第3話 仕える主は自ら選ぶ。それが周瑜であり、通りすがりに縋るのが俺である 

「えーっ!」


 俺は急いで3人が最初眠っていた場所へ走った。

 鈴木と顔を見合わせている場合ではない。

 やっぱりこいつ美人だよな、なんて考えている暇はなかった。

 視界に入った最初の場所に、たしかに西寺は居なかった。

 周りを見渡しても、西寺の姿はどこにもない。

 西寺が寝ていた草の上にはてんとう虫がお休み中だ。


「まさか川に流されたんじゃ」


 そう思って川を覗いたが、人を流せるほど水深は深くないし、川幅から考えて、流されるとすると直立不動ではないと不可能だ。


「藤家、西寺はいないの」


 後を追ってきた鈴木が、息を切らしながらやってきた。

 ほんの少ししか走ってないのに疲れるとは、体力のないやつだ。

 なんて、緊急時にはなぜかくだらないことばかり考えてしまう。


「なあ健ちゃん、ほんとに西寺いなかったの」


 鈴木の横に立つ健ちゃんは首を横に振った。


「いなかったよ。だいたい俺は周也達がここに居ることも知らなかったし」

「そ、そうだよな」


 どうするべきか、闇雲に探して、正反対の場所に行ってしまえば、それこそ本当に二度と会えなくなるかもしれない。

 だからといって、ここで待っていたところで返ってくるかどうか。

 だいたい、なぜあの男はこんな見知らぬ場所でひとりで移動してしまったのか。本当に、自分の意志で動いたのか。


「まさかそれこそ、俺達が離れてる間に誘拐されたんじゃ」

「ちょ、ちょっとまってよ」


 俺の話を遮るように鈴木が口を開く。


「私達、今のところここで誰も見てないのよ。それなのにちょっと離れた隙に誘拐なんて考えられないわ。だいたい、なんで柘植を置いて西寺だけ連れ去るの?」


 俺は、健ちゃんの立派な肉体に目を向けた。


「そりゃ、重いからじゃない?」

「お、重い⋯⋯」


 なぜかショックを受けているが、剣道部で日頃から鍛え、背も俺達の中で一番高い健ちゃんが重いのは当たり前である。

 とくに、大学に入ってから必修の体育以外で運動していなさそうなもやしっ子とくらべれば、その差は歴然である。


「あ、わかった」


 なにか思いついたように、鈴木が切り出した。


「多分、私と藤家が散策してる時に目覚めて、どこかに行ったのね。多分走ってはないだろうから、その時に多分さらわれたんだわ」

「おおー」


 健ちゃんが感嘆の声を上げた。

 感心している場合では無い。だとしたら一大事だ。

 起きている時に連れら去られたとなると、叫び声のひとつでも聞こえるはずだが、そんなものは聞こえなかったし、逃走用の乗り物の音も聞こえなかった。

 つまり、西寺は叫び声を上げる間もなく、連れ去られたということになる。


「まさかここって、妖怪とかいたりしないよな」

「変なこと言わないでよ」


 オカルトの類が苦手な鈴木が両腕を胸の前で交差させて身震いした。


「まあでも、俺達も注意散漫になってたから、誘拐されたとしても確かに気づかなかったかもな」

「まあそうね」


 鈴木と目が合い、お互いに頷いた。

 そこに割り込むように、健ちゃんが大きく手を振って視界を妨げた。


「見つめあってるところ悪いが、西寺を探さないと」

「そうは言ってもさ、どこ探したらいいんだよ」


 両手で頭をわしゃわしゃと掻きむしった。

 良い案が何も浮かばない。

 頼みの綱の鈴木も、何も思いつかないのか、焦燥感に駆られたように右手の親指を噛んでいる。

 

