君が名前を呼んでくれない理由

零5s4

君が名前を呼んでくれない理由。

短夜長く

       1


 僕の彼女は変人だ。

 初めて彼女、涼を見たのは中学二年生の頃だった。その時から彼女を意識し始め、何もなく高校生までの数年を過ごした。そう。何もなく。

「君、おはよう」

 読書をしていた僕は、それが自分に向けられたものだと、顔を上げてから気がついた。高校では涼は自分と同じ二年四組。涼がクラスメイトに挨拶することなど、これまで一度もなかったため、クラスの人たちは驚きを隠すことなく、騒ぎ出す。そして、数人の仲の良い友達が近づいてきた。

「なあ。佐々木。どういうことだ」

 佐々木というのは自分の上の名前。なぜか下で呼ぶ人は誰もいない。多分、同名が同じクラスにいるから。そして、話しかけてきたのは、クラスの中でも陽キャに分類される黒津。仲はいい。

「えっと……」

「まさか、そういう関係ってわけじゃ……ないよな」

 なにを言っても疑いが深まるだけな気がして、何も言えない。こいつは確か涼のこと好きだったんだっけ。一回告ったけど、振られていたような気がする。

「佐々木くんがあの冬川さんと?」

 冬川さんというのは、涼の苗字。隣の席の女子まで話に入ってきた。斜め前の席に座る涼の背中を見るが、助け舟は期待できなそうだ。そもそも涼からの助け舟なんて逆にみんなを誤解させるだけか。

 みんなに気づかれるのはもっと後だと思っていたのに……。涼はそんなこと気にしないのか?

「いや、えっと……」

「待て三人とも」

 友達の中でもまあ理解のある彼、柳田がそう言って、どんどん発展していく議論を止める。三人とも? なんか僕も入ってない? 別にこいつは僕と涼が付き合ってることなど知らないため、理解も何も無いが。

「冬川さんだぞ」

 ……全然理解してなかったー。

「……確かに。そもそも佐々木がそっち系に興味なさそう」

 しかもそれで隣の席の女子には通ってしまうという。言いたい放題されているが、僕だって恋愛がどうでもいいというわけでは無い。

「そうだな。ああ。なわけないよな」

「ごめんごめん。俺らの早とちりだったわ」

 早とちりなわけじゃ無いし、付き合ってるのは本当なんだよな。なんか、ごめん。

 この会話で分かった人もいると思う。冬川涼はクラスの中では『変人』という扱いになっている。この朝の時間ではバレることなく、それ以降の僕らの目立った話もなかった。あくびを噛み殺しながら授業を受けているとすぐに登下校の時間になってしまった。

 しかし、放課後。

「君。帰るよ」

 涼がそう言って僕を無理やり立ち上がらせる。これは流石に噂に拍車をかけるものだと思ったが、そうにはならない。

「まあ……」

「ああ。冬川さんだから」

「だな」

 そっか。そういう問題だった……。

 ちなみに、僕の隣の席の女子と柳田は付き合っている。ほんと、このお似合いカップルをつっついてればいいのに、なんでみんな僕の話となると寄ってくるのかな。それも浮いた話だと特に。


       2


 初めて見た時の涼は、クラスの中の中心人物という感じだった。

 それもそうだと思う。涼はスポーツ万能。勉強もできて、楽器などもなんでも弾ける。そんな人だったからだ。そして、なんと言ったって綺麗。彼女の笑顔は周りを明るくするなんていう英文法に出てきそうな表現が、本当にあることを知った。

「でも、今は……」

 思わずそこまで回想してボソリと口から声が漏れた。

「なに?」

 誰がどう見たって変人である。

 当時中学の時は彼女の方が圧倒的に背が高かったが、今は僕の方がいくらか高い。自分の容姿は、よく分からないが周りの奴らに言わせると女子ウケはいいらしい。自慢にはならないが、何度か電車で痴漢されたことがある。これがどういう意味なのかは話を持ち込んだ僕にも分からない。

「あの、涼ってさ」

「うん」

「中学校の時と全然雰囲気違うよね」

「君、それは失言だよ。付き合ってから二日目で聞くことではない」

 マジでわかんねぇ。女子との付き合いなんて今まで一度もなかったから……。

「冗談。君、中学は同じだったよね。家も確か近かった」

「ああ。涼の降りる駅の一つ先」

「私の中学の時のこと知ってんだよね。めっちゃ恥ずい」

 高校はほどほどに頭のいいところに入った。家からもほどほどに近い。結構いいところなのだが、同じ中学の人は少ない。自分と涼を含めて五人ほど。

「……じゃあなんで高校に入ってあの、なんというか?」

「自販機で買ったサイダーをいきなり振ったり?」

「そう。それ」

「あれってさ、意味あるの?」

「深い意味はない。強いていうなら、卒業のため」

 思いつく限りで、卒業で何かあるとしたら……卒業論文とか。いや。そんなはずは無いか。僕らの通っている高校では、卒業の時に卒業論文を書かなくてはならない。先輩達が言うには、今から考えておいた方がいいとか。他の高校もあるのか聞くと「聞いたことがない」と。まあ、そいつも馬鹿だから知らないだけかもしれない。

「逆にそれが障壁になりそうなのは?」

「考えてない」

 昨日一緒に帰って、今日帰ってで色々と情報が入ってきすぎて頭がパンクしそうだ。まだまだ僕は、冬川涼という人間を理解できる気がしない。

「明日は土曜日ってことで、初デート」

「僕が奢りだっけ?」

「そう」

 なぜ、奢ることが確定になっているのか。それは昨日。僕が告白した時まで遡る。


        3


 昨日、僕は学校に忘れ物をとりにきた。外が夕焼けに染まった頃だった。

(まだクラスに誰かいるのか?)

 クラスの中に入ると、壁際で窓から外を覗いている人がいる。髪が窓の隙間から入ってくる風に靡かれていた。その姿には見覚えがある。一瞬で分かった。分からないとおかしい。

(……冬川さん)

 中学の時から密かに思い続けていた人。それから何もなく高校に入って、忘れかけていたが、奇行の噂で同じ高校だったことが分かった。なんか色々と変な噂はあるが、今でも密かに思い続けている。

 容姿が綺麗なだけに、何人もの男子から告白されているらしいが、ある奴は無視され、またある奴はスルーされ、またある奴は、告白する前に逃げられたりと、まともに取り合ってもらえた人は誰もいないらしい。

(よく考えたら、こんな場面に出くわすことは一生ないかもしれない)

 クラスには自分と冬川さん。他は誰もいない。チャンスなのではないか?

 冬川さんは僕に構うことなく外を見続けている。そもそも気づいているかすらも怪しい。

 冬川さんのいる窓際に足を運ぼうとしたが、動かない。

(もう、想いを伝えられることは一生ないのかもしれないのに)

 無理やり足を動かす。口を動かそうとする。まず、名前だけでも呼ぶ。

「冬川さん」

「……何?」

 涼は窓の外を見たまま、動かずに言った。

 夕焼けの光で僕らの顔は赤く染まっている。とりあえず、逃げられてはいない。

「……好きです。付き合ってください」

 言ってしまった。とうとう伝えてしまった。冬川さんは全く動かない。スルーされるのか?

 ダメか。そう思った時、冬川さんがこっちを向いた。無表情で僕の目を覗き込み、それから自分のバックの中に入っていたサイダーを取り出す。

「これ。あげる」

「……ごめん。意味わかんない」

「いいから。飲みな」

 これは、どういう意味なんだ。よく分からない。奇行の一種として受け取るのが一番なのか、それとも。とりあえずよく分からなかったので、サイダーはありがたくもらっておく。

 そして、冬川さんは再び窓の外に顔を向けた。それがノーという意味なのか。貰ったサイダーだけ持って帰ろうとする。そのサイダーだけが異物のように重かった。

 あ、でも。こんな可能性がある。もはや、自分でもこんなことを思いつくとは思わなかった。

「冬川さん」

「何?」

「このペットボトル固くて開けられないから、開けてくれない?」

 冬川さんは笑った。それは中学の時に見た、あの笑い方と同じだった。高校に来てからは一度も冬川さんの笑ってるところなど見たことがなく、ずっと無愛想だったから、驚いた。

「一緒に帰ろ。これから、よろしくね。あと、私は下の名前で呼ばれる方が好きだから」

「……え?」

「だから、よろしくねって。帰るよ。家は同じ方向でしょ。急がないと電車に間に合わない」

 人生初の告白は成功した。んだと思う。

 そのまま、駅のホームまで手を引かれた。冬川さんの細い指が僕の手首に絡む。

「冬川さん」

 あいも変わらず夕陽は僕らを照らし続けていた。

「だーかーらー。涼って呼んで。分かった?」

「……涼」

「何?」

 なんでそんなに急いでいるのか、と聞く。

「次の電車、あと二分。それ逃したら三〇分後」

「もう二分なんて間に合わないから」

 学校から駅までは歩いて四分。体力テストDの僕には、走ったとしても間に合うような距離では無い。

「間に合う。少なくとも私だけなら」

「それ間に合わないってことから。僕の運動神経舐めないでもらっても?」

「大丈夫。舐めてない。体力テストDの君を」

「なんで知ってんの⁉︎」

 恥ずかしくてあんなの一瞬でどこかに封印したはずだ。

 そして案の定、駅のホームに滑り込んだ時には、電車のドアは閉まっていた。

「あーあ」

「あーあ。じゃなくて、絶対無理だから……はぁ。久しぶりに走った」

「ジト」

「そんな目で僕を見ないで」

 告白した日は、しっかりと振り回された。結論から言うと、これからも振り回される。

「君、さっき私が渡したサイダーでも飲んどきな。脱水症になると大変だから」

 僕はさっきもらったサイダーをもう一度ふゆか……涼に渡す。

「え? 何? そんなに私って信用されてないの?」

「だってさ、あんなの誰もが知ってる奇行だよ」

 あの、自販機でサイダーを買って、いきなり振ってから満足したように鞄に入れるというのは、誰でも知っている冬川さんの奇行だ。このサイダーがその対象なのではないかというのも、少し考えれば出てくる。

「ふーん。あとでメモっとこ」

 どこにだよっていうのと、なんでというのが頭の中で混ざり合って、結局意味わからないという結論だけが出てくる。そんな僕を前に、涼はこんな提案をしてきた。

「分かった。賭ける? 私はそのペットボトルを振ってるのか、振っていないのか」

 つまり、そのペットボトルを開けて、中身が噴き出すのか噴き出さないのか。

「……ベットするのは?」

「今週のデートのお昼代」

 改めてそう言われると、小恥ずかしい。デートか。

「いいよ。振ってない方に賭ける」

「本末転倒じゃん」

 そう言って涼は、僕の肩をペチペチと叩いた。

「君が賭けるのは、吹き出す方。乗る? 乗らない?」

 ここで乗らないのも面白くない。だから、僕は答えた。

「乗る」

 僕の手からペットボトルを受け取って、なんの抵抗もなくプシュッと蓋を開けた。

「ほらね」

 それを涼はそのまま口につけ、その開けたサイダーを飲んだ。その中身は吹き出していない。悔しいが、初デートの昼は僕の奢りのようだ。

「分かった。次の時のデートは、僕の奢り」

「ありがとう。じゃ、これは私が飲んじゃったから、代わりにこれね」

 涼はバックの中から新しくサイダーを取り出して僕に手渡す。何本持っているんだよ。と思いながら、僕はなんの抵抗もなく、そのペットボトルの蓋を開けた。中身が吹き出してくる。

「おい! 嵌められた」

「私の好意をありがたく受け取ってればこうならなかったのにね」

「なんで片方だけ……」

「心理的な問題だね。一本平気だったからってさ。はい。タオル」

「ありがとう」

 涼が手の上に乗せたタオルを借りて、炭酸に濡れた自分の手を拭いた。

「君はいつから私のこと好きだったの?」

 彼女の質問は唐突。

「いつからって……」

「私は、中学一年生」

「え?」

「君にはちょっと早かったか」

 え? 今なんて? あと、なんか少しだけムカつく。

「初デートはどこに行こうか。私が決めていいの?」

「あ……いいよ。どこでも。涼の行きたいところで」

 そんなこんなで、僕は初デートの昼を奢ることになっている。


       4


 やばい。めちゃくちゃ心臓バックバクだった。夕焼けのおかげで顔真っ赤なのがバレなくて良かった。告白されて頭真っ白になって、サイダーとか渡しちゃったし結局最後は悪意あったけどさ。

 彼を好きになったのは中一の時だったと思う。もっと前から彼のことは知っていたけれど。

 ベットにうつ伏せになって、足をバタバタさせる。持っている本は全く進まない。内容が入ってこない。彼のことを思い出すだけで、頭がパンクしそうになる。顔が真っ赤になっていることが自分でもわかる。その顔を隠すために枕に顔を埋めた。視界が暗くなることで、余計な情報がなくなった。だから、余計に彼のことを思い浮かべてしまい、足のバタバタをより激しくさせる。

「りょー。ご飯できたよー」

「んーーーぅ」

 返事をしたつもりだったが、聞こえていなかった。聞こえるはずがないとは思っていたけど。

「涼? どうしたの」

 一階からお母さんの声が聞こえてくる。

「いや、え。あの……今行くから。お母さん」

 どうしよう。とりあえず落ち着かなければ。にしても、彼が告白してくるとは思わなかった。何がどういう経緯でか、早速デートもすることになったし。やば。どこ行こう。

 ……じゃなくて、落ち着け。私。足をバタバタ。ガチャッ。

 ん? ガチャッ? なんの音?

 ドアが開けられたのだとは分かっているが……。お母さんに普通に見られた。

「涼……何してるの?」

 上に上がっていた足がバサッとベットのシーツの上に落ちた。言い訳は……。

「何かあった? もしや……」

「違う! いきなりなに?」

 ベットから飛び起きる。さっき言った自分の言葉が言い訳染みてて、言ってしまってからしまったと思った。こんなんじゃ、私のお母さんは……。

「まだお母さん何も言ってないけど。いつもならすぐ来るはずなのに来なかったからね。何かあったのかしらって。ふふふ。顔真っ赤よ」

「違う。違うから」

「だから、何が? とりあえず、ご飯できたわよ。来なさい」

 お母さんは優しくそう言う。下の階に降りて、まだ運ばれていなかったいくつかの皿を運んで、お母さんの向かいの席に座った。二人揃って、いただきますと言って食べ始める。

「お父さんにも伝えなきゃかしらね」

「だから違う」

 お父さんは単身赴任で北の方に行っている。そのため、会えることは少ない。


「そういえば、あれはどうなったのよ」

「……あれ?」

 嫌な予感しかしない。

「あら? 小学生の時だったかに、いつか好きになるだろう人! とかって言ってたじゃない」

「やめてやめてやめて。人の黒歴史を掘り返さないで!」

「それが楽しんじゃない」

「ほんと……悪魔的なんだから」

 テンションが大学生とかと変わらないような人だ。あと、小悪魔的。ちょくちょく私の黒歴史やらなにやらを掘り返して来たり。

「もう。これくらい小さい時は素直だったのに」

「悪かったね」

「最近なんか、あの日記も見せてくれなくなっちゃって……」

「いつの話してんの? もうずっと前からでしょ」

「いつから育て方を間違えたんだか」

「完っ全に私の性格は、お母さんの影響ですけど」

 学校でどれだけ彼を揶揄えたとしても、お母さんには勝らない。

「ふふふ。私に似たってことは、少なくとも悪い子にはなっちゃったみたいね」

「自分が悪い子ってことには自覚してるみたいだね」

「育ち方を間違えたのは、私の方だったかー」

「……なんかごめん」

 絶対にお母さんには勝てることはない。


       5


「じゃあ、また明日」

 電車ももう彼女の降りる駅についてしまい、最後にそう声をかけた。

「またね」

 明日は都会の方まで出て、適当にぶらつくらしい。そのため、この駅に集合ということになっている。

 次の日、涼はショートパンツに、白いTシャツというラフな格好で先に駅に着いていた。自分もファッションとかあまり興味ないのでよく分からない。

「来た来た」

 僕を見つけた涼はそう言う。

「はい。サイダー。昨日のお礼ね」

「ジト」

「人の好意をありがたく受け取らないとって言ったのは、誰だったっけ?」

 ちなみに、振ってはいない。ただ昨日のお礼のつもりなだけだ。

 電車の来る数分前に約束をしたので、すぐに電車はホームに入ってきた。僕らはすぐにそれに乗り込む。

「涼って普段休日何してるの?」

「私の出没場所は毎回決まってるよ。ランダム」

「そうか。ランダムエンカウントか。って、どこのRPGだよ」

 しかも決まってるっていっときながら、ランダムって……。決まってないと同じじゃないか。

「真面目に答えると、本屋、音楽ショップ、楽器屋、古本屋、あと……適当なカフェ」

「すんごく想像通り」

 電車が減速して地面が少し傾く。壁にもたれかかってた僕は、あまり慣性の法則に引っ張られることはなかってけれど、涼は普通に立っていたので少し僕の方に体が傾いた。何でよろけないのだろうか。これは体幹の違いなのか?

