第60話【それもそうだが、そうじゃない】
「ウテナが貴様を気に入っている理由。僕が知る訳無いだろう。何故僕に訊く」
──的な答えが返って来ると予想していたアインツィヒだったが、実際は予想と違い、
「何故、
というような答えが返って来た。
「その、分かり切ったこととやらを、俺様は知りってんだよ。分からねぇんだから仕方ねぇだろ。教えてくれよ」
「僕は教師では無い。僕が人にものを教えられると本気で思っているのか?」
「いや、まあ、それ言われると、ちと弱いけど」
だとしても、もう少し言い方があるだろう。矢も楯も堪らずといった表現が似合う男が、ここまで断言しているのだから、上手く説明出来る自信がない、或いは説明する気がないと受け取るべきなのだろう。
「それなら私が教えてしんぜよう!!」
「ッ?!」
いつの間にか話を聞いていたラーシャが、溌剌とした声を発して登場する。
「それは単純な話、ウテナちゃんが凡人大好きな女の子だからだよ。といっても、凡人なら誰でも良いって訳じゃないよ。自分に対して好意を返してくれる子。与えれば相応に好意を返してくれる可愛げのある子が好みなのさ、彼女は。ラインハイトくんとか見てると分かるだろうけど」
常軌を逸していない、逸脱していない、異常じゃない、一般的な感覚を持った、自分に対して絶対的な好意を持つ──総合的に平均よりやや下の位置にいる凡人。
「そういう子が好きなんだよ、あの子」
「それは喜んでいいのか?」
いつの間にかユーベルはいなくなっていた。トイレにでも行ったのかもしれない。
「私や、私に似たアイツみたいに、非凡になりたがる凡人にはあまり興味がないのさ──だって、アインツィヒも、ラインハイトちゃんも、非凡への憧れはあっても、非凡になりたい訳じゃないでしょ? ウテナちゃんは普通になることは出来ても、平凡になることは出来ないから、凡人が非凡人に対して憧憬を抱くように、凡人に対して憧憬を抱いているんだよ」
「分かるような、分からねぇような話だな」
「人間、己にないものに憧れるという話だよ──環境性格外見、とにかく、自分と違うものを欲しがるんだ。それが他人のものであれば、不幸や悲劇というものでさえ、人間は欲しがるものなんだよね」
隣の花は赤いを突き詰めれば、そうなるのだろうか。不幸でさえ欲しがる感覚は理解出来ない。しかし、不幸も財産という考え方も、この世には存在するらしいので、そういう人間からすれば、羨ましいものなのかもしれない。
「それだけが理由ではないのだろうが、これらは理由の一つとして存在しているだろうね」
「そうなのかな……」
「うん、そうだよ」
「てか詳しいな、お前」
「そりゃあね、実の娘みたいに可愛く思っている女の子ことだし」
「えっ?」
そうなのか? そんなことを思っていたのか? ウテナに対して好意的だと思っていたが、まさか実の娘のように思っていたとは──予想外。
驚愕──そして、凝視。
「ウテナちゃん、かなり問題のある子だけど、そういう欠点すらも、何ていうのかな、可愛いって感じられるんだよね。馬鹿な子ほど可愛いって、こんな感じなのかも──ラインハイトくんと将来結婚するらしいけど、結婚式を挙げるなら、是非出席したいよ。花嫁姿のウテナちゃんを見たら泣く自信しかない」
親戚の子供を可愛く思うような感覚なのだろうか。実の娘みたいにと言うから、何だか大袈裟且つ重く聞こえてしまうが、比喩的として言っただけで、親戚の子供を娘みたいに可愛いと思うような感覚ならば、まだ理解出来る。
「血よりも時間の方が大事って本当なんだね」
などと、胃の腑を落とそうとしていたら、彼は次の瞬間、とんでもないことを口にした。
「ニコライ、アイツと会ったでしょ? アレ、私の息子なんだけど、殆ど会ったことないアイツよりも、ウテナちゃんの方が可愛いよ。愛しいって言うべきかな?」
「…………」
ラーシャの発言──「まあ、知ってるね。左隣くんの方は今思い出したけど。名前は今思い出して、存在は極々最近思い出した感じ」
ニコライの表情──『ありゆる感情が複雑に綯い交ぜになり、結果としてどんな感情を抱いているのか分からない表情だった』『どうしてとも、呆れているとも、どうでもいいとも、今にも泣きそうとも、ショックを受けているとも、無感情とも──取れるような表情』
他人の外見に頓着がないため、アインツィヒはこのときまであまり気にしていなかったが、二人の顔の造形は確かに似ている。ラーシャが若返ったら、ニコライみたいな顔になるのだろう。目の色が同じであったのならば、まさに生き写し。
あれってそういうことだったのかと、アインツィヒは絶句しながらも、「ニコライに聞かれるかもしれない場所で言うなよ……聞いたらショック受けるだろ、アイツ」と、周囲をキョロキョロ見回す。
ニコライはいない。
少なくとも見える範囲には。
「いきなり息子とか言われても吃驚するよね」
それもそうだが、そうじゃない。
そうじゃないのだ。
そういうことが言いたいんじゃない。
しかし声は出なかった。
「別れた奥さんとの間に子供がいたんだよね──といっても、別れた後に子供がいること知ったから、メーティス学園にアイツが来るまで顔を合わせたことないよ。名前と存在を知っていただけ」
