閑話 フラグが立った


 東部地域の郡都セムリナは、王都コーヴから五日の距離である。

 途中には大きな峠などもなく、まず平坦な行程だ。


「平和ですね。本当に反乱の兆しなんかあるんでしょうか」


 鞍上、マルグリットがそんな呟きを発したのは、三日目の午後のことである。

 馬を並べるイヴォンヌがくすくすと笑った。


「それはフラグよ。メグ」

「ふらぐ?」


「今日は患者がこなくて暇だね、なんて言った瞬間、急患が運び込まれてくるものなのよ」

「ホントですか!?」


 あわてて口を押さえるマルグリット。


 まあこれは、きちんとした統計のある話ではなく、良いことより悪いことの方が記憶に残りやすいから、あたかも同じような局面で同じようなことが起きていると錯覚しているだけだ。


 平和だねって呟いて実際に平和だったときの方が、圧倒的に多いのである。 


 そもそも、マルグリットとイヴォンヌは二人だけで旅をしているのではなく、護衛の兵士のほか主計官などの文官、女官など百名近いの大集団だ。


 しかも王国旗を掲げての行進である。

 野盗などに襲われるのは考えにくい。


 あるとすれば陳情だろうが、街道でいきなり勅使の足を止めさせるような慮外者もそうそういないだろう。


「いえ、どうやらいるようね。メグが余計なことをいったから」


 笑いながらイヴォンヌが前方を指さす。

 はるか先、両手で書状を掲げて立つ男性がいた。


「ううぅ……」


 ちょっと涙目になってしまうマルグリットである。


 直訴とか、ものすごく処理がめんどくさい。

 しかも勅使の前方に立ちはだかるなど、命を捨てるという覚悟だ。


 これをどう処理するかで、騎士マルグリットの真価が問われるような局面である。


「がんばれー」

「他人事だと思って……」


 イヴォンヌからの無責任な声援を受ながら、マルグリットは右手をあげて男の前で行軍を止めさせた。

 男はまだ青年といって良い年の頃で、レオンなどと同年代だろうか。

 足は震え、ぽたぽたと汗が滴っている。


「何のゆえあって私たちの歩みを止めたのですか?」


 柔らかく問いかけるマルグリット。

 本当はもっと高圧的に威厳をもって問うべきなのだが、まず彼女の性格では不可能だ。


 それに、ふくよかな身体と低い身長は威厳からはほど遠い。

 最大限好意的に評価すれば、丸くてちっこくて可愛い、というあたりだろうか。


「騎士の中の騎士! 弱きを助け強きをくじく聖なる騎士たるマルグリット様に、奏上したき議がございます! 直視のご無礼、どうかご寛恕あって愚生の話に耳を傾けくださいますよう、伏してお願いいたします!」


 目を見て一気に言い切った後、街道に跪いて額を地面に擦り付ける。

 鬼気迫る様子に、マルグリットとイヴォンヌは顔を見合わせた。





 青年の名はリット。

 タナーナル村の村長の息子だという。


 マルグリットは宿場までの同道を許し、直接話を聞くことにした。

 本来であれば斬り捨てる場面である。勅使の前に立つというのはそういうことなのだが、事情を鑑みて話を聞くというケースがないわけではない。


 それにしたって、書状を文官が受け取って放免というのが関の山だろう。

 一緒に来ることを許して、しかも直接話を聞かせろというのは前代未聞だ。


 横紙破りな、と、普通だったら非難されてもおかしくないが、この一行にはイヴォンヌの息がたっぷりかかっている。

 大親友であるマルグリットの行動に眉をひそめる者などいない。

 それどころか、さすが騎士の中の騎士だと褒め称える始末だ。


 信仰になっちゃうとまずいかな、などとイヴォンヌは思ったくらいだが、いまはリットの話を聞くことが先決である。


「盗賊団ですか」


 ふうむとマルグリットが下顎に指を当てた。

 タナーナル村をはじめとして、いくつかの村が神出鬼没の盗賊団の脅威にさらされているらしい。


 作物を奪われ、財貨を奪われ。

 逆らうことができないらしい。女性や子供が人質に取られて。


「悪辣な!」

「人質?」


 マルグリットは怒りをあらわにし、イヴォンヌは首をかしげた。

 けっこう違う二人の反応である。


「郡都は兵を出さないんですか? 怠慢じゃないです?」

「落ち着いて、メグ。どこにいるか判らない盗賊団を討伐するために軍隊を動かしても空振りするだけよ」


 激昂するマルグリットを、まあまあとイヴォンヌがたしなめた。


「リット。セムリナの代官からは、調査するから待て、みたいな返事が来たでしょう?」

「どうして判るのですか!?」


 大きく目を見開く。

 千里眼の持ち主かと。

 対してイヴォンヌき首を横にふる。


「いくぞー、おー、と軍隊を動かすわけにはいかないの。百人の部隊を動かすだけでも百人分の食料や物資が必要になるからね」


 一日だけで九百食。

 そして、人間は食べるだけでなく排泄もするのだ。

 それを確保しなくては出動どころではない。


「だから軍隊の稼働期間はできるだけ短くしたいのよ。そのためには盗賊団の本拠地を特定しないといけない。これは最低限ね」


 規模とか武装とか練度とか、知っておかないといけないことは多いのだ。


「すぐに動けるものじゃないのよ。でもわたくしが不思議に思ったのはそこじゃないわ」


 テーブルに両肘を突き、組んだ繊手の上に形の良い顎をのせるイヴォンヌだった。

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