第58話【左隣くんの方は今思い出したけど】
資料を読んだ感想を述べるなら、曖昧模糊といったところだろうか。仕事を受けてくれるかどうか分からない相手に、詳細を伝えられないという大人の事情が存在しているのかもしれない。だとしても、判断材料なる情報は、書いて貰いたいものだ。
この話をウテナに投げ掛けてみた。ラインハイトとのデートがあるからという理由で即座に断られた。予想通り。
ファルシュにも断られた。実家に帰る用事があるらしい。ストラーナ、ミウリア、ゼーレにも断られた。
一番断られる確率が高いと思っていたユーベルが、「ふむ、
「別に大した理由は無い。我が家は貧乏でこそ無いが、
「金あるに越したことはねぇってこと?」
「
「ほぉん」
思っていたより俗物的な理由だった。
コイツに金が大事みたいな一般的な感覚あるんだな──とか、思いながら、懐から名刺を取り出す。
「貴様は
「まあ、知り合いが受けるなら、受けようかなとは思うけど……」
「
とりあえず一人だけ確保することは出来たが、後一人くらいバイトのメンバーを集める必要があるのかと思うと、「俺様、アイツラ以外に友達いねぇんだぞ……六人しかいねぇんだぞ」と、やっぱりバイト受けないことにしようか、というような思考になる。
すると、ミウリア経由でこのバイトの話を聞いたニコライという男に声を掛けられた。
このバイトに興味があるそうだ。
給料の高さが、興味を持った理由らしい。
「普段は中々バイト出来ないし、不老の異能の研究っていうのも興味あるからねぇ。老いないってどんな感覚なのかね? 年齢の割りに見た目が若い人はいくらか知ってるけど、その人達も老いない訳じゃないからねぇ」
年齢の割りには見た目が若いと聞いて、メランコリアとリベルタの姿が脳裏に浮かぶ。どちらも四〇を超えているとは思えない若々しい外見をしている。
(ラーシャもフェージェニカも、年齢の割りには若いか。あの二人がいくつのか分からねぇけど、三〇後半はいっているみてぇだし)
ラーシャはともかく、フェージェニカは三〇後半はいっていないと、色々と辻褄が合わない。とある事実で知っているアインツィヒ的には、四〇を過ぎていて欲しいくらいだ。
(四〇超えているとしたら、見た目がかなり若いってことになるんだよなぁ)
羨ましい。同時に、かなり妬ましい。
(四〇代で、三〇と間違われるのも、それはそれで複雑か)
前に、「老けて見られた訳ではないのですが、しかし、あまりにも若く見られるというのも嬉しくないですね。ある程度の年齢までいくと、年相応に見られたいものなのです」とか、言っていたので、内心思うところがあるのだろう。
二人アルバイトを受けたい人間を集めたので、とりあえず名刺に書かれた連絡先にそのことを伝えた。一人一人個人的に連絡するより手間が省けるだろうと思ってのことだ。
ニコライかユーベルのどちらかに任せても良かったのだが、一応バイトのメンバーを集めることを任された自分が連絡した方が良いと思い、アインツィヒから連絡を入れる。ちゃんとハッキング対策をしてある捨てアドを用いた。
詳細な連絡事項はそこに書いてあった。
メールの内容をプリントアウトしたものを、ユーベルに渡し、ニコライにはミウリアから渡して貰う。直接彼に渡さなかったのは、彼の連絡先を知らないから、連絡先を知っている彼女に頼んだ方が確実だと思ったからだ。
場所は、メーティス学園からそこまで遠くないが、決して近い訳ではない場所だ。
ネットで住所を検索する。
(浮舟。何で日本語……この世界だと
何故シェーンハイトに研究所を作ったのかという疑問はあるが、きっと環境とかが都合が良かったのだろう。多分そんな理由だ。
ホームページのようなものも見付からず、本当に調べてもこれと言って情報という情報が出て来なかったので、今のままでアインツィヒが存在を知らなかったことから窺えるように、あまり有名な研究所ではないらしい。
浮舟研究所という名前ぐらいしか、情報が出て来なかった。
この場所について問うメールを送ったところ、アルムの恩師の研究所で、今は彼が受け継いでいるそうだ。
