第6話 仕える主は自ら選ぶ。それが周瑜であり、通りすがりに縋るのが俺である 4

 俺達は少年に連れられ、屋敷の裏手へ連れられた。

 裏手には馬が数頭繋がれた厩とその向かいに黄土色のレンガ造りの平屋が並んでいる。

 向かいといっても、距離はかなりあるので、馬の生活音は聞こえないだろう。

 家のそばには、幾つもの飯炊釜や、食材を切るための台とまな板、紐に吊るされた動物の干し肉などが点在している。

 室内で火を使えないのだろう。

 食材の調理は皆外で行うようだ。


「薪は裏に、井戸はあちらです」


 少年は屋敷の手前を指した。

 そこに、滑車のついた大きめの井戸があった。


「すぐに世話係が決まりますが、それまではご自分でお願いします」

「いや、自分のことは自分でするから、王様に必要ないと言ってください」


 俺の言いたいことを健ちゃんが言ってくれた。

 しかしサイハクを王と呼ぶのはいただけない。

 あの人がまだこの国の王だと判明した訳では無い。

 もしかすると、太子かもしれないし、ただの首都の知事かもしれない。

 王ではない人間を王と呼ぶことは、謀反の兆しと見られてもおかしくないのだ。


「では王にはそのように伝えます」


 少年はまた歩き出し、俺達を連なった2軒の前へ案内した。

 それほど大きくは無い。恐らく部屋には2部屋か3部屋しかないだろう。

 それぞれの家の扉の両隣には格子状の窓がついている。

 外からはどうやら丸見えのようだ。

  

「このふたつの家をお使いください。一応、中には家具が揃っていますが、なにか足りないものがあればお申し付けください」

「ありがとうございます」


 少年は屋敷へ戻っていった。

 とりあえず、俺と健ちゃんは右の、鈴木は左の家に入った。

 木の扉を開けると、土の小さな玄関があり、その奥に板張りの少し高さがある広間になっていた。

 広間の中央には囲炉裏があり、少し前に火をつけていた跡がある。

 部屋の広さは12畳くらいだろうか、2人で過ごすには十分だ。

 壁際には、身長と同じくらいの横幅の質素な木の箱がある。

 中を開けると、綺麗に整頓された服が何着か入っていた。

 その中には褌があった。

 ハッとして自分の股間を覗くと、なぜ今まで気が付かなかったのか、普段のパンツではなく犢鼻褌とくびこんを着けていた。


「なあ健ちゃん、下の方気づいてた?」

「ああ、褌だろ。起きた時に気づいてたよ」


 健ちゃんは奥にあるふたつの引き戸のうち、左側にある戸を開いていた。  


「なあ、この部屋地面が土でなんかでっかい桶があるんだけど」


 健ちゃんが開けた戸の奥を覗くと、たしかに人が2,3人入れそうな気の桶と、壁際にふたつの水瓶があった。

 風呂場の奥には裏戸があり、その横、俺の顔の高さくらいに格子状の窓がある。


「これ風呂だよ。あの桶に水を入れて汚れを落とすんだ」

「え、まじ? もしかしてお湯じゃなくて水?」

「うん。ほんとに昔の風呂だな、せめてサウナ式ならよかったのに」

「そういえば、戦国時代の風呂は蒸し風呂だったんだっけ」

「うん。これはその時代よりもっと古いな。五右衛門風呂ですらないし」


 風呂場の入口に置かれた草鞋を履いて中に入る。

 分かっていたことだが、桶には薪を焚べる所もない。お湯を入れるとなると、沸かしたお湯を持って来るしかないだろう。


「まあ我慢するしかないよ」


 入口に居るはずの健ちゃんに言うと、いつの間にか健ちゃんは入口から消えていた。

 風呂場を出ると、健ちゃんは隣の部屋を覗いていた。

 隣の部屋は寝室のようで板張りの床に布団が2枚たたまれた状態であり、その向かい側に、こじんまりした使いかけの蝋燭と燭台があった。


「ほんとに食べて寝るだけの部屋だな。十分だけど」


 寝室は小さく、布団を2枚引けばほとんど床が見えなくなるだろう。

 