 どうしたところで、僕は壁に寄りかかってないと普通によろける。

「君は? 休日はどこに?」

「どこも何も、家。あとたまに図書館、本屋って感じ」

「本か。何読むの?」

「純粋なファンタジー系とか、冒険とか。とにかくそういう方向ばっかりだな」

「恋愛は?」

「全く」

 ファンタジーの中にある恋愛なんかは読むが、最初っからジャンルが『恋愛』というものはあまり読んだことがない。

「通りで」

「どういう意味だ」

「そのまんま」

 目的の駅につき、電車から降りる。そして、改札でカードをかざす。この仕組みとか調べたことあったけど、いつのまにか忘れてしまった。

 時間も時間なので、先に早めの昼ご飯を取ることになる。どこかいい場所を知っているか聞くと、よく適当なカフェに入っているというだけあって、いい場所を紹介してくれた。断る理由もないので、そこに入る。

「ここ、結構いろんな人がいるんだよね。クラスの女子とかよく来てるらしい。稀にクラスメイト見かけることもあるし」

「いきなりハードル高いところに連れて来たな」

「ん? どういう意味?」

「気にしなくていいよ」

 多分分からないだろうし。

 メニュー表を見るとスイーツだけでなく、しっかりとした料理もあるみたいだ。昼の平日には普通にランチとか、夜にはディナーとかもやっている。どちらかと言うとカフェよりレストランに近いが、ここは店側の主張を尊重しよう。

「ね? いいでしょ。スイーツだけじゃないし」

「ああ」

 二人で頼んだ料理を食べていると、見知った顔のクラスメイト二人が僕らの存在に気づいた。そのうちの一人は隣の席の女子。もう一人は結構暗めの印象だが、誰かと遊びに行ったりとかするんだな、と率直な感想。名前は失礼ながら知らない。

「ヤッホー。涼。やっぱ、二人はそういう関係なの? いつから?」

「でも、涼の事だから分かんないよ」

 同姓でも、変わらず変人という扱いなのね。二人は僕らの座っている席に許可もなく相席した。

「ふふー。私も身を固めましてね」

 涼のその発言は見事に、隣の席の女子にスルーされる。涼はそんなこと気にも留めていなさそうだ。

「どこが気に入ったの? 佐々木の」

「もちろん全部」

「天下の変人様が、そんな回答でいいんですかね」

「別に良くない? 私だって、普通の女の子だよ?」

 僕の入っていけるような会話ではないので、ここはスルー。そう思った矢先。

「で、佐々木は涼のどこが好きなの?」

 絶対来るとは思っていたが、やめて欲しかった質問。

「ぜ……」

「全部、は無しね」

 こういう会話における逃げ道を塞がれてしまった。それに、涼もその逃げ道使ってただろ。

「綺麗なところ」

「うわー。ありきたりだと嫌われるよ。涼は誰が見ても変人なんだから」

「わ、私だって、中学の時まではまともでしたー」

 これ、いつ終わるんだろう。涼の顔は少し赤くなっているようにも見えなくはない。

 そんなことよりも、自分のメンタルの方が先に潰れそう。

「ふーん。じゃあ、それらは置いておいて、涼は何で彼に決めたの?」

 それにおいては、自分も気にならないわけではない。あんなに他の人に告白されて無反応だった涼が、オーケーするなんて事考えられなかった。

「そりゃあもう。彼から熱い愛の告白を……」

 グラスに入った水を喉に流し込んでいたが、それが変なところに入り込んだ。ゴホッゴホと咳き込む。

「待った。待て。涼。君は君の友達を誤解させようとしている」

「なに? 誤解してるのは君だよ。君は、私を、誤解してる」

 どう考えても誤解させようとしてるのは、涼だろ。僕が涼の何を誤解しているのか分からない。かと言って、全て理解しているとは到底言えない。どういう意味か考えていると、涼の友達が口を開いた。

「そっか。確かに涼から本当のことを聞き出すなんて、無理なことだった。普段どこでなにしてるかとか聞いても、適当に流されたり、なんか裏取引でもしてんのかってところしか教えてくれないもん」

「ほんとだね。で、何て告白したのさ」

 だから、涼だからという理論がここ数日で成り立つことが証明された。それほど涼が変人と思われてしまっていること自体すごい。僕がなんて言おうかと口籠もっていると、涼が先に答えた。

「別に、みんなが思ってるほど捻ってはいなかったよ。好きだ。付き合って。てさ」

 捻ってなくてすみませんね。

「へー。こればっかりはさすがとしか言いようがない」

「シンプルな方が胸にくるもんね」

「ま、私が付き合おうって決めたのはこれだけじゃないんだけど。というか、ほとんどこれとは関係ない」

 マジで? じゃあ何だったんです? もちろん僕の疑問と同様に涼の友達も疑問を投げかける。

「ペットボトルの蓋が開けられないってさ」

「あのな。涼。徹底的に誤解させようとするのやめろ」

「事実でしょ?」

「事実だけど、ちゃんと誤解のないように前後を説明してからにしよう? ほら、君の友達に僕は引かれちゃってる。ペットボトルの蓋すらも開けられないのかって」

 視線が痛い。涼の友達よ、そんな目で僕を見ないでくれ。

「ま、そういうことだから。私たちの初デートを邪魔しないように今日は二人ともお願い。今度一緒に遊んであげるからさ」

「涼が遊んでくれる? 想像できない」

「でも、そうだね。私たちは邪魔かも」

「そういうことなら私たちはここら辺で。じゃあ、仲良くね」

「ごめんね。二人の時間を邪魔しちゃって」

 そして、座っている席から立ち上がる。

「おい。待て。誤解を先に解いてくれ」

 その訴えも虚しく、二人は足早にさっていってしまった。

「ふふ。面白い子達だよね」

「僕にとってはどこが面白いかさっぱり。涼の方がよっぽど大変だけど」

「ふーん。そうやって、私のこと好きだよアピールを暗にしてくるわけか」

「違うわ!」

 ただ、大変だと言いたいだけだと考えていたところで、涼が店員さんを呼び出すボタンを押し、パフェを頼む。自分も頼もうか迷ったが、自分の奢りだということを思い出してやめた。

 少し待っていると、店員さんは思っていたよりも大きなパフェを持ってきた。

「でか」

「それは流石に僕も思った」

「初めて食べるから、どれくらい大きいか分かってなかったよ」

「よく挑戦したなそんなものに」

「別に甘いものならばいくらでもいけるでしょ。それに奢りだし」

 暇すぎてバイト入れてたけど、使い道なくてどうすんだよっていうのが溜まってるからいいですがね。でも、これは当分バイト外さない方が良さそうだ。

「そういえばさ、君って結構女子ウケいいよね」

「なにいきなり」

「そのまんまだよ。裏の情報だとそういう話が結構たくさん飛び交ってる」

 裏の情報とかっていう、危なそうなワードがすごく平和。

「どういう話だよ」

「だーかーらー。君のことを密かに思ってる人がたくさんいるの」

「ふーん」

「興味なさそうだね。マジで恨むわー」

「いやなんでだよ」

 たまにと言うか結構というか常によく分からないことがある。

「この前、女子のクラスメールで一番付き合いたいクラスに男子の投票をやったんだよ」

「なんで?」

「結構、日常茶飯事」

 なんでそんな事が日常茶飯事なのだろうか。

「それで、全会一致で君だったよ」

「……おかしい。何かの間違いだろ」

 全会一致って……あれ? 柳田の彼女は?

「で、どれくらい告白されたことあんの? で、どれくらい振ったの?」

 度々告白されたことはあるが、全て断った記憶がある。

「高校入ってから三回。全て断らせてもらったよ」

「罪な男だね」

「だから、なんなのさっきから」

「私なんて十三回中全部、丁寧にスルーさせて貰ったよ」

「こういう時に、罪な女だね。と使うのが多分正しい。というか、僕より全然涼の方がやばいなあ」

「さあ? 私はほら。その場にいるだけでその場を明るくできるから。その気になれば」

「その気になれば、ね」

 実際可能だろう。中学生のときそうだったのだから。

「中学校の時からも結構人気あったよね。あまり目立たないクラスメイトの一人だったけど、容姿が良かったからって、結構チヤホヤされてたり」

「読書してただけなのに。というか涼の評価が結構酷い」

「私も今は読書してるだけなのに」

「奇行も凝らしてますがね」

「ああ。そうでしたわ」

 僕の中学校の頃など、ただ読書をしている地味なやつだった。とはいえ、別に友達はいたし、外で遊ぼうと誘われれば外に行くし、そんなボッチというわけではなく。それも高校に入って何か変わったとかいうわけでもない。

「この後の予定は?」

 パフェは涼の細い体の中にどんどん入っていき、大きかったはずなんだけどな? と僕を思わせる。もはや早過ぎて実は小さかったのではと思わせるほど。

「全く。君が行きたいところあればそこに行くけど、無ければ私の週末の日課通りのルートを通ることになる」

「じゃあ、それで」

「そんな私の私生活に染まりたいんだ」

「そう言うわけではない」

 即座に否定をする。

 そういう趣味は自分にない。断じてないが、気になるというのはある。

「ともかく、謎に包まれた涼の私生活の謎を解き明かしたいっていうのはある」

「いいよ。私の私生活を存分に見せてあげる」

 涼といれば少なくとも退屈することはなさそうだ。逆にこれからがとてつもなく忙しくなりそうだということも想像できる。

「ごちそうさまでした」

「よく食べるね」

「ふふ。こんなに食べてるから、二キロ体重落ちちゃった」

「お前他の女子から刺されるぞ」

 いきなり二キロ減るのって危険な気がするが、風邪引いたりするとよくある現象か。涼の言ったことの前後の文が色々とあってないような気がするのもどうにかしてくれ。

 まあ、色々と細いからな。涼は。他の女子からも羨ましがられることだろう。

 レジにレシートを持って行き金を払い、外に出る。外は暑くなってきていて、後一週間もすれば夏休みに入る。

「ありがとね」

「いやいや。どういたしまして」


        6


 とりあえずよく行っている楽器屋に入りたいということで、楽器屋に入った。ここら辺に楽器屋がることじたい知らない。そんなに調べたこともなかったから。

「いらっしゃーい」

「久しぶり。姉さん」

「姉さん?」

 涼ってお姉さんいたんだ。ただ、似ていないので少し違和感が残る。

「違う違う。この子が勝手に姉さんって呼んでるだけだよ」

「全然似てないですもんね」

「失礼な」

「えっとー。なんかすみません」

 何が失礼だった?

「この子と似てないっていうことは、暗に綺麗じゃないって言ってるのと同じだよ」

 あ。はい。そうですか。

「普通に綺麗だとは思いますけどね」

 なんの考えもなく、ただ機嫌を取るために言ったのだが(実際綺麗ではある)、爆弾発言だったみたいだ。楽器屋のお姉さんも狙ってた感が少しある。

「ジト」

「あーあ。嫌われちゃった。これから迂闊な発言は控えた方がいいよ」

「ごめんって。涼」

 確かに迂闊だったかもしれない。これからは気をつけることにしよう。

「にーしても、冬川さんがお友達連れてくるなんて珍しいじゃん。その最初が男の子なんてさ。どういう関係? やっぱり恋人だったり?」

「さあ。どうでしょうね」

「普通、付き合ってなかったら揃いも揃って『違う!』とかっていうもんだけどね。そうか。付き合ってるのか」

 確かに付き合っていないのに、付き合ってるのって聞かれたら秒で違うと返す自信がある。ただ、今回は別に付き合ってるしとスルーしたが、そんなに違いが出るものなのか。身をもって体験するというのはまさにこの事だ。

「冬川さん。新しいギターとベース入ったから弾いてく?」

「是非」

「弾いてってもいんだ」

「本当はダメだよ。ここで弾いていくのは冬川さんくらい」

 よく分からないが、特別扱いされていることは確か。

「彼氏君は何か弾いたりしないの?」

「全然なにも弾いたことないですね」

「そうか。冬川さん。これ」

「へー。結構いいやつ仕入れたね」

 自分にはさっぱり。見た目でも音質でも判断しようがない。

「でしょ」

 涼が何かを弾き始めた。今弾いているものがギターなのかベースなのかも分からないが、こうやって弾いている人のこと見てるとやってみたいなって思っちゃうんだよな。

「はっ。いつも通り本気演奏だ。商品だなんてことひとつも気にしちゃいねぇ」

「防音とか大丈夫なんですか?」

「もちろん。私もよく売り物弾くから、それを見越して防音でこの建物改装しておいたんだからさ」

 指は忙しなく動き、それが一朝一夕の賜物ではないことはわかる。ジャーンと一曲なのかどうか分からないが、演奏が終わる。

「リクエストは?」

 リクエスト、リクエストねぇ。させて貰いたいが、僕の知ってる曲がマイナーすぎて知ってるとは思えない。だからと言って、流行りの曲をと思っても、僕はもっぱらマイナーなのしか聞かないから。

「いきなり言われても困る。最近のヒット曲とか全く知らないもん」

「そっか。曲とか聞きそうにないもんね」

「聞くは聞くけど、マイナーすぎて誰も聞いてないんだよ」

 一応曲名を言ってみた。

「知らない」

 だろうね。これまで何人もの人に「なに聞いてんの?」「これだよ」て言って、「ああそれか」と言うふうになったことは一度もない。

「ああ。あれな。確かCDあるぞ」

 これが一度目。

「知ってる人を初めて見つけましたよ」

「私も初めて。街中でも聞いたことがねぇ。冬川さん。次はベースいく?」

「はい」

 また次も僕にはよく分からないものを持ってきた。結構大きく、重厚感がある。

「楽器ってさ、重くないの?」

「ほどほど」

「種類によって色んなのあるからな。重いやつはクソ重いし、軽いやつはおもちゃかって思うほど軽い」

 話をしている間に、また涼が何か曲を弾き始めた。これも僕は知らない。

「冬川さんって、見た目に反して色んなことやってるけど、できないこととかあんのかね」

「あるにはあると思いますけど、あれじゃないですか? すぐに何でも上達してしまったり」

「一理ある」

 そんなこと言っていると、涼の演奏が止まった。ぶっ通しで約十分ほど。

「あー。疲れた。シンセ弾こ」

「電源繋がってないから、繋げてね」

「はーい」

 涼は肩で息をしているようだ。

「そんなに体力が必要なの?」

「めっちゃ必要。だから、体力テストDには無理だよ」

「だから何で知ってんのさ?」

 シンセサイザーを弾いている間に少し弦楽器を見て周る。今涼が弾いている曲には聞き覚えがあった。シンセサイザーってこんな音するんだっけ? あんまり聞いたことがないし、見たこともないから知らなかった。

「何か気になるものでも? やってみるといいかもよ。冬川さんが教えてくれるだろうし」

「涼なら確かに教えてくれるかもですし、魅力的ですけど……」

「高いよねー」

 僕の心を読んだかのように言った。

「ま、気になったくらいでぱっと買えるようなものじゃないからさ。もう少し考えてみたら?」

「ギターかベースならば私が使わなくなったやつあるよ。シンセとピアノも弾きたかったら、家にある。貸そうか?」

 やってみたい。とは思っていたので、返事には困らなかった。

「教えてくれるんなら」

「分かった」

 引き方とかは、動画見たってよく分かんなかっただろうし、ベテランさんが教えてくれるのならば、やらないという手はない。

「ぜひ、自分のが欲しくなったら私のところ来てね。少し値引きしてあげるからさ」

「商売上手ですね」

「そんなこと言ってると、値引きしてあげないよ」

「逆にここ以外の楽器屋なんて知らないですよ」

 調べれば出てくるだろうが、最初にここにきて良いところだったとなると、他の場所に行くことがなくなるのはなんでもあるあるだ。本屋でも、古本屋でも……。この二つまとめちゃって良くね?

