03 チート≒イカサマ

「…………視界レイヤー、データフロー…………」

 久太郎が口の中だけでもごもご発話すると、ゴーグルはかちかち音をたて、周囲のデータ通信量をサーモグラフィーのように表示した。

 かつてスマートフォンと呼ばれた携帯型端末は世界の隅々まで普及し、もはやスマホとさえ呼ばれず、端末、と呼ばれるようになっていた。現代ではあらゆる決済に認証が、端末一つで済む。端末には場面や用途にそった種々雑多なタイプがあり、今や都民のほぼ十割がコンタクトレンズ型、眼鏡型、そして今の久太郎がつけているようなゴーグル型の、視界を覆うタイプの端末、通称、レンズをつけている。地図情報を視界にかぶせる、相手の名刺情報とSNS情報を参照しながら会話する……東京全土を覆う無料高速無線接続を合わせれば、レンズ一つでほぼ、すべてができる。

(いたいた。色葉、手を出すなよ、君が入ってくるとロリィタにナメられた、って話がややこしくなるんだから)

 横でぼんやり、口を開けながらモニタに見入っている色葉にメッセージを送る。コンタクト型のレンズをつけている彼女の視界の中、久太郎からのメッセージが横切ったはずだ。彼女は少しだけ不服そうに眉をしかめ、それでも(り)と、久太郎にメッセージを返す。了解、の略だ。レンズの操作は視線や脳波などではなく、別に操作を受け持つ手元の端末から行うが、その操作が煩雑なため、こういった短縮文をやりとりするのが大半だ。

 色葉の見つめる大型モニタでは、茶色の胴着を来た男の足元、青い肌をした手足の伸びる宇宙人が力なく横たわっている。

「悪いね兄さん、これであんたの二十敗。精算と行こうか?」

 大型モニタの繋がっている筐体前に座ったモヒカン頭が、逆向きにつけたヘッドフォンを外す。筋肉質で粗野な雰囲気を漂わせている男が、向かいでうなだれる中年のヘッドフォンを仰々しく外し、肩に手を回す。四十代半ば、少しはげている中年男は、ぴくりとも動かない。

 ……このおじさん、ゼット、自信あったんだろうな……。

 久太郎はギャラリーに紛れ込み、そう思ってほんの少し切なくなった。

 カジノゲーセン内、ローゲームコーナー、スーパーセイヴァー&ファイターⅡZ前。

 現代東京に置いて格闘ゲームは、最もメジャーなeスポーツだ。スーパーセイヴァー&ファイターⅡZ、通称ゼットはその始祖と呼ばれる一作。大規模な世界大会こそもうないが、今でもこうして遊ばれ続けている名作である。もっとも遊ばれ方は、だいぶ変わったが。

「一本十万、だから、計二百万だな」

 モヒカン男がぺしぺし、中年男の顎を叩く。にやにや笑いを続けながらもう片方の手で自分の時計型端末を取り出し、見せびらかすように中年の前で振ってみせる。

「さ、明朗会計と行こうか、なあ?」

 二人が座っているのは、ゲーセンがまだゲーセンでしかなかった頃から使われている、昔ながらの対面式筐体。当然、カジノゲーセン成立以降の賭け試合……マネーマッチには対応していない。

 けれど、カジノゲーセンのゲームに慣らされた人々は気付いてしまったのだ。

 ゲームは面白いけれど、金を賭けるともっと面白い。

 そういうわけでカジノゲーセン成立以前のゲームは「昔のゲームローゲーム」と称され、こうした専用コーナーでシステムを介さず、対戦者同士で直接金銭のやりとりをする。だからこそ争いは絶えず、あちこちに、ここでどう揉めようが知ったことではない、という意味合いの文言が、鬼が激怒したような筆致で書かれた張り紙があり、一種異様な雰囲気を醸し出していた。

「お金は…………その…………」

「あんたの地元じゃどうか知らんがな、ここじゃ負け金を払わない奴は面白いことになるんだ。おれだってさっき三万払ったろ? そんであんたもさっきは三十万払ってくれた。だから今回も同じように払ってくれれば誰も困らない、平和な世の中ってわけだ。さ、端末出しな」

 久太郎はぷるぷる震える中年を見つめ、少しため息をついた。

 五年前、東京にやってきたばかりの自分を見るようで、なんとも居心地が悪かった。

 格闘ゲームの腕前に自信のあった久太郎は、上京してきてから当座の資金をゼットの賭け試合で稼ごうとしていた。最初はうまくいったものの……結局ひどい代償を支払う羽目になった。半年程度の奴隷労働で済んだのはただただ幸運だった、としか言い様がない。

 だからだろうか、中年男に同情する気にはなれない。

 東京のカジノゲーセンで一攫千金を夢見る人間は、宝くじが当たった翌日に酔い潰れ、家中のドア、窓を開け放したまま寝て、泥棒に入られた人間のようなものだ。苦笑はできても同情はできない。

 ……まあでも、悪い・・のは、泥棒だ。

 肩をすくめ、一目で不法上京者とわかる中年の背景を想像し、自分の身に重ねてしまう。頭の中に、故郷がよぎる。

 人も仕事も減り、廃墟同然の空き家と行く当てのない老人だけが増え、うすら寒くなるほど巨大なショッピングモールのみが残る、何もかもが諦念と絶望、そして忘却に飲み込まれていく地方都市。こんなところは出て行って何者かになってやる、と息巻いていた日々。地方の最低時給、四百八十二円で上京資金を貯め続けた、あの毎日。

 上京してからもまともな職にはつけず、奴隷から抜け出せても、公称で年間九千人以上が死亡する機動配達人ピンポンをやるしかなかった過去。

 そんな中、なんとか幸運にありついて、どうにかオフィスを構えられるようになった事件。あれ以来、いっぱしの自由業フリーランスとして働けている。

 でも……僕は今でも、貧乏で、無教養の、イナカモンのクソガキだ。

 大きく息をついた久太郎は、ギャラリーの中、一人の背後に立った。そして勢いよく腕をつかみ、持ち上げ、叫ぶ。

イカサマチートだ!」

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