天下五分

第7話 断金の交わり

「なあ喬。周也⋯⋯じゃなくて周郎は大丈夫だと思うか」

「さあ」


 出ていった周郎を見届け、喬と子健は女中の持ってきた食後の茶を飲んで一息ついていた。

 

「さあって⋯⋯俺達の運命が決まるかもしれないんだぞ」


 子健は眉をひそめて俯いた。

 湯呑みを握る両手が、小刻みに震えている。

 対して喬は、特に不安にも思っていないのか、平然とした佇まいで茶を啜っている。


「正直今更じゃないかしら。あの王様は周郎のこと、もう99パーセント信頼してるに違いないわ」

「それはやっぱり、占いのおかげか」

「ええ、偶然彼の虚言と王様の占いが重なり合ったからね。ほとんど奇跡よ」

「あいつは分かっててやったのかな」

「まさか、ただ格好つけてあわよくば、興味を持ってもらおうとしただけよ」


 白けた目つきになりながら、喬は子健を凝視した。

 子健は顔を引きつらせながら小さく笑い声を漏らした。


「じゃあ、後の1パーセントには何が必要だと思う?」


 喬は即答しなかった。しばらく考えるように目線をあちこちに動かしながら、湯呑みを床に置いた。


「虚構を現実に変える力ね」


 喬はそう言って大きく頷いた。


「そういう力はあるんじゃないかしら。彼の好きな三国志や歴史を上手く活用すれば」

「なるほど、たしかに得意そうだ」


 ふたりは声を出して笑った。

 格子を吹き抜けてきた風が2人の体に当たる。

 しばらくして喬は隣の家へ戻っていった。



────


「結構冷えるなぁ」


 夜空の下、震える肩を抑えながら、周郎は屋敷へ向かった。

 松明で照らされた屋敷の玄関へ着くと、ずっと待っていたのか、少年が頭を下げた。


「お待ちしてました」

「ありがとう⋯⋯もしかしてずっと此処で待ってた?」

「いえ、先程まで夕食を。どうかしましたか」

「いや、それならいいんだ」


 周郎は頭を何度も横に振り、それを見た少年が首を傾げた。

 

「ところで、君の名前は?」

「セルゲです」


 セルゲと名乗った少年が案内のため歩き出し、その後ろに続いた。

 広間の右側にある朱色のカーテンを潜り、長い廊下を進んだ。

 途中にある螺旋状の階段を登り、少年は両開きのドアの前で足を止めた。

 周也は少年を頭のてっぺんから足の爪先までじっくりと見定め、口を開いた。


「もしかして君はサイハク様の奥方と同じ出身か」

「ええ、私の両親は奥様が嫁入りする時に従者としてこの国に」

「はぁ、なるほど」


 周郎は顎に手を当ててニヤリと笑った。

 セルゲとイリーナの目の色から、サイハクとは異なる人種だとは考えていたが、今その疑問が払拭された。

 ひとり満足している周郎を他所に、セルゲが扉をノックする。


「サイハク様。周郎様をお連れしました」

「そうか、通してくれ」


 扉の向こうからサイハクの声が響いた。

 セルゲは扉を押すと、中へはいるよう促した。


「失礼いたします」


 恐る恐る足を踏み入れると、サイハクは質素な背もたれ付きの黒い椅子に座り、剣を布で磨いていた。

 部屋はそれほど大きくは無い。

 サイハクの座るすぐ横には大きなベッドがあり、ベッドの奥には人の身長くらいの、花や鳥の装飾が施された箪笥がある。

 サイハクの前にはテーブルともうひとつ椅子があり、テーブルの上には火のついた蝋燭とふたつの銀の器が置かれ、器の中には白い液体が入っている。

 部屋は暗い。角にはそれぞれ大きな油燈がつけられているが、それでも部屋の様相は物静かで、幽幽たるものだ。


「遠慮せず座ってくれ」


 刃に目を向けたままのサイハクを注視しながら、おもむろにサイハクと向かい合って座った。


(まさか俺の事斬るつもりじゃないよなぁ⋯⋯案外もうただの流民だってバレてたしりて)


 サイハクの持つ剣を眺めながら最悪のシナリオを脳裏に浮かばせた。


(でもそれは無いか、この人は占いを信じて俺を連れてきたんだから)


 テーブルの上に置かれた銀の器の中から、強い発酵した匂いと、嗅いだ記憶のない独特の匂いが漂ってくる。

 器を手に取り、中の液体を揺らしてみても、それが何か分からない。

 酒だということは分かったが、どんな酒なのか検討もつかない。

 器から手を離し、両手を膝の上に置いてサイハクを見据えた。

 サイハクは変わらず剣身を磨いている。

 が、一度周郎を見ると、ゆっくりと口を開いた。


「妻に君と会う時はこうしてつるぎを磨くように言われた。なぜだと思う」


 周郎は微笑むと、間髪入れずに答えた。


「それは私にサイハク様の器量を顕すためでしょう」

「ほう、どういう事だ」


 サイハクは手を止め、興味深そうに身を乗り出した。


「優れた人物というのは、政治家、軍人、農民、商人、その他身分や職に関係なく、常日頃から自分に必要な物を磨くものです」


 周郎は咄嗟に頭に浮かんだ言葉を組み合わせ、口に出す。その様子はサイハクから見れば非常に堂々としていて、自信に溢れている。


「それで、なぜ妻は剣を」

「優れた統治者というものに必要なものはふたつあります。そのひとつが己を律し、正しき方向へ成長する姿とそれを広める伝達です。しかしながら、国民全体に向けて王が自らを常日頃から研鑽する姿を見せるのは難しい。ですがその姿を身近な臣下に見せれば、その臣は王を見習い、また自らの研鑽する姿をその周りのものに見せましょう。そうして王様から始まった姿勢が枝のように国中へ浸透していくのです」