 それから長い間涼の演奏を見ていたが、指の動きを目でも追えず、最終的にそこら辺にあった楽譜の解読にチャレンジしてみた。出来なかったけど。

 そして、諦めたところでずっとシンセを弾いていた涼が手を止めて言う。

「忘れるところだった」

「ん?」

「今日は、弦を買いに来たんだよね」

 しっかり目的はあったのか。でも、ギターとかベースとかの弦なんて、丈夫そうだが。

「いつも通りでいいの?」

「いつも通りで」

「実は、少しだけ売れちゃってさ。いつもより数少ないんだけどいいかな?多分、十五個くらいはあると思う」

 売れちゃって、十五個? 多くない?

「そんなに使うの? 確か弦って六本くらいだよね?」

「そうだよ。物にもよるけど、四とか五とか六とか」

「え? じゃあ何で?」

「弦ってね、寿命二週間くらいなんだよ。だから、まとめ買いするのが普通」

「切れることもあるしね。だから冬川さんは毎回ありえない量買っていく」

「それでも私、数ヶ月に一回は買いに来てるよね」

 そういう物なのか。初めて知った。バドミントンのラケットと同じような感じが。

 涼はお金を払い、その弦を自分のバックに入れる。そして、楽器屋の出口の前に立った。それでもう店を出るというのが分かって、急いで追いかける。

「じゃあ、ありがとうございます」

「まいど。また来てね」

 店の中は冷房が効いていて涼しかったが、外に出るとすぐに汗が滲んでくる。次は古本屋に行こうということになったので、そっちに向かう。自分もよく行っている古本屋だった。

「すっずし」

「さて、まず漫画から?」

「漫画からなんだ。僕は順番とか全く決めてないし、どっからでもいんだけど」

 いつもはただ適当に店内を歩いて、気になるものがあったら手に取るくらいだ。しかし、そんなこんなをしているといつも同じような場所に辿り着いているものだが。

「まだ高いな」

 涼は一冊はやっている本を取り出して、裏を見る。四〇〇円とあった。最近出たばっかりなので、これ以上下がっていることなんてそうそうないだろう。

「これなら最新話まで持ってるよ」

「ほんと? 貸して」

 続きが早く読みたくて、新品を買っていたのだ。何作かはそんな感じで新作を買っているものがある。

「何巻から?」

「十巻ちょっとから」

「結構じゃん。重いしどうすんの?」

「私なら余裕で運べるよ。そもそも、君の家で読めばいい」

 幸いにも、僕は一人っ子で親は共働きだから問題はない。なんの問題だとなるだろうが、まだ親に彼女できたと言うのは少し恥ずかしいのだ。

「まあ、いいけど」

「やった」

 次はライトノベルの方に行ってみる。

「ファンタジーとかってことは、ライトノベルも読む?」

「読まないことはないけど、ライトノベルの方だと戦記系が多いかな。ファンタジーはもう本当に王道系の冒険のやつしか読まないから」

「あれは? 狂犬病のやつ」

 狂犬病、狂犬病……。ああ読んだな。

「そう。そういう王道系のやつ」

「あれは私も読んだ。映画も見た」

「いいな。映画は行けなかったんだよ。ひとりじゃちょっとって抵抗感があって」

 あんまり見たいという友達がいなかった。何人かはいたのだが、全員都合が合わず。

「私は一人で行ったけどね」

「流石。そんな勇気僕にはないよ」

「でも、もう何か見たい映画あったらなんでも行けんじゃん。私いるし」

「確かに」

 なんとも魅力的な提案。とても楽しみだ。

「恋愛系は嫌いなわけじゃないんでしょ?」

「嫌いではないよ。ただ読まないだけで」

 何を読めばいいかわからないのと、迷っているくらいならファンタジー系を買った方が間違いはないと思ってしまうのが原因。

「じゃあ、今度貸してあげる。面白いのたくさんあるから」

「涼のおすすめなら間違いはないだろうよ」

「なんでそんなこと言い切れんの?」

「さあ」

 さっきっから涼が手に取っている本は、自分も読もうかと思っていたり、面白そうだなと思っているものが多い。

「君は表紙で選ぶ人? それともタイトル? 冒頭?」

「タイトルと表紙がイコールで、冒頭がその次かな」

 大抵気になったものは表紙も見てから、面白そうであれば冒頭を読んでみたりして買っている。出版社によっては、背表紙にも表紙の絵が載っているものがあるが、その出版社の本をよく買ってしまうのは、表紙の方を重視しているからなのかもしれない。

「ライトノベルは結構絵もこだわるかも」

「挿絵が下手だと読む気失せるもんね」

「そう」

 見ていると、涼は本の裏のあらすじを見て、冒頭を見てから表紙とかを確認していることが多いように見える。僕も冒頭が先というよりかはあらすじをチラッと見てから、冒頭に行くことの方が多いかもしれない。

「目ぼしいものはなかったな。でも、君から漫画は借りることになったしいっか」

「僕も涼から何か借りるしいいや」

 なんだかんだ言って古本屋と楽器屋だけでもう午後四時くらい。どっか図書館でも行ったらこれは閉店の時間まで余裕でいるような感じだろう。そもそも経験があるし。

「そろそろ帰ろうか。電車は……」

 涼が携帯を取り出して確認する。

「二分」

「無理だな。次のにしよう」

「うそうそ。二十分くらい。そろそろ駅の方戻って少ししたらちょうどだよ」

 駅に戻るまでは途中に店に入って飲み物を買ったくらいで何もなかった。

「そういえば、私に告白した時、何しにきてたの? ただ告白するためだけにあの時間に来るのもおかしい気がするし。成り行きでそうなった感がしなくもない」

 あー。そういえばそうだった。最初の目的としては忘れ物を取りに行っただけで、そしたら涼がいて最高の条件じゃんってことで告白したのだが。完全に元の目的は忘れていた。それを説明する。

「結局、忘れ物は持ち帰るの忘れたけどね」

「それは私がいきなり教室から連れ出したってのもある気がするんだけど……」

「大丈夫。次の日に持って帰るのを忘れてって先生に言ったら、珍しいなって言われただけだったから」

 実際そんなに大切なものではなく、中のいい先生だったし明日出せよくらいで終わった。その明日が今日のことであって、休日であることに先生は気づいていなかったっぽい。

 電車に揺られて僕が降りる駅に近づいたところで、涼とメールを交換していないことに気がつき、手早く交換を済ませ、涼に手を振って電車を降りた。涼の降りる駅はもう一つ先だ。

 降りてすぐ、携帯が振動する。

『今日はありがとう』

 と簡素なものが送られてきていた。なので、こちらも簡単に『こちらこそ』と返す。休日に外出をするという、イレギュラーな出来事を体験し、日曜日はそれと反対に家の中で過ごした。


       7


 週が明けて月曜日。学校では僕らの噂で持ちきりになっていた。誰もが行くようなところに二人で行ったため、こうなることも予想していなかったわけではないが、実際こうなると少し堪える。

「お前、佐々木さ、やっぱり付き合ってたのか?」

 いつも最初に話しかけてくるのはこいつだ。柳田も遅れてやってくる。来なくていいってのにさ。そうすると必然的に隣の席の柳田の彼女も参加。参加しなくたっていいっての。

「あー。えっと……」

 どうしよう。誤魔化すのもめんどくさいが、こういう時の最適解は……。

「冬川さんはそうだって言ってたぜ。お前からの熱い告白をとかって」

「待て。待った。あのな……涼……また誤解させるようなこと言いやがって」

 誤解させるようなことというか、誤解させることが目的と言うか。それしか考えられない。

「ふーん。ま、二人が付き合ってるってことは本当なんだ」

 斜め前の涼の方を見ると、彼女もこっちを見ていたので助けて欲しいというふうに目を合わせるも、前を向かれてしまった。あとで覚えてろよ。

「確かに二人は似合いそう」

「うん。二人ともスペック高いし」

 男子どもだけでなく女子の方も話が盛り上がっている。だんだん人が集まってきた。なんでそんなに俺らん時だけ盛り上がるんだよ。他にもいただろ。これまでも。ただ、これは僕と涼のそっけなさの反動とも考えられなくはない。もっと人と関わりを持つべきだったか……。

 涼が涼なので、意味がないかという結論に落ちる。

「授業始まるぞー」

 その先生の合図で一旦この噂の気配は薄まった。

 昼休み。

 飯を食う時間だが、何人かの友達がこちらをチラチラ見てきていたのに気づいていたので、とりあえず食堂に逃げ込む。そして窓側の一席に陣取る。いつも自分のいる場所だから、他の人に取られていると言うことはない。新入生が入ってきてから一度だけあったけど。

「何食べんの?」

「今日はうどん。涼は?」

「月曜日だからカレー」

「それ、普通金曜日じゃない?」

 とりあえず注文はしておいたため、待ち時間というわけだ。この学校、食堂だけはなんか設備が良くて、食事が出来上がると音が鳴るようなやつもある。他の設備投資してほしいが、一介の学生が口出しできるようなことではないので、口に出さない。

 涼は、何も言わずに向かいの席に座った。

「涼って噂とか気にしないタイプ? ……ってごめん。聞く必要もなかったわ。にしても、よく僕のいるとこわかったね。入り口から見えないはずなのに」

 色々な奇行の噂が飛び交う中で、こんなに飄々としている人に噂に対することを聞く必要はない。

「だっていっつもこの席だったじゃん。それに、君は遠くからでも認識できるように脳がなってる」

「よくわからないし、少し怖い」

「家族とかは人混みの中でも見つけやすいじゃん。視力低くても」

 視力はいい方なので悪くてもという部分がどうかわからないが、なるほど。家族や友人は見つけやすい。ただ、それもその人を探し慣れないと身につかないものであって、短期的につくようなものではないはずだが。

「視力悪くてもわかるかどうかは、視力が悪い友達に聞くことにするよ」

「私」

「ん?」

 そんなに目が悪いとは知らなかった。

「私、目悪いけど、君のことならすぐに見つけられるよ」

「ちなみに、視力どれくらい?」

「ここでそっちを聞く君はダメだね」

 涼はため息混じりにそういう。ごめん。本当に意味がわからない。

 そして、なんか少しむかつく。

「どういう意味だ」

 自分の注文したものが出来上がったということを知らせる、音が自分の変な機械から鳴り響き、取りに行こうと立ち上がる。

 すると、涼の持っていた機械も鳴った。

「うどんよりカレーの方が時間かかるはずだよね」

「いや。私の方が早く注文してたから」

 それはおかしい。さっき話していた通り、涼がいればすぐさまわかるはずだ。

「君が来るまでそこに座ってたからさ」

「うん。めっちゃ死角」

 涼が指したのは入り口に入ってすぐ左のところだった。それはどう考えても見つけることは不可能に等しい。それはおいておいて、鳴り響く機械を止めて料理の乗ったトレーを持って、さっきまで座っていた席まで戻った。

「今日は私の家に寄って行ってよ」

「一つ後ろの駅で降りればいいだけだもんな」

「そう。私の降りる駅はあのいらないって言われてる駅だから」

 その駅間は五百メートルほどしか離れておらず、その間の駅が要らないんじゃないか、と言われている。

 なくても良いわけではないが、別にどっちでも良いよねって。

「実は涼の家とほぼ離れてないんだよな。えっと……」

 携帯の地図アプリを起動して自分の家の場所をさす。

「ここら辺」

「本当だ。これ別にひとつ先の駅で乗ったり帰ったりしなくてもいんじゃないの?」

「そうだけど、あっちの駅の方が五〇メートルだけ近いんだよね」

「じゃあ、これから私のこと起こしてから学校に行くように」

「起こして、から?」

 涼は頷く。そこ素直に頷かれると色々と、考え直さないといけないところが多そうなんだけど。

「私いつも起きると時間ギリギリでさ。色々と忙しんだよ」

 忙しんじゃなくて、寝てるだけですよね。

「もし、涼を起こしに行くとなると何時に僕が家を出なければならないのか考えてほしいわ」

「だから、いつも髪結ぶのめんどくさくてストレートなんだよね」

「聞いてないし、そのままでいい」

 でも、一緒に登校するのか。涼がいつも学校に来る時間を考えると、涼が乗っているのはいつも僕が乗っている一本後の電車だ。

「君と行くなら頑張って起きれるかも。何時に家出てる?」

「七時」

「無理だ。私に合わせて」

「うん。了解。何時?」

「七時半」

 適当な話をしながら昼飯を食べ、教室に戻ってから揶揄われて、適当に授業を流した。そして、今日も涼に帰るよと言われて引っ張られながら帰る。

 いつも涼の降りている駅で電車を降り、そのまま涼の家に直行。

「今日はお母さんいないから安心して」

「なにを心配してるのかわかんないけど、分かった」

「今度から、私のお母さんがいるときに君を呼んでもいいの?」

 それは少し気まずい。

「うん。やめてもらうわ」

「私もまだ気まずいもん。私のお母さん……私と比べ物にならないから」

「……なにそれ。……こわい」

 涼の部屋は別段と特徴もない殺風景な部屋だった。

「殺風景ですみませんね」

「なにも言ってないですね」

 ただ、殺風景なだけあり、大きめの本棚とベットの上のペンギンとイカのぬいぐるみだけはよく目立つ。ここ言い直さなくても別にいいと思うが、イルカじゃない。イカだ。

「適当なとこに座って」

 そう言われたが、とりあえず本棚を物色する。涼は本棚の前に座って下段を眺めている。

「やっぱ本が好きな人って最初に本棚を確認するよね」

「そう? 普通にプライバシー的に辞めた方がいいと思うけど」

「とか言いながら君、何の断りもなく物色してんじゃん」

「こんなに前面に出てんだから、プライバシーもなにもないだろ」

「そうだね。私はいつも誰かの家に行ったら本棚を物色するけど。だから、私が君の家に行くときはしっかりまずいものは隠しておくことをお勧めするよ」

 別にまずいものなど買っていない。それに、そんな本棚などの目立つ場所に置いたりはしない。

「私は一回女友達の家で、あまり良くないもの見つけちゃって内緒ねって口止めされたことあるから。誰かは教えなーい」

「興味ないし、口止めされてんならばやめてあげて」

「はーい」

 本棚に入っている本は半分ほどが小説で、もう半分が漫画だった。小説の内八割ほどは恋愛系。他はミステリーとかファンタジーとか。ファンタジー系の方が多い印象がある。

「もう少しで夏休みだね」

「夏休みか。全く予定とかないな」

「悲しいね」

「悲しいとか言うな」

 自分はそれで満喫しているんだから。

「沢山入るよ」

「それは楽しみだ」

 例年、家の中で過ごして本を読んでいるだけであり、外に出るのは気分転換か本を調達しに行くときくらい。完全な引きこもりとなっている。だから、夏休み明けの体力の落ち具合がえげつない。

