第4話 仕える主は自ら選ぶ。それが周瑜であり、通りすがりに縋るのが俺である 2
「そうか、周郎というのか。で、そちらの2人は」
「そちらの女は喬、男は
2人を紹介し軽く頭を下げる。
「喬でごさいます」
「し、子健でございます」
ふたりを横目で見ると、察しのいい鈴木が先に口を開き、健ちゃんもその後に続いた。
俺が自身とふたりの名を偽ったのは、決してふざけている訳では無いが、周郎と子健に関していえば、遊び心がないとはいえない。
貴人は黙って俺達を品定めするように見ている。
正直、この場で護衛に切り捨てられても文句は言えない。
だが護衛達の姿を見て、この世界は俺達の生きていた世界よりも遥かに厳しい場所だと悟った。
この世界は高貴な人間は馬車で移動し、さらには兵士まで付ける場所なのだ。
無論現実でも、国家の要人などは護衛を必要とすることもある。
しかし、彼らが持っているのは、槍と剣であり、移動手段は馬車である。
それだけで、この世界の文明や環境というのはある程度推論できる。
戦国時代のような乱世なのか、それとも江戸時代のような、戦争は無いが治安は悪く、飢える者も多い世の中なのか。
どっちにしても、武器も持たない、持ったとしてもろくに扱えないであろう俺達が自力で生きていくには文字通り泥水を啜るしかないだろう。
しかしそんな生活は一体いつまで続けられるのか。
それなら、適当に力を持っていそうな人に取り入るのがいいと考えた。
「周郎、一先ず貴殿らを我が家に招待したい。よろしいか」
「はっ。願ったり叶ったりでございます」
「では行こう」
「お待ちください」
貴人が馬車にに戻ろうとした所を、呼び止める。
彼は動きを止め、横顔をこちらに向けた。
「どうした」
「失礼ながら、まだ貴方様のお名前を伺っておりませぬ」
そう言うと、奇人はふっと笑い馬車の中へ入った。
「サイハクだ。よろしく頼む」
兵士に寄って格子が閉じられ、また御簾の中へ姿が消えた。
「ではこちらへ」
格子を閉めた兵士がそう言って、馬を進ませた。
俺は馬車の後ろの、ちょうど槍3本ぶん程の距離を開けたところに立った。
4人の兵士が怪訝な目で俺達を見てきた。
「お気になさらずに、我々の国では貴人の馬車とは距離をとって歩く仕来りがあるのです」
兵士達は納得したように前方を向いた。
馬車の歩は最初は鈍重だったが、徐々に俺の普段の歩行速度並になった。
「なあ周也、俺達これからどうなるんだ」
子健、いや健ちゃんが耳元で囁いた。
その目は戸惑いの色が濃く、決して暑くはないのに、額から汗が滴っている。
「とりあえず、あの人のところで世話になろう。食客みたいなものだよ」
「食客ってなんだっけ」
「ようは客人だよ。ただしそれなりに力を示さないといけないだろうけど」
健ちゃんは下を向いて唇を強く結んでいる。
色々と受け入れにくいことはあるだろうが、今は我慢して欲しい。
「俺たちそんな偉い人の役に立つような力なんてあるのか?」
「大丈夫だよ。
俺が言ったことがよく分かっていないようだが、実際、それなりに剣道をやってきた健ちゃんなら、役に立つ時はあるだろう。
「柘植⋯⋯子健はともかく、あなたにそんな才能あるのかしら」
後ろから喬、鈴木が呟いた。
「わからない。でもなければ才能は創るだけだ。出来なきゃ俺達、この世界で飢え死にするだけだ」。それに、この出会いは本当に奇跡みたいなものだよ。俺達には運がついている」
「運ねぇ」
小馬鹿にするように言ったのが、顔を見なくてもわかった。
しかし実際、それなりの身分の人間とそれこそ物語でしか見た事のないような出会いを果たしたのだ。
もしかしたら、サイハクの待ち人は他に居るのかもしれない。
万一、本当に俺がその賢人だとすれば、俺にだってそういう才能があることになる。
「でも藤家⋯⋯
皮肉めいた口振りで鈴木が言葉を俺の背に突き刺してくる。
「え? どういうことだ」
健ちゃんが鈴木に尋ねた。
聞かれたら答えようと思っていたが、代わりに答えてくれるなら楽でいい。
「昔から名前には魂が宿っていて、明かすと相手に縛られるっていう考え方があったの。一種の呪いね。だから昔の人の本名は親やその主君くらいしか呼ばなかったのよ」
「ああ、聞いたことあるよ。織田信長も、本当は家臣に信長様とは呼ばれなかったんだよな」
「そうよ。それと同じで、そこの周郎さんは咄嗟に自らの名前を明かすことを拒んだの。このおかしな世界に縛られるのを恐れて。まあ、半分くらいはかっこつけのつもりでしょうけどね。周郎だなんて、わざとらしい」
俺の言いたいことを全て言ってくれた。
この女は俺の考えることなんて全てお見通しなのだろうか、本当の賢人はもしかしたらこの女かもしれない。
たしかに周郎と名乗ったのは、自分の本名を明かしたくないからと、せっかくだから名乗ってみたかったという気持ちが、7対3くらいで混ざりあったからだ。
健ちゃんを子健と言ったのも、同じようなものだ。
「鈴木が喬なのと、周郎は周瑜のあだ名だから分かるとして、子健の子ってなに」
