第57話【俺は愚痴を言うために呼び出した訳じゃない】

 アルム・ケントニスは、研究棟に身を置いているA級職員の一人で、学生棟に顔を出して授業をすることも有り、研究棟ともあまり関わりのない生徒でも、顔と名前程度なら知っている。


 アインツィヒも顔と名前は知っていたが、殆ど関わりがないため、どのような人物なのかは知らない。


 顔を知っていると言っても、朧気な記憶しかなく、見れば分かるが、口頭で説明することは出来ない程度。


 選択授業も、彼の授業は取っていないため、顔を会わせない機会がなく、本当に関わりがない。


 カッコいいとか、そんなことを言っている女子は見掛けたが、思い返してみても、そんな印象は湧いて来ない。


 己が絶世の美女と言っても憚らないくらい美しい容姿をしている自覚がある彼女は、容姿が自分より劣っている者達のことを、不細工と思う訳ではないが、カッコいい、可愛い、美しい、綺麗など、そういった感想が浮かばないのだ。


 世辞や忌憚などを無視し、素直に可愛いと感じられるのは、今世のミウリアの外見、美しいと感じられるのはフェージェニカの外見、綺麗と感じられるのは前世のウテナの外見──前世も、今世も、美しい容姿をしており、生まれたせいで、目が肥えてしまった。


 殆ど関わりのないアルムに呼び出され、こうして相対することになったので、改めてその姿を検分してみたが、特に何も浮かんで来なかった。


 強いて言うのであれば、身形に気を遣っているのだろう、かなり若いな、ということぐらい。


 一般的に見れば、彼の容姿は整っている部類に入るが、上位一割しか存在しないレベルで整っている容姿をしている彼女からすれば、整っていると評価するほどではない。


 美醜に関して一般的な価値観をしている者が見れば──褐色肌の知的な顔立ちをした、健康的な身体付きのイケメン、といったところだろう。


 視力が悪いのか、それ以外の理由があるのか、縁の赤い眼鏡を掛けている。


「すみません。呼び出された理由に心当たりがなくて、本日はどういったご用件でしょうか?」


 色々とやらかしている自覚はあるが、これに関しては本当に心当たりがない。何故、全く関わりのない研究棟の職員に呼び出されたのだろうか。


 胸に手を当てて冷静に考えても、何も浮かばなかった。


「キミはあまり人の外見に興味がないのだな」


 こちらの言っていることを無視している言葉が返って来る。戸惑いながらも、「まあ、そうかもしれませんね……」と言う。


「アインツィヒ・レヴォルテ──類稀なる美しい容姿をしているから、それも仕方のないことなのかもしれない」


 媚茶こびちゃ色の瞳はアインツィヒをきちんと捉えていたが、アインツィヒに言っているのか、独り言を呟いているのか分からない言い方だった。


 毛先が肩甲骨より少し低い位置にあるうねった白金プラチナの髪、長くボリューミーな黒い睫毛に縁取られた白藍しらあいの瞳、白く透き通った肌、整った鼻筋、血色の良い唇、女性にしては高い背丈、細いが出るべきところは出ている身体付き。


 ミウリアとは別の方向で、ありとあらゆる女性から羨望や嫉妬の眼差しを向けられる要素が詰っている。


 見た目だけで食っていけると言われたこともあるのだ。


「お前達生徒は、これから一週間程度しかない春休みに入るのだろう? 一週間程度しかない休みに一体何の意味があるのかと思うが、生徒からすれば楽しみで仕方がないんだろうな。俺もそうだった。学生時代は。遠出するには絶好に機会だからな。俺達研究等の職員には関係ない話だが。俺達には春休みなどない。仕事仕事仕事。仕事だ。仕事をしなければならない」


 途中からは完全に愚痴だった。休みを享受出来る学生に嫌味でも言いたくなって、あえて自分と関わりの薄い生徒を呼び出したのだろうかと邪推してしまう。だとしたら、今すぐ帰りたい。要件があるのならば、すぐに伝えて欲しい。