「夏って言ったらさ」

「うん」

「夏祭りだよね」

「まだ結構日がある気がすんだけど」

 でも、なんだかんだ言って、あと一ヶ月とか。

「私の着物姿見たい?」

「見たくないっていえば嘘になる」

「着物なんて動きずらいだけだよ」

「俺の期待を返してくれ」

「善処する」

「絶対しないやつだ」

 着物か。確かお母さんのやつが家にあった気がする。確か、青色のシンプルなやつ。一度も来たことないとか言ってたっけ。

 いつか、僕に彼女ができたときに着せてあげなとか言ってた気がする。そんな事ないよって、その時は突き放してけれど、まさかある、とは……。

「顔赤いよ。どうした?」

「着物があるって言ったら、着る?」

「着ない」

「俺の期待を返せ」

「善処しない」

「せめてしろ!」

 別に涼と祭りを回れればそれだけでいいか。そもそも祭りのことなんて頭に無かったし。

「ま、まだ時間はあるし置いておいて、今日は、ゲームでもしようか」

「何のソフトがあるの?」

「そこに入ってるのでぜん……ぶ。待って。見ないで。漁らないで」

「なにが入ってるの?」

「チェスやろう」

「何で? いいけど」

 チェスはドロドロにステールメイトで終わった。家臣を殺された僕の王様が無様に盤上を動き回るだけだったが、どうにかステールメイトに持ち込めてよかった。結局、彼女が見せてくれなかった、ゲームソフト入れのところにはなにが入っているかは教えてくれなかった。

 それから一冊おすすめと言われた、本を借りて帰ろうとした時に、スマホにこのアプリを入れとけと言われて入れておいた。

 チェスのネット対戦ゲームだった。

「一人でコンピュータとやってても面白くないんだよね」

「ネット対戦なんだから、オンラインでやればいいじゃん」

「なんかさ。チャットしてくるのがめんどくさくて。こっちから礼儀良くチャットしても、あっちが煽ってくると切断したくなるし」

「それはネットゲームあるあるだな」

 実際何度か同じようなネットゲームで切りかけたことはある。

「ま、暇な時やるわ。結構チェスは好きだし」

「これで礼儀を気にしなくていい対戦相手ができた」

「最低限の礼儀は大切にしましょうね」

 ネット対戦となると、寝落ちしないかだけが少し心配だが。さっき涼が言った通りそんなに気にしなくても良いだろう。相手が涼なら。

「じゃあ、明日は七時ごろに家の前に行くから」

「十分経っても来なかったら先行ってていいから。多分十分も経つと君は電車に間に合わなくなる。走ればなんとかなるかもしれないけど、無理でしょ?」

「ああ。無理」

「じゃあ、もう少しでお母さんが帰ってくるかもしれないから。じゃあね」

「また明日」

 涼の家を出たとき、空の色は来たときとほとんど変わらなかった。まだまだ日は長くなったばっかりだ。

 家に帰って、暑苦しい部屋のクーラーをかける。

 そして、手を洗って部屋に戻ってきてスマホを見ると母からメッセージが届いていた。不在着信もいくつか。全く気づかなかった。

『遅くなるから適当にご飯作っといてくれない?』とのこと。『了解』と返して冷蔵庫の中を見ると、何もない。

「買いに行かなきゃじゃねえかよ」

 もやし二袋で何をしろっていうんだ。あ、レモンもある。もやしは賞味期限今日まで、と。スーパーに行って適当に食材を買って帰ってきたときには、家はクーラーのおかげでしっかり冷えていた。


       8


 それから夏休みまでは、涼の家によったり寄らなかったり。一度だけ涼が僕の家に来て漫画を読んでいった。

 学校では、友達が夏休みに遊びに行くということで、一日だけ予定が入ったのと、今年の夏祭りは誘ってやらないからと言われたくらいだ。

 誘われても断るつもりだったから別にいいけど。

 そして、夏休みに入り約一週間。

「こんにちはー」

「いらっしゃい」

 三日連続の楽器屋で少し、ベースやギターの弾き方まで覚えた程だ。

「また来たの? あんたたち暇すぎんじゃない?」

「人生なんてほとんど暇なものだよ。暇じゃない方がおかしい」

「ああ。冬川さんのお母さんも同じようなこと言ってた。昔ね」

 そして、いつも通り色々と教えてもらいながら弾いていると、お客さんが来る。

「レッスンでも始めたんですか?」

「違うよ。この子達が勝手に弾いてくだけ。いつものでいいの?」

「はい。お願いします」

 会話からして常連さんだろう。そのお客さんが帰ってから、聞いてみた。

「お客さんが来るのを見たの、僕が来たことのある四日の中で今日が初めてなんですけど」

「まあ、楽器なんて全く売れないし、常連さんは弦とかまとめ買いで買ってくれるからね。だから常連さんでも来る人は少ないよ」

 よくそれで生活が回ってるな。

「それでやっていけるんですか?」

「いけるいける。楽器なんて売れたら一週間以上は余裕で暮らせるし、その常連さんたちのまとめ買いでも結構持つからいける」

 そこで、涼が一つの提案をした。

「楽器レンタルとかやればもっと稼げそうだけどね」

「本当だよ。お前らからガッポガッポだよ」

 本当にそうしないのは、彼女なりの良心なんだろう。あとはメンテのめんどくささとか。

 このように、暇で涼に誘われた時は適当に外出をし、何もなければ読書をしたり、本がなくなれば涼を古本屋に誘って調達したりとしていたらすぐに夏休みは過ぎて行った。そして、気がつけばもう夏祭りである。

『明日は十二時に駅前集合で。チェスできる?』最後の一文がどうでもいいものの、そんなメールが送られてきた。明日は待ちに待った夏祭りなので、と言っても何かあるというわけでもなく、やっぱりチェスは断らない。

 今回のチェスは勝ち筋が見えたものの、ステールメイト。なんかこれまでステールメイトでしか終わっていない気がしなくもない。

「明日か」

 楽しみで眠れないとかっていう、あるあるが起きるかなと思ったが、チェスの二回戦目の途中で寝落ちした。

 翌日、十二時に駅前に着くと今回も涼は先にいた。

「ごめん。遅れた」

「全然遅れてないよ。ほら。七分前」

 時計は十二時前を指している。

「いつも涼の方が早いもんな」

「約束は必ず守るタチだから。誰かと違って寝落ちせずにね」

「ほんとごめん昨日は」

「無理やり私がやらせたんだし、いいよ」

 夏祭りなのに十二時に集合した理由は、昼飯を二人で食べて、それから涼の服を買いに行くためだ。いきなり服を買うと言っても、涼のことだからどうせすぐに終わるのだろう。結論から言うと間違いだった。何度か小説でも読んだことだが、女子の服選びに男子がついていくものではない。

「今日はありがとね。付き合ってくれちゃって。ファッションとか全くわからないからさ」

「ファッションが分からない人にファッションが分からない人がついて行っても意味がないよ」

「君が似合うって言えばなんでもいいの」

「責任重大すぎない?」

 全く分からないので、自分にはどうにもできない。だって、安いから適当に買うとかそんな感じだから。

「実はTシャツがほずれまして。そろそろ新しいの買わないとなって。だから、今回も適当な白いTシャツがあればいいなっていう感じだから、安心して。君に感想を求めるほど私も馬鹿じゃないから」

「僕がセンスないって言われてる気がする」

「実際そうでしょ。いつでも白いTシャツにジーパンって」

「涼も、いつでも白いTシャツとショートパンツだろ」

 まあ、そんなに色んな種類の服が当ても迷うだけだから、服なんて一種類でいい。かの有名な起業家も白いTシャツとジーパン以外持っていないらしい。誰だったかは忘れた。

「ねえ。どう?」

 服を選び出して約一時間。なんでも似合うため、感想に困る。今回は黒いスカートに黒のTシャツを着ている。

「似合うよ」

 夏は黒で暑くないのかなとか思いながら、そう答える。そう考えるとやっぱり、白の方がいいのではないだろうか。

「どの服が一番良かった?」

「いつも通り、Tシャツにショートパンツ」

 それが見慣れているため、一番いい。

「よし。これにしよう。買ってくる」

「僕に意見を仰いだ意味ってあった?」

 それは涼の入っている試着室の中にまで届かず、カーテンが閉められた。そして、少しするとその試着室から涼が出てきた。どうやら機嫌は良いように見える。

「じゃあ買ってくるね」

「うん。……あ、まって」

 ストレートの黒い髪が、服の中に入り込んでいたので、涼を呼び止める。そして、その髪を服の中からサラッと出してあげた。なんの悪意もない、何気ない行動だったが。

「な……何? えっ?」

 顔が真っ赤になっている。まさか、いっつもあんなことして来てるのに、される方にはめっぽう弱いとか?

「服の中に髪の毛が入り込んでたからさ」

「あ、ありがとう」

 そう言いながらプイッと顔を背けられてしまった。なんかまずいことだったかな。何はともあれ、弱点発見。

 自分も冬物の服が無かったのを思い出し、少し物色してみる。夏なのに冬物があるはずがないか。そう思っていたが、七十パーセント引きで、黒いパーカーが売っていた。

 生地はいい。色や柄はなんでもいいので、買いだな。

「……買ってきたよ」

 涼が戻ってきた。少々不機嫌。

「僕もこれ買いたいから、ちょっとまってて」

「分かった」

 それから僕らは遅めの昼食を食べて本屋などを回り、暗くなってきたところで各自分の家に買ったものを置いて、祭りが行われる駅前に向かった。

 花火を見るために河川敷にはすでに多くの人が場所どりをしている。涼はそんなこと気にせずに、いつもとは違う駅前の風景をキョロキョロと見渡していた。僕はそれを眺めているだけでも良かったが、涼と目が合って少し気まずくなる。

 そういえば、涼は意識的に目を合わせてくる時はこんな反応しないくせに、不意に合っちゃうと結構恥ずかしがるよな。さっき髪を触った時と同じか。

「まずは、りんご飴」

 気まずさを紛らわすためなのか、そう言って誤魔化して来た。別にそのままの話の流れでいいので、続ける。

「りんご飴って食べたことないわ。まあ、とりあえず焼きそばかたこ焼きかな」

「焼きそばにしよう」

 焼きそば屋はさっき通り過ぎたが、まだ先にあるだろう。

「まあ、歩きながら見つけたらだな。花火はどこで見るの?」

「決めてない。後回し」

 人混みで涼と逸れてしまいそうで、何度も逸れていないかを確認する。

「君はさ」

「ん?」

「いつも誰と夏祭りきてた?」

「最近は来てなかった。本を読んでる最中に窓から見える花火を見るだけ」

「悲しいね」

 毎回だが、馬鹿にされてる感がすごい。

 露天の売り物のペットボトルが氷水の中に入っているのを見て、飲み物を持っていないことに気がついた。喉は乾いている。夜とはいえ、夏だから蒸し暑い。ここが地中海であれば蒸し暑くはなく、カラッとしてるはずなのに。

「涼。ちょっと買って来ていい?」

「いいよ。何かあった?」

 人ごみをかき分けて、その飲み物が売っているところまで向かう。

「サイダー二本」

「はいよ。三百六十円ね」

 氷水の中から冷たいペットボトルを取り出した。

「はい。これ」

「もしかして君さ、私が毎回サイダー買ってるからサイダー好きだと思ってる?」

「思ってる」

「サイダー買ってる理由なんて、振っちゃダメだからってだけだよ?」

「振っちゃダメだよ」

「知ってるよ」

 じゃあ何でやっているんだって聞きたくなる。

「ま、ありがと。サイダーは普通に飲むし」

「嫌いじゃないのね」

「好きだよ。君の方が好きだけど」

 言葉が詰まった。そういえば涼から好きだと言われるのはこれが初めてである。そんな不意打ちが上手い涼だが、どうせ耐性はないんだろうな。

「……いきなり言われて何て返せばいんだよ」

「焼きそば屋あった。近くのスーパーで冷凍商品買ってきて解凍した方が安い」

「雰囲気ぶち壊すな」

 祭りの露店なんてこれくらい高いのが普通だろう。飲み物だって原価からどれくらい足したんだよってほど高かったし。絶対自販機の方が安い。

 焼きそば屋に走り去って行った涼は、「買ってきてよ」と言って戻ってくる。

「君はいらなかったの?」

「そこにたこ焼き屋があったからね」

「たこ焼きか。あとで一個ちょうだい」

「いいよ」

 一パック買って、それを片手に持ち歩く。彼女は途中でお面も買っていた。似合わないし、誰が似合うんだという話だ。「君もつけたら」と言っていたが、自分にはなにが良いのかとかが理解できないので、断らせてもらった。

「あとは、かき氷とか?」

「かき氷はこれ食べたあとでいいだろ」

「そうだね。溶けるし」

 りんご飴を探しながら適当に歩いていて、見つけたのでそこで買ってしまかと思ったが、焼きそばを食べてからにするということでとりあえず落ち着いて食べれそうなところに。

 駅の近くには公園もあったはずなので、そこを目指す。途中で水風船を釣って、ゆっくり歩いていたらついた。

「いただきまーす」

 涼が言ったのに続けて自分も手を合わせ、爪楊枝で丸いたこ焼きを刺して口に運ぶ。

「美味しい」

 普通のたこ焼きだが、普段全く食べないので格別だった。わざわざたこ焼きを冷凍食品で買ってきて食べることはないから。

 僕らが並んでベンチに座って食べていると、一人の見知った顔が近づいてきた。こいつは来ない方がこの空間は平和なはず。

「よ。佐々木、来てたんだ。珍しいな。いつも誘わないと来ないくせに」

「ああ。久しぶり。元気だったか? 圭斗」

 そいつと会ったのは中学の卒業の時ぶりだ。仲は良かったが、連絡も別に取らないから。

「お前が、冬川さんを、か」

「何だよ?」

「いや。ぜひ写真に収めさせていただきたい」

「ダメだ」

「ダメか」

 すぐ、写真を撮ってくるからな。いつ遊ぶ時も写真を撮る役はこいつだった。そのためこいつが写真に写っていることは少ない。

「冬川さんも久しぶり」

「久しぶり」

「たまにこいつの話題振ってきたから好きなのかなと思ってたら、本当に付き合い初めるとはな。告白したのはどっち?」

 デリカシーのない奴の一人だ。なんか自分の友達全員デリカシー皆無な気がする。久しぶりに会えたのは嬉しいが、早々にどっか行ってもらおうとか考えてしまう。

「うるさいなー。お前は一人なのか?」

「俺か?お前の行ってる高校の奴らに、お前どこにいるかって聞いたらそこだって言っててよ。どうせなら顔くらい合わせておきたいなって」

 こいつはどこにでも友達がいるような、ネットワークの広いやつだ。

「そうか。じゃあ、早くどっか行ってろ。お前も彼女とかいただろ」

「あいつは、幼馴染な。別に彼女じゃねぇ。いっつも俺の後ろついてくるから、今回は振り切って来たんだよ」

「どうでもいいから仲良くな。圭斗。あいつにもよろしく言っておいて」

「わーったよ。あいつも会いたいって言ってたから、顔くらい出してやってくれ。じゃあ、楽しめよ」

「時間があればって伝えとけ」

 僕はあんまり圭斗の幼馴染は得意でないので、会いたくはない。嫌いではないが、ほんと疲れんだよ。それももう、涼以上に。彼は手を振ってうーいと言いながら帰っていく。

「……あいつに俺の話振ってたの? 変なこと言い聞かされてないよね?」

「……」

 あいつが言っていたことを聞き逃していたわけではない。

「ない。んじゃないかな」

「なんか途中で思い出した感があるんだが」

 だんだんと暗くなってきていて、涼の顔はよく見えない。

「でも、いろいろ聞いててどんどん好きになった」

「それ、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるんだけど。完全にからかって来てるよね?」

「本気出してないけど? 出して欲しい?」

「やめてください」

 涼はたこ焼きもらうねと言ってパックの中の一つに刺しておいた、爪楊枝を使って一つ口に入れた。

「一応、爪楊枝は何本かあったんだけど」

「別に気にしないしー」

 何度かこういう揶揄い方をされたので、慣れてきたとかということはない。

「焼きそば食べていいよ」

「ありがとう」

 パックとは箸を受け取ってそれで食べる。

「こういう抵抗はないくせにね」

「あった方が良かったか?」

「よく分かんない」

 中学の時の部活動で飲み物の回し飲みや、食い物を何人かでつっつくのは当たり前だったため、抵抗はない。

「夏祭りは、私、思い出があるんだよね」

 涼が唐突にそう言った。

「どんな?」

 自分もあるが、別に話すようなことではない。しかし、わざわざ話してくれると言うことは、大切な思い出だったのだろう。そう想像した。

「このベンチだったな。ここで、私は迷子になってね」

「ふーん」

「その時はギャン泣きだったな」

 ギャン泣きって、いつの話だよ。

「何歳の時?」

「小一とかそれくらい」

「めっちゃ前だな」

 それに、確かにそのくらいの年齢なら、こんな暗いなか迷子とかギャン泣きだろう。うん。ギャン泣き。よく考えたら意味分かんねぇなこれ。

「そしたら、助けてくれた人がいたんだよ。年下かと思ったら、違かったな」

 ……なんだろう。うーん。まあいっか。

「優しい人がいたんだね」

「……あれ? んー」

 涼は「んー」と言いながら肩を叩き始めた。なんでなんで? 怒る要素どっかにあった?


