猫の運び屋

Tempp @ぷかぷか

第1話 猫の運び屋

 なんでこんな変な仕事始めたかって?

 決まってんじゃん。猫が好きだからだよ! 猫!

 他に何があるっていうんだ。世の中は全て猫のためにある!


 俺は普段は人間相手のカメラマンをしてる。主に結婚式とか成人式とか、そういうパーティとかで撮る奴。いわゆる職業カメラマンで、芸術的な奴じゃない。俺がこの新しい仕事を初めたのはほんの1週間ほど前のことだ。

 俺は自他共に認める大の猫好き、そして猫嫌われ。

 しばらく前からうちの庭が猫の集会場になっていることには当然気付いてて、これ幸いとこっそり集まる猫の写真を撮っていた。いや、撮ろうとしていた。うまく撮れないものだから窓には一切近づかず、カメラを遠隔操作して。

 とても、本当に、心の底から残念なことに、俺は猫に好かれない。言いたくないけど嫌われる。正直なとこ、生で猫を正面から見たことすらないレベル。猫カフェで一番人懐っこいはずの猫にも逃げられる。猫除けフェロモンでも出てるかな。何故だと叫んでみてもこの境遇はちっとも変わらなかった。

 でも避けられるからといって嫌いになれるわけないじゃない。嫌よ嫌よも好きのうち。逃げるから追いかけるんだよ。昔の偉い人はいいことを言った、多分。だから俺は不条理に満ちたこの世界で、好きなものに嫌われながら生きていくしかないと半ば諦め、ることもできなくなっていた。


 そういうわけで、俺が取るべき方法はたった一つ。

 いかに猫に気づかれず猫を観察するか。俺は結局そのスキルを磨きに磨きに磨き上げ、いつしか猫にバレずに昼寝する猫を1時間も観察できるようになった。正直その自然な姿を撮影する技術は仕事にも役立ってる気はする。まぁ、猫については正面から顔をのぞくとバレるから、相変わらず生で顔を見れないのは変わらないんだけどね。

 いつかお尻や尻尾だけでなく顔もじっくり見たいなぁ、と思っていたそんなある朝。

「にゃぁ」

 そんな声を聞いて光の速さで庭を振り向き、驚いて腰を抜かしそうになった。

 1匹の三毛猫が俺の顔を見ていた。

「まじで!? まじ?? えっ感動!」

 思わず口走ったのに衝撃に動けずに固まっていると、風に飛ばされたのか居間の窓際に撮り貯めた猫写真が散らばっていて、その猫は開いた窓から足をのばしてそのうちの1枚を柔らかそうな肉球で押さえていたことに気がついた。

「尊い!」

 猫はその写真の上にそっとバッタを置く。

 俺の大切な猫写真が!!!!

 その三毛猫は俺をもう一度見て、にゃあ、と鳴いた。

「えっえっどういうことだよ? 猫が俺を見たよ? 鳴いたよ?」

 事態が全く理解できないまま、三毛猫はトントンとバッタを乗せた写真をたたく。

 写真は白猫の写真だった。この間会合に来てた子だ。

「にゃお」

 んんん? なんだ? どきどき。

「ひょっとして、この白い子にバッタを渡せってこと?」

「にゃあ」

 そう鳴いて猫は軽やかに庭を横切り去っていった。

 ???

「何?」

 混乱でしばらく呆然としていると、写真の白い猫がやってきた。

「にゃおん」

 その様子は恐る恐る、といった感じで、白猫はこころなしかビクビクしているような。一体何が怒っているのかさっぱりわからない。けれども一つだけわかることがある。俺は間違いなくこの猫以上に動揺しているってことだ。猫ラッシュ。心臓、破裂しそう。

 ごくりと唾を飲み込んで、恐る恐る三毛猫が置いたバッタを差し出す。

 白猫はたくさんの写真と俺の顔を見比べる。

「にゃん?」

 これは私宛? そう聞こえた気がした。

 俺は急いで撮り溜めた猫写真をあさり、先程の三毛猫の写真を示す。

「こいつ! こいつからです!」

「にゃん」

 そうすると白猫は安心したように、バッタを咥えて消えた。

 ???