「あ、えっと──別れた理由とか、その、訊いても、大丈夫か?」
「元奥さんの束縛が激しくてね、慰謝料取れるって弁護士さんは言ってくれたけど、向こうが有責だってことを示すために、取れるだけ取ろうとは思っていたけど──お腹に子供いるって聞いたら躊躇しちゃってね、養育費と相殺ってことにしたよ。苦しめることが目的だった訳じゃないし」
「その、えっと……子供と、会ったり、しなかったのって、別れた嫁と会いたくなかったから──とか、なのか?」
「それもあると言えばそうなんだけど、子供がいるって分かったとき、私は実家にいたから。元奥さんと子供はローゼリア、私はシェーンハイト、気軽に会える距離じゃなかったんだよ。仕事とかそういう事情を含めると、まあ会いたくても会えない状況ではあったよ──元奥さんと顔を合わせないで済む理由を作り易い環境ってことだ。お陰で離婚後一回も顔を合わせずに済んでいるよ」
子供のことがあるので、連絡先は残している。本当は連絡先を消したいし、電話番号やメールアドレスも変更したいくらいだ。子供が成人するまでは、親である以上、フェードアウトすることは出来ない。
「嫌いになった訳じゃないんだけど、関わり合いになりたくないんだよね──顔見るだけで息苦しいから」
気持ちは──分かる。
会ったこともない、血が繫がっただけの他人に等しい子供に、好きとか嫌いとか、そういう感情が湧かないという気持ちは。
会ったことがない我が子よりも、そこそこ付き合いのある相手の方が、愛おしいと感じるというのは、決して不自然な感情ではない。
だが、それでも、何と言うか、ニコライの心情を思うと──それはちょっとあんまりじゃないかと思ってしまう。
彼の胸中を覗くことが出来ない以上、全ては憶測でしかないが──きっと彼は、少なからずショックを受けていた筈だ。
存在すら殆ど忘れ掛けていたというのは、流石に予想外だったのだろう。我が子のことを愛している筈だ、なんてことは思っていなくとも、多少は気に掛けてくれているんじゃないかと淡い期待くらいは抱いていたのかもしれない。
やっぱり思うことがあるとすれば、仮にも息子の前で、存在を忘れ掛けていたことなど──傷付くかもしれないのだから、言わなければいい、だろうか。
「実の息子に直接対面するってなったとき、ちょっと怖かったんだよね」
ゆっくり、静かに、ラーシャは語り出す。
「怖かった?」
「ウテナちゃんに対する感情が──ポッと出の存在に、向いてしまうのではないか、と」
「ポッと出って……」
そんな言い方をしなくても良いじゃないか──ラーシャ的にはそうなのだろうが、だとしても、やはり表現の仕方というものがあるだろう。
「ウテナちゃんのこと、小さい頃から知ってるんだけど──『あんなに小さかった女の子が、あんなに大きくなって』とか、『あの子のために、何かをしたい』とか、そういう感情が息子に向けたくなってしまうのではないかと、怖くて怖くて仕方がなかった。時間が全てじゃないとはいえ、あれだけ付き合いのある女の子より、息子の方が可愛いと思うようになるなんて──あの時間は何だったのかってなるでしょ?」
あの子には、本当に──何かをしてあげたくなる。
今の今まで、じっくり作り上げ、築き上げた関係性によって、初めて愛おしいと思えるようになったのに、ただ血の繋がりがあるだけの他人のせいで、それが崩れるなんてことがあったら、あの感情は一体何なのだと、怒りにも似た気持ちを覚えてしまうだろう。
「ウテナちゃんはね、温かいんだ。体温の話だけど。凄く心地良いんだよ。ウテナちゃんもそう思ってくれていたらいいなぁ」
ラーシャは微笑む。
「我が儘言われても許せちゃうし、かなり酷いこと言われても許せちゃうんだよね。そりゃあ、腹が立つこともあるけど、子供のすることだから、最終的には許せてしまうんだよ。不思議だなぁ」
凄く、慈愛に満ちた、笑顔。
ウテナ以外に向けられることがない笑顔。
ニコライには絶対見せられない。
「多分これはウテナちゃんだから抱く感情なんだろうね。断言することは出来ないけど、息子とそれなりに交流があったとしても、好きになることは出来ても、愛することは出来なかったと思う」
ウテナだから愛することが出来た。
可愛い可愛い娘みたいな女の子。
彼女が娘だったら良いのにとは思うが、彼女の父親は世界でただ一人だけなので、娘にしたいとは思わない。願望があるが、叶えようとは思えないのだ。
(あの二人が幸せそうにしている姿を見るだけで──本当に幸せな気分になれる)
幸せな父娘関係を壊そうとは思わない。寧ろ守りたい。そして叶うことなら、その姿をずっと見ていたい。
ウテナからは、親戚のおじさんその一程度に認識して貰えれば、それで良いのだ。
実の息子? どうでもいい。
だってあれは血の繋がりがある他人。
息子ではあるが、家族じゃない。
「愛してるんだ、ウテナちゃんのことを」
「…………」
「下心はないよ。あるのは親心だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます