第62話【サイコロの方がよっぽど健全ですよ】
後味の悪さを抱えながら眠りに付いたアインツィヒは、次の日の朝、ユーベルに叩き起こされ、ベッドから起き上がり、着替えと食事を済ませると、アルムに呼び出された。
「どうかなさいましたか? ケントニス先生」
「少し、話があってな……早速本題に入らせて貰うが、アルトから何か聞いたか?」
直球過ぎる表現だ。正直に答えない理由もないが、少量の躊躇いがあり、一瞬の逡巡の末に、正直に話すことにした。
「先生の研究について少し。先生の恩師のことも少しだけ聞きました。後、どうして私のことを、ここに呼んだのかも」
正直に話すことにしたと言っても、具体的過ぎる表現は使わず、ある程度後から微調整出来る言い方にした。
「アイツが……キミのことを気に入るのは想定内だが、だから協力して欲しいと言ったんだが、思っていたより早かったな。まさかあの人のことまで話すほど気に入られるとは……。案外俺は人を見る目があるかもしれない」
自画自賛しているが、ラーシャを選んでいる時点で、人を見る目などないに等しい。それは、彼が実の息子に対して辛辣だから言っているのではない。外野に薄情なんて言う権利はないからだ。何が危険なのかと言えば、ウテナのことを、実の子のように愛していることである。かなり厄介な事実だ。
胸間に秘めた思いは口にせず、「そんなに珍しいことなのですか? 先生の恩師についてあの人が口にするのは」と問う。
「かなり珍しいことだ」
力強い声だった。
反駁を述べる余地がないほど。
「アルトは、こちらの考えなど見透かしているだろう。あの人に気に入られただけあって。たった少しの間といえど、興味を持たれただけあって。その辺りについては、流石と称賛した方が良いのかもな」
アルトがアルムについて辛辣だったように、アルムもアルトに対して辛辣だった。普段を変わらない振りをしているが、どこか非難するような雰囲気を纏っていた。
「以前にも話したが、全然駄目なんだ。手詰まり状態で、ずっと停滞している。正直言って辛い」
五里霧中が続いているというのは、確かに辛いだろう。長期的停滞を経験したことがないアインツィヒには、全くと言っていいほど、その辛さを想像することは出来ない。だけど、辛いということは辛うじて理解出来る。
「本音を語ると、ウテナ・ヴォルデコフツォも勧誘したかったぐらいだ。彼女は決して不老ではない。だが、己の肉体を常に健康に保つ異能力のお陰で、人より老い難い傾向にあると聞く。リヴァリューツィヤさんの予想では、二〇〇年くらい生きられるらしいが……」
「二〇〇」
ユーベルが昨日の夜語ってくれた内容が、ふと脳裏に横切る。もしもその予想が当たっているのだとしたら、己とラインハイトが死んだ後、彼女は何もするのだろうかと恐ろしくなった。
世界を滅ぼすのは遠慮して欲しい。
「ちなみに、アルトは少なくとも四〇〇年くらい前から生きている。記憶があるのがそれぐらいというだけで、辿れる限り、彼について調べたところ、五〇〇年くらい前から生きている──みたいだが、我が恩師は、その倍は生きているのではないかと言っていた」
「長生きなんてレベルじゃないですね」
一〇〇年くらいならまだしも、その一〇倍となると、想像することは出来ない。相当昔から生きているのだろう、程度だ。そこまで長く生きていると、精神に著しい悪影響を及ぼしそうだと感じた。その結果、アルムに対して心を開いていない可能性はある。
「科学的な観点で言えば、かなりあり得ないことが起きている訳だが──そのあり得ないを可能にするから、異能力と言うのだろうな。生物の細胞は劣化しなければならないし、死ななければならない、だけどアルトは例外……」
「それを言ったら、ウテナの常に健康でいるというのも、かなりおかしな話ですけどね。理論上病気にならないことは可能でしょうが、精神が不安定になると、それが肉体に影響を及ぼしたりすることもある訳ですが……ウテナの場合は、そういうこともないですし」
理論上、健康でい続けることは可能ではあるだろうが、現実的に可能かと言えば、不可能に近いだろう。
まして──疲れない、眠る必要がない、というのは、実現不可能だろう。
「考え方の話になってしまうが、疲労するというのは、体に負担を掛けないための安全装置の一種で、睡眠も掛けられた負担を解消するためのものだから、常に肉体を健康に保つ彼女には必要ないのだろうな」
「必要ない……」
「生物学的観点で言えば、必要ないなんてことはないだろう。あくまでも俺個人の考えだ」
「その辺りについては、私はよく分からないのですが……人間の領域を超えているってことは、何となく分かりました」
「不老も、常に健康でいることも、どちらも神秘の領域に片足を突っ込んでいることだ。異能力のせいで、肉体が変質し、人間でなくなったものもいるが──アルトとウテナ・ヴォルデコフツォの場合は、生まれながら人間ではないということになる」
「一応、あんなんでも人間ですよ……一代限りの特殊な──が頭に付きますが」
「だから是非彼女にも協力して欲しかったんだが──リヴァリューツィヤさんに駄目だと言われたからな。自分の研究に協力してくれる存在を、俺のような若輩者の成果が出ていない研究のために協力してくれというのは、今思えばかなり失礼なことだった。後で謝らなければ……」
「それだけじゃないと思うけどな……」
「?」
「いえ、ただの独り言です。大したことじゃありません。気にしないで下さい」
「そうか──まあ、彼女に協力して貰いたかったのは、彼女の異能力だけが理由ではないんだけどな」
「他にもあるんですか?」
「彼女は我が恩師──
見ず知らずの人間と友人が似ていると言われても、反応に困る。仮にも恩師をウテナのような人間と似ているのはどうなのだろうかという、感想が浮かぶ。
ちなみに、このとき抱いた感想は──後で大きく変化することになる。
その感想が事実だったとして、そんな人間を何故恩師と慕っているのだろうか。言葉を選ばないで言わせて貰えるのならば、ウテナのようなタイプは、とてもじゃないが、純粋に慕う気持ちを抱けるような存在ではない。
(ただ、ウテナは身内には優しいからな……優しい扱いをされる身内側だったのかな)
だとしたら、彼がその恩師を慕う理由も分かるかもしれない。
「彼女とキミがいてくれたら、アルトは全てを話してくれるかもしれない」
「全て?」
「どうしてあの人がここから出て行ったのか──とか」
それが知りたくて──成果のではない研究を続けているのだろうか。
この予測が正しいのであれば、そんな無益なことはやめて、別のことをしなさいと助言したくなる。
個人の自由と言われればそうなのだが、今の彼は幸せそうに見えない。他に道がないからこうしている──ようにしか見えなかった。
精神の
そんな己を鏡で確認する度に、馬鹿なことをしていると思わないのだろうか。
自覚しているが、もう引き返せないところまで来てしまった──と、依存症患者みたいに止めどきを見失っているのかもしれない。
こうなってしまった場合、続けるか、キリが良いところまでとか言わずにその場で止めるか、この二つしか選択肢がなくなる訳だが──彼の場合は前者を取っているようだ。
前者を取っているといっても、流石に一生続ける覚悟は持ち合わせていないようで、止めどきとやらを探しているらしい。
そんなものを探している内は、止めどきなど見付からないというのに。
例え話だが、ゲーム依存症の人間が、ボスを倒したら止めようと思っていても、実際にボスを倒したらやめるのかと言えば、そんなことはない。次のステージをクリアしたら終わりにしようと、止めない理由を探して、止めることを先延ばしにする。
馬鹿だ。馬鹿だ。大馬鹿だ。何て愚か。ああ、とても愚かなり。
「俺の恩師は俺の三つ上──生きていたら、現在二六」
ということは、アルムは現在二三。
想像よりも若い。
若々しい外見をしていると思っていたが、あれは若々しいのではなく、本当に若いらしい。
「俺はあの人が一五のとき出会って、あの人が一七のときに会えなくなった。彼女がお世辞にも良い人と言える人間ではなかったが、アルトはあの人に対して、だいぶ心を開いていた。あの人になら、胸間に秘めていることを全てを話していたと思えるぐらい」
相当心を開いていたらしい。
逆説的に、このような言い方をされるということは、アルトはアルムに対してそこまで協力的ではない──ということか。
研究対象であり、実験材料である彼が、非協力的であるというのは、研究が行き詰まる要因の一つになっているのだろう。彼がいないと研究が成り立たないため、彼を無碍に扱うことは出来ないが、内心ではそういうところに苛立っているのかもしれない。苛立つとまではいかないにしても、不平不満はあったのだろう。
「本当に珍しいことなんだよ。俺に対しては煙に巻くようなことしか言わないし。全く協力しない訳じゃないのが
「サイコロはテクニックを身に付ければ、サイコロの目を操れますが、サイコロと違い、人間はそうはいかないので。サイコロの方がよっぽど健全ですよ」
少なくとも扱いに困らない、変に意思を持たない──という意味では。
サイコロは振れば出目が出るが、人間は振れば何かが出る訳ではない。強いて言うなら、文句と抗議はかなりの確率で出るだろうが。
「確かに」
「……後、ウテナに協力を要請していたら、とんでもないことになったと思うので、寧ろ断ってくれて良かったと思った方が良いですよ」
何故ならウテナはアルトとアルムのことを気に入られないどころか、一目見ただけで嫌悪を抱くと確信しているからだ。それは、見た目に嫌悪感を抱く要素があるからではなく、こういう生き方をしていると一目見ただけで気付いてしまうからである。
依存症患者の如く止めどきを見失った人間が、ウテナはあまり好きではない。しかも、一生続けていく覚悟をしているならまだしも、止めどきを必死に探しているようなタイプは、特に。
ウテナは嫌悪を隠そうとするタイプの人間ではない。時と場合によっては隠す程度には理性もある。だが、必要がなければ、絶対に嫌悪を丸出しにする。平気で罵り、平気で顔を顰め、平気で侮蔑の眼差しを向け、平気で暴力を振るうだろう。
彼女は嫌いな相手を傷付けることに、一切の躊躇がない。躊躇い? 抵抗? 知らん。そういう人間なのだ。
「恩師と似た相手に拒絶されても傷付かないというなら、呼んでも問題なかったと思いますけど」
「…………それは、ちょっと、御免被りたいな」
「忠告という訳ではないですが、個人的にはラーシャとも深く関わらない方が良いと思います。アルムさんならまだしも、ケントニス先生みたいな人は……」
ウテナとは違う方向で、彼もかなりの要注意人物なのだ。
「後、ゼーレ・アップヘンゲンとも関わらない方で良いです。十中八九──破滅させられると思います。ファルシュからならお金を取られるだけで済みますが、ストラーナは違いますので。ストラーナ・ペリコローソは、平気で人を
「キミの周りの人間は、かなり問題があるみたいだな」
「それから──これ以降、私とも関わらない方が良いです。ウテナに殺されたくなかったら」
これ以上彼らに関わりたくないため、あえて自分の周りがやばい奴らを何の脈絡もなく口にし、そして自分と関わらないで欲しいと間接的に言い放つ。
ウテナの名前を使ったことに多少の申し訳なさを感じつつも、まあウテナだし、許してくれるだろうと、我が身の安全のために名前を使わせて貰った。
「まあ、何度も使える手ではないし、キミに協力の意思がない以上無意味な策だから、これ以降は何かするつもりはない」
多少がっかり感はあるものの、ある程度予想していたらしく、あっさり受け入れてくれる。嘘偽りないと分かる声音だったので、アインツィヒは少しだけ安心した。あくまでも、少しだけ。
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