個人で所有していた研究所らしく、アルムが受け継いでからは殆ど成果という成果が出ていないこと、恩師の母親の代から存在しているが、個人的な用途にしか使用していないことも相まって、ネットで調べた程度では情報が出ないらしい。
その恩師について訊ねてみたが、既に研究所を去っており、現在どうしているのか分からないという内容しか返って来なかった。
何かしら複雑な事情があるのかもしれないので、追求することは出来なかった。
家庭の事情ならばまだしも、人間関係が原因で研究所を去ったとかだった場合、根掘り葉掘り訊ねない方が良いだろう。人間関係でなくとも、アルムが原因だった場合は、かなり面倒臭いことになるかもしれない。
余計なことは訊かないに越したことはない。
一応そのことをユーベルに教えておいた。ニコライには言わなかった。面倒臭かったからだ。連絡先が分からないと、こういうところが不便である。だからといって、交換しようという気にならないが。
「ウキフネ? 響き的に紅鏡語かな?」
当日、浮舟研究所に足を運んだニコライが、そのようなことを言った。彼は事前に調べるということをしなかったらしい。調べれば研究所の名前くらい出るというのに。
玄関らしき場所には、インターフォンがあったので、アインツィヒはそれを押す。
「少し待っていてくれ」
すると、こちらが声を発する間もなく、それだけを言われ、接続を切られる。
「研究所って名前が付いている割りには、デジタルな建物じゃないんだね。環境とか設備とか、何かパッしない感じ。研究所って名前が大仰な感じっていうの?」
かなり失礼な内容だが、しかし言いたいことは分からなくもない。研究所という言葉からイメージする建物とは程遠い印象なのだ。環境や設備がどこか古いと言うべきなのか、あまり金を掛けていないのだろうと想像出来てしまう。
「まあ、確かにそうだな」
「
このようなことを話していると。肩より少し短い、ウェーブ掛かった橙色の髪をした、柔和な垂れ目が特徴的な、
顔立ちからして、ローゼリア人だろうか。
親しみ易い雰囲気をした彼は、雰囲気通りの声で、「いらっしゃいませ〜」と言う。
「どうぞどうぞ、中に入って入って」
ここまで来ると、親しみ易いというより、馴れ馴れしい印象を受けてしまう。彼はアルムとどういう関係なのだろうか?
中に通され、控室のような場所に案内されると、そこまで待っているように言われる。
「あの子誰なのか知ってる?」
ニコライの問いに、「いや、知らん」と、アインツィヒを首を横に振る。
数分して、それなりに質の良さそうなカップに入った、良い香りの紅茶と、高そうな菓子を三人分持って来た橙の髪をした男が持って来る。
「先生、もう少ししたら、来ると思うから、後ちょっとだけ待っててねぇ」
「全く、自分から
「お前……思っていても、そんなこと言うんじゃねぇよ。てか、電話とか、そういうのかもしれねぇんだし、安易に非常識とか言うなよ」
しかも、よりにもよって、この研究所の関係者らしき人物の前で。
思ってしまうこと自体はどうしようもないことなので、それ自体は別に否定するつもりはない。だけど、せめて、もう少し時と場合を考慮して欲しい。
「あはは。待たされていい気はしないよね」
大人気ないユーベルと違い、相手は大人の対応をしてくれた。
「俺くんは、アルト・エーヴィヒっていうの。宜しくね」
「あー、えと、そこの馬鹿がすいません」
無理矢理ユーベルの後頭部を掴むと、グイッと下げさせ、自分の頭も一緒に下げる。そんな二人を余所目に、ニコライは差し出された紅茶を飲んでいた。
「もう御存知かもしれまでんが、私はアインツィヒ・レヴォルテといいます。そこの馬鹿はユーベルっていいます。ユーベル・シュレッケンです。こんな感じの奴なので、これからもご迷惑を掛けてしまうとは思うのですが、本人に悪気はないので多めに見てやって下さい」
「五分程度待たせることを前提に、この時間に呼んだ先生にも問題があるから、あんまり気にしてないよ」
