十度目の目覚め
目が覚めると目の前に一人の少女がいた。白い粗末なワンピース。それ以外は何も身に着けていない。伏し目がちな少女。
ああ、俺は知っている。この少女を。俺は目を瞑り、白く優しい手に身を委ねた。そして静かに潜っていく。己の意識の内側へ、夢の中の世界だったところへ。
今では分かる。あれが俺の現実だったのだ。
俺は代々続く魔術師の家系の者だった。『谷底のメレディス』。そう渾名され、稀代の魔術師と謳われた。大勢の奴隷と財宝の山。他の魔術師達は俺の言うことに何でも従った。国王からの信頼も勝ち得ていた。何一つ不自由のない暮らし。俺が望んだものは何だって手に入った。……ある一つだけを除いて。
世界の全て。それを手に入れられるのだと知った時、否、俺がまだそれを手に入れてはいないのだと知った時、俺は何が何でも〝それ〟が欲しくなった。
神々の英知が結晶した宝石〝世界の瞳〟。それを手にした者は神と同じ力を得るのだという。俺はその存在を、本棚で埃を被っていた革表紙の本で知った。本は全てとうに失われた古代文字で記されていたが、俺は持ち得ていた幾何かの知識でその内容の一部を、事もあろうかちょうど奇しくも〝世界の瞳〟の部分を解読したのだ。
その日から俺は〝世界の瞳〟の虜となった。魔術師ゆえに持っていた知識が俺を狂わせた。否、それはただの言い訳か……。その本から俺が解読できたのは〝世界の瞳〟というものが存在するということと、聖域の祭壇でとある詞を読み上げることによってそれが手に入るということ、そしてその詞は革表紙の本の中に記されているということだった。
少女が俺から離れ、水瓶を持って立ち去っていく気配がした。俺は目を開け、首をひねって頭上を振り仰いだ。俺の後ろにあるのは白い大理石。そこに刻まれているのは古代文字。
ああ、やはり。俺は再び己の過去に思いを馳せた。
当時、俺の傍に不思議な少女がいた。街で一人路頭に迷っていたところを拾ってやった少女。どこにでもいるありふれた普通の少女だと初めは思っていた。
しかしある時、その少女は俺の部屋に置いてあった例の革表紙の本を拾い上げ、スラスラと朗読し始めたのだ。少女曰く、言葉の意味までは分からないらしい。ただ何となく読めるのだと。だがそんな細かいことはどうでも良かった。定められた詞を唱えられさえする者がいれば、俺は〝世界の瞳〟を手に入れることができる。
俺は少女を聖域へ遣り、詞を唱えさせた。そうすれば英知の結晶〝世界の瞳〟が得られるに違いないと思って。しかし俺の計画は失敗に終わった。俺のような浅はかな人間が出ることを、神は初めから予想していたに違いない。
少女が戻って来る気配がして、俺は首を元に戻した。手にした盆の上に深皿を二枚と匙を乗せた少女。その伏せた両の目は、決して俺を見ようとしない。俺は差し出される匙を口を開いて迎えながら、一度だけ見たその目の色を思い出した。
神は天罰を下した。世界の全てを手に入れ神と同等になろうとした愚かな男と、その男に手を貸した憐れな少女に。俺は聖域の祭壇に繋がれた。そして少女はいつ終わるとも知れぬ俺の刑期の間、罪人の世話をする運命に縛られた。
俺のせいだ。俺のせいで、この無垢な少女は下らない運命に縛りつけられた。
少女の目の色は、空と海と大地、死にゆくものと命を持たぬもの、ありとあらゆる感情、その全て。この世界そのものを、全て全て混ぜ合わせたような色。少女の瞳は〝世界の瞳〟そのもの。
後悔と自責の念が俺の中を駆け巡る。あの時『やめろ!』と発せられた言葉。あの時『やめろ!』と届かなかった声。それがあの時あの少女に、否、何処かで誰かに、聞き届けられたのであれば。そうすれば、こんな結末を変えられていたかも知れないのに。もし俺があの時……。
……否、今からでも、今からでも何かはできるはずだ。例えもう取り返しがつかないとしても、それでも何か。せめて、せめて、少女に謝る。その言葉を届けるという一つくらいは……!
盆を持ち立ち上がる少女。俺はその背中に声をかけた。今度はちゃんと届くように。
「すまない……!」
伏し目がちな少女。身に纏うのは白い粗末なワンピース。少女は盆を取り落した。そしてゆっくりと振り返る。その目が俺の目を捉えた。
世界が光に包まれた。
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