第2話 三国志は異世界で 2 

「これこそが天下二分の計である! って、どこだここ」


 絶叫とともに目を覚まし、勢いよく体を起こした周也が座っていたのは、小石が敷かれた川岸とは程遠い、平原だった。

 小さなせせらぎの音が聞こえ、顔を向けたが、そこはボートを浮かべていた場所とは全くの別物だった。

 跳べば簡単に渡れるくらいの小さな川の水が、光に照らされ輝いている。

 その水辺で、見かけたことのない小鳥が喉の乾きを潤していた。

 その川の向こうに、倒れている人影が映り、周也は立ち上がった。

 足取りがおぼつかなく、何度か倒れそうになりながら、川を越えると、小鳥達は飛び立った。


「何してるんだ皆⋯⋯」 


 倒れていたのは、一緒にボートに乗っていた3人だった。

 皆水着を着ていたはずなのに、男二人は麻で作られた黄土色袍を着て、足にはボロく靴紐もない皮靴を履いている。

 喬花だけは朱色で彩られた、上衣下裳じょういかしょうの漢服と思われる衣服を着用していた。

 黒い帯を締め、裳がくるぶしまで隠している。がしかし足には他と変わらないボロい皮靴を履いている。

 

「いつ着替えたんだよって、俺もだ」


 自分の姿を確認すると、周也も同じように袍を着、皮靴を履いていた。

 袖口が広く、風が腕から体の方へ入ってくる。

 肌寒さに身を震わせながら、周也は3人の体を揺すった。

 幸正と健人は起きる気配がなく、息は確認できたので後回しにして、喬花を起こすのに集中した。

 頬を軽く叩くと、喬花はゆっくりと瞼を上げた。


「なに藤家、変な格好して」


 寝転んだまま、喬花は目をこすって大きく欠伸をした。


「いや、鈴木の格好もおかしいぞ」 

「えっ、な、なにこれ」 


 自分の様相に動転した喬花は上体を起こすと、両手を広げ、両腕をまじまじと観察した。


「なんかさ、それ漢服っぽいよな」

「ええまあ⋯⋯でもなんで」

「さあ?」


 2人は顔を見合わせ、黙った。

 状況が飲み込めない2人は目を覚まさない健人と幸正を残して辺りを散策しはじめた。

 見える限りには建物がなく、木だけがあちこちに点在している。

 ここはどこなのか、腕を組みながら頭を捻った周也は一つの仮説を立てた。


「なあ鈴木、今から俺が言う事、笑わないって約束できる?」

「無理」


 即答した喬花は立ち止まり、周也に顔を向けた。


「酷すぎない? そりゃあ現実的じゃないけど、結構可能性あるとおもうんだけど」


 周也が鼻を掻きながら言うと、喬花はため息をついて左手にある木を指さした。


「あれ見て」

「あれは⋯⋯木、ですね」

「そういうのいいから、右上の枝を見て」


 右上の枝に目を凝らすと、顔から腹のあたりまで赤橙色で、背中がやや白色をおびた褐色の小鳥が枝の上に乗っていた。


「あの鳥がなに」

「あれはヨーロッパコマドリ、残念ながら中国にはいないわ」

「えっ」 


 周也が鳥を見ていると、その隣にもう一羽やってきた。 

 周也はおもむろに、頭をカタカタと震わせながら喬花に顔を向けた。

 

「な、なんで俺がここを古代中国だと思ってるってわかったわけ」

「藤家の考えることくらいすぐわかるわ。私の服装が漢服だと思ったのもそのせいでしょ」


 喬花は肩を竦めながら、横目で周也を確認した。

 周也は頬を吊り上げ、眉毛を痙攣させている。

 一体ここはどこなのか、予想が外れた今、全くわからなくなってしまった。

 枝の上に泊まっていたコマドリは飛び立ち、太陽の方向へ消えていった。


「じゃあここはどこだ⋯⋯」


 喬花の推理に縋るようしかない周也は、不安げに言葉を漏らした。

 顎に手を当てた喬花は唸り声を出しながら、周辺をぐるぐると歩き始めた。


「うーん。まだ現実的なのは、ここが海外の何処かで、私達は拉致されたっていうのなのよね」

「拉致されてこんな自由なのおかしくない?」

「だからこれはあくまで現実的な話よ!」


 喬花は突然声を荒げ、右足のつま先で何度も地面を叩いている。

 普段大きな声を出すこともない喬花が、突然叫んだことに、戸惑い、事の重大さを初めて認識した。


「あんな目立つところで私達を拉致して放置なんて考えられないし、だいたいこの服は何? あなたのも、あのふたりのもそう。拉致して着替えさせてこんなところに放置ってどういうこと? 周りに監視者もいないし、手錠や足枷があるわけでもない。それに⋯⋯」