 よくわからないが、まあいいか。いや、とてもいい。幸せ。まさかまさかあんなに願った猫の顔を1日に2匹も拝めるなんて! 尊い。俺、今絶対ゲスい顔してる。あれ? でも俺はラックを使い果たして死んじゃったりするんだろうか? 急に不安になった。


 その後、俺は特に死んだりはしなかった。

 そして追加の幸運が舞い込んだ。

「にゃぁ」

 何日かしてまたやってきた三毛猫の声に高速で振り向いた。

 トントンと床を肉球で叩く姿が尊い。

「うん? あ、写真? ちょっと待って。待っててね、そこにいてね」

 庭猫フォルダと名付けた写真の箱をあさってこの間の白猫の写真を出すけど反応がない。

 猫が庭先から居間にそろりと入り込み、俺の膝の上の庭猫フォルダに首を突っ込む。

「ねっねこ! ねこが!!! こんなに近く!! 俺の! 足に!!!??? ふぁggえwらうえをm!!」

 やべ、俺白目剥いた。引かれてないかどきどきして猫を見ると1枚の写真を咥えていた。

 尊い。

 ん、キジトラ。そういえばこの子も集会に来てた。

 猫は写真を一旦床に置き、庭に出てコオロギを加えて戻って写真の上に置いた。

「えええっと。今度はこの子にこれを渡せばいいの?」

「にゃ」

 そして三毛猫はたたたと走り去った。

 なんかアレだ、スパイっぽい。かっこいい。エージェントねこ。それにしても猫というのは人の言葉がわかるのだろうか。そして俺が猫に嫌われていたのはひょっとしてこじれた呟きが猫の誰かに聞かれたのが噂として出回ったのだろうか。その程度には猫の集会は親密そうだ。


 そんなわけで俺はドキドキと半信半疑しながらリビングの窓をあけてキジトラの訪れを正座して待っていた。しばらくすると居間の窓の下からピコリと三角の耳がのぞいて、そーっと猫の顔の上半分がのぞく。

「ぐはっ。可愛すぎる」

 俺のハートは撃ち抜かれた。鼻血が出そうだ。でもだめだめ、やることをやらなければ。眼の前に射るのは確かにあの写真のキジトラの子だ。

 三毛猫に預かったコオロギを三毛猫の写真に乗せてそぅっと差し出す。

 キジトラは一瞬ビクっとして窓の下に隠れようとして、またそろそろと顔を出し、意を決したようにぴゃっと居間に上がって素早くコオロギを咥えて逃げ去った。

 尊い……。

 あとで100回見よう。俺はこれを予測して、こっそりを録画していた。けれども録画を改めて眺めて、録画は駄目だと悟った。遠隔で写真を撮るならその構図を自分で決められた。でも録画は猫のベストショットをとらえられない。猫の、猫の写真が、正面からッ、撮りたい。

「フヒッ」

 変な音が出た。

 それから何回か三毛猫から依頼があって、虫やらおもちゃっぽいものを渡す仲介をした。

 ただ俺が近くにカメラを置いているとそちらが気になるらしく、俺がカメラに手を伸ばすとビクっとする。

 だから俺はこっそり撮ってる録画だけで我慢してた。

 我慢なんておこがましい。定期的に猫が正面から見れるんだから。至福。


 そのうちなぜこの役目に俺が選ばれたのかわかった。俺は猫が好きすぎて猫の見分けがつく。

 俺は集会が始まると、その集会の配置通り猫の写真を並べて妄想を膨らませながらニヤニヤと眺めるという友人にもドン引きされる趣味があった。

 妄想っていってもさ、猫を正面から見ている妄想だからね!

 それで三つ子の猫とかよく似た猫でも見分けて、猫が移動するたびに写真の配置をぺらぺら置き換えている。俺のそんな様子を察知して三毛猫はうちに来たんだと思う、多分。人間なのに猫の顔を間違えないから、多分。

 そうすると俺のところに来た三毛猫はかなり賢いんだろう。それともこれが猫の標準クオリティなのだろうか。時には他の猫を連れてきて庭猫フォルダから写真を探し出し、そこに他の猫が持ってきた贈り物をのせる仲介のようなこともやっていた。

 いつしか俺の家の今にはちょくちょく複数の猫が出入りするようになった。尊い。だが俺のジレンマは募る一方である。猫の写真を撮りたい。

「正面から猫の写真を! 俺に自由を! FREEDOM!」

 振り返ればふと、三毛猫と目があった。ヤベッと思った。

 俺の庭猫フォルダの中には、いまだ遠隔操作以外で猫の正面を捉えた写真はない。遠隔操作では猫の集会をジャストなタイミングで隠し撮りすることはできても、ジャストな距離感を詰めることはできないのだ。帯に短し襷に流し。これまではそれで十分満足してた。だってこんなに近くに動く猫を見ることはなかったんだもの。距離感だってそんなものだった。

 でも今は! 目の前に、この至近距離に猫が!

