第2話
「あ!てんしさまだ!!」
「……また?」
気づくと月明かりに淡く照らされた室内に立っていた。俺の存在に気づいた子供が、嬉しそうにこちらへと駆けてきた。
「てんしさま! ありがとう、てんしさまのおかげで兄さんが助かったんだよ!」
「本当に?」
子供の指す方を見れば、こちらを警戒したように伺う小さな影が見えた。
俺に無邪気に絡んでくる弟を心配そうに見ている。
「えっと、俺はてんし? じゃないんだ。俺の名前は、
「みすみ?」
「うん。君たちの名前は?」
「ボクはね、ヴィエル! ヴィって呼んでいいよ!!」
「よろしく、ヴィエル」
「ヴィ!」
「……ヴィ」
名前を呼べば、嬉しそうにヴィは笑った。
「兄さんはね、兄さんはラズゥリ!! ラズていうんだ!!」
あまり耳馴染みのない名前だ。やはり、ここは俺が見ている夢の世界なんだろうか。けれど、五感で感じるすべてが現実のように思えて仕方がない。
「アンタ、誰なんだ?」
ゆっくりと俺の前に近づいて来た兄―ラズは、ヴィと同じ顔なのに浮かべる表情も声もどこか大人びていた。
「ここにどうやって来たんだ?」
「いまは、分からないとしか言えないかな。俺も混乱してるんだ……昨日まで夢なんじゃないかと思ってた。普通にベッドに横になっただけなのに、君たちの前に俺はいる」
「……オレたちには光に包まれたアンタが何もない所から出てきたように見えたんだ」
「光?」
思わず自分の身体を見下ろす。どこも変わったところがなさそうに見える。
手のひらを広げた瞬間、ヴィが小さく声をあげる。
「あ! それ、ボクの石にそっくり!」
そう言ってヴィが服のポケットから取り出したのは、六角柱の石だった。月明かりに照らされたそれは、確かにユーコさんの石と同じように石の中に金色の針が浮かんでいる。
「ヴィ、それどこで拾ってきたんだよ?」
「裏山の穴の中だよ! きれいでしょ?」
「危ないから一人で行くなって言っただろ!!」
「大丈夫だよ! ボクは何してても気にされないもん」
そう言って自慢げにヴィは胸を張って見せた。
どうやら、この石のおかげで二人に会えているようだ。
―この石のおかげで、大切な人に会えたの
「……『大切な人に会えた』」
「え?」
「この石は、ユーコさん……俺の祖母の持ち物なんだ。この石のおかげで、ユーコさんはこの世界に来ていたのかもしれない……」
同じことが自分にも起きているのだと思うと納得できる。
しかし、異なる世界だというのに言葉が通じるのは不思議だ。目の前にいる二人は、髪色と瞳の色が自分の周りにいる人たちと大分違うように思えるが、確かに血の通っている人間に見える。
「……そういえば、君はもう体調は大丈夫なの?」
「そうだよ! 兄さん、ミスミにお礼を言わないと!!」
ヴィの言葉に警戒した猫のようだったラズはどこか戸惑ったような困ったような表情を浮かべ、俺の様子を伺うように見てくる。
「その……助けてくれて、ありがとう……」
「いや、お礼はいらないよ。正直、どうして君が助かったのか、俺には分からないし……」
「……オレは、アンタがマナを分けてくれたから助かったんだ」
「マナ?」
「みて!! ミスミ!!」
ヴィの手の中に転がっていた水晶柱が宙に浮いていた。クルクルと手のひらの上で回転したり、跳ねたりしている。
「手品?」
「これがマナの力だよ! ボクはこのくらいしか出来ないけど、兄さんはもっとすごいんだ!!」
「どんなことができるんだ?」
「……」
聞いた瞬間、ラズの姿が消えた。
瞬く間に戻ってきたラズの手にはどこから手折ってきたのか葉っぱのついた枝が握られていた。思わず受け取れば、葉っぱの香りが鼻腔を擽った。
「外に行ってきたの?」
「うん」
「兄さんはいろんなことが出来るんだよ!!」
ヴィのほうが自慢げだ。ラズはどこか警戒しているのが分かる。
おそらく、この力はあまり褒められたものではないのかもしれない。
「アンタの周りにはこういうこと出来るやつはいないのか?」
「うん。空想の世界……想像上というか、小説とか物語の中では出てくるけど……実際にはいないかな?」
「くうそう?」
「しょうせつ?」
二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。
「ミスミはどんなところから来たの?」
「俺は……」
二人の質問に応えて、いつの間にか寝たのだろうか。気づけば自分のベッドに戻っていた。
手のひらを鼻に近づけると、微かに緑の匂いがした。
それから俺は毎晩、二人の夢を見た。
二人から聞く話はどこか夢のように感じる部分もあれば、そうとは思えないほど凝った現実的な話もあり、この世界はどこかに存在する場所じゃないかと思わせる。
ここが誰でも行ける場所なのであれば、歴史的発見になるかもしれない。
「ミスミが言ってた文字がわかるもの手に入れたよ!」
「ありがとう。無茶しなかったか?」
「うん! 全然!!」
そう言ってヴィは胸を張って笑って見せるけれど、ラズの空気は重い。
おそらく、これを手に入れるのに相当苦労があったのだろう。
差し出された紙の束は、どうやら文字を修得するための教本のようだ。この世界で紙はとても貴重なもので、本という形になると家一つ買えるくらいの価値があるらしい。
化石時代並みのモノの考え方で、この世界の文明が相当遅れていることが分かる。
俺よりもまだ子供の二人は、過酷な環境の中で懸命に生きている。
碌な教育も受けられず、両親もおらず、マナを使える存在ということで貴重なモノとして扱われているらしい。
ラズが死にそうになっていたのは、実の父親の力を回復するためにマナを奪われたせいだそうだ。
一歩遅かったら死んでいたのに。
「オレたちもあんまりわからないんだ、ミスミはわかるのか?」
「んー……」
二人に見せてもらった紙の束に思わず目を瞬かせた。自分が知っているローマ字によく似ている。
「分かる……」
「えっ! すごい!!」
「使われている文字は分かるんだけど、組み合わせが違うみたいで……分かれば読めなくはない、かも」
もっと真面目に言語学を学んでおくべきだった。新学期になったら履修しよう。
それから二人と一緒にこの世界の文字の勉強をした。
二人は言葉をあっという間に覚えてしまい、俺がいない間に本が沢山ある場所で読み漁っているらしい。
一週間もすれば、どこか幼さが強かったヴィの言葉も随分と大人びたものになっていった。
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