        9


「そろそろ行くか?」

 食べ終わって、当分は涼にたたかれながら、公園のベンチから祭りの風景を眺めていたが、それも飽きてきて声をかける。近くでは何人かの子供たちが遊んでいた。

 その子供たちは祭りで買ったのか、光る剣を振り回していた。

「うん。じゃあ、りんご飴かな」

「その執着はどこからくるの?」

「祭りといったらりんご飴以上に似合うものを知らないから」

 りんご飴を持って祭りを歩いている人は何人か見かけたが、それが祭りに似合うのかはよく分からない。雰囲気的にはそんな感じなんだろうか。赤が映えるからだろうと自分で勝手に結論付けた。

 涼は、周りが着飾っているだけに、半袖ショートパンツと逆に目立つ。涼のことを見て、ヒソヒソと話していたゴミらを見たのだけ、本気で不快だった。

「あと、花火がよく見えそうなところ思い出した。今から行けばまだ間に合うはず」

 花火の開始時刻はあと三十分もある。どれだけ遠いのか心配だ。

「大丈夫。今回は君の体力に合わせて計算したから」

「それはどうも」

 ご丁寧に計算してくれたんだろうが、急かされることは間違いなさそうだ。

「じゃあ、とりあえず戻ろっか」

 途中の露店でりんご飴を買って駅と真反対の方向へ。祭りで賑わっているところからどんどん離れていく。

「どこまでいくの?」

「あそこ」

 涼がさした先はこの街の少し高くなっている丘だった。山、あるいは森といっても差し支えない。

「あれに? あんな所入れるの?」

「一応参道というかなんと言うかがあるから大丈夫」

「参道? 神社なんかあるの?」

 山道というか、あそこに入れる場所があること自体、初めて知った。

「ある」

「初耳だけど」

 あそこはいっては行けないとか言われているわけではないが、誰も入ろうとなどしないような場所。ましてや、ここら辺の人たちの間では結構有名だ。

「心霊スポットとして有名だった気がしなくもないのですが?」

「なんだ。知ってんじゃん。幽霊が出るって噂の神社。あそこ見晴らしいんだよね」

「なんか定期的にいってるような人の口調!」

 あそこの中で、何度か人影をを見つけたという噂もあるほどだ。

「そりゃあ、中学校の時何かあるごとにあそこに行ってた。夜とか星が綺麗だよ」

「……まじでいくの?」

 あそこはトラウマがある。友達と行った時に、無理やり友達に連れ込まれそうになって、逃げたことがあるのだ。それ以降、無意識的にあそこは避けたり考えないようにしている。

「もしかして、君、怖いの嫌い?」

「無理! まじで無理!」

「ふーん。安心して。あの噂流したの私だから」

 ……は?

 脳が理解することを放棄したように理解が追いつかなかった。再び思考が動き出したのは数秒経ってからだ。

「マジで? 何で? なんのために?」

 まさか涼のせいでずっとトラウマになってたのかよ。でも、噂を流してそのまま心霊スポットにまでなってしまうものなのか?

「あそこ景色いいからさ。独り占めしたいってことを考えた時もあったんだよ」

「なるほど。それが思ったより広まっちゃったみたいな?」

「その通り。人影が、みたいな噂もあったじゃん」

「あったあった」

 噂ならそんなこと、普通ないはずだ。別に幽霊を信じているわけではないが……。こわいけど。

「私があそこに行った次の日に広まってたんだよね。学校で」

「ほう……」

「だから、人影の正体って私。あるいは……」

「や、やめて。別に涼でいいから」

 そう言うと、涼はふふふと笑って「そっ」と言った。

 少し長めの道のりを使ってそのトラウマのことを話す。確か小学校の頃の話だったはずだ。あんなに家は近いくせに涼と小学校は別だった。僕らの家の間には大通りがあって、そこで学区が区切られていためだ。

 そのため、この涼が流した噂というのは他校まで広まってしまったということになる。すごい影響力。

「ははは。そんなことがね。その時から君は、私に揶揄われてたのかもしれないね」

「今も揶揄ってるという自覚があることに少し安心したよ。無意識だったら対処のしようがないからね」

「無意識なんて。そんな勿体無い」

 文脈が伝わりそうで伝わらないような物になってしまうところを見るに、天然というところもありそうだ。

「勿体無い? どういう価値観ですかそれ」

「だって勿体無いでしょ。こんな揶揄い甲斐があるのに、揶揄わないなんて。それもしっかり意識してやらないと」

「無意識以上に対処のしようがなかった……」

 駅から離れると祭りでもなんでもない、ただの夜道だ。そんな夜道を歩くのは僕らしかいない。

「着いたよ。君のトラウマ」

「僕のトラウマに着くってなんかおかしくない?」

 英文法の前に日本語の文法なのでは?

「しらね」

「しらないか……」

 そしてなにも言わずに、古びた階段を登っていく。階段の先を見上げると最後が見えず、薄暗い。こわい。

「はぁ。……涼、待って」

 森の中の高さが低く、幅は狭い階段は、一段一段登るのには苦労しないが、果てしなく続くがために息が上がってしまう。幅が狭いため、足を踏み外しそうと言う恐怖もある。暗いから、足元も見えにくいし。

「ほら。あと少し。すぐそこだよ」

「それ、もうすでに二回くらい聞いた」

 すでにここより半分くらい前と、登ってすぐのところで聞いたのだ。全く着くような気配はない。

「私のすぐそこは一里だから」

「自覚のあるそこ一里があることを初めて知ったよ」

「そこ一里なんて私、夏目漱石の『こころ』で以外聞いたことないんだけど」

 確かに思い返せば、あの小説で読んで以来そこ一理なんて言葉は見たことも聞いたこともない。

「でも、本当にあと少しだから。ほら、社が見えてる」

「めっちゃ雰囲気あるな……」

「お母さんに聞いたんだけど、実際ここでよく肝試ししたらしいよ」

 もうすでに涼のお母さんの時代には、肝試しの場所でしたか。だから、子供が親に話して、親はそれを思い出し、子供に教えたみたいな悪循環がありそうだな。別に悪くはない気もしなくもない。

「早く。始まっちゃうよ」

 階段を上り切ると、木々がなく無数の星が見渡せた。周りの木のおかげで街の光から遮断されているのもあり、いつもより見やすい。まさか、天の川など見れるところが、こんなに近くにあると思わなかった。

「うわー」

 早く、と言った涼も僕が空を見上げると、同じように見上げた。

「あ、流れ星」

「ほんとだ」

「願い事って言っても、私、今君とここに来れてるだけで十分だな。取っとこ」

「流れ終わるまでに言わなきゃいけないんで、期限切れですね」

「大丈夫。賞味期限なら」

「大丈夫だけど、違うから。消費期限も切れてるから」

 そもそも、賞味、消費、とかの話ではない。

 彼女の顔は暗くて全く見えない。夜が暗くても明るければいいのに。そんな不可能極まりないことも思わなくはない。

「やっぱり綺麗。久しぶりに来たな」

「いつ以来?」

「中学校卒業」

 涼はその時からこの場所でこの景色を眺めていたのだろうか。だとしたら、自分は損していたんだなと思う。怖がらず登れば良かった。……噂がなくても、こわいから無理だな。

「綺麗でしょ」

「綺麗。まあ、涼には敵わないけど」

「なっ……」

「いつも揶揄われてる仕返し」

 涼は結構押しは強いけれど、押されるのにはめっぽう弱い。それは今日の午前中に気がついた。誰かさんじゃないが、揶揄い甲斐がある。

「そっ、そこは月が綺麗ですねとかさ」

「月出てないし」

「……死んでもいいわとか」

「それ返しの方な」

 ここまで夏目漱石と二葉亭四迷。

「月は、ずっと綺麗だったよ」

「それさ、……伝わる人いあまりいないから気をつけな」

 月はずっと綺麗だったよ。というのは、ずっと好きだったという意味だ。

「こっちは本気で言ってるのに。それに君以外に伝える人はいない!」

「君は初めて見た時から綺麗だった」

「テンプレートにない!」

「そのまんまの意味だけど」

「意味はわかってるよ!」

 涼はあーもうと言って僕の正面に立って近づいてくる。お互いの息が分かるほどまで近づいてきた。

「んー。もう回りくどいのはいいから率直に行くね」

 そして彼女は抱きついてくる。甘い香りと、夏の暑さと、涼の熱い体温で頭がぼーっとする。そこまでなら別に良かったのだが、耳を噛まれた。

「……?」

 自分の中で何かが壊れる音がする。咄嗟に涼の方を掴んで引き剥がす。

「なに。」

「理性が持たない」

「もうすでに私の理性は失われてるけど?」

 それはもう……なんというか。はい。そうですか。

「理性が失われて飛び降りてしまう可能性が……」

「大丈夫。一緒に飛んであげる」

「芥川龍之介……」

「いや、別に他にもいるでしょ。それに未遂じゃなかったっけ? あ、なだめて欲しいってこと?」

「そこまでは考えてないよ」

 結局二人で笑い合って、それ以上のことは起きなかった。お互い顔は真っ赤だろうなくらいしか思わない。

 木々を抜けて、見晴らしの良い場所まで移動すると、僕らの住んでいる街並みがよく見える。

「ここなら誰もいない上に、綺麗な花火を楽しめそうだな」

「やっぱり間違ってなかったでしょ?」

「ああ」

 携帯を起動して時間を確認すると、七時五十八分。あと二分で始まりだ。

「そろそろ?」

「あと二分」

 夜の街の風景や星を眺めながら、黙って待っていると突然ヒューという音が鳴った。その方向を見た時には、夜空に赤い火の花が咲く。そして少しの間をおいてドンという低い音が体の内側を響かせる。

「赤か。雰囲気に合ってる。やるね花火師の人も」

「多分そんなこと考えてないと思うけど」

「別にいいでしょ。ロマンチックなんだから」

 しばらくの間は打ち上げられる花火に対して、あれ好きだなとか、あれだけ一気に打ち上げてほしいとか、そんなバカみたいな話をしていたが、やがて途切れる。

 空には大きな金色の、なかなか火が消えない枝垂れ桜のような花火が打ち上がっていた。僕はこれが一番好きだ。

「この階段登ってて思いついたんだけどさ、私結構山登りとかするんだよね」

「うん」

 しそうだ。

「一人で?」

「そう。一人で。家族と行く時もあるけど。私陸上部だったからそのなんかトレーニング的なので行ってたのが、今でも少し続いてて」

 確かに今は無所属の帰宅部だが(なんか矛盾しているが)涼は中学の時陸上部で結構良い成績を残していたはずだ。

 それなのに高校に入ってやめたのは少し勿体無い気がする。

「うん」

「巻き込んであげる」

「しっかり迷惑なのは自覚していそうだな」

「大丈夫私とならなんでも楽しいはずだから」

「間違い無いけど、それしたり顔で言われるとなんかムカつくな」

 間違ってはいないので、反論はできない。

「行くでしょ?」

「もちろん。でも、僕の体力を舐めないでもらえれば」

 そんなにアウトドア系では無いから。

「あとは冬」

「めちゃくちゃ先の話だね」

「そうでも無いよ。すぐだよ。冬は毎年スキーに行ってんだ」

「これも一人で?」

「流石に一人で泊まるのはやばいから大人についてきてもらってる。親じゃないから安心してついてきていいよ」

 親じゃない? 誰に連れて行ってもらっているんだ?

「逆に安心できないんだけど? 誰に連れてってもらってんの?」

「楽器屋の姉さん」

「もうどういう関係かわからなくて逆に怖い」

 あの人どこまで涼と関わりがあるの?

「でも、誘われたらくるでしょ? 姉さんなら心配なことはないだろうし」

「そう……だね。行く」

「じゃあ決まりだ。ウエアーとか持ってる?」

「持ってる」

 スキーは毎年家族で行っているから、板とかも持っている。

「じゃあ、これはまた今度時期が近くなったら連絡するね。ちゃんと親には許可取るように」

「共働きだからそんなことあまり気にしないと思うけど、そりゃあ言うよ。『友達と言ってくる』って」

「『友達と』ね。私は姉さんに口止めだけしておこ。放っておくとなに言い出すかわかんないから。あの人」

 花火は以前として打ち上げ続けられている。赤、青、緑や黄色。花火の色ってこんなに多く出せたんだなと思う。どんだけ子供の頃はちゃんと見ていなかったんだろうか。

「お互いの家にお泊まり会とかしたいな」

「それはなんか、色々な問題があるな」

「え。なに? 変なこと想像してる?」

「親がいると面倒い」

「私が一人で恥ずかしいじゃん!」

 そんなのしらないよ。

「ずっと続けばいいな」

「なにが?」

「こうやって二人で」

 少し押してみる。案の定涼は視線を背けた。

「今日は……君、押しが強すぎない?」

「そう?」

「君は私に押されてればいいのに。ずっと」

「それはそれでやだな。いつか熱湯にでも放り込まれそう」

 それは冗談として、そりゃあ押されてるだけじゃあつまんなくなる時もあるよ。

「私は、ずっと君を離さないよ」

「それはもうホラー」

「なんでいっつも私が真剣に言うとそうやって茶化すの! もう!」

「ははは。ごめんって」

 夏の夜は短く、短夜と言われる。でも、彼女といれない短夜がとても長く感じられる。




初紅葉の紅葉


       1


 夏祭りは終わり、少々普通の夏休みの生活が戻ってきた。それでも、定期的に涼に呼び出されて音楽ショップに行ったり、彼女がいきなりきて本を読んで帰って行くなんてことも多い。夜にオンラインでチェスをやることも。

「そういえば、本が少なくなってきたな。久しぶりに中古行くか」

 涼に借りたものは読んでしまったし、読み返すにもすでに涼に返してしまったため、本当に読む本はない。自分の持っている本を読み返そうかとか迷ったが、やっぱり新しいものを読みたいなとそんなことを思い、涼に『明日古本屋に行かない』と文字を打ち込む。送信ボタンを押そうとすると、先にあちらから『明日中古屋行かにゃい?』と送られてきた。すごい偶然だなと思いながらも、遅れて気がついた誤字に思わず吹き出す。