「なるほど。それでそなたに剣を磨く様子を見せるように言ったのか」


 サイハクは剣を椅子に立て掛けてあった鞘に収めると、剣をベッドの上に置いた。


「剣を磨くという行動自体には、大した意味はございません。ただ奥方様は大変理知的なお方とお見受けします。サイハク様の細かいところへの気配りというものを、他所から来た私に示していただきたかったのでしょう」

「ふぅむ。我妻ながら素晴らしい配慮だ」

(納得したよこの人⋯⋯)


 表情には出さなかったが、周郎はサイハクが今の説明に納得したことに驚愕した。

 今話したことは、全てこの場で考えついた内容であり、当然の事ながらイリーナの考えていることとは違っているはずだ。 

 周郎は改めて顔を引き締め、油断のないように集中力を高めた。


「では、もうひとつの必要な力というのはなんだ」


 サイハクはそう言うと、銀の器に入った液体を飲んだ。


(よし来た)


 このもう一つの必要な物に関しては、周郎には些かの自信があった。


「夕方に話した德でございます」

「德か、聞いてからずっと気になっていたんだ。その徳というのがいったいなんなのか、詳しく教えてくれ」


 周郎は目を閉じて1度大きく深呼吸し、語り出した。


「我々の国で考えられている德というものは、目に見えるものではございません。そして勉学や修練によって身につけられるものでもありませぬ」

「なら、その德の有無というのはどうやって見分けるのだ」

「古くから、德というものは天に認められた者に備わるものだと考えられています。德の無いものが玉座につけば、天は怒り厄災をもたらすと。逆に徳の有る者ならば、天は静まり穏やかに地上を見守ると」

「なるほどな。言わば神の怒りを買う者と、買わない者の差か」


 サイハクは目線を落とした。

 蝋燭の火によって出来た陽炎を見つめながら、自分にその德というものがあるのか思い悩んだ。


「では周郎、君の暮らしていた国の王には、その徳は無かったのか」


 サイハクの目が力強く周郎を見据えた。

 周郎は唾を飲み、虚構と昔から自分が抱いていた疑念を合わせ、言葉を紡いだ。


「私の国、ここから遥か東方の島国、大和やまとと呼ばれる国なのですが」

「大和⋯⋯聞いたことがないな」

「当然の事だと思います。私の国でも、この大陸について詳しく知る者はいなかったので」


 頭の中で作り上げた言葉を、間違いのないように慎重に語る。


「大和の王に德の有無を言えば、有ると言えましょう。しかしこれは、あくまでも学者連中の叫ぶ德です」

「と言うと?」

「王だとか帝だとか大層な呼び名を付けても、所詮人は人です。神にはなり得ない。果たして人に、天を左右する力などありましょうか。古くは人々には愛されながらも、天に愛されぬが故に玉座から退けられた王もいました。しかしそれは果たしてその王の咎と言えましょうか」


 周郎は語勢を強めながら、テーブルの上に両手を置き、冷たい材木に触れる指に力を込めた。 


「人の資質によって天が左右されるというのは、ただの驕り高ぶりでしかありません。私の考える德というのは、そのような不確定で曖昧なものではありません。本来、德というものは民衆に慕われ、平穏をもたらす者こそが持つものなのです」


 そう言いきった時、周郎の目頭は熱くなっていた。

 昔から様々な歴史書などを読むと、厄災が続いて隠居させられる王や帝というのが目に入った。

 その度に周郎は首を傾げ、当時のまつりごとに関わる人々をなじった。


 今語ったのは内容は、周郎自身の想いであり、そこに嘘は無い。

 ただ周郎は想いを伝えるために嘘の物語を構築しただけだ。


「なるほど、人々に愛され、平穏をもたらす者が持つのが德か。よく分かった」


 サイハクは器に残った液体を飲み干すと、机の下に置いてあった土器の瓶を持って、液体を銀の器に注いだ。

 サイハクは瓶を床に戻さず、テーブルの上に置いた。


「君も飲まないか。馬乳酒は嫌いか」

「い、いえ」


 サイハクに勧められ、恐る恐る口に含んだ。

 独特の酸味や苦味が口に広がり、渋い顔になった。


「あまり好きではないか?」

「いえ、ただ馬乳酒というものを今初めて飲んだので。なるほどこういう味ですか」


 もう一口飲む。慣れない味だが、飲めない訳ではない。むしろクセになるような感覚を覚え始めていた。


「味がわかる者がいるとは珍しい。この国ではあまり好まれなくてな、妻くらいしか共に飲む相手がいないんだ。さ、もう1杯」


 いつの間にか空になっていた器に、サイハクが馬乳酒を注ぐ。

 それをまた周郎は飲みながら、この酒に酔っていくのを感じた。



 


 



 


 




 




  




                        

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