05 姿がかき消えるスピードで土下座した。

「上に断りなくヨソの三下と組んでゴトなんて、昨今の派閥ファクションの質の低下は嘆かわしいね」

 モヒカン男の目を正面から見据えながら、久太郎はいかにも退屈そうに言ってのけた。ギャラリーはどよめき、モヒカン男は久太郎の正気を疑うような顔になった。

「おめえ……どこのモンだ?」

 ぴょん、ぴょん、準備体操のように跳ねるモヒカン。足には、まるで、地獄の悪魔がとっておきの拷問のため大事にとっておいたような、凶悪に光るパーツをつけた重厚なブーツ。

 疾靴テックス

 着用者の重力、運動量を操り、時速数百キロの走行さえ可能にするブーツ。重力の向きを変え、あらゆる場所に向かって落下し、運動量を溜め込み一気に放出し空を駆ける、夢の靴。人類史上初の積層都市東京、その物流をトラックに代わって支える奇跡の発明。数百キロの荷物を背負い、数百キロで都市を跳ね回る、百万人近い機動配達人ピンポンたちを産んだ靴。

 だが疾靴テックスは同時に、悪賊ギャングも産んだ。

 足軽悪賊フットライツギャング疾靴テックスを装着して群れ集い、暴走し、悪逆非道の限りを尽くす派閥ファクション。正面から争おうという派閥ファクションはないし、一般都民においては尚更だ。

「おまえのモヒカンが全然似合ってないってことぐらいしかわかんない一都民だよ。マジでそれ罰ゲームかなんか? コスプレ? カッコいいと思ってやってるわけじゃねえんだよね?」

 久太郎がいかにも挑発する調子で言うと、くすくす、ギャラリーから笑い声が漏れる。同時にモヒカン男もくすくす、楽しそうに笑う。

「そうかぁ……文字が読めねえのか、お前、かわいそうになぁ……」

 モヒカン男は、背後を親指でさした。

〈お客様同士のトラブルについて当店は一切関知いたしません。〉

 久太郎はもちろんそれが、今この場でモヒカン男が久太郎の首をへし折ったところで誰も何もしない、という意味だとわかっていたし、身長二メートルを超える(モヒカンを含まず)、筋肉ではち切れそうな体をした男の暴力が、自分の力で止められるとも思っていない。

「いやそれはお前だろ? 僕に突っかかってくるんだから。後で泣いても知らないからね」

 今度はギャラリーから、モヒカン男から、くすくす笑いではない爆笑が轟いた。無理もない。貧相な鼠が、肥え太った猫にすごんでいるようにしか見えない。

「じゃ、泣かしてくれよ」

 男の体がかき消えた。同時に色葉が、ぐ、とその体を沈み込ませたけれど……。

(絶対手を出すなよ!)

 レンズに久太郎からのメッセージが届いて、ぐっ、とこらえた。

 一瞬の後、久太郎の体が地面に叩き付けられる。疾靴テックスによって瞬時に加速した男が数メートルを一瞬でジャンプ、ハンマーのように組み合わせた両手で久太郎の頭を叩き伏せたのだ。

「…………った、たたた、やっぱり、これだとちょっとはケガしないとなんないのがな……」

 モヒカン男が倒れた久太郎の頭に、さらに追い打ちを加えようとしたところで、ごろごろと転がった久太郎が勢いをつけ立ち上がった。

「あぁ? 何言ってんだて」

 モヒカン男が怪訝そうな顔をしたところで久太郎はにやにや笑い、自分の足元を指さした。

「…………な……て……さっ、き……」

 唖然としたモヒカン男の見つめる先には、戦車のように頑丈そうな作りのブーツ。疾靴テックスだ。

 悪賊ギャングたるもの、人の足元は絶対に見る。末端といえどモヒカン男もそれを怠ったことはない。まず久太郎が声を上げた時点で、モヒカン男は久太郎の足元を見ていた。

 ……このガキは、たしかに、ただの、だっせえブーツを履いてたはず……。

 モヒカン男の疾靴テックスと違った形のそれは、しかし、この場の誰にもなじみ深い形をしていた。実用第一、質実剛健をそのまま形にしたような……機動配達人ピンポン専用疾靴テックス火急カキュウ