 不意に地面に転がってる木の棒が見えた。

 俺の腕の長さくらいあるそれを拾い上げ、着ている袍のほつれた部分を引っ張った。

 ちょうどいい長さに麻糸をちぎり、木の棒の先端に括り付けた。

 即席で釣竿を作り、小川の真ん前に腰を下ろして、水面に糸を垂らした。


「何やってるんだ周也」

「何って釣りだけど。とりあえずここで今日の食料を獲る」

「はあ?」


 後ろから尋ねてきた健ちゃんの疑問に、俺は振り返ることなく語った。

 健ちゃんの嘆声が俺の背中に響いた。

 昔、焦って頭が働かなくなった時は自然に身を委ねよと、どこかで聞いた気がした。

 今こそそれを実行するべきだと、木の棒を視認した瞬間から、俺の体は止まらなかった。


「馬鹿なの⋯⋯」


 鈴木の俺を侮蔑するような声が聞こえる。

 構うものか。とある文豪はアイデアが行き詰まった時は散歩をして脳を活性化させたという。

 これはまさにそれと同じで、釣りという精神を集中させねば上手くいかない作業を行い、落ち着きを取り戻すのだ。

 もっとも、心拍数はさっきから高いままだ。

 少しの間、水面に集中していたが、エサも何もつけていない糸に食いつく魚がいる訳もなく、第一まだ魚の姿を確認していない。


「ねえ柘植、この馬鹿は放っておいて人のいる所探しましょ」

「ああ、わかった」


 さっきから黙って背中に冷ややかな視線を浴びせていたふたりだが、とうとう痺れを切らしたのか、この場から離れようとしている。

 結局、俺の心臓の鼓動は高止まりしている。

 だが今更やめて、どの面下げてふたりに相対すればいいのか分からない。

 それが分かるまで、俺はふたりの姿が見えなくなるまで釣りをするしかないだろう。


「お、おいあれ」


 健ちゃんがなにか見つけたのか、振り返ってみると、俺の右後を指さしていた。

 その方向を、顔は正面に向けたまま横目で見ると、こちらに近づいてくる人影があった。

 

 ──まあ、日本でないことはわかってたけどさぁ。


 俺は思わず心の中で呟いた。

 こちらに向かってくる一向は1台の馬車を囲っている。

 馬車の前と後ろに、それぞれ2人ずつ、鎧を着た護衛のような者が付いている。

 前を歩く護衛は槍を持ち、後ろを歩くのはサーベルのようなものを腰に差している。

 鼠色の布服の上に、銅らしき赤褐色の鎧を着ていて、おそらく鎧は上から被るタイプのもので、太ももの辺りまで覆ってはいるが、足は無防備のようだ。

 足には俺達と同じような皮靴を履き、ズボンの裾を紐で閉めている。                              

 馬車はゆっくりと、俺達の方へ近づいてくる。

 二輪の馬車は質素で、ひとりかふたり用の小さな木造の屋形付きのものだ。


「おい、目を合わせるなよ。気付かないふりしてるんだ」


 俺は後ろのふたりに忠告した。

 どう考えても彼らは日本人では無い。

 言葉が通じるか分からないし、中の人物を見てしまうと、最悪始皇帝を見た国民のように殺されてしまうかもしれない。

 仮に平伏しなかったことに、中の人が怒ったとしても、異国の民を装えば最悪は免れるかもしれない。


 このまま俺は、釣りに集中している異国の人間を演じる。

 それにしても、この地に人が居るとしれたのは、大きな収穫である。

 馬車はゆっくりと俺達の後ろに迫ってきた。

 早く通過してくれと祈っていると、従者と馬の足音が止まり、車輪が停止する音がした。


 やはり頭を垂れて平伏するべきだったのか、俺は背を向けたまま、護衛の持つ槍がいつ迫るか考えた。


「そこの者たち」


 声が聞こえた。柔らかな男の声だが、たけちゃんの声でも、西寺の声でもない。

 振り向いてみると、馬車は俺達の後ろで止まり、4人ともこちらを見ている。

 槍の穂先がきらりと光った。

 ただ光が反射しただけだった。


「返事をするなよ」


 小声でふたりに言った。 

 声をかけてきたのは、馬車の中にいる人だろう。

 その姿は格子の奥の御簾に遮られて見えないが、馬車をよく見ると、小さいが、側面にはなにか鳥の彫り物がなされている。

 まず言葉がわかるのが驚きだ。

 だがここは日本では無い。確実に。

 あんな槍や剣を持った人間が日本に居るはずがない。

 京都や浅草の人力車ならともかく、馬車で移動する人間がいるのもおかしいし、仮になにか理由があって護衛をつけたいとしても、自転車にでも乗ったほうが早いし、安全だろう。

 それに、同じ犯罪を犯すなら、槍なんかより銃を持てばいい。


 馬車と従者の身なりから、何となくこの場所の文明が推測できる。

 ここは恐らく、俺達の世界とは違う、いわゆる異世界なのだろう。

 きっと、俺の願いを聞き届けた大賢良師が、うっかり送り先を間違えてしまったのだろう。

 