 すぐさま送信取り消ししてきたので、もともと打ってあった送信内容を変えて『明日古本屋に行かにゃい』と送った。

 すると、すごい勢いでキャラが怒っているスタンプが送られてくる。

 翌日、待ち合わせの駅に着いて涼を探していると、後ろからニュッと手が伸びてきて方を叩かれた。結構驚いたし、冗談抜きで痛かった。

「誤字った」

「言われなくてもわかる」

 あれは別に誤字じゃなくても本気でやってきそうだが、昨日の彼女のメールの反応を見るに本気で間違えたんだろう。それくらいは考えられる。

「ちょうどあの時、こっちから明日古本屋行かないか誘おうと思ってたんだよ」

「ジト」

「いや、ほんとに。打ってる途中に来たけど、それが送信取り消しされたから語尾だけ変えてこっちから送ったの」

「ジト」

「なんかごめん。とりあえず、行こ?」

 このまま人が多く通る所で見つめ合っているのも少し恥ずかしい。

 いつも通り電車に乗ってまず楽器屋に行き、古本屋に入った。そして、買い終わった後に最近の新作も確認するために、本屋に行こうと近くのショッピングモールに入る。

「ショッピングモールは服を買いに来た以来かな」

 言われてみればそうだ。付き合い始めてからまだ一度しか行ったことがない。なんか本屋と楽器屋以外のところにも行かなくていいのか、みたいなこと考えるが、それ以外に行く場所など思い浮かばない。

「専ら楽器屋と古本屋しか行ってないからね」

「そうだね」

 一応、電車の時間を確認しておこうと携帯のパスワードを外して検索をする。涼がそれを覗き込んできた。

「どうした?」

「電車の時間をね。一応」

「一本先のやつに乗れば良いでしょ」

 一本先のやつは大体一時間後くらいだった。

「一時間後だけど」

「その後にしよっか?」

 そのあとはもう三十分後。都会の人は電車の時間なんて気にせずに駅に向かえば乗れるとかいうが、本当にそうなのだろうか。どちらにせよ、この電車が一時間に二本しか来ないこの街では不可能である。

 そのサイトを閉じて電源を切り、ポケットに携帯を入れようとすると涼に「待って」と言われた。

「待って。そんな写真いつ撮ったの?」

「その写真?」

「その携帯のホーム画面の」

 涼にそう言われるまで忘れていた。ホーム画面の写真を涼の後ろ姿にしていたのだ。完全に隠し撮りの、無許可という法に引っかかる可能性有りのもの。

「あー。いや。なんでしょうね」

 バレてしまうと、結構恥ずかしい。

「見せて!」

「ちょっ……えっと……」

 大人しくポケットにしまった携帯を取り出してロックを外す。

「……はい」

「こんな写真撮ってたっけ?」

 夏祭りに行った時にこっそり撮っておいたのだ。後ろ姿でシルエットしか見えないし、夜なので真っ暗でしっかり見ないと涼だということはわからないだろう。

 そう思って壁紙にしておいたのだ。

「しっかり花火も映ってて綺麗に撮れてるね」

 その写真は後ろ姿の涼に、赤い大きな花火が打ち上がっており、周りはその赤い光に染まっていた。最初の一発目のやつだ。多分、遅れて来た花火の音と同時にシャッターを切ったので、シャッターの音は聞こえなかったみたいだ。

「まあね」

「肖像権の侵害だね」

「……まあね」

「これから君の壁紙はすべて私の写真。それで手を打ってあげる」

 好条件すぎる。何か裏があるとしか……。

「その代わり、私も撮らせてもらうからね。ちゃんと顔は映さないであげるからさ」

「まじか……。良いけど」

 僕も壁紙にするならば正面から撮ろうとは思わない。後ろ姿を撮ってそれを壁紙にするだけで十分だ。

 少し気恥ずかしさが残るが、そのまま本屋まで行く。目ぼしい物はいくつか合ったが、古本屋でないと高いので買わない。ハードカバーとか欲しいが、単行本の二倍の値段はするからな……。

「小説とか書けば、少し足しになるかな」

「売れるかどうかだけど」

「無理だな」

「そりゃそうだ」

 そんな書けるほどの文豪でも、語彙もないし、小説を買うための足しに小説を書くという案は、幻想となって打ち砕かれる。

「そろそろ一時間くらい?」

「そんなもんかな」

 電車があと三十分ほどできてしまうので、駅に向かうことにする。途中で、キャンプ用品のコーナーがあったので少し寄ってみた。興味があるだけだ。実際にやろうとなど思わない。そんな知識も、気力もないから。

「良いな。キャンプも」

「絶対なんかの漫画に影響されてるよね。涼の家の本棚にもしっかりあったし」

「完全にそれの影響ですね。でも、結構多いらしいよ」

 結局そこでも何も買わずに帰ってきた。涼がキャンプ用品を買うとか言い出さなくて良かった。まあ、今日は古本屋で数冊面白そうなのが見つかったのは良かった。

 そんなこんなで、気づけば夏休みも終わってしまう。


       2


「学校やだな」

 学校が再開して一日目。その日もしっかり涼は自分の家の前で待っていた。思えばこれまで一度も居なかったことはない。

「おはよう。学校初日早々の一言目はそれでいいのね?」

「あー。やめとく」

「逆にどうすればやり直せるのか教えてくれ」

 学校に行くと、相変わらず友達はどこどこでお前らを目撃したとかっていう話をしに来た。それを聞いて、自分の思っていることを聞かせてもらう。

「お前らさ、暇なん?」

「暇暇。めっちゃ暇。だから、誰かさんの浮いた話とかいくらでも聞ける」

「涼に聞け」

「私に押し付けんな」

 何でそんなに暇なのか考えてみようとしたが、毎年自分も例外なく暇人生活を送っていた記憶がある。なるほど。そんなに人の恋愛になんか言いたいなら、恋愛小説でも読んでろという話だ。

「あの後、夏祭りでお前ら見なかったけど、どこ行ってたの?」

「どこまで、ストーカーしてやがったんだ? って、そういや圭斗に教えただろ。あいつめんどくさいんだよ」

 涼と公園で露店で買ったものを食べていた時に来た奴のことだ。

「知ってる。でも、仲良いんだろ? 冬川さんも」

「いいけどさ」

「私は、別に普通」

 今日の昼食は、涼が女子達に連れ去られていたため、ぼっち飯を堪能していた。結構久しぶりだ。こんな寂しかったっけ。そんなことを思わなくもない。

「ご一緒しても?」

「どうぞ」

 そんな中、隣の席に座ったたのは、比較的仲の良い奴だった。

「いやー。席が空いてなくてですね」

「どこ見渡しても、空席が目立つのにそれは見えなかったのかな?」

 こいつは誰に対しても敬語を使う。外見だけならバカ真面目な奴だ。実際勉強はめちゃくちゃできるらしいが、端的に言って日々の行動はバカ。まじで友達に変人しかいない。

「知らない人の隣ってやじゃ無いですか? 三席以上空いてないと」

「どんだけ離れてなきゃやなのかなと思ったけど、確かに隣は気まずいよね」

 三席は空いてなくてもいいけど。

「まあ、友達が近くにいれば問題ないんですけどね」

 それもよくわかる。一人で食ってる時はあまり周りに誰かいると気まずい。だから、必ず端っこの席を取る。

 今回もそんな感じだ。

「ま、もう食べ終わるからあとは頑張れよ」

「えー。もう少し食べてってくださいよ」

「食えんわ!」

 一緒に話す人もいないので、そのまま図書室に直行し、気になっていた本を手に取る。そして、昼休みの時間を過ごすということを数日続けていると、女子たちに涼を取られるということに対して嫉妬心が湧き始めていた。

 それを自分で客観的に見てみると結構面白い。その面白さに一人で嘲笑して、一日くらいは過ごせた。自分を自分で馬鹿にして、次の日は涼と昼食を取ることができた。まあまあ久しぶりのことである。

「なんか久しぶりだね。一緒に昼食べるの」

「何買ってきたの?」

「木曜日だからカレー」

 この会話に違和感と既視感を覚える。確か夏休み前だっただろう。

「前、月曜日じゃなかったっけ?」

「変更。数日に一回は変更される」

「それもう決まってないのと同じだな」

 今日はあっちに行かないんだなと思っていると、涼がもしかして嫉妬してたんじゃ無いの? とか聞いてきた。

「……」

 図星だったのであえて何も言わない。

「あれ? 図星?」

「図星」

「え? なんか普通に恥ずかしい。なんかごめん」

 別に何も悪くは無い。勝手に嫉妬してただけだ。

「まあ、君らしくなく、素直でよろしい」

「悪かったな。素直じゃなくて」

 涼がこんなに誰かに絡まれていることは珍しいので、何をしていたのか聞いてみる。

「実は、みんなとたまーには遊んでたんだけど、最近それをすっぽかしててさ。普通にめんどくさくて。そのつけが回ってきた」

「僕といたから?」

「そういうわけじゃなくて、というか基本的に暇人だからいつでも行けたけど、すっぽかしてたの。ほら、私あまり群れないタイプだから」

 なるほど。女子社会は難しい。多分これは自分の勝手な思い込みだが。

「一匹狼か。中学の時はあんなに群れてたくせに」

「中学のこと知ってるんだった……。恥ずかしいから、話題にあげないで」

「時と場合による」

 揶揄い合って、友達に揶揄われて、そんなこんなで季節は秋となり、少しずつ気温もちょうど良くなってきた。


       3


 いつしかの花火の夜の約束通り、涼に山登りに巻き込まれていた。

「さて、出発というわけですが、意気込みは」

「夜が明けるまでに完走したいところですね」

「なんで夜明なの。危険だから日が暮れる前には帰るから。それに、高齢者のお散歩コースみたいなところだから、大丈夫」

 高齢者のお散歩コースって、どんだけおじいちゃんおばあちゃん元気なんだよ。

「僕の体力を舐めちゃいけないよ」

「どんだけ自分の体力に自信がないの?」

 一通りの自虐ネタを終えて、山道に入った。結構な急斜面でも涼はひょいひょいと登っていく。

「お互い引きこもり気質なはずなんだけどな」

「なに言ってんの。こんなとこに来てる時点で引きこもりなわけがないよ」

 それもそうか。引きこもりではないな。

「そこ、木の根が出っ張ってるから気をつけて」

 そう言いながら涼は少し高めの段差を登って、こっちを見ながら言う。そこまでキツくはないため、お散歩コースというのもわからなくはない。でも、元気なんだなと言う感想は残る。

「紅葉もしてて、ちょうどいい時に来たね」

「あったかいしね。ちょうどこんな感じの時を狙ってたんだよ」

「金曜日に学校帰りで、明日山登り行かないかって言われた時は結構驚いたけど」

 急な誘いだったが、今日は元から家で本を読んでいるだけのつもりだったので、全く問題はない。むしろ、生活に変化がなさすぎて、死亡寸前だった。

「ちょっと天気予報と、ネットに出てきた記事見たら、ちょうどいんじゃないかなとか思ってさ」

 ここ数日寒めであったが、今日は比較的暖かい。

「にしても、このちょうどいい気温の季節がすぐ終わっちゃうのも持ったないよね」

「そうだけどこれを体験できるのも、そう感じられるのも中緯度地域の特権だからな」

「低緯度じゃなくてよかった」

「高緯度は?」

「寒い分には何か着ればいいだけだから別にいんじゃないかな」

 そんな考え方もあるか。僕も低緯度はどう考えてもごめんだ。暑さには対策のしようがない。とは言っても、高緯度もやだ。地球の自転軸が傾いてなければ良かったんだよ。

「結構登ってきたけど、もう少しかな?」

「あれ? ここ初めてなの?」

「こっちのコースはね。もう一つだったか二つくらいあるけど、そっちは本格的な山登りって感じだからやめておいた。多分そっちじゃこんなに楽しく喋りながらって言うのは無理だよ」

「黙々と登るのも楽しそうではあるけどね」

「君がその気なら……」

「やめとこう」

「まだなにも言ってない」

 木々の隙間ができていたのでふとそちらを見ると、綺麗な風景が広がっていた。山が紅葉しており、自然的な赤や黄色に染まっている。

 これチャンスかなと思い携帯を取り出して、少し後ろに下がるとちょうど写真にその風景と涼の後ろ姿が収まった。少し髪が靡いている。どうやら、撮ったことは気づかれていないようだ。

 数分ほどその風景を眺めていると、涼が「行こうか」と声をけたので、先に進むことにする。そこから山頂はすぐで、そこには多くの登山客がいた。

「結構混んでるね。どっか空いてるところを見つけて弁当でも食べちゃおっか。少し早いけどいいよね」

「いいよ」

 時期も時期なので、登山客は多いのだろう。ここに来るまででも何人もの登山客とすれ違った。それもおじいちゃん、おばあちゃんばかり。途中で飴をもらった。

 それで中学の頃に、部活の試合の時、よく他校の友達が「飴ちゃんいる?」「飴ちゃんいる?」と来ていたのを思い出した。それも男女関係なく。普通に変なやつだったな。

 幸い、頂上に置いてあったベンチが一つ置いてあったので、そこでスーパーで買った弁当を広げる。どちらかの手作り弁当というわけでもなく、そもそも涼は作れそうにないし、僕が作れるものは弁当に向いていない。

 少し喉が渇いたので先に水分を取って、手を合わせる。

「どう?疲れた?」

「ほどほどにね。でも、思ったほどでもなかった。小学生の時の登山を想像してたからさ」

「小学生の頃と比べたら体も大きくなってんだし、余裕でしょ」

 まあ、そうかもしれない。小学生の頃はなんでも大きく見えたから。

 昼ごはんには少し早いと言っていたが、実際何時なのか確認するために携帯を見る。そこで、さっき撮った写真を思い出した。

「そうだ。さっきのやつ壁紙にしとこ」

「さっき?」

 その写真を涼に見せる。

「いつ撮ったの? ほんとに油断も隙もない」

 やっぱりいい絵面だ。

「盗撮の才能あるんじゃない?」

「人聞き悪いから、隠し撮りって言って欲しいかな」

「一緒じゃない?」

「一緒か」

 ご飯を口に運んで、携帯の設定を開き壁紙を変更する。

「この壁紙も結構よかったけどな」

「あ、そういう趣味?」

「ごめん。もはや、どんな勘違いをされているのかもわかんないわ」

 前回の花火のやつは誰かに見られても、暗かったからぱっと見わからなかったが、今回のは明るいため分かってしまう。でも、クラスメイトに見られるくらい別にいいか。母さんにバレないといいな。でもバレたら、その時はその時だ。

「そういえば、私も何か撮って壁紙にしようとか考えてたけどさ」

「うん」

「そんな機会がないんだよね」

「なんで?」

 機会なら沢山あるはずだ。結構一緒にいること多いんだから。

「だって、君が私の前にいること滅多にないんだもん。ジト」

「なんかごめん」

「私が振り回してる感あるから、しょうがないんだけどさ」

 どうにか機嫌を取ろうと考えてみると、弁当の中にちょうどフルーツがあるのを見つけた。

「これあげるからさ、許してよ」

「ほんと? ありがとう」

 ちょろい。

「ま、いつか機会も来るでしょ」

「さあ、僕が主体的になんて、次の日天地がひっくり返るよ」

「どんだけ自己評価高いの?」

「高いように見えるか?」

「君が主体的になったところで、天地はひっくり返らないよ」

「そこかよ!」

 比喩のつもりだったが、逆に自己評価下がったわ。

「山登りって、結構登りよりも下りの方がきつい感あるから、無理しないでよ」

「そうなの?」

「特に動いてない人はね。登りで疲弊した分が下に結構来る」

 そして、いざ歩き出してみると、最初の方はいいものの結構きつかった。自分の体重が振動でくるとかいうと、太った人が言いそうなことになるが、本当にその通りだ。

 ただ、無理というわけでもないのでそのまま下った。

「そういえば、冬はスキー一緒に行くんだよね」

「ああ。行く」

「そういえば、まだ姉さんに行ってないから言っておかないと」

「もう宿取り始めないと無くなっちゃうんじゃねぇの?」

 冬のシーズン中は早めに取っておかないと普通になくなる。前回家族と行った時も無くなりかけていた。

「そうそう。明日あたり楽器屋行く?」

「そうしよう」

 最近は涼に教えてもらって軽く一曲くらいなら弾けるようになった。二人の評価的にはまあまあだなという感じらしいが、楽器というものを初めて弾けたことが単純に嬉しい。

「そういえば、最近だんだんと受験っていうワードが飛び交うようになってきたよね。ちょっと前まで高校受験終わって安堵してたばっかりなのに。なんか目指してるところとかあるの?」

