九度目の目覚め
目が覚めると目の前に一人の少女がいた。白い粗末なワンピース。それ以外は何も身に着けていない。伏し目がちな、華奢な少女。
その姿を見て俺の心臓が跳ねた。否、正確に言えば、目を覚ました時から俺の心臓は早鐘を打つが如く鳴っていた。息が上がっている。長い距離を全力で駆けた時のようだ。遥か遠くに見える何かを、真実を掴もうとして。
何かを思い出しそうだった。夢の中で少女が最後に呟いたのはおそらく俺の名前だろう。メレディス。俺はそれを頭の中で繰り返した。メレディス。その名とあの夢、少女と俺の関係は……。真実はここに来てようやく俺の目の前にまで近づいたようだ。だがそこにはあと一歩及ばない。もう少し、もう少しで届きそうなのに。
少女の行う儀式を黙って受ける。抵抗してはいけない、否、抵抗できる権利など俺にはない。苦い思いが走った。俺はこの少女に世話をしてもらっている。やるせなさと申し訳のない思いが潮のように満ちていく。
少女が盆を持って立ち去る。大抵俺はここで少女に話しかけていた。しかし今日は何故だか、今この場で話しかけてしまってはいけない気がした。だから俺は今日何も言わない。そう結論を出す。そのことに少女は何かを言うだろうか。否、きっと――
伏し目がちな、華奢な少女。身に纏うのは白い粗末なワンピース。少女は〝やはり〟何も答えない。そのまま少女は盆を持って俺の前から立ち去った。俺はその後、再び眠りについた。
夢の中で俺は少女を見つめていた。
少女は祭壇を前に、手にしていた本を開く。そこは俺が毎晩食い入るように見つめていたページだった。少女は本に書かれた文字に目を落とした。それは失われた古代文字。この俺が何年にも渡って解読を試み、ようやくその一部分の内容を知り得たものだ。少女は軽く口を開き、息を吸う。その口から流れ出たのは美しい歌声だった。
閉じた部屋中に静かに、しかし朗々と響き渡る不思議な旋律。だがその響きに、俺は何故か胸騒ぎがした。それは、何も知らない子供が静かな湖面に棒を突き刺して掻き回し、無神経に清い水を濁すのを遠くで見ているような心持ちに似ていた。
少女が歌うそばから、その歌の一節一節が祭壇正面の巨大な大理石のプレートに浮かび上がっていく。光る文字が刻まれる度、祭壇がミシミシと音を立てる。少女はそれらを一切気にも留めず、何かに憑かれたかのように歌を続けた。文字がもうすぐプレートの一番下まで到達する。歌が、完成してしまう。
「やめろ!」
俺は思わず叫んだ。あらん限りの声で。どんな魔法の呪文を唱える時よりも強く、強く。しかし少女の歌は止まない。俺の声は少女の耳に届かない。
もう、手遅れだった。
少女が最後の息を吐き切った時、部屋はシンと静まりかえった。大理石に刻まれた古代文字の光がスッと消える。次の瞬間、祭壇がプレートのみを残して四散し、部屋がまばゆい光に包まれた。
その光は、いつの日か俺が見た少女の目と同じ、あの色。空と海と大地、死にゆくものと命を持たぬもの、ありとあらゆる感情、その全て。この世界そのものを、全て全て混ぜ合わせたような色。
少女の目がその光に貫かれた。
その瞬間、俺は戦慄した。込み上げる恐怖。あの時と同じだ。
全てが光に飲み込まれ、上も下もなくなる。世界がひっくり返る。少女は目を押さえ、その場にゆっくりと崩れ落ちていった。だがその体が地面に倒れ伏すよりも早く、俺は意識を手放した。
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