そう言いながら遠慮のない視線をアインツィヒに向けると、何か納得したような表情を浮かべ、それから「なるほどね。そういうこと」と呟く。
「どういうことですか?」
反射的に、彼女は訊ねる。
「後で話すよ」
と、返されてしまう。
話す気がないのか、本当に後で話すのか。
判然としない状態に居心地の悪さを感じるが、ここで強引に訊ねられる性格をしていない。
こういうとき、それとなくウテナは助け舟を出してくれるのだが、ユーベルはそんなことはしない。ミウリア相手ならばまだしも、彼女以外の相手にそんなことはしない。
誰かを気遣うということを、全くしないタイプなのだ。
「すまない、待たせてしまった」
用件を済ませたアルムが、扉を開け、それなりに申し訳なさそうな態度で現れる。
そんな彼の後ろから、ひょっこりラーシャが顔を出す。
長く癖のある月白の髪を弄りながら、「アインツィヒちゃん、おひさ〜」なんて挨拶して来る。
「お知り合いなんですか?」
「まあね。この子、ウテナちゃんの知り合いだから。ウテナちゃんの一番の親友だから。そりゃあ知っているとも」
「なるほど」
出来るだけ自分と関わりが薄い相手とか言っていたのに、それなりに面識がありそうな相手を参加させて良いのだろうか。一人くらいそういう相手がいた方が良いと判断したのかもしれない。
あるいは、順番が逆なのかもしれない。
アインツィヒに話を持ち掛けるより先に、ラーシャに協力して貰うことが決まっており、他にどんな相手に協力して貰おうか考えた結果が、自分と関わりが薄い相手となった可能性はある。
何故、寄りにも寄ってラーシャなのかとは思うが、助手という、直接的に研究に携わらない立場であることを思い出し、そういうところが関係しているのかもしれないと思った。
「レヴォルテは知っているみたいだが、他の二人はそうなのか分からないから、一応紹介しておくが、この人はラーシャ・ミカエリスという人で、研究棟の職員の一人だ。リヴァリューツィヤという方の助手をしている。S級職員の助手だから、ぶっちゃけると俺より偉い」
「ぶっちゃけ過ぎだよ。A級職員より偉いのなんて立場くらいのものだよ。権限はキミの方が持っているじゃないか」
そのような大人の事情は、子供の前で暴露しないで欲しい。
「アインツィヒの右隣の奴が、ユーベル・シュレッケン。左隣の奴は、ニコライ・ドゥナエフ。これから数日、俺の研究に居力して貰う二人の名前です。もしかしたら、もう既に、ご存知かもしれませんが」
「まあ、知ってるね。左隣くんの方は今思い出したけど。名前は今思い出して、存在は極々最近思い出した感じ」
「………………」
横目でニコライの様子を見る。
ありゆる感情が複雑に綯い交ぜになり、結果としてどんな感情を抱いているのか分からない表情だった。
どうしてとも、呆れているとも、どうでもいいとも、今にも泣きそうとも、ショックを受けているとも、無感情とも──取れるような表情。
ユーベルは呑気に淹れて貰った紅茶を飲んでいた。茶菓子は味が気に入られなかったらしく、流石に口を付けた菓子は食べたが、残りをアインツィヒの皿に置いた。
「とりあえず、それぞれを個室に案内するので、レヴォルテ以外は付いて来て下さい。レヴォルテは、俺が呼びに来るまで、ここで待っていて欲しい。お手洗いは、ここ出てすぐのところにあるから」
アインツィヒとアルト以外は控室らしき部屋出て行く。
彼女は見知らぬ男と二人切りにされてしまう。
非常に気不味い。
彼女の社交性はミウリア以下、ユーベル以上。
全く知らない相手、しかも異性と、閉鎖空間で二人切りという状況。
ウテナの存在が恋しくなった。
ユーベルでいいから、ここに戻って来てくらないだろうか。
沈黙を誤魔化すために、テーブルの上にあるお菓子を食べていると、彼は真正面に座って来た。
「ちょっといいかな?」
何が?
アインツィヒは口には出さないが、表情には出していた。
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