「そういや、自己紹介してなかったな、どうもはじめまして、機動配達人ピンポン健康組合番号130331、樫村久太郎と申します。僕はケンカなんてやんないけど、痛いのやだからさ」

 こんこん、と鉄帽を叩いてみせる。

「これをいろいろいじくって、衝撃吸収性能は抜群にしてあるんだ。だから調子こいたあんたにぶっ叩かれても、まあちょっとむち打ちかなー、程度で済むわけ。位置的にジャンプしてくるから、狙うのは絶対頭だろうしね」

 さも大儀そうに首をもんでみせる。

「でもまあやっぱ、痛いかなーって思うから、病院行こうと思うんだけど。どう思う?」

 モヒカン男はそう聞くや否や、姿がかき消えるスピードで土下座した。

「すわせんっした! 治療費は払います!」

 ……。

 …………。

 ………………。

 意外と賢いぞこいつ……。

 久太郎は顔をしかめた。

 どれだけの悪事を働こうが、ケンカが強かろうが、足軽悪賊フットライツギャングにおいて疾靴テックス技術のないものは軽視される。悪賊ギャング流の言葉で言うならナメられてしまう。逆に言えば足軽悪賊フットライツギャングであろうがなかろうが疾靴テックス技術のあるものは、半ば信仰に近いまでの尊敬対象だ。

 そして東京において、機動配達人ピンポンほど疾靴テックスに熟達した存在はいない。

 トラックより速く、スクーターより小回りがきき、自転車より積載量に優れ、大戦中の海兵隊より死亡率の高い機動配達人ピンポン。不法上京者なので危険な仕事につくしかないかわいそうな人たち、と哀れまれ蔑まれると同時、彼らがいなければ東京の生活は成り立たない、と尊敬され、時に東京の象徴とも言われる奇妙な存在。

 足軽悪賊フットライツギャング機動配達人ピンポンに対する感情は、もはや宗教に近い。企業を襲い、官公庁に火を放ち、気まぐれにさらった女子供を強姦し、道を塞げば老人でも妊婦でも蹴り殺す悪賊ギャングは、しかし、機動配達人ピンポンの邪魔だけは絶対にしない。

 命を賭け疾靴テックスを駆り、迷宮と化した都市を跳び、無言の差別を受けながら、職務に専心するその姿は、疾靴テックス技術を何よりも重んじる悪賊ギャングにとって、神聖な姿に見えているのかもしれない。仮に機動配達人ピンポンに手を出した悪賊ギャングがいたとすれば、そいつは間違いなく、悪賊ギャングが普段悪賊ギャング以外の人間にやっていることをすべて、自分一人の身で味わうことになるだろう。

「さて……治療費って言ってもね……」

 ……まいったな。

「全部払います! 三倍乗せます! 乗させてください!」

 ひたすら床に額をこすりつける悪賊ギャング。久太郎は想定外の賢さに、内心で少し舌を巻いた。

 予想ではイカサマを暴かれた大鯨連ゲーマーズリーグと同じく、機動配達人ピンポンに手を出してしまったこの悪賊ギャングも、派閥ファクションによる粛正を恐れ逃げ出すはずだった。

 しかし東京にいる以上、派閥ファクションからは逃れられない。一億二千万人の都民、九割以上が八つの派閥ファクションの内どれかに属しているのだ。東京を出るという選択肢は常にあるが、現代における都落ちはかつての島流しに等しい。地元に戻るぐらいなら死んだ方がマシだ、と呟き東京で死んでいく人間は後を絶たない。

 そういうわけで、不祥事からは逃げるよりもみ消したほうが生存確率は高くなる……できるなら、の話だが。

 ……いや、マジでまいったな……。

 久太郎は途方に暮れてしまう。

 現在はいっぱしの自由業フリーランスで、当時入っていた組合の保険はとっくに抜けているし……使っていた疾靴テックスは買い取り、様々な改造を加えてから普段靴として使っている。要するに、これはただのハッタリなのだ。

「……でもさ」

 この場をなし崩しにしても、そもそも上から僕に依頼が出てるんだよ、だから逃げた方がいいよ、と諭そうとしたところ。

「……か、かかか、金、金、金返せ!!」

 それまで呆然と立ちすくみ、二人のやりとりを見つめるだけだった不法上京者の中年男が、悪賊ギャングに飛びかかった。

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