宇宙怪獣と恋文
維 黎
第236話 宇宙怪獣ジャイアントミニマム
ボクには三分以内にやらなければならないことがあった。数キロ先に宇宙怪獣が突如として出現するという真っ只中であったとしても。否、真っ只中だからこそと言うべきか。
今が東歴2024年で、10年前のことだから2024から10を引くと――1024年? え? そんな昔からだっけ? なんか違う気がする。
ボクは階段の踊り場で回れ右をして二段飛ばしで降りてきた階段を登ると、飛び出して来た教室へと戻った。
「なぁ、高橋。ちょっと聞きたいんだけど、2024から10引くといくつ?」
「2014」
「即答!? 天才かよッ! さんきゅー!」
同じクラスの高橋は運動神経は悪いけど――あと、顔と性格と性根と根性と、たぶん知らんけど運勢も悪い――んだけど、頭はボクよりも良い。そんな高橋の怪訝な顔をそのままにボクは再び教室を飛び出した。
ボクには三分以内にやらなければならないことがあった。数キロ先に――ってこれはさっき言ったっけ。
今から10年前の東歴2014年。
初めて確認されたその異形の獣の
『いや、かいじゅうか、ちんじゅうか、どっちやねん!』
当時6歳だったボクは『月刊裏サイト小学一年生』に載っていた記事を見て叫んだものだ。
怪獣チンジュウは西京の街を破壊しまくった。
その未曾有の危機に日本政府は即時対応——とはいかなかったけど、官邸各所大混乱になりつつも自衛隊の出動を、当時の内閣総理大臣マルチナが命令した。
え? 日本の内閣総理大臣なのに外国人なのかって? 違う、日本人だよ。女性初の内閣総理大臣、
いや、ややこしいって。そんなことボクに言われても困るんだけど。
確か当時、官房長官の
―—
なんて文字がゴシップ誌にデカデカと踊っていたけど、正直、日本大丈夫か? と、小学生ながら思ったもんだ。
そういえばニュースで主文後回し、みたいなことを言ってたような。
結局、不敬罪が罪状だったかな。つか、現代日本で不敬罪なんてあるんだ。
まぁ、それはともかく何だっけ? あ、そうそう。怪獣に対して自衛隊が出動したって話だった。
結論を言っちゃうと自衛隊では怪獣を倒すことは出来なかった。
万策尽きた日本政府は
何科の鳥類に分類されるのかわからない。
丸っこい
おそらく顔と思われる部分は白地で、マジックで書いたような二つの丸い点と黄色いくちばし。頭部——というか、上部にはトサカのような物。
全体的にオレンジを基調としたそのずんぐりむっくりとしたトリ型ロボット――トリットマンが今、ボクがいる高校の数キロ先に見える。
怪獣同様、どこからともなく羽を羽ばたかせて――ではなく、脚の裏のバーニアを青白く光らせて飛んできた。
どこから来たのかわからなくても、何しに来たのかは誰もがわかっていた。
もちろん、ボクらの街を守る為に怪獣を倒しに来たのだ。
「——アンギャールズゥゥゥ!!!」
目の前に現れたトリットマンを敵だと認識した怪獣が、どこかの芸人のコンビ名のような叫び声をあげる。
「——今回の怪獣はどんな奴なのかなッと。OK、
階段を目指して急ぎ廊下を走っていたボクの耳に、他のクラスの男子生徒が手にしたスマホのGoggles先生に尋ねる声が届く。
ボクには三分以内にやらなければ――以下、省略。だったけどボクとしても気になることだったので階段の手前で急ブレーキをかけて耳をそばだてる。
しばらくして
『お答えします。あの怪獣の名称は〝怪獣ジャイアントミニマム″と――』
「いや、デカいんか、ちっこいんか、どっちやねんッ!!」
脊髄反射で左腕を横に払う。
別に
『——呼称されています。あの個体特筆の特徴としましては、
なるほど。だから存在感が薄いというか、ぼやけた風に見えるのか。
ボクはGoggles先生の説明に得心が行く。
『そして呼称の由来ですが、その巨体に反して小心、臆病な性質をしています。要するに肝っ玉も、〝ピー″も小せぇ〝ピー″で〝ピーピー″なヤローなのです』
ところどころ不適切発言が目立ったけど由来は理解出来た。
図体のデカい小心者ってことでジャイアントミニマムか。
ありがとう、Goggles先生。すっきりしたよ。
ボクは心の中でGoggles先生にお礼を言うと、勢いよく階段を駆け下りだした。
ボクには――超・以下省略。
目指すは校舎一階の昇降口にある靴箱。
全校生徒が怪獣とトリットマンの戦いに注視している間。
幸いなことにボクのクラスにいた英語の先生も、隣のクラスの先生も外に意識を向けていて、誰もボクを咎めることはなかった。
今は授業中なのだ。
と、ズズーンと地響きが校舎を揺らす。
「——おっとと、と」
一瞬、バランスを崩したボクはなんとか階段の手すりを掴んで事なきを得る。
怪獣ジャイアントミニマムとトリットマンの激しい戦いが、校舎二階の廊下の窓から伺える。
急がないと。三分が過ぎて戦いが終わってしまう。そうなれば平穏が訪れ、ボクが教室を抜け出したことがバレてしまう。
