第8話 断金の交わり 2
(これ結構好きかも⋯⋯)
周郎は酒に舌鼓を打ちながら、大和のことを話した。
無論、大和とは現代日本とも、歴史に出てくる大和も関係ない、周郎が頭の中で作りだした空想の国である。
自分の好きな中国の歴史や日本の歴史を交えながら作り出した国は、周郎にとっては語りやすく理想的なものであった。
途中、土器の中の酒が無くなり、サイハクが「おーい」と叫ぶと、扉の前で待機していたセルゲが酒を入れるため土器を持って行き、中身をいっぱいにして戻ってきた。
周郎がある程度語ると、今度はサイハクがこの大陸について語った。
この大陸には今、5つの主要国家があり、そのひとつがシーウであると。
だがシーウは5カ国の中では力が弱く、今は最も勢力が大きい北の「シヤン」という国に従属しているという。
シヤンは現在、南を左右に分割する「マハズ」と「イメド」と戦争状態にあり、シーウはその3カ国の間に存在している。
元々は5つの国はひとつの国家だったと信じられているが、その名も文明も失われたらしい。
「ところで、もうひとつの国は」
「ああ、エンはシヤンの北東の半島にある小さな国だ。正直、あそこは勝手に国を名乗ってるだけで、どこも認めちゃいない」
(まるで公孫淵の燕みたいだ。速攻で潰されそう)
周郎はおぼろげに頷きながら、頭の中でざっくりと国の位置を確かめた。
周郎の好きな中国で例えると、中原と河北を支配しているのがシヤンで、巴蜀と荊州の西を支配するのがマハズ。揚州と交州、荊州の東はイメド。遼東半島にエンといったところらしい。
厳密には形が違うのでそうとは言いきれないだろうが、大雑把でも形を把握しておくと、色々とわかりやすい。
そしてシーウは新野に当てはめた。
「いつか誰かが、この5つの国をひとつに纏めあげるのかもしれんが、果たしていつになることか」
そう呟き、サイハクはセルゲが持ってきた酒を注いで一気に飲んだ。
「だがもし、占者の言っていた道が開けるというのが、この5カ国を統一し、大陸に安寧をもたらすということであれば、私か私の跡を継いだものが偉業をなす事になるやもしれん。どう思う?」
ふたりとも酔ってはいない。度数が低いこともあって、ほとんど素面と変わらないが、顔は赤く熱を帯びてきている。
「まだこの国のことすらも把握しきれていませんが、果たして私にそこまでの道を開く力があるかどうか」
「それは私も同じだ。シヤンに頭を下げなければ生きていけない私がそんなこと出来るとは本心では思ってはいない。これは仮定の話だ」
「歴史を見れば、小国から覇を唱えた人物は何人か存在します。王どころか、奴隷や乞食の身から皇帝になった人物も」
「なら私もなれぬ、という訳では無いのだな」
「ええ、意思があるなら」
「ん? 君は私にその意思があると思ったから来たのだろう?」
サイハクが銀の器でテーブルを叩いた。
周郎は目線を落とし、器から零れた酒がテーブルに染みるのを確認した。
「君は龍が釣れたと言ったな。龍は天に昇る生き物だ。つまり君は、私が天⋯⋯この大陸の頂点に立つと考えた。そうだろ?」
(そこまで考えてなかったよ⋯⋯)
サイハクは鋭い目つきで周郎を捉えて放さない。
周郎の背中に汗が滴り、熱が冷めていく。
周郎はサイハクをそれなりの身分の人物だとは認識したが、まさか一国の王だとは思っていなかった。
あの時の発言はあくまでその場の思いつきであり、意味などない。
「私が龍と言ったのは王が本来、何ものにも囚われない身になるお方だとお見受けしたからです」
「今の私はそうだな、大国に頭を垂れなければ生き残れぬ立場だな。まさに籠の中の鳥だな」
周郎は頷いて続ける。
「天を泳ぐ龍というのは、何も1匹だとは限りませぬ。王は一先ず、昇龍の1匹になればよろしいのです」
「周郎、回りくどい言い方はよせ。わかってるだろう」
サイハクの声に怒気が籠った。
「なればよろしい、なんて話では無い。私が聞きたいのは、君が私はなれると思っているか否かだ」
(そんなん知らんよ⋯⋯)
周郎は目線をベッドに向けて、首をゆっくり何度も横へ降った。
サイハクは瞠目し、机の上に置いていた手を力無く降ろした。
力無く垂れる腕を見て、周郎は確信した。
(ああそうか。この人は確認がしたいんだ。直接的な言葉で)
その通り、サイハク曖昧な比喩表現ではなく、ただ一言なれる、と聞きたいだけである。
今この場ではっきりと言われ、安心したい。
人としては至極当然の感情だ。
「それを私が言わねばならぬほど、王は愚鈍ではございませぬ」
周郎にとっての精一杯の一言だった。
既に1度、龍を釣ったと言った以上、この場でなれないと言うことはありえない。
ならばなれると言えばこの場は丸く収まると思われるが、後にこの会話をサイハクが誰かに話した時、そのようなことを望まない者から周郎は疎まれる可能性があった。
さらにサイハクが自分の言葉を盲信し、頂点に立つという夢を自分に委ねることの無いよう、周郎はこの場を濁した。
