損害を与えようとした悪賊ギャングを一名、排除しようとしていました。もっとも、事態の発端となった自由業フリーランスと同様、彼はもう逃げてしまったようですが」

 取り残された色葉がかわいそうになって、彼女については隠しておく。これを機に色葉には自由業フリーランスなどというフラフラした仕事を辞めてもらって、自分のお茶会に招いて鍛えてやりたい。恩を売っておくに越したことはない。

 茜ヶ原の言葉を聞くと、松平はしばらく考え込むようなそぶり。

「すると、どうかな。この場にまだ争う理由はあるかね」

「壁面、床、筐体、天井……修理費はかなりの額になりますが……保険で……都民共済でまかなえます。争う理由は、その理由が逃走した以上、ここにはありません。松平さん」

 茜ヶ原の言葉に、ち、ち、ち、と指を振る松平。

「まつだいら、じゃない、私の……名字は……」

 と、そこでくるりと向き直り、実況と解説のテーブルを指さす。とにかく何か、状況を実況解説したくて仕方がなかった二人は、そこで小さく、せーの、と、囁いた。都知事が何を言わせようとしているのか、言って欲しいのか、気付いたギャラリーは一斉に叫ぶ。


「「「「「つだいら!」」」」」


「オッケーオッケー!」

 どっ、と笑うギャラリー。警士サムライたちに、特憲隊とっけんの数名も笑っている。都知事が家柄を誇り、名字の発音をいちいち訂正するというのはよく知られた話だ。なじみのコマーシャルソングじみて、都民の耳にこびりついている。

「さて、我が親愛なる特殊機甲警士隊SASSの諸君。彼女がああ言っている以上、この現場に君たちはもう、必要とされていないように思うが? 通報内容が真にせよ偽にせよ、この騒動の裏に何が隠されているにせよ、捜査は、上級警士グレーターサムライたる君たちの仕事じゃあない」

 都知事は跪いている警士サムライ一人一人に語りかける。

「君たちは刀だ。熱く、鋭く、何者も阻むことはできない、一振りの刀。その刀は誰かを倒すためにあるんじゃない。都民の自由を守るためにある。違うかい」

 警士サムライたちは返答に代わり、さらに深く頭を下げた。

「そして精強無比なる東京正規軍メトロフォースの諸君!」

 ぐるりっ。芝居がかった動作で特憲隊とっけんに振り向く。

「大変申し訳ありませんが都知事閣下ミニスター、我らの指揮権は都庁に存在しないと、ご自身がよくご存じのはずです。あなたにできるのは要請であって、命令ではありません」

 腕組みをした新部が苦み走った顔で言う。が、松平に気にした様子はない。

「そう邪険にしてくれるなよ、新部くん。私は公僕で、君たち全員が上司なんだ。だから要請や命令は、むしろ君たちが私にするんだよ。こうしろ、ああしろ、あれはするなこれはしろ、謝れ謝るな行け行くなやれやるなやっぱりやれ……ああもうまったく! 都知事なんてなるもんじゃないぞ! 君たちは全員パワハラ上司だからな! その内訴えてやる!」

 けらけら、ギャラリーがまた笑う。場の空気が一層、和やかになっていく。

「命令も、ましてや要請もしないよ。私にできるのはせいぜい、提案ぐらいのものさ。お祭りを台無しにしてしまった、おわびの、ね。そこの大鯨連ゲーマーズリーグの名実況と名解説……七沢ななさわさんと双海ふたみさん。ここのカジノゲーセンは、フードとドリンクは?」

 お、おお、おおお……? と期待の声がギャラリーから。

「和洋中豊富に取りそろえて、サービスカウンターからご利用いただけます!」

「上階のレストランフロアと提携してますからね」

「アルコール類も?」

「古今東西、魅惑の名酒が皆様をお待ちかねです!」

「泥酔のお客様は退店をお願いする場合もありますけどね」

「それでは……」

 新部はそこで諦めた。役者が違う。レンズを通じ、新宿駐屯地への帰投命令を出す。が、数名の隊員が都知事の言葉を待ちわびているのを見て、大きなため息をつく。できれば自分も都知事の次の言葉を聞きたくなっていることに気付き、軽く舌打ちも。

 どんな立場であろうとも。どんな派閥ファクションであろうとも。

 東京にいる以上、それは、都民であるということなのだ。

わたしのおごりだ! 派手にやってくれ!」

 爆発したように一同が沸いた。

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