「猫の写真が撮りたい」

「猫の写真が撮りたい」

「猫の写真が撮りたい」

「猫の写真が撮りたい」

 こんなに近くにいるのに撮れない。焦らしプレイここに極まる。


 そのころにはあの三毛猫は人間の言葉が理解できると確信を得ていた。でも恐らくは俺の妄想にすぎなくて、きっと気のせいの勘違いだろう。けれども俺の精神は焦らされすぎて我慢の限界を迎えていてどうしようもなくなっていた。ラリってた。

 だから俺は正攻法でアタックすることにした。

「どうか写真を撮らせてください!」

 正攻法、それは土下座である。次に三毛猫がやってきた時、是非ともカメラで撮らせてくださいと土下座した。駄目なら五体投地する。いかに自分が猫が好きか、猫の写真が撮りたいのか。客観的に見ればオタク特有の早口で俺の口はべらべらと言葉を紡ぎだす。それはもう、言葉が見えれば周辺一帯が糸まみれになっているほどに。

 三毛猫は困惑しながらしばらく俺と俺の指し示すカメラを交互にみていたが、鷹揚に頷いた、ように見えた。


 早鐘のように打ち鳴らされる心臓を制御しきれず警戒しながらゆっくりカメラを手元に引き寄せ、ファインダーをのぞく。猫。いい。尊い。少し緊張したような三毛猫が硬直してそこに佇んでいる。近いし距離感ばっちり、アングルもすごくいい、でも表情が硬い。もっと、もっと笑って。きっと俺は今、ものすごく気持ち悪い。

 説得が成功した時のために背中に隠し持っていた猫じゃらしを出して振る。三毛猫の耳がピクリと揺れる。獲物を見るように少しだけ見開かれる目。むずむずする口元。今だ!

 ぱしゃ。

 至高のタイミングでシャッターを切った。現像するまでもなく完璧な写真ができたと確信する。人の表情を撮ることを仕事にして長年猫のストーカーを続けた俺に死角はない。

 俺は今このために写真の仕事をしていたに違いない。

「我が一生に一片の悔いなし!」

 そんな気持ちでいっぱいです。ごちそうさまです。尊い。

「にゃぁ……」

 1人で勝手にトリップしていた俺に声がかかる。そうだそうだ忘れていた。仕事をしなければ。

 三毛猫はいつも通り庭猫フォルダから写真を探してバッタを置いた。三毛猫の表情はいつもより少し警戒しているように見えた。

「すみません」


 そんなわけで俺はボランティアと副業を始めた。

 ボランティアは猫の運び屋だ。

 猫の荷物を預かり、別の猫に渡す。猫の間で荷物をやり取りする仕事。正直これであっているのかわからないが、いつしか評判は評判を呼んだ、のかよくわからないけれど、いつも来る三毛猫以外にも依頼猫がやってくるようになった。俺は猫がいつ依頼に来ても困らないように居間の入り口に集会に来る猫の写真を並べておくことにした。そうすれば自分で選んで荷物を置ける。

 その対価として写真を撮らせてもらう。1猫1依頼につき1枚だ。明瞭会計である。

 思いのままの猫写真を撮る。俺の無駄に卓越したスキルのなせる業なのかもしれないし、ひょっとしたら猫が人語を解して協力してくれているのかもしれない。


 副業のほうも猫の運び屋だ。

 世の中には猫愛好家はたくさんいるもので、俺がぽちぽち個人用アカウントでUPする猫写真が話題を呼び、猫写真をリクエストされることが増えた。猫の写真を人に運ぶ仕事。

【白猫 上を向いている画像】とか【キジトラ 餌を食べている画像】とか、リクエストに応じてピンポイントで写真を撮る。猫の写真を送信して対価に小銭をもらう。

 俺の写真の技術は猫を撮るためにあったのだ。そのことに深く同意する。

 この特定の猫を特定のポーズで撮るっていうのはなかなかレアな技術のようで、ちょっとした小遣い稼ぎになってる。


 さてこの新しい仕事たちだが、本当は俺の妄想なのかも知れない。

 正直なところ猫の仕事の仲介をしているというのは俺の思い込みかも知れない。いや、正気に戻った俺にとってはそうとしか思えないが、心にふたをするのはいつものことだ。俺はいつのまにか猫嫌われから猫好かれにクラスチェンジした。そうに違いない。

 それを示すように俺の庭猫フォルダは順調に増えている。


Fin

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