「まあそれはいいんだけどさ周也、ここトイレないんだけど」


 健ちゃんがキョロキョロとしながら言った。


「トイレは外だな。多分共同だよ。野糞はしてないと思うから」

「まじか⋯⋯」


 口をぽかんと開けて唖然としている。

 無論俺だって嫌だが、正直予想できていたことだ。


「ちょっと、トイレ行ってくる」

「場所わかる?」

「誰かに聞くさ」


 健ちゃんは肩を落としながら、玄関から部屋を出た。

 俺はひとり囲炉裏の前に腰を下ろした。

 木の床は冷たくて硬い。なにか敷くものが欲しくなった。

 玄関の扉が開く音が聞こえ、見てみると鈴木が中へ入ってきた。


「どう? こっちは」

「普通だな普通。そっちはどうだった」


 鈴木は上がり込んできて、俺の斜め前に座った。


「多分こっちと一緒ね。お風呂が辛すぎるわ」

「別にいいじゃん。あるだけマシだよ」

「あら、もう染まってるわね。早過ぎない?」


 鈴木は俺を小馬鹿にするように笑った。

 たしかに、まだ一日どころか半日も経っていないのに、俺はこの世界に染まり出しているだろう。


「お前も早く慣れろよ。俺達はここじゃあ人権に守られた大学生じゃないんだから」

「そうね。とりあえずここを追い出されない程度にはしなきゃな」


 鈴木は髪をかきあげて耳にかけた。

 俺にああ言ったが、鈴木もこの世界に順応しようとしているようだ。


「ところで、柘植⋯⋯じゃなくて、子健はどこに」

「トイレだよ」

「そう」


 それから鈴木は黙ってしまった。

 俺はなんとなく気まずくなり、囲炉裏をずっと見ていた。

 時々横目で鈴木を確認したが、鈴木は俯いて動かない。

 早く健ちゃんが帰ってこないかと願ったが、中々帰ってこない。 


「あれ、鈴木いつのまに」


 ようやく帰ってきた時には、健ちゃんの顔は酷く落ち込んでいた。

 トイレがどんなだったかは、あえて聞かないことにした。 

 健ちゃんは俺の後ろを通り、鈴木と向かい合うように座り、大きくため息を吐いた。


「ねえ子健、ややこしいからちゃんと呼んでよね」

「ああ、ごめん。えっと⋯⋯喬」


 照れたように後頭部を掻く健ちゃんを見て、鈴木を喬と呼んだことを少し後悔した。

 今まで名字でしか呼んだことのない鈴木を、いきなり下の名前の一部で呼ぶのは少し恥ずかしいものがある。


「おれも健ちゃんって呼ばないようにきをつけなきゃな」

「さっき読んでなよな」

「そっちも周也って」


 幼稚園の頃からの癖というのは中々抜けそうにないが、名前を隠すと決めたのは俺だ。


「ということで子健。よろしくな」

「おう、周郎もな」


 心の中で何度も子健と唱えた。


「あら周郎さん。私のことは?」


 薄ら笑いを浮かべながら、鈴木が自分を指さした。


「言っただろ。お前の名前は呼ばん⋯⋯」

「あらどうして」


 俺は鈴木をチラ見して口を閉じた。

 鈴木はそれ以上何も言わなかった。


 ──── 


 それから俺達はなぜか3人一緒に火をつけた囲炉裏を囲んでいた。

 特に話すことも無く、暇つぶしになるようなものもない。

 スマホやゲームは愚か、本すらないので、本当にやることがなかった。

 俺は囲炉裏に背を向けて寝転がりながら、ただひたすら、床の木目を指でなぞっていた。

 手の届く範囲を10周ほど撫でただろうか、玄関の扉がノックされる音が聞こえた。


「どうぞ」


 顔だけ入口に向けると、さっきの少年と、女性ふたりが食膳を持って入ってきた。


「どうぞ」


 座り直すと、少年が俺の前に善を置いた。

 善の上には、玄米となにか穀物が混ざったご飯と、透明な吸い物、そして少量の肉が皿に盛られていた。

 玄米は山盛りに盛られ、正直食べれきれる気がしない。

 現代日本のものと変わらない箸を見て安心した。

 

「食べ終わったら表に食器を出してください」

「ああ、ありがとう」


 少年が俺に頭を下げる。俺のような何処の馬の骨かも分からない人間を世話するなんて、少年も色々と大変だと思った。


「それと、周郎様は食べ終えたら屋敷へ要らしてください。王様がお待ちしております」


 そう言うと少年と女性達は外へ出ていった。

 俺は善に目を向けた。

 玄米の匂いには慣れていないので、少し臭く感じる。

 肉の乗った皿を手に取り、これも匂いを嗅いだ。

 生姜の匂いのあと、やや獣臭さを感じた。


「これ何の肉だろう」


 俺が言うと、子健も皿を手に取り、匂いを嗅いだ。


「猪じゃないか、嗅いだことあるぞ」

「あー、猪か」


 そう言われてみると、確かに猪の匂いに思えた。


「じゃあいただきます」


 3人で手を合わせ、まず吸い物に口をつける。

 塩とよく分からない野菜の出汁で味付けされた吸い物は、質素だが飲みやすい。

 肉は生姜と少しの塩味がご飯をすすませる。


「玄米って初めて食べたけど、食べてみると気に入らないもんだな」


 匂いほど味はきつくない。むしろおかずとよく合う。


「高校の剣道部の合宿で食べたけど、あの時より美味いかも」


 汁をすすり、子健は玄米を口に運んだ。


「米の質が違うのか、炊き方が違うのかしらね。ところで、これ多すぎるからどっちか食べてよ」


 鈴木が俺に向かって茶碗を突き出してくる。


「いや、俺も自分の分で精一杯だから」

「じゃあ俺が食うよ」


 子健が手を伸ばしたので、鈴木の茶碗を取って子健に手渡した。

 子健は箸で自分の茶碗にご飯を盛り、鈴木に返した。


「ありがと」

「さすが剣道部、よくたべるねぇ」


 よくよく見てみると、子健は一度に箸で挟むご飯の量が俺の倍ほどあり、口の大きさも俺より一回りほど大きかった。


「ご馳走様」


 かなり無理をしたが、なんとか完食して腹を撫でた。

 俺はその場に寝転がった。


「おいおい、周也⋯⋯じゃなくて周郎は王様に呼ばれてるんだろ」

「ああ、そうだったな。まあまだいいだろ」


 格子状の窓の外へ目を向ける。もう日は暮れ、厩の方に篝火が焚かれているのが見えた。

 今すぐ動くとなると腹がきつい。


「王様のことを待たせるなんて、随分なご身分ね」


 善と食器をひとつに重ねながら、鈴木がまた意地の悪い言い方をした。


「まあ俺は王の師だからな」 


 仕返しと言わんばかりに、ニヤリと笑ってみせた。


「メッキが剥がれなきゃいいわね」


 鈴木は玄関に食器を持っていった。

 たしかに鈴木の言う通り、メッキが剥がれ無いように注意しなければならないが、いったいどうすればいいのか。

 考えていると、突然用を足したくなった。


「やっぱりもう行くわ」


 用を足すついでに俺はサイハクの元へ向かうことにした。

   


 


 

 




 

 

 

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