 喬花葉口を閉じ、視線を周也の腹部に向けた。


「あなた今、お腹すいてる?」

「そういえば、あんまり減ってないな。遠くに連れ去られたなら、空腹でもおかしくなさそうなのに」

「つまり、眠ってから大して時間が立ってないってことよ」 


 顎が外れたかのように、周也の開いた口が塞がらない。手で無理やり口を閉じると顎の関節が擦れるような音がした。


「じゃあ、ここはまさか⋯⋯」

「私達の知ってるうつし世じゃないかもね」

「あ、あぁ⋯⋯」


 周也は膝から崩れ落ち、地面に両手をついた。

 唇と顎が震え、目も泳いでいる。


「じゃ、じゃあまさか、俺達死んだの?」


 喬花を見上げると、喬花はそっぽ向いたまま、腕を組んで答えた。


「いや、死後の世界とかないから」

「お前は曹操か。言っておくけど、曹操も死ぬ間際にはあの世のことを考えたんだぞ」

「それはもし存在したらって話でしょ」

「そのとおりでございます」


 魏王曹操は臨終の間際、若くして死んだ息子曹昂そうこうに、離縁した母の居場所を聞かれても、なんと答えたらよいのかわからないと語ったとされている。

 周也は、未亡人にうつつを抜かして曹昂を死なせた曹操のことは嫌いだが、この時の人間らしい哀愁を漂わせた曹操は好きだった。


「まあそんなこといいんだけどさ。じゃあここって結局どこなんだよ」


 膝と手のひらについた土や草を払いながら、周也は立ち上がった。


「知らないわよ。とりあえず調べるしかないんじゃない」


 ため息を吐きながら、喬花は両手を腰に添えた。

 調べるならとりあえずこの周りからだと、周也と喬花は辺りを歩き始めた。

 幸正と健人が眠っている場所を忘れないように、時々振り返りながら位置を確認した。


「あ、あれ」


 周也は立ち止まり、木が立ち並ぶ一帯を指さした。

 木には周也に馴染み深い赤い果実がたくさん生っていた。


「りんごだ」

「あらほんと、とりあえず食料には困らさなそうね」

「え、あれ自生してんの。採ったら殺されたりしない?」

「さあ、嫌なら食べなきゃいいじゃない」

「うーん」


 周也は左手でお尻を掻きながら頭を捻った。

 たしかに周りには食べ物は他にない。 

 あのりんごを採らなければ、すくなくとも今日は何も食することはできないだろう。


「まあ、今は腹減ってないし後で考えよう」


 そう言ってまた歩き出そうとすると、後ろから人の声が聞こえた。

 振り返ると、いつの間にか目覚めた健人がふたりに手を振りながら走ってきている。


「あ、健ちゃん起きたんだ」


 健人はふたりの前で立ち止まると、膝に手をついて息を整えた。


「なあ、ここどこだ。俺達川で遊んでたよな。なんか霧がかってきて眠ったことまで覚えてるけど、周也わかる?」


 狼狽えたふうに、健人は周也の肩を掴んで激しく揺らした。


「いや、健ちゃん。俺も知らないから。今鈴木と考えてたところ、ただ言えるのは多分日本じゃないってこと。だけど多分誘拐されたわけでもない。ねえ健ちゃん、揺らすのマジやめて、気持ち悪くなるから」

「あ、ああごめん⋯⋯」 


 健人は手を離すと、一歩後ろに下がった。

 周也はくらくらとする頭を左右に激しく振った。

 健人は大きく深呼吸をし、落ち着きを取り戻したようだ。


「そいえば西寺はどうした? 一緒に寝てただろ」

「え、居なかったけど、あいつもここにいるのか」

「へっ⋯⋯」


 周也と喬花はお互いに顔を見合わせた。

 ふたりとも顔が真っ青になり、血の気が引いた。


 

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