「ああ。聞くこと多くなってきたな。大学進学くらいしか考えてないよ。具体的などこどこにとかは全く」

 どう考えても大学入っておいた方がいいなというのはあるが、どうすればどこに行けるようになるのかとか、そもそも自分がなにをやりたいのかわからないがために、どうすることもできない。

「まあ、そういうこととか教えてくれる授業とかあんじゃないの?」

「結構楽観的だね。でも、それを期待するしかないし、今はどこでも行けるように頑張って勉強をしておくしかない」

「なんか中学でもそんなこと言われたような気がするな」

「言われた言われた」

 全くそのまま中学の教師の言葉を転用しただけだ。

「小説家になって、一生引きこもり生活したいな」

「小説家舐めんな」

「私、一回挫折した」

「あんなの無理だよ。書き続けるとか特に不可能」

 下も登りと同じように話をしていたら、すぐに元の場所まで着いた。夜は明けなかった。というか、日は暮れなかった。

「お疲れ様」

「お疲れ様。そこまでキツくはなかったな。明日の筋肉痛はどう考えても不回避だけど」

「まあ、日は暮れなかったね」

「同じこと考えてるし……」

 何事もなく登りきれて良かった。

 その後、バスと電車を乗り継いで帰ってくる。明日の集合時間はいつも通り十一時くらいとのこと。

 家に帰って飯を食ったり風呂に入ったりして、残っていた高校の課題を終わらしてから一局だけ知らない人とチェスをしてから寝た。

 そして、起きた時筋肉痛のせいで数分起きる気にもならなかった。


       4


 駅に着くと、いつも通り涼はいた。いつもどれくらい先に来ているのか少しずつ来る時間を速くしているのだが、五分早くしたところでもまだ涼の方が早い。

「痛そうだね」

「分かっちゃう?」

「歩き方が微妙に違う」

 そんなところまで観察していたのか。なんだかんだすごい観察力だ。

「いつしかあの参道を登った時よりも筋肉痛だよ」

「それは大変だね。まあ、動いてた方が痛くは無いから」

 それはそうだな。逆に動かないで筋肉が固まってしまってから動く方がよっぽど痛い。

 今日は電車で移動して、駅構内の食事処で昼食を済ますことにした。そしたら、急に涼がきいてきた。

「バイトってどれくらいしてる?」

「週三」

「結構やってんだね。どうして? 君、接客とか不得意そうなのに」

「不得意だよ。でも、バイトしないと放課後が暇すぎて死ぬし、かと言って本とか読んでると読み終わった時、他の本を買う費用がなくなるしだからね」

 特に、涼と付き合うまでは週五で平日は毎日入れていた。

「にしては私が君の家に行く時とかと被らないよね」

「だって、涼が家に呼ぶのって毎回金曜日だし、来るのはほぼ水曜日だから入れてないよ」

 涼のお母さんは毎週金曜日に涼のおばあちゃんのところに行っているため、帰りが遅いらしい。幸いにも一度も遭遇したことはない。噂程度にしかきいていないが、遭遇すると涼から以上に揶揄われそうだ。

「水曜日なのはなんでかわからないけど、なんかそういうふうに収束してるね」

「平日の中心だからじゃない?」

「確かに。君に恋しくなって会いに行っちゃうのかも」

「平日毎日学校で会ってるのに?」

「そう」

 それはそれで重症だ。完全に依存している。こっちも同じようなものだし、誰しも何かに依存してるからこれが普通か。

 昼食を食べ終わったら、すぐに楽器屋に移動する。

「こんにちは。姉さん」

「いらっしゃい。新しいの入ったよ。弾いてく? 冬川さん」

「弾きます」

 結構定期的に新しい楽器を入れている。たまに商品がなくなっていることがあるので、それの補充なのだろうと想像がつく。

 その楽器か無くなっているのも結構な頻度なので、ほどほどに売れていそうだ。

「姉さん」

「なに?」

「今年のスキーだけど……」

「彼もついていくの? 板ある? レンタルする?」

 話の進みが早くてついていけない。すごいスピードで板の話までいった。

「そもそも、スノボ?」

「スキーです。板は持ってます」

「冬川さんと同じか。私スノボだから教えられないけど良いよね?」

「全然大丈夫です」

 スノボの人か。今度教えてもらうのも手だな。

「親に許可は取った?」

「まだです。でも、平気だと思いますよ。ちゃんと大人が着いていくって言えば」

「君、ちゃんとした大人はついてこないけど大丈夫?」

「まあ、伏せとけば」

 涼にそう返すと、楽器屋のお姉さんは頬を膨らませた。

「そこは、ちゃんとしてるから大丈夫ですよでしょ! 傷ついたから!」

「あ、えー? なんか……」

「大丈夫。姉さんはしっかりちゃんとしてない大人だから」

「冬川さんのが一番傷ついた! え? なに? そんなに私のこと嫌い?」

「……ちゃんとした大人なんて、ほとんど碌な人いないよ」

 その涼の言葉に楽器屋のお姉さんは笑いながら返す。

「分かるわ、それ。ずっと私もそんなこと思ってた」

「僕も同感ですね。ちゃんとした人に碌な人がいないって」

 結構結論としてはみんな同じみたいだ。

「君たち、そういう年齢か……。でも分かるよ。私は君たちくらいの時、人生短すぎるなって思って、ずっと焦ってた記憶がある」

「ちょっと違くないですか? って思ったけど、めっちゃ分かります。中三の時からずっと思ってます」

「私も、受験勉強し始めたあたりから」

「なんだろう。みんなその時くらいに気づくのかね。私も同じくらいからだよ」

 これからどうなるのかわからないという不安が自分をどんどん焦らせるのだ。『ああ、このままじゃいけないな』って。

「若い人たちの特権だよ。私はもう抜けた」

「どんな感じなんですか? それが抜けると」

「自分で体験した方がいいよ。それに、私が今何か言ってもどうにかなるような話じゃない」

 やっぱり、楽器屋のお姉さんはちゃんとしてないから、ちゃんとしたいい人に感じる。

「姉さん何歳?」

「二十一」

 涼の質問の答えに、僕は「えっ?」と声をあげる。

「なに? もっと老けてるように見えた?」

「な訳ないでしょ。姉さんに限って、二十越えは」

「うん。十九とかでもいんじゃないかと思った」

「童顔だからね。体も」

「りょーうー。流石に姉さんも怒るよ。自分の方が胸あるからってさ……。まだ二十代半に見られてる方が嬉しかったわ。十代後半とかさ、なんで店やれてんの?」

 少しセンシティブな話題は聞き流しておいて、考えていたことを答えた。

「誰かの店番とか」

「私バイトだと思われてたのかよ。ちゃんと私の店だわ! ちょっと前まで違かったけどさ」

 まあ、話を聞いていると色々謎が深まってくるわけで、一旦話を最初に戻す。

「毎年、二人でスキー行ってるんですか?」

「そうだよ」

「なんか、普通に客と店員の関係ではないような感じですけど?」

「そりゃそうだ。姉妹みたいなもんだからね」

「四歳差だからね」

 二十一と十七で四歳差か。そうすると、確かに姉妹くらいではあり得るが、求めている答えはそこではない。「もう少し詳しく」というと、教えてくれた。

「冬川さんのところのお母さんと、私のお姉ちゃんが同い年くらいで仲が良かったんだよ。だから、私が小さいときはお姉ちゃんが、私を冬川さんのお母さんのところに連れて行ってたみたいだよ」

 お姉さんと涼のお母さんの年齢が大体一緒って、すごい年齢差だな。

「お姉さんとはどれくらいの年齢差なんですか?」

「二十個くらい離れてると思う。だから、ほとんどお母さんが二人もいるような感じよ」

 想像ができない。そもそも、兄弟がいないから兄弟がいること自体も全く想像不可能。

「実は、この楽器屋も元々はお姉ちゃんがやってて。それを継いだんだよね。もう、違うことやりたいから欲しかったら店あげるって言われてさ。それからだね。ちょくちょく冬川さんがくるようになったのも」

「じゃあ、何で涼のことは冬川さんって呼んでるんです?」

 そんなに昔からの知り合いならば、涼は年下だからまだしも、楽器屋のお姉さんは名前で呼んでいても良さそうだ。

「私は別に涼でいいって言ってんだけどね」

「まあ、冬川さんのお母さんとも疎遠になってた時期があって。そもそも小さい時は冬川さんと一度も会ったことなかったんだよ。だから、お母さんのことも冬川さんって呼んでたし、同じでいっかなって」

「なるほど。そこで姉さんの適当が発揮されたわけか」

 すんなりそこに落とし込まれるのがすごい。

「そういうこと」

 もう少し聞いてみると、涼と楽器屋のお姉さんがスキーに行くことになったのは三年くらい前かららしい。

「って感じかな? だから、姉妹みたいなもんなの。羨ましい?」

「意味わかんないです」

 いきなりよく分からないことに「羨ましい?」って言われても返す言葉は見つからないというかない。

「ちゃんと親には言っとくんだよ。許可取れたら教えて」

「じゃあ、メール交換しておきます?」

「え? やだ。なんかうるさそう」

「どんな偏見ですか」

 僕がよくわからない偏見に抗議をしようとすると、涼が代弁する。

「うるさくないよ。逆になにもこなすぎて死んでるんじゃないかって思うくらい」

 意味わからん。

「だから、週に一回くらいは生存確認の意味も込めてメールしてる」

「勝手に殺すな」

 どういうことだよ。メール来なさすぎて生きてるかどうか生存確認のためにメール送るって。

 じゃあ、涼の方に伝えておくんで。と言おうとしたら携帯が鳴った。

「母さんからだ。すみません。ちょっと出ますね」

「分かった。じゃあ私たちは大人しくしてるから。あまり期待しないでね」

「うん。あまり期待しないように」

「なにすんの?」

 とりあえず早く出ないと切られてしまいそうなので電話に出る。

「もしもし。どうした?」

『今日遅れそうだから適当になんか作っといて』

「分かった」

『お願いね』

「あ、ちょっと待って。冬休み中友達とスキーに行こうと思ってんだけど、いい? ちゃんと友達の方のお姉さんがついて行くみたいだから、大人はいるけど」

『いいよ。予定だけちゃんと見といて。何かに被んないように』

「分かった」

 あとなにも要件がないことを確認してから、電話を切る。

「どうだって?」

「いいよとのことなので、お願いします」

「分かった。宿の料金とかについては後で伝える。にしても、すんなりいったじゃん」

「放任主義なんで」

 今日は、帰りが遅いのか。なに作ろうかな。前回…‥なに作ったっけ? 今日の夕飯の献立を考えようとしていたが、量の声に遮られてあとででいいやと考えを放棄する。

「姉さん。新しく入ったやつ弾かせてよ」

「分かった分かった。持ってくる」

 その間に涼は違うやつを手に取って弾いてみたりしていた。

 二時間ほどそこに滞在し、それから涼にスーパーでの買い物を付き合わせる。

「冷蔵庫になに入ってるか分からないからさ」

「ふーん。君のところで食べていこうかな。今日は」

「本気で言ってる? 色々と考え直さないといけないんだけど」

 適当に卵焼きと、炒めた肉と、袋に入っているサラダを出しとけばいいやと思ってたんだが。

「じゃあ、考え直して」

「来るってことね? 遠回しに言わなくていいから」

「親に連絡しとこ」

 涼がくるから、なんかもう少しいい物にするとなると……。

「なんか夫婦みたいだね」

「……いきなり何」

「若すぎるか。まだ同棲かな」

 こんな恥ずかしいことを普通に人前で話すのには慣れてきた。涼が振ってくることの方が多いが、行き過ぎた話題になると反撃して黙らせることになる。

 さて、今回はどこまで許せるか。

「そうだ。もう同棲する?」

「あのさ。手も繋いだことないくせに、良くそこまでぶっ飛ばせるよな。過程を」

「まあ、ハグまで行ったもんね」

「涼お前ちょっと、そういう話は家でしてやるから黙ってくれ。一応人の目もある」

「そういうって?」

 もういいや。

「……涼が可愛いって話」

「……プイッ」

「ほんと耐性ないよね」

「うるさいな///」

 それから、先ほど涼がお母さんに送ったメールの返信が返ってきた。内容は、『誰と?』とのこと。それに涼が『彼氏かもね』とか送って大混乱に陥らせていた。

「あーもう。めんどくさい」

「めんどくさいことし始めたのはあなたでしょうに」

 カタカタと携帯の画面を打ち続け、最終的にはあの楽器屋のお姉さんとというふうに収束したらしい。良く考えれば、何でも『姉さんと』と送れば許されるから便利なのかもしれない。

「オッケー。どうにかなった。やっぱ姉さんは免罪符」

「意味わかんないこと言ってるけど、今まで僕が考えてることと繋げればすんなり落ちんだけど。どうすんだよこれ!」

「なんで逆ギレ⁉︎」

 珍しいいつもとは攻守が逆の会話。

 家に帰ってきてからは料理を涼にも手伝わせ、適当なものを作ってから僕の部屋でぐだぐだと遊び、親が帰ってくる前に帰らせた。一応心配なので、送っていくことにする。

「別にいいのに」

「一応だよ。怖いから。結構遅いし」

 ありがとうと言いながら僕の方に背を向けて、家の敷地から道路に出ようとする。道路の右側からは車のものと思われるライトが見えていたので、涼の腕を掴んで引き寄せた。

 その後に車が前を通る。涼の腕を掴んでいなかったら当たってはいなかったとしても、心臓に悪い。

「ほら言った」

 量は顔を真っ赤にしていた。もしかして腕掴んだだけなのに? これ絶対手とか握れないやつじゃん。腕から手を離す。

「ごめん」

「気をつけてよ。ほんと洒落にならないから」

 何も会話はなく二人で夜道を歩いた。

「ありがとう。また明日」

「また明日」

 ああ。帰ってから涼の分の皿洗っとかないと不審に思われるなと思いながら、きた道と少し違う道を遠回りしながら帰った。


       5


 まさか彼をあんなにかっこいいと思うことがあるとは思わなかった。そんなこと言ったら失礼かもしれないけど。

 今日も今日とでベットに沈み込んで、まだ赤いだろう顔を枕に埋める。お母さんに顔は見せずに自分の部屋にすぐ入り込んだから、見られてはいない。

 足を振り下ろすと、シーツと当たってバサバサなる。だって、いつしかみたいに彼が……。

「りょーう」

「ヒャッ」

「なによー。お母さんに向かって『ヒャッ』って」

「勝手に入ってこないでよ。もう」

 別に入ってくることは構わないが、タイミングが悪い時とかに入ってくると、普通に追い返したくなる。

「おかえり」

「ただいま」

 じゃなくてさ。

「勝手に入ってこないでって」

「楽しかった? 誰と? 彼氏? 今度連れて来て」

「はあ? メールで言ったでしょ。姉さんと」

 なんで。お母さんは鋭すぎる。こんなおっとりした感じで、喋り方もこんなにおっとりしてるのに。

「なんで教えてくれないのよ」

「……黙秘権を行使します」

「えー。別にいいじゃない。それとも、お兄ちゃんなら話すの?」

「ハッ。当たり前でしょ。兄貴になら」

 鼻で笑って答えてやった。このお母さんの苦労を分け合う、兄貴になら話す。お父さんには話さない。普通にお母さんに告げ口されるから。

「当たり前なのかー」

「うん。当たり前」

「そっかー」

「そう」

「……誰の家で食べて来たの?」

「姉さん」

「ダメかー」

 なにを狙ってんのかよく分からない。そんなんで聞き出せるとか思っているのだろうか。私のお母さんは。

「ところでさ。涼」

「ん?」

 もう不機嫌なことは隠さず、低い声で言う。

「顔真っ赤よ」

「……⁉︎ はい。もう出て行った出て行った。私勉強するから」

「勉強なんて、授業中だけで済ませてるくせに?」

「いいから。するの! 邪魔しないでくださいー」

 お母さんの背中を押して、部屋の外に押し出す。

「なんで私に似ちゃったのかしら」

「せいぜい悲しんでてください。自分に似ちゃったことを」

「お父さんに似れば、もっと分かりやすかっただろうにねー。ま、涼は分かりやすいから、少なからずお父さんの血も引いちゃってるのかも。さすが親子って感じ」

「はいはい」

 ベラベラと喋りながら抵抗するお母さんを押し出す。あと少しでドアが閉められる。

「かわいそうね。あんな分かりやすい性格引くなんて」

「少なからず、お母さんよりはいいと思う、よ!」

 奮闘の末に、ドアが閉まった。本を読もうと本棚の方によると、閉めた扉が開く。鍵はついていないため、ドアを閉めたところで私の部屋から閉め出せると思ってなかったけど、しつこすぎる。