 なんて冗談は置いておいて、これはチャンスである。

 従者を連れて、馬車で移動しているところから、おそらくこの声をかけてきた人物はそれなりの身分だ。

 上手くこの声の主に取り入ることが出来れば、飢え死ぬことは回避できるし、西寺を探すのを手伝って貰えるかもしれない。


 どうすれば懐に入り込めるか、頭を働かせた。


「なにか我々に御用ですか」


 とりあえず、馬車を繋ぎ止めるために背を向けたまま返事をする。


「用というほどではないが、その川では何も釣れませぬぞ」


 御簾の奥から返事が来た。

 これは好機である。このセリフにたいして、スピリチュアルな雰囲気を醸しつつ、自分が大物であるように売り込む方法を、俺は知っている。


「いいえ、たった今、お目当てのものが釣れましたよ」


 俺は顔を上げた。

 まだ振り向かない。槍がこちらに向いていないのか、不安になるが、ここは我慢だ。


「ほう、何が釣れましたかな」


 ──今だ。


 俺は大きく息を吸い、空を見上げた。

 空が見たかったわけではないが、あまりに綺麗な青空に、一瞬見とれてしまった。

 そして釣竿を引き上げた。


「ええ。探し求めていた龍が」


 俺は背を向けたままおもむろに立ち上がった。

 決めゼリフはしっかりと頭の中で完成させた。


「遥か遠い地から、嶮峻けんしゅんを超え、襲い来るさざなみを乗り越え、ようやく龍が釣れました」


 振り返り、右膝を地面につけた。

 握りしめた右手と開いたままの左手を胸の前で合わせる。

 史劇でよくみる拱手きょうしゅである。


「我が友の1人は家宝である剣を売り、また1人は形見の髪飾りを売って糧を得ました。しかし、ひとりはこの地にて行方知れずとなり、我々は彼を探すため、貴方様に会うことを諦めかけました。ですがそれではなんのために困難を乗り越えここまで来たのか。

 全ては天に導かれ、貴方様という昇龍の下で己の力を使うためではないかと、私達は話し合い、この地にてお待ちしておりました」


 ──決まった。

 自分でのなかなかの口説き文句だと思った。

 鈴木と健ちゃんは、曖昧模糊な様子で俺を見下ろしている。

 しかし、察しのいい鈴木はすぐに理解したのか、俺の隣で正座し、頭を下げた。

 それを見て健ちゃんも正座し頭を下げたが、ただ鈴木に追従しただけで、どういう意図なのかは分かっていなさそうだ。


 御簾の内幕を見透かすことができないかと、じっと凝視した。

 兵士達はそれぞれ顔を見合わせ、御簾の奥に動きは無い。

 しかし、後方の1人の兵士が格子に近づくと、なにか耳打ちを受けたようにうんうんと頷き、馬車を開いた。

 貴人の首から下がよく見えた。

 臙脂色の裳が揺らめき、馬車の外へ足を踏み出した。

 黒い帯に金粉が含まれているのか、少し太陽の光で煌めいた。

 右の太ももの辺りには、馬車と同じ鳥が描かてている。

 よく見るとそれは、伝説上の比翼の鳥によく似ていて、たしかに雌雄の鳥が重なっているように見えた。

 中の人物は御簾を手で遮ると、ゆっくりと頭を出した。

 特に被り物などなく、ブラウン系の髪が肩にかかっている。

 

「ならば君が、神が告げた賢人か」


 貴人はそう言うと、顔をこちらに向けた。


 ──え?。


 声が漏れそうになり、必死に口元を結んだ。

 隣の2人もいつの間にか顔を上げている。

 貴人の目は切れ長で、一見鋭くみえるが、どこか温かみがあり、茶色い顎髭が喉仏のあたりまで伸びている。

 年齢は30代くらいだろうか、俺の父より若いがそれなりに歳がいってそうに思える。

 色白で、俺達日本人や、東アジア人のようには見えない。

 だが今は貴人の顔のことより、今はこの人が言った言葉の方が驚きだった。


「貴方様も、天の声をお聞きになられましたか」


 あまり間を開けずに尋ねる。

 考え込んでしまう素振りを見せると、あらぬ疑いがかけられるかもしれない。

 俺はありもしない貴人への意志を見せるべく、貴人の茶色い瞳を凝視した。


「昨日、私は国と私自身の命運を占者に見てもらった。すると占者は、野に出かければ獣ではなく人に出会い、その人物を得ることが出来れば道は開くだろうと言った。するとここで私を待つ君に出会った。これこそ正しく天命と言えよう」


 貴人の言葉に偽りはないだろう。

 こっちにはこの人を騙す理由があっても、向こうにはない。 

 俺は鈴木と顔を見合せた。

 鈴木は小さく口を開け、なにか言おうとしているが、言葉が出てこないようだ。

 その奥の健ちゃんも、なにか目で訴えかけてきているが、何を言いたいのか全く分からない。


「そなた、名はなんという」


 貴人が権威を感じさせる、威厳のある声で言った。

 俺は拱手しなおして、その名を告げた。


「私の名は周⋯⋯周郎しゅうろうとお呼びください」


  




 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る