「俺は愚痴を言うために呼び出した訳じゃない」


 どうなのだろうか。

 吉岡染よしおかぞめ色の髪を弄りしながら否定しているところを見ると、案外途中からは本当に愚痴を零していたのかもしれない。


「警戒しているな」


 当たり前だ。

 警戒しない筈がないだろう。


「誤解されないように言っておくと、俺は決してそのことで気を害していない。生物として当然のことをしているだけだからな。警戒。生物の本能の一つ。それを重視しない者や、鈍くなっている者が、最近は増えている。便利な世の中になった弊害だな。自分自身が警戒しなくても、防犯カメラを設置したり、防犯ブザーを携帯しているだけで、警戒している気になれる。常時警戒しているのは疲れるし、今は考えなければならないことが多い。明日の生活はそうだが、税金のこととか、保険のこととか、そういうことは考えないといけない。警戒している気になった警戒心を捨ててしまった人間が、これだけ増えている中、しっかりと警戒するのは良い心掛けと言えるだろう。恐怖という感情を馬鹿にする風潮があるが、進化の過程で必要だと判断されたから、今の今まで残っている訳だからな」


 エンゲルといい、眼の前のアルムといい、研究棟の職員というのは、皆こうなのだろうか? 比較的まともなフェージェニカっですら、世間的に見ればかなりの変人だ。社交性があり、普通に関わる分には問題ないが。彼の助手をしているラーシャは言わずもがな。かなりの変人である。


「レヴォルテさんが、俺に対して抱いている警戒が、考え過ぎているだけなのか、そうでないのか──その点に関しては、俺の話を訊いてからでも遅くないだろう。扉は貴方のすぐ後ろ、逃げようと思えば逃げられる訳だし」


 そのような言い方をされては、余計に警戒心を煽られ、一体どんな話をするんだと思わせてしまうのだろう。話し方が下手過ぎる。ゲーム部のメンバーの中で最もコミュニケーション能力が低いユーベルとて、もう少しマシな言い方が出来るというのに。


 研究棟の籠もった結果、対人能力が劣化し、このような言い方しか出来なくなってしまったと言われても、「ああ、そうなんだ」と、納得してしまうほど、酷い。


「お話の内容次第では、すぐにでも帰らせて頂きますが……」


 用件を聞かないのも怖いため、聞く姿勢を見せると、間髪入れずにアルムはこう言った。


「キミのことを、個人的に調べさせて貰った」


 帰っていいかな?

 アインツィヒは後ろの扉に、一瞬だけ視線を向ける。


「レヴォルテさんは技術者としてあらゆる技術を創り上げては、それを企業に売り、金銭を稼いでいる。そして、あのヴォルデコフツォ家の御令嬢とも懇意にしている。調査結果を非常に面白く読ませて頂いた」


 興信所に依頼でもしたのだろうか──だとしても、気持ち悪い。相思相愛の仲であるとはいえ、恋仲になっていない時期に、ラインハイトのことをあれこれ調査しているウテナですら、気持ち悪いと感じるというのに。


 あれは双方の同意があり、基本的に、周囲に迷惑を掛かっていないから、「お前らがそれでいいなら……」と思えるが、最早、そういうプレイなのだろうと自分を納得させることが出来るが、これは訳が違う。


「キミのような面白い人間が、ただ学園生活を送っている──勿体ないと思わないか?」


 口には出さなかったが、自分の身の振り方を殆ど関わりのない相手から、勿体ないと言われたことに腹が立った。


(そんなこと知るかよ。お前の個人的な感想じゃねぇか。勿体ないってなんだよ。テメェにどういう言われる義理はねぇし、俺様の自由だろ)


 もしもこれがウテナから言われたのならば、何かしら考えたかもしれない。確実に言えることは、腹は立たなかった。何でそういうのか、考えただろう。


「勿体ない、ですか」


「成果を出すことにそれほど興味がないのかもしれないが、実力のある者や才能のある者は──それを何かしらの形で、ハッキリしなければならない。実力税、天才税みたいなものというべきか、まあそういうものだ」


 天才税?

