娘と父の気まずい結婚前

正妻キドリ

第1話 気まずい3分間

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。


 それは父親と会話をすることだ。


 私は結婚の挨拶の為、彼氏を連れて実家へと帰省した。


 そして、結婚の報告自体はもう終わらせて、私と彼と両親の4人で談笑をしているところであった。


 しかし、途中で彼がお手洗いに、母が宅配便を受け取る為に外へと出て行ってしまった。


 現在、ダイニングテーブルについているのは、私とその右斜め前にいる私の父親だけだ。


「…。」


 お互いに黙ったまま目を合わせることもしない。


 とても気まずい空気が流れていた。


 私は父と会話することがあまりない。


 私自身もあまり喋らないタイプの人間ではあるのだが、父親はとても無口で私に話しかけてくることが滅多にない。


 まぁ、父が母以外の人と話しているところは殆ど見たことがないし、友達がいるという話も聞いたことがないので、たぶん父は人と接すること自体が苦手なのだろう。


 しかし、私が子供の時は、父との会話は普通にあった。


 何なら、他の家庭よりもあったかもしれない。


 幼き日の私が話す稚拙なエピソードトークを、若き日の父は微笑んで聞いてくれた。


 若き日の父が言ったくだらない冗談を、幼い私は心の底から面白がった。


 そして、私も父の真似をして冗談を返したりしていた。


 しかし、私が大人になっていくにつれて、自然と会話はなくなっていった。


 別に、何かきっかけがあったわけじゃないし、父を嫌いになったわけでもない。


 ただ、私が思春期を迎え、父と話すのが何となく恥ずかしいと思うようになった。


 そして、父親は大きくなった私に対し、大人として接さなければいけなくなった。


 それだけである。


 一度会話がなくなってしまえば、そこからずるずると気まずい関係が続いてしまう。


 そんな気まずい関係のまま、私達はここまできた。


 別に子供の時のようにいっぱい話したいというわけではない。


 ただ、結婚を節目にこの気まずい関係を修復できないだろうかと、ちょっと思っただけだ。


「…。」


 相変わらず会話はないままだ。


 父は一向に口を開こうとしないし、私はなんと声をかければよいのかわからないままである。


 もうすぐ、彼と母が戻ってくる。


 …まぁいいか。


 私はそう思った。


 別に、この3分の間に父と二人きりで会話をしなければならないという義務があるわけでもない。


 いつの日にか、ひょんなきっかけから、また自然と会話する関係に戻っているだろう。


 だから、その時が来れば、その時にいっぱい話せばいい。


「ごめんな。」


 右斜め前から、そう聞こえてきた。


 父の声だった。


「えっ…?」


 私は呆気に取られたような表情で、声がした方を見た。


 父がこちらを見ていた。


「なにが…?」


 私は父を見つめながら聞く。


 すると、父は静かに呟いた。


「あまり話しかけてやれなくて。」


 私の目に映る父の顔は、相変わらず無表情であった。しかし、目には見えない、後悔みたいなものがその表情からは感じられた。


 父は私に話しかけられないことを、ずっと申し訳なく思っていたのかもしれない。


 正直、父親なら無口であろうと、娘が思春期を迎えようと、気まずい関係にならないように、私との会話を試みようとして欲しかった。


 それが父親のあるべき姿だと、私は思っていたから。


 だから、思春期の私はほんの少しだけ寂しさを感じていた。


 その寂しさが生まれたのは、無口な父のせいであることは間違いない。


 でも、私自身にも原因はある。


 恥ずかしいからって父と距離を取っていた。


 そして、そんな思春期を今までずっと引き摺ってきたのだ。


「…悠也君はいい人か?」


 父が聞いた。


「…うん。」


 私は小さく頷いた。


 それを見た父は、優しく微笑んで言った。


「幸せになるんだよ。」


 こんな素直な父親の言葉を聞いたのはいつ以来だろうか。


 私は嬉しくなった。


 そして、意地悪な笑顔を浮かべてこう返した。


「安心して、お父さん。彼、お父さんと違って、とっても明るくてお喋りだから!」


 私の目には涙が浮かんでいた。


 嬉しいから泣いているのか、悲しいから泣いているのか、自分でもわからなかった。


 思春期の頃の私と、今よりも少し若い父が、笑いながら楽しそうに会話をしている情景が、私の頭の中に浮かんだ。

 

 こうならなかったことが悲しいような、でもこうならなかったからこそ、今この瞬間の嬉しさがあるような、とても変な感じだ。


 気づけば、涙は頬を流れていた。


「そうか。それは…悔しいな。」


 父は安心したように、小さな声で呟いた。

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