10年前。初めて怪獣とトリットマンが戦ってから今まで一度もトリットマンは負けたことがない。
ボクも昔、自前のスマホに入っている
先生によるとトリットマンは地上では三分間しか活動出来ないらしい。
三分を過ぎたからって死ぬとかじゃなくて、Goggles先生曰く、『制作会社のコストの問題です』とのこと。
ちょっと何言ってるのかわかんなかった。
まぁ、それはさておき。
再び揺れを感じた。廊下の天井からパラパラと何かが落ちてくる。
窓越しに外の様子を見てみると、怪獣とトリットマンの激しい戦い――怪獣が頭を抱えてうずくまり、トリットマンが一方的にバシバシと翼で殴っているように見える――が続いている。
翼の攻撃からストンピング(蹴り)へ移行するトリットマン。
怪獣と比べてトリットマンは一回り小さく見える。
構図としては大柄で気弱な生徒を小柄なやんちゃ生徒が一方的にイジメてるように見えなくもない。
ともかく頑張れトリットマン。あ、でも、もう少しだけ戦闘を続けてほしい。せめてボクが靴箱までたどり着くまでは。
ボ―—超絶・以下省略。
「——あッ!?」
その時、ボクは気づいた。トリットマンの黄色いくちばしがピコン、ピコンと点滅していることに。
まずい! 時間がないッ! もうすぐ三分たってしまうッ!
リミット限界まで来たらトリットマンの必殺技が炸裂して戦闘が終わってしまうのだ。
急がないといけない。なぜなら――。
ボクには三人くらいに告らなければならない事情があった。
え? 唐突に何言ってんのお前って? まぁ、そう言わずにちょっと訊いてよ。
その事情っていうのは、ボクには気になる女子が三人いるんだ。でも誰か一人だけ選んで告るとか無理。だって三人ともそれぞれ違う魅力的な女の子だから。
まず一人目は三組の
名前からわかる通りハーフな女子だ。純粋な日本人とは規格が違う大きな胸とお尻。
小耳に挟んだところによると、彼女、性格はかなりキツくて付き合うには相当の覚悟がいるって話。
でもボクはそんなことは気にしない。性格なんてどうでもいい。小野寺さんには身体だけしか興味がないから。大好きだよ、小野寺さん。
二人目は同じクラスの
同じクラスなので彼女のことはよく知ってる。一言で言えば超陰キャ。そしてボクも二度ほど見たことがあるんだけど、彼女が絶好調の時は真っ黒なカラスが群がってくる。正直、気持ち悪いを通り越して恐怖。
でもボクはそんなことは気にしない。性格なんてどうでもいい。舞島さんは舞島財閥の一人娘だから。大好きだよ、舞島さん。
三人目は三年生の
彼女には〝サセ子″って噂がある。大好きだよ、金澤先輩。
ボクは急ぐ。
靴箱へ。
誰のかわからない靴箱へ。
気づいたのは今から30分くらい前。5時限目英語の授業中だった。
(——あれ? ボクが入れた手紙って三組じゃなくて一組の靴箱だったんじゃ……)
三人のうち、まずは小野寺さんへのアプローチ。
彼女とはまったく面識がなく接点といえば、たまに廊下ですれ違ったり見かけたりするだけ。ボクが一方的に知ってるだけで、120%の確率で小野寺さんはボクの存在を知らないだろう。
当然ながらスマホの番号もアドレスも知らない。
ではどうするか。
古典手法をとることにした。
靴箱への
ボクの学校の靴箱は出席番号——名前の順で上段から下へ割り振られている。
クラスメイトの
ボクは今里に小野寺さんの靴箱の調査を依頼。彼女の出席番号が2番目だということがわかり、靴箱の位置が判明した。
そして今日の昼休み。誰もいないことを確認して誰にも見つからずに
昇降口入り口から見てボクらのクラスの靴箱の左側が一組、右側が三組なんだけど。
(ボク、反対の昇降口階段側から見て右側の靴箱に入れた……かも?)
最近、記憶力や学力が極端に落ちているのを自覚する。具体的にはひと月くらい前——ボクが住んでる団地の前で、怪獣ベビーアダルトとトリットマンが戦った時くらいから。
靴箱を間違ったかも。
その思いはどんどん大きくなって、もはやボクの中では確信に変わっていた。
(まずいッ! 誰かわからない人の靴箱に
急いで回収したかったけど、授業中に抜け出す手段がない。
頭が痛い、気分が悪い、おしっこに行きたい、おっきい方がしたい。
今週はそれぞれ二回ずつすでに使って教室を抜け出しているからさすがにもう使えない。
ちなみに今日は水曜日。
成す術なしかと思っていたところでの怪獣出現だった。まさに渡りに船。
怪獣とトリットマンの戦いが始まって、学校中の人間がその戦いに注意を向けている隙に
そして昇降口、
靴箱の扉を開け、銀行のATM横にある無料で置かれている封筒に入れていた便箋——団地のポストに入っていた選挙立候補者宣伝用ポスターの裏を使用——を手にしてまじまじと見ている。
そこには簡潔にこう書かれているはずだ。
『好きです! 付き合ってください! まずはセッ〇スフレンドからッ!!