 実力税?

 くだらないにも程がある。


 実力があるというのは、ただ選択肢が広がるに過ぎず、天才であるということも、実力があるということと同義だ。


 発揮するもしないも本人の自由。

 他者にとやかく言われたくもない。


 選ばれた者の意見と言われようが構わない。選ばれないなりにどうかしない方が悪い。


 世の中、大半の人間は選ばれない側で、その大半の人間は自分なりにどうにかこうにか生きているのだから、どうにかしない方が悪いに決まっているのだ。


「キミの経済状態も、こちらはある程度は把握しているから、キミが金に困っていないことは分かっている。しかし、金というのはいくらあっても困らない。この話を受けてくれるのであれば、それなりに報酬を弾むつもりでいると先に述べさせて貰おう」


「ちなみに、下世話は話ですが、いくらくらい聞くつもりですか?」


「六万くらい出す予定だ。あくまでも目安になってしまうが……」


 六万。

 普通の学生にとっては大金と呼べる額。

 そこまでして頼みたいこととは何だろう。


 ──興味と恐怖が同時に湧き上がった。


「研究の手伝いを依頼したい。研究の手伝いと言っても、特殊な技術が必要なことじゃない。キミのような特殊な人間だから、お願いしたい。端的に言えば、経歴と人格が評価されたと思って欲しい」


 経歴の方はともかく、人格の方を面と向かって評価していると言われたのは、今世では、これが初めてかもしれない。


「現在、とある異能力について研究しているのだが、ぶっちゃけてしまうと、あまり成果は出ていない。だから、どんなことでも構わないから、変化が欲しいという状態なんだ」


「そうなのですね」


「とある人物に協力をして貰っているからギリギリ成り立っている状態だが、その異能力者とキミと接触させることで、何か刺激が生まれるのではないか、その刺激から何か糸口を掴めるのではないか──ということを、期待している」


 いきなりそのようなことを言われても、正直どう言葉を返して良いのかが分からない。もう一度「そうなのですね」と言うのが精一杯だ。


 この話がどこまで事実なのか不明だが、苦労の年輪が浮かんだ顔付きを見るに、八割程度は事実なのではないかと思った。先程愚痴めいたことを零したのも、研究の成果が出ていないことが原因なのかもしれない。


「詳しいことはこちらの書類に目を通してくれ。研究の概要と、貴方にして欲しいことを書いていますので」


 机に置いてあったA4サイズの茶封筒を差し出す。


「すぐに返事をして貰う必要はないんだが……せめて春休み前までに、春休み二日前までには連絡を入れて欲しい。電話でもメールでも構わない。連絡先はここに書いてあるから」


 そう言って、名刺を差し出す。

 明らかに仕事用と分かる電話番号とアドレスが書かれている。


「断るにしても、サイトレンお祈りみたいなことはしないでくれ」


(サイレントお祈りって……就活生じゃあるまいし)


「これに関しては出来たらで構わないのだが、このバイトを受けても良いと思う人がいるなら、連絡をくれると助かる。キミが直接連絡をしなくても、俺の連絡先を教えるという形でも構わない。沢山来られても困るから、二人か三人程度」


「二人か三人ですか」


 それぐらいなら集められないこともない。一応友人はそれなりにいるのだ。


「春休みの一週間の内、頭から五日間、連続して研究に協力して貰いたい」


 概要が書かれている書類が入っている封筒と名刺を持ちながら、「一言で良いから、何の異能力の研究をしているか教えて貰ってもいいですか」と、去る前に問い掛ける。


「不老──という異能について研究している」

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