八度目の目覚め


 目が覚めると目の前に一人の少女がいた。白い粗末なワンピース。それ以外は何も身に着けていない。伏し目がちな、細身の少女。


 確かに、夢で見た少女と同じだ。ここでも俺は並々ならぬ確信を持った。

 では、俺は……?

 今俺の目の前にいるこの少女が、夢の中のあの少女と同一人物であったとして。では俺は一体、あの夢の中でそして今ここにおいて、何者なんだ……?

 突如降って湧いた、当然といえば当然の疑問。俺は自分のことが分からない。その紛れもない事実に、俺は足元の床がそっくりそのまま無くなってしまったかのような感覚に襲われた。

「……俺は、誰だ?」

 骨と空気を伝わって自身の耳に流れ込んできた声、考えるよりも先に放ってしまった言葉。それは文字通り宙ぶらりんに浮いて俺の周りを漂った。声自体が震えているという事実以上に不安定な、その声。


 伏し目がちな、細身の少女。身に纏うのは白い粗末なワンピース。少女は〝やはり〟何も答えない。そのまま少女は盆を持って俺の前から立ち去った。俺はその後、再び眠りについた。




 今日も俺は少女の夢を見た。夢は前回の続きのようだった。


 少女は巨大な扉の前に立っていた。その後ろには長い長い階段。ここは空気の粘度が一段と濃くなっている。べっとりと纏わりついて包むような。油断していると身動きが取れなくなりそうだ。

 少女は幾らもないだろう全体重をかけ、めいっぱいに扉を押した。ギギィ……と耳障りな音を立てて僅かに開いた扉の奥からは、意外なことに冷たい空気が漏れ出てくる。少女の頭の上を抜けて俺の首筋をかすめて行ったその空気の冷たさに、俺は思わず首を縮こめた。夢の中にも関わらず。

 少女は開いた扉の隙間に滑り込むように体を入れた。俺の意識もその後に続く。


 扉の奥は開けた空間になっていた。あれほどじめじめとへばりつく嫌な空気の満ちた階段の先にある場所だというのにも関わらず、この部屋は不思議とひんやりとしていた。否、清らかさに満ちていると言った方がふさわしいかもしれない。

 目を凝らすと部屋の奥に祭壇が見えた。薄暗い中、光を放っているかのように浮かび上がる大理石でできた祭壇。言うまでもなくこれがこの部屋の不思議な雰囲気の原因だろう。祭壇の周りは空気が異様に澄んでいる。寒々しいほどの清らかさだ。俺は背筋がゆっくりと凍りついていくのを感じた。肌がビリビリする。これ以上ここにいてはいけないと全身が警告している。


 少女は祭壇へと足を進めた。その足が滑らかな白い石の上に差し出される。その瞬間、俺の肩がビクッと震えた。何故だかは分からないが、その祭壇は普通の人間が踏み込んではならない領域のような気がしたのだ。

 ――俺はきっと祭壇の石に足をかけた途端、浄化され消え失せてしまうだろう。否、それどころか俺はこの部屋に入ることすらできないかもしれない。再び確信とも言える直感が俺の中を駆け抜けた。

 祭壇の石の上に足を乗せた少女の身には何も起こらなかった。少女は表情こそ不安げだったが、ためらう様子は微塵もなかった。俺は心ならずほっと息を漏らすと同時に、こうなることは初めから分かっていたような気もした。


 少女は手にしていたランプを脇に置くと一冊の本を取り出した。ランプの光の影になっていて分からなかったが、少女はずっとその本を脇に抱えていたようだ。俺はその本に見覚えがあった。以前俺が夢の中で見た、あの古ぼけた革の表紙の本だ。

 少女は本を見つめ、その表紙を撫でる。恭しくとも言えるほど馬鹿丁寧に。少女の不安げな表情の中に微かな笑みが浮かんだ。少女は口を開き、そっと呟いた。


「メレディス様……」

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