一年二組 マキネン・オラヴィ』
え? いろいろとおかしいけどまずは名前だって? 何かおかしいかな? 両親共にフィンランド人で、中学まではフィンランドに住んでたから当然僕もフィンランド人だし。
なんで日本の高校生やってるのかって話は、複雑な家庭の事情があるしプライベートだから話す義理はないけども。
誰だか名前も顔も見覚えのない立候補者のおっさんと目が合う。そしてその
ゴゴゴゴゴゴゴ。
奇妙な冒険をする某人気漫画に出てくるような効果音文字を目の前の生徒の背後に幻視するボク。そして現れる真の敵——じゃなかった。靴箱の生徒。
「——あ」
その生徒を見て自分でも自覚しない声が漏れる。
入学当初から話題となり、今や校内で一、二を争う有名な生徒。
ヨシ子DX超合金。
うん! うん!! わかるよ。その気持ち。
ごめん。話を続けるよ。
ボクの学校は男子は詰襟の学生服。いわゆる学ラン。女子はセーラー服。目の前の生徒——ヨシ子DX超合金はセーラー服を着ていた。男子だけどもッ!!
なぜヨシ子が今ここにいるんだ! 5時限目から登校して来た!? つか一組だったの!? 全然気づかなかった!!
120㎝、120㎝、120㎝。
それがヨシ子のスリーサイズ。身長は193㎝。
そんな彼女——違った。彼がボクを見下ろしながら話しかけてくる。
「
やたらと流暢にフィンランド語のボクの名前を口にするヨシ子。耳にする
「——」
ボクは言葉を発せない。
何か一言でも口にすれば、それはもう取返しがつかないことが起きそうな予感に支配されて。
ボクは後ずさる。
「も💖ち💖ろ💖ん、オッケーよッ! さぁ、恋人同士の熱い
「ひぃぃぃぃぃぃぃ」
ぐわばぁっと両手を広げて駆け寄ってくるヨシ子に、心底恐怖を覚えて本気の悲鳴をあげる。
回れ右をして逃げるボク。当然、追いかけてくるヨシ子。
靴箱をぐるっと回って昇降口の外——校門へ向けてダッシュする。
後ろを振り向かなくてもヨシ子が追ってくるのがわかる。
圧がすごい。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
女子のような悲鳴をあげるボク。
顎が上がり、自然と視線が空に向けられる。その視線の先には怪獣ジャイアントミニマムとトリットマン。
思いの外近くまで戦いの場が移動していたらしい。
怪獣とトリットマンが戦ってきた場所はほとんど瓦礫の山と化していた。多くの人間が死んでしまったことだろう。
でも大丈夫。
死んでしまうのは死ぬほど痛いけど、午前零時を回った途端、怪獣の攻撃によって死んでしまった人は、その当日だけの記憶を失くすだけで他には何事もなかったように復活する。
え? どういう理屈でそうなってるんだって? ごめん。そこまで詳しく設定を考えていないんだ。そこはサラッと流してくれると助かるかな。
では続きを。
怪獣と対峙するトリットマンが腕を十字にする。それは必殺技の構え。
マズい。いろんな意味でマズい状況だった。
ボクは怪獣とトリットマンに向かって逃げている。位置関係からいってトリットマンの必殺技の効果範囲だ。
トリットマンの十字の腕先が淡く光り始める。
来るっ! 必殺技トリチウム光線がッ!!
マズい! 何がマズいかっていうと必殺技の名前だ。トリチウムて。
詳細は各々各自でウィキペディアかなんかで調べてもらうとして。要は放射性物質の名前なんだ。
腕時計の文字盤などにも使われているけど、弱性の放射性物質とはいえ、大量に取り込むと人体に悪影響を与える物には違いない。
さっき怪獣の攻撃で死んでしまった人たちは、当日の記憶を失くして復活するって説明したけど、トリットマンのトリチウム光線で死んでしまった場合、記憶喪失に加えてトリ頭になってしまうんだ。
怪獣よりも人類の味方であるトリットマンにやられる方が症状が重いなんて、世の中ってのは世知辛いもんだとつくづく思うよ、ほんと。
ふいに視界が毒々しい紫色の光に染まる。
ついに怪獣とその後ろにいるボク+ヨシ子DX超合金に向けてトリチウム光線が放たれたのだ。
あぁ。来週のテスト、大丈夫だろうか。
今日の出来事は忘れてしまうけど、トリ頭になるのは間違いないのだ。
ボクには三分以内にやらなければならないことがあった。
結局出来なかったけれど。
——了――
宇宙怪獣と恋文 維 黎 @yuirei
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