第5話 仕える主は自ら選ぶ。それが周瑜であり、通りすがりに縋るのが俺である 3

 城壁の内側には、夥しい数の建築物が立っている。

 その殆どは1階建てのレンガ造りで、乳白色の建物が多い。

 城内の奥ゆきが深く、反対側の城壁は遥かに小さく見える。

 往来には沢山の人々が居るが、老若男女関係なく、皆足を止め、こちらに向けて頭を下げている。

 無論、俺に頭を下げている訳では無い。

 皆が敬意を表しているのは、馬車の中にいるサイハクだ。 

 中央の道を進みながら周りを観察すると、ほとんどの人は俺のように、上衣下裳の服を着て、色は皆それぞればらばらだ。

 染料は充実しているのだろう。

 ただ足下はほとんどの人は草履みたいなものを履き、皮靴を履いている人は少ない。

 体格も小柄な人が多く、日本では平均身長ほどの俺でも、ここでは高い方になるだろう。


 前方の馬車を少し避けると、進行方向の先に、木の柵で囲われ、小さな門が設備された赤レンガ造りの三角屋根の建物が見えた。

 また、門の前にはふたりの兵士が立っているが、身につけている装備が銅のような赤褐色ではなく黒い。

 二階建ての建物には、いくつかステンドガラスが付けられ、いくつかの部屋に別れているようだ。

 恐らくはあれがこの首都で一番偉い人物、つまりサイハクの住まいだろう。


 人々の服装は中国を感じさせるのに、建造物は妙に西洋チックな、チグハグした様子に頭が理解することを拒もうとしている。

 本当にここは俺達の住む世界とは違う。だが確かに人が存在し、生活している。

 奇妙奇天烈摩訶不思議と言うしかない。

 今更念の為にほっぺたを抓ったが、しっかりと痛みを感じる。


「今更だけど、夢じゃないんだよな」


 鈴木と健ちゃんに耳打ちすると、鈴木は何故か俺の手を取った。

 何をするのかと思えば、俺の手の甲をつまみ、捻った。

 痛みで声が出そうになるのを我慢し手を引っこめる。


「なにすんだよ」

「いや、夢かどうか確かめようかなって」

「自分でやれよ」


 赤くなった手の甲を労わるように撫でる。


「とりあえず、今から俺達はあの人に気に入られて、衣食住を確保するんだから、ふたりとも頼むぞ」

「頼むって何をしたらいいんだよ」

「健ちゃ⋯⋯子健はとりあえず、その体躯を見せつけたらいいんだよ。腕が立つ武人風に」


 心配そうにしているが、この中で一番サイハクに気に入られそうなのは、占いという奇跡的な幸運がなければ、俺でも鈴木でも無く健ちゃんに違いない。

 槍や剣で戦うであろうこの世界なら、体が大きいというのはそれだけで大きな武器になる。

 実際、今の健ちゃんが本物の武器を持って戦うなんてことは出来ないだろうが、居るだけで相手に圧を与えることができるのは大きな優位性を持つ。


 屋敷の門をくぐると、屋敷の大きさが改めて分かった。

 柵で囲われた敷地の中には、中心にある赤レンガの屋敷の他に、小さな建物が幾つも建てられている。

 おそらくは、屋敷の従者や食客の住まいなのだろう。

 時々建物から顔を出す人々が、こちらにお辞儀した。

 敷地内には大した装飾はなく、池があるが、それ自体は石で囲んだだけの小さなものだ。

 敷地を真ん中辺りまで進んだところで、馬車が停車した。

 兵士のひとりが格子を開けると、おもむろにサイハクが出てきた。

 兵のひとりが、馬車を厩に連れていくのだろう。

 馬を引っ張りながら裏手に回ろうとしている。


「では行こうか周郎」

「はい」


 いつのまにか、屋敷の入り口に女の人が3人いる。

 真ん中の女性は鈴木のに似たピンクの着物を着、左右の女性は街で見かけたような着物を着ている。

 真ん中の女性はサイハクの妻だろう。

 着物にはサイハクのものと同じように、比翼の鳥と思われる鳥が描かれている。

 遠目からでも、たなびくブロンドの髪が艶やかに、俺達など気にもとめずに真っ直ぐサイハクを見つめる泰然とした顔が美しく見えた。


 屋敷に向かってサイハクの後ろを歩く。

 いつのまにか距離が縮まっているが、今距離をあけるのは不自然だろう。


「旦那様、お帰りなさいませ」


 妻と思われる女性が頭を下げた。

 すると、後ろのふたりも続いて礼をした。


「わざわざ出迎えてくれたのかイリーナ、喜べ道が開くぞ」

「は、はぁ」


 イリーナと呼ばれた女性は小さく首を傾げて、若干前のめりになった。

 近くで見ると、本当に美人だ。

 歳はあまりサイハクと変わらなさそうだ。

 