そしてもうひとつ、実はサイハクがそのような大望など持っておらず、自分に話を合わせて本心を探ろうとしている可能性も捨てきれなかった。
大望がなければ、自分がいい加減なことを言っているだけのだと気づかれてしまう。
「そうか、そうだな」
サイハクは左手で額を押さえて天井を向き、高らかに笑った。
笑い声が部屋中に響き、テーブルの上の灯火を揺らした。
「既にそなたは言ったのだから。今更聞く必要は無いな。いやぁ、申し訳ない」
「いえ、実際あの場ではっきりと私が言えばよかったのです」
「しかしそれをすると、私は君に全てを任せてしまっていたかもしれないな」
(俺の考えてたことばれてないかこれ⋯⋯)
苦笑いしながら、肩を上下させた。
「しかし心配せずとも、私にそこまでの力はありません」
「そんな謙遜しないでくれ。君は私の心の内を分かっていたんだから」
(ほんとにたまたまだけど⋯⋯)
周郎は酒を呷り、器一杯、零れるほどに注いだ。
今入れた一杯で土器の中の酒は空り、サイハクはそれを確認すると、やれやれと薄ら笑いを浮かべ、口を開いた。
「では最後に聞かせてくれ」
「なんでしょう」
周郎は零れないようにゆっくりと器を口に近づけていた手を止め、サイハクを見据えた。
「なぜ私が、君の探していた人物だとわかった」
周郎は大きく瞬きをし、サイハクの衣服に描かれた比翼の鳥を見た。
「雲ひとつない夜、天に私が求める主の場所を尋ねると、西に向かって2つの蒼い星が流れ、途中、それらがひとつに重なりました」
そう言い切り、最後の酒を流し込んだ。
雌雄の鳥がひとつとなって空を飛ぶ比翼の鳥から、咄嗟に作った話だ。
「その星は私と君かもしれんな」
上機嫌にサイハクは笑った。
周郎は席を立つと、足下がふらついてよろけた。
サイハクに抱えられながら、部屋の外で待機していたセルゲに預けられ、小屋へ連れていかれた。
「全く、私の分も飲み干すからだ」
空になった器を寂しげに眺めたサイハクは、器を回収しに来た従者を見送ると、ベッドに寝転がって微笑んだ。
────
セルゲに連れられ、周郎は屋敷を出て家へ向かっていた。
セルゲの持つ松明の明かりがふたりの顔に熱を与える。
「では私はこれで」
「ああ、ありがとう。お休み」
扉の前でセルゲと別れ、家へ入った。
中はほとんど何も見えない状態だが、奥の寝室だけ若干灯りが灯っている。
夜風のおかげで酔いも冷めたのか、落ち着いた足取りで寝室へ向かうと、2枚敷かれた布団の片割れで、子健はまだ起きていた。
「起きてたんだ」
「色々聞きたいしな」
周郎は手前の布団にそそくさと入り、体を温めた。
上等な布団とはいえず、今まで使っていた安物の布団より質は落ちた。
腕を頭の後ろで組みながら、首を少し前に傾けると、格子窓から星空が見えた。
「で、なに話してたんだ。あと酒臭いな」
子健は鼻の前を手で扇ぎながら小さくなった油燈の火を吹き消した。
「なにって、少し俺の事試してきたり、あとはこの大陸の事とか、王がこの大陸を統一できるかどうかも」
「なんだそれ。あの王様、そんなこと考えてたのか」
子健は驚いて周郎を見ようとしたが、真っ暗でどんな顔をしているのかも分からない。
「あれは考えてたって言うより、俺の言葉で決めようとしてたんじゃないかな」
「随分信用されてるな、今日会ったばかりなのに」
「そこはほら、俺の、あれだよ⋯⋯」
周郎は横目でそこに居るはずの子健に何度も確認し、はにかんだ。
見えてはいないが、親友が今どんな状態なのか、子健には簡単に把握出来た。
「鈴⋯⋯喬の言ってた通り、虚構を現実に変える力か」
「なんだそれ、要するにただのホラ吹きじゃないか」
「あはは。でもそのおかげで俺達は今ここに居るんだから」
子健の口から笑い声が漏れる。
「なあ周郎。正直俺、今ワクワクしてる」
笑顔から一転、子健は引き締まった顔つきで、天井を見上げた。
「本当は早くにでも帰らなきゃいけないんだろうけど、この世界でどんなことが待ってるのか、不安だけど楽しみなんだ」
「俺もだよ」
周郎は頭の後ろに置いてた手で布団を顎付近まで掛け、目を閉じた。
「ものすごい奇跡が起きて、何故か俺は一国の王に信頼される師になった。あの人の役に立って、自分が憧れる歴史上の英雄達と同じことを為せるんじゃないかと、恐れ多いけど考えてたら楽しみで仕方がない」
1度目を開けたが、瞼が知らない間に随分と重くなっていた。
「だから俺は周郎として生きる。周也は心の中にしまっておく」
「うん。俺も同じだよ。今は健人じゃなくて子健だから」
「ごめん⋯⋯勝手に名前決めて」
「気にするなよ。そんなに悪くないしさ」
子健は返事を待ったが、周郎の口から言葉は聞こえてこない。かわりに寝息が聞こえてきた。
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