「多分、曹操の息子、曹植の
「へー。文学ね」
なぜ鈴木が曹植の字まで知っているのか。
漢詩も好きと言っていたから、どこかで読んでし知ったのだろう。
「まあ別に、お前らに名前呼ばれるのはいいんだけどな。あの人に知られたくなかったのが主な理由だし」
なんだか恥ずかしくなってきた。
俺の羞恥心が沸々とお尻の辺りから湧き上がってくる。
「いや、それはややこしいから周郎って呼ぶよ」
「そ、そう? じゃあ俺もなるべく子健って呼ぶから」
本当は健ちゃんと呼びたいのだが、仕方がない。
「じゃあよろしくね? 周郎さんと子健さん」
「お前の名前は呼ばん⋯⋯」
「あらそう、じゃあ私も周郎さんのことは太公望さんって呼ぼうかしら。さっきは周瑜より太公望ぽかったし」
「やめてくれ。ややこしくなる⋯⋯」
たしかに、さっきの俺は周瑜より太公望の方が近かった。いや、周瑜らしさなどひとつもなかった。
昔、古代中国
まさに俺はさっき釣りをしていて、そこにあの人が現れた。
太公望は文王と共に周王朝の礎を築き、さらに彼自身は春秋時代、一時は中華に覇を唱えた強国、斉の始祖となった。
「まあ、頭の出来は月とすっぽんどころか、塵と太陽でしょうけど」
鈴木が放つ言葉のナイフが俺の背中を襲う。
正論なので何も言い返せない。
それにしてもこの女は、何故こんなにも俺に対して攻撃的なのか。
健ちゃんや西寺に対してはそんなことないのに。
鈴木との付き合いもそこそこ長い。
中学2年生の時に、共に同じクラスの学級委員となり、それから今まで縁が続いている。
最初はただの大人しい無害な相手だったが、鋭利な刃物を突き立てるようになったのはいつからだろう。
────
それからしばらく歩いた。1時間は歩いただろうか、体育会系の健ちゃんはともかく、俺と鈴木は息が上がってきた。
靴底が薄く、道も小石がところどころに落ちていて状態が悪いので、足の裏が痛い。
道を緩やかに下っていくと、前方に大きな壁が見えてきた。
遠くから見てもかなり大きい壁は石で出来ているのか、レンガなのか、色が灰色っぽい。
「なあ、あれって」
「うん。
健ちゃんが肩を叩いたので答えた。
壁の前方、整備された道路の右横を一面が黄金色に染っている。
麦なのか米なのか、遠目からでは分かりにくいが、若干、稲の周辺だけ地面が低くなって見えるので、田んぼだと推測できる。
「よかったな。米だぞあれ」
パン食だったらどうしようかと思った。
そもそも、この世界にパンがあるのかどうかすら不確定だが。
ふたりに声をかけたが、ふたりの意識は目の前の城壁に向かっている。
それも仕方がない。徐々に近づいてくる城壁は本当に大きく、高さは10メートル近くあるのでは無いかと思われる。
横の長さも、下手をすれば1キロ近くあるのでは無いかとも思う。
正確な大きさは分からないが、少なくとも現代日本では見ることの無い大きな壁だ。
「あの、あちらは」
馬車の右後ろを歩く兵に尋ねる。
兵は軽く俺に目を向け、すぐに前方を向いた。
「我々シーウの首都、シキョウです」
素っ気なく教えてくれた。
あまり俺たちは信用されていないのか、好かれていないのか、当たり前といえば当たり前だが。
「おや周郎、あなたは我々の首都も知らなかったのか」
首都だから大きいのか、感心していると、馬車の中のサイハクが言った。
特に声に、俺に対する疑念などは感じられない。
首都名ならともかく、国名を知らないとなればどうなっていただろうか。
「申し訳ございません。西へ進めば然るべき御方に出会えるという啓示を信じ遥か遠い国からやってきたものですから、この大陸のことを存じていないのです」
「そうか、色々と聞きたいことはあるが、それは屋敷で聞くとしよう」
「ゆるりとお話いたしましょう」
「それはいい。今日は語り明かそうではないか」
「ええ」
太陽が傾き城壁の向こうへ隠れようとしている。
城壁に近づくと、さらに大きく見え、威圧感を感じた。
黄金色の穀物は、やはり米のようだ。もう時期収穫のなのだろう。稲穂が頭を垂れている。
城壁を見上げると、上に見張りらしき人が居て、俺たちの存在を確認すると、城内へ姿を消した。
青銅の城門へ近づき、馬車が停車した。
城内から法螺貝のような音がけたたましく響くと、重そうな城門がゆっくりと開かれ、ふたりの兵士が頭を下げて、俺達の通過を待っている。
馬車はまた進み始め、ふたりのあいだを通過する。
兵士達は俺たちを見て目を丸くしている。
当然だろう、行きはいなかったのだから。
それにしても、身分の高い人だとは思っていたが、この人はかなりの地位の人らしい。
わざわざ城門を開ける前に法螺貝で知らせたのは、迎え入れる準備をするためだろう。
「なあ鈴木」
「なによ」
「この人ってもしかして」
暗い城門の中を進みながら、鈴木に耳打ちすると、視界が開けた。
俺は鈴木に言おうとしたことを忘れ、眼前の光景に息を飲んだ。
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