「野にて賢人を見つけた。まさに今天は私に味方しているといえよう」

「それで、場外へ出ていたのですか」


 サイハクはイリーナの手を取り、満面の笑みを浮かべた。

 イリーナの碧い瞳が俺達に注がれた。

 彼女は俺達を吟味するように凝然として見ている。 

 鈴木は平気な顔をしているが、健ちゃんは真面目そうな顔をしながらも鼻の穴が膨らんでいる。

 かく言う俺も、鼻の下が伸びるのを必死に抑えている。


「この方々が」


 呟きながら彼女はまだ俺達を見ている。


「皆長旅で疲れているだろうから、食事の支度をしてくれないか」

「承知しました」


 サイハクが気を利かせてくれたのか、彼女が離れるように仕向けてくれた。

 イリーナはふたりの女性と共に屋敷内へ入っていった。


「いやぁ、妻がすまない。彼女は少し疑り深いところがあってな」


 ──あなたが人を疑わなさすぎるだけでは? 


 と言いたい気持ちを抑えながらはにかんだ。


「奥様が疑り深いのではなく、サイハク様が人に対して不用心なだけではないでしょうか」


 鈴木が突如放った言葉によって背中が凍った。

 俺は、人間の限界を超えたであろう速さで首を回し、鈴木を睨みつけた。

 鈴木は平気な様子でいる。健ちゃんは既に顔中汗まみれだ。


「申し訳ありませんサイハク様。喬は鋭い観察眼を持っているのですが、時として言うべきでない事実をそのまま口にしてしまうのです」


 言ってすぐ後悔した。これでは、サイハクがお人好しの不用心だと認めているようなものだ。

 しかしサイハクの顔に怒りは見えない。

 それどころか、さっきと変わらずケロッとしたままだ。


「私の優れているところは、人を信じる心だと昔父に言われた。そして、その心のおかげで君たちに出会えたんだ。不用心でも軽はずみでも構わないさ」


 清々しい顔つきで言う言葉に心が打たれた気がした。

 純粋な心の持ち主だからこそ、俺の言葉を信じ、占いを信じたのだろう。

 権力者とは思えない心の清らかさを、学ばなければいけないと思った。

 普通なら抱きそうな劣等感は湧いてこない。

 この人の人柄が、俺の心を染め直そうとしている。


「貴方のような方を、まさに徳を持つ人と呼ぶのでしょう」

「なんだ周郎、その徳というのは」

「それはまた後ほど、ゆるりと」


 サイハクと共に土足のまま屋敷内に入る。

 薄暗くて外からは分かりにくかったが、屋敷内は入ってすぐ、大きな広間があった。

 部屋の左右それぞれに大きな柱が3本ずつあり、壁には花や鳥、その他様々な動物や植物が描かれている。

 その壁を朱色の縁が多い、その朱色を彩っている。

 奥の少し高くなった場所には装飾の施された椅子がひとつあり、その後ろには比翼の鳥が大きく描かれた幕が掲げられている。

 比翼の鳥はこの国の国章なのだろう。

 そしてここはきっと、廟議が行われる広間なのだろう。

 段差を上がり、サイハクが椅子に腰かけた。

 どこからか現れた女中らしき人が、盆に乗せた陶器らしき杯をサイハクの前に差し出した。

 杯をとり、サイハクはその中身を一気に飲み干し、盆に戻した。

 女中はそそくさと横のカーテンの中へ消えていった。


「ああすまない、君らの水もすぐに来るはずだ」

「いえ、お構いなく」


 サイハクの気遣いに一礼して拱手し、右膝を着いた。

 隣の2人も俺に続いた。


「楽にしてくれ。君は私の師で2人はその友なのだから」

「師⋯⋯でございますか」

「うむ。私と国の道を開いてくれる賢人だと信じている」

「ご期待に答えられるよう精進いたします」


 まるで本当に太公望と文王のようだ。

 果たして俺に、そんな大それた事がなせるのだろうか。どう考えても無理だ。


「まあしばらくは長旅の疲れを癒してくれ。おーい」


 サイハクが叫びながら手を叩くと、脇からまだ子供らしき男がでてきた。

 少年の髪は黒く短髪で、瞳に若干碧みがみえた。


「3人を離れへ案内しろ。部屋は空いているだろう」

「ええ、ただ今は2軒しか」

「そうか⋯⋯」


 サイハクは考えるような素振りを見せた。

 俺達ひとりひとりにそれぞれ一軒家を用意しようとしているのだろうが、それは贅沢すぎる。


「サイハク様、私と子健は住まいをいただけるなら同じ部屋で構いません。喬だけは離していただければ」

「おおそうか。ではそのように計らおう」 


 サイハクが言うと、少年が近づいてきた。

 大きな丸い目をした少年で、ほんとにまだ小学生くらいに見える。


「どうぞこちらへ」


 少年が手出玄関を指し示した。

 俺達はサイハクに軽く頭を下げ、屋敷を出た。

 

 



 

 


  

 

  

 

 


 

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