「お風呂沸いてるから好きに入ってね」

「先にそれだけを言ってよ!」




月冴ゆる霜の声


       1


 冬休みまでは惰性で過ごし、今年もあと数日というところまできた。

 クリスマスは、数年ぶりにぼっちじゃないクリスマスを過ごし、正月はいつも通り家族とだらっと過ごした。父さんが会社から呼び出しを受けて「は? 退職しますけど」と言ったのは、正直まじでビビった。しかし、父さんには父さんなりの考えがあったらしく、元より人員不足なのに退職すると言われたら、無理には来させられないだろ、とのこと。でも、危ないことには変わりはない。

 涼は正月におばあちゃんのところに行ってしまっていたため、会うことはできなかった。

 夜に何回かチェスはやった。

 なんか変わったことといえば、母さんに「最近よく外出るようになったよね」と言われて少しドキッとしたがそれくらいである。

 そして、年が明けて冬休みももう少しで終わるという一月の七日。朝早くから結構広めの車に荷物を積み込もうとしている。

「おはよう。家族にはなにも言わなくていいの?」

「おはようございます。大丈夫です。事前に言っておいたし、置き手紙もしておいたので。そもそも寝てます」

「そうだよね。どこに乗ってもいいよ」

「はい」

「前の席だと冬川さんに妬まれそうだからやっぱ後ろ乗って」

 一瞬の手のひら返し。

「分かりました」

 しっかりスキーウェアを着込んできたが、車の中は暖かかったのですぐに脱いだ。

「出発するよ」

「お願いします」

 今日は前々から予定していたスキーである。涼も隣にいるのだが、寝ている。会話がひとつもないのはこのためだ。

「いやー。結構頑張って起きてたはずなんだけどね。さっきまで起きてたよ」

 赤ちゃんの話でもしてるみたいだなと思いながら、楽器屋のお姉さんの話を聞く。さっきまでって、僕の家と涼の家ってほんの数百メートルも離れていないはずだが。ほぼ耐えてないんじゃないか?

「毎回そうなんだよ。いっつも冬川さんはすぐ寝ちゃって私は話し相手もなく一人寂しく運転してるの」

「あー。なんというか、朝だからしょうがないですね」

「もしかしたら、キスでもしたら起きるんじゃない? そういう耐性全くないから」

 涼のほおを突っついてみる。気持ちよさそうに寝ているが、少しだけ嫌そうだ。

「確かに涼はそういう耐性皆無ですけど、多分それじゃ起きなそうですね」

「なんで?」

「現にほおを突っついてるけど、全く反応がないんで。そもそも触られること自体あまり耐性ないはずなんですよね……」

 結構前からわかっていたことだ。涼から接触してくる時はなにもないのだが、僕が接触すると髪を触るだけでもすぐ顔を真っ赤にする。

「そっか。まあ、私もよくやる。ほっぺぷにぷにだよね」

「よくやるって……話を聞くと聞くほど二人の関係の謎が深くなっていくんですけど」

「お、嫉妬しちゃってる?」

 いうまでもない。

「してます」

「嘘つ……してんのね。正直でよろしい」

 僕があくびを噛み殺すと、別に寝ててもいいからねと声がかかる。

「お言葉に甘えて、少し寝ます」

「どうぞどうぞ。お気になさって」

「しっかり感謝を噛み締めながら寝ます」

 楽器屋のお姉さんと話していると、色々話の文脈がおかしい時がある。そんなことを考えているとすぐに寝てしまった。

「……」

 そっか。車に乗ってんのか。車のナビにある時間を確認してみると、いつも自分が起きているくらいの時間だった。習慣は恐ろしい。

「おはよう。まだまだ時間はあるけど大丈夫なの?」

「いや、習慣って怖いですね」

「なるほどね。話に付き合ってくれるってことね」

「そんなこと言ってないですけど、別にいいですよ」

 涼を見ると、朝見た時よりもスキーウェアに顔を埋めているように見える。寒いのかな? 車の中はあったかいけど。

「私、好きな人いるんだよね」

「その話題、朝でいんですね?」

「そういえば、君、名前は?」

 自分の名前すら言っていなかったっけ? そういえば、楽器屋のお姉さんの名前も知らない。今更ながら名前を教える。

「佐々木──です」

「本当に言ってるの?」

「本当ですよ。名前なんか嘘つきません」

「じゃあ、分かりにくいから佐々木君ね」

「別になんでもいいですけど」

 みんなからはそう呼ばれているし。

「冬川さん寝てる時じゃないと。聞かれたくないし」

「……ああ。話戻したんですね。良く分からないけど、そうですか。別に何も言えるような立場じゃないんで、あれですけどそれでもいいなら」

「現に付き合ってるのに?」

 そうだが、変人と言われる涼だったっていうのもあるし、そもそも色々なことが変だから、参考になるわけがない。

「まあそうか。涼も涼だからね」

「そういうことです」

 良く分かってくれてるような人だから、多分僕の思っていることを少しは理解できるだろう。

「で、私の好きな人っていうのは……名前は伏せとこ。君らと同い年の高校生の男の子だよ」

「年下好きなんですね」

「そういうわけではないけど、そういうことか。本当に理想なんだよね。うちに来てくれてる人で。どうすればいいと思う?」

 どうすれば、そんなこと言われても……。

「何とも言えないです。告りたければ告ればいいし、このままでもいいならこのままでいたほうがいいし」

「告りたいよもちろん。でもねー、多分今もこれからも付き合ってはくれない」

「なんでです?」

「そうだから。見てればわかる。どうしたものかね」

「分かりません」

 随分と難しいようだが、これはただ単に、僕に伝わるように話す気がないんじゃないかと勝手に結論づける。そうでないと、こんなに訳わからない会話になるはずがない。

「よし。じゃあ、私は聞かせたからさ。君も聞からも聞かせてよ」

「何をですか?」

「冬川さんを好きになった経緯とか?」

「……まあいいですけど。その相手は寝てるんで」

 隣からは定期的にスースーと寝息が聞こえてきている。彼女の髪を掬い上げ、さらりと落とした。よく寝るな。こっちは話に付き合わされてるっていうのに。別に嫌ではないけど。

「もし寝てなかったら一瞬で飛び起きて顔真っ赤にするだろうよ」

「絶対そうですよ。間違いないです」

 可愛いとか綺麗とかだけでもオーバーキルだから。

「まず、好きになった経緯からね」

「これ本当に朝やる話題ですか?」


       2


 初めて涼のことを見たのは中学二年生だった。多分一目惚れだったんだと思う。その時の涼はクラスの中心的な人物で、目立ってたはずなのになぜ今まで知らなかったのかは、自分が図書館引きこもり生活をしていたからだ。

 かと言って、隠キャなわけじゃなかったですよ。友達に誘われれば普通に外に行きますし。

 クラスは違かったけれど、そんな僕がなぜ彼女に気づいたのかはやっぱり図書室でだった。自分は何かないと図書室以外にはいかないので。

「ねえ。君」

 それは最初僕にかけられた言葉だと気づかず、本棚を眺め続けてたが、二度目に声をかけられて気づいた。

「昨日なに読んだ?」

 いきなりすぎてよくわからなかった。ただ、その時の涼は友達とかすぐ作るような人とかだったから、別に話したこともない人と話すっていうことの抵抗はなかったのかもしれない。

 あるいは、その時から今のように変人だったのか。僕はその線の方が強いと思っている。

「昨日……これ」

「ふーん。読んでみよ。ありがとね」

 それだけだった。

 その時から涼のことは意識し始めて、ちょっとずつ出てくる話題とかを聞いていると、周りの男子からは人気だということ。

 それまで気づかなかったが、誰が告った誰がふったなんかの話も半年に一回ほど。外見も綺麗だからそんなものかと思いながら、自分は確実に諦めていた。ただ、密かに思い続けながら。

 でも、ずっと図書室にいると、実は結構涼も図書室に通っていることがわかった。

 目が合うこともしばしばあったが、その度に「あまり意識しすぎるな」と思って、出来るだけ意識しないようにしていたため、その回数も少なくなっていく。

 中三になって、受験受験という話が舞い始めた頃にはそんな余裕もなくなってきて、どうせ高校は違うんだろうからと完全に仕舞い込もうと思いはじめた時、二度目の涼と話す機会があった。

「君、昨日なに読んだ?」

「……」

 ものすごく驚いたのを覚えている。それから僕が答えないうちに涼は続けて質問をした。

「高校とかもう考えてるの?」

「まあ」

 その時は正直に行こうと思ってる高校を話した。今通っている高校のこと。自分の学力では少し背伸びすれば届くようなところだったからそこに行こうと思ってた。

「ふーん」

「昨日読んだのは、これ」

 その時も一回目と同じようにファンタジー系を指した。結構恋愛系も強かったと思う。

「君は本読んでていつ勉強してんの?」

「読書量は減ったよ。勉強に削られてる。冬川さんこそ、勉強はしなくても?」

「私はもう行きたいところに行けるから。じゃあ、頑張ってね」

 中学での関わりはそれ以上はなかった。

 そして、高校に入った時にはただ自分の中にあるだけで少しずつ薄まっていく記憶のみが残っていたが、すぐにそうではなくなる。

 入学してから数日。

「なあ。お前知ってるか?」

「なにが?」

 高校に入って、最初に仲が良くなったやつ。名前は柳田とか言うやつだった。ちなみに、今もこいつとは同じクラスですよ。

「この学校で一番綺麗な人」

「柳田。お前、彼女いんだろ。また怒られるぞ」

「そう言うのとは違くてな、興味ねえのかよ。それか、何か知らないのか?」

 一瞬涼のことが浮かんだが、そんなことがあるはずもなく、知るわけがないので、「知らないし興味ない」と返す。

「釣れねえな。ま、かなりの変人らしいぜ。色々な奇行の噂が飛び交ってるし」

「あっそ。先輩?」

「それが違うんだわ。同じ学年で、一組だ。綺麗なだけあって、入学初っ端から先輩に告られたけれど、振ることもなく無視したとの噂」

 それは変人というか、ヤバいやつなのでは? 他の噂を聞いたわけではないので、判断はしかねる。

「で、誰なの?」

「冬川」

「……ふーん。僕は、朝読に励んでんだわ」

「待て待て。中学どこか聞いたら、お前と同じなんだよ。なんかしらねぇの? 結構有名になってたり」

「しらね。お前も朝毒をしたいのか?」

「なんだよその危険そうなの! やんねぇわ!」

「じゃあ帰った帰った」

 聞いてる話が中学と違うので、少しの期待と共に同姓だろと結論をつけた。

 しかし、高校の中学に比べて広くなった数階建ての図書室にいると、彼女はいた。

「……まじだったのかよ」

 独り言が漏れた。

 それから一年が過ぎて、その年は涼とクラスが一緒になった。

「で、なんだかんだありまして、今に至ります」


       3


「君、結構モテたんじゃないの?」

「どうでしょうか。よくわからないですね」

「そんな外見いいんだよ。結構告白とかされちゃったり?」

「中学の時は三回くらいですかね」

「それを一般的にモテてるって言う。……もう少しで高速に乗るからシートベルトちゃんとしてね。冬川さんのもつけといてもらえると助かる」

 涼の方を見ると、つけていない。

「これまでどうしてたんですか?」

「起こしてた。めっちゃ不機嫌になられるんだよね……」

 てかこれどうなってんだ?……スキーウェアを掛け布団みたいに掛けてるだけか。

「よいしょ……って。うあぁ⁉︎」

「どうした?」

 正直状況は芳しくない。シートベルトを引っ張ろうとして涼の方に体を乗り出したところ、抱きつかれた。

「これは……無意識なんですかね?」

 変な体勢で抱きつかれているために力が入らない。これはどう抗おうと無理だろうなと思い、早々に諦め。

「あー。うあらやましい」

「え? この状況がですか? そんなこと思っているなら打開策を考えていただけると」

「起こす」

「起こした瞬間オーバーキルの確殺は確実ですが」

「逆に見てみたいから起こそう。そして、シートベルトを付けさせよう」

 起こさずに抜け出せる方法を少し考えてみたが、逆効果で涼が覆い被さるような形にまでなってしまった。

「涼。……涼」

 ガサッと少しだけ動いたような音がしたが、全く起きる気配なし。

「涼。りょーうー。起きてよ」

「ん。んん? あったかい」

「……さいですか。どうでもいいので起きてくれませんかね? 起きてー」

 自分の体を揺すっておきないか試してみるが、結果は同じ。

「こりゃもう完全な捕獲だね」

 捕獲っていうな。一方的に抱きつかれているだけであって、捕獲されたわけではない。意味がわからない。

「涼」

「ん?」

「あ、寝ぼけてんのね」

「んんう?」

 んんう? じゃねえよ完全に寝ぼけてるだろ。

「あったかい」

「……涼、好きだよ」

「⁉︎……」

 覆い被さっていた涼が勢い良く体を上げた。そして僕に抱きついていることに気づき、からめていた腕を解いた。

「高速乗るから、シートベルトしてだって」

「ははは。起きたの? 嘘でしょ?」

「……///」

 彼女はシートベルトを引っ張ってカチャンとはめた。

「耐性とかの話じゃないじゃん。これ、普通に重症じゃない?」

 涼はもう一度目を閉じる。寝るの早すぎだ。ほおを突っついてみる。

「ヒニャッ⁉︎」

「……ごめん」

 起きてた。

「なに? なにしたの」

「ほおを突っついたら、起きてました」

「なるほど」

「ね……眠気吹っ飛んだ」

 ただただ可愛い。

「なんかごめん。私いつから抱きついてた?」

「さあね」

「彼、ずっと格闘してたよ」

「してません。してないし、そんなに長くなかった」

 気づくと、車はもうすでに高速に乗っている。

「にしても、君たち甘すぎ。甘すぎてやばいよ。糖分過接種気味だもん私」

「そんな甘いですか?」

「隣に聞いてみなよ。過接種で呆然としてるから」

 隣を見ると魂が抜けたようになっている涼がいた。もう一回ほおを突っついてみる。

「……あ、……」

「本当に魂抜けてるじゃん」

 少し下をむき気味だった涼の顔が上がる。

「いや。平気だよ。うん。治った」

「それは良かった」

「……なんて甘すぎるんだ……。私なんてこんなにしょっぺえのに」

 楽器屋のお姉さんは額に手を当てて首を振る。

「なんと言うか、はい。涙拭いてください。あと、高速なんでちゃんと前見て運転してください」

「泣いてねぇよ」

 と、行きはなんだか騒がしい雰囲気で始まる。それから結構長い間楽器屋のお姉さんと涼を揶揄いまくり、その報復とばかりに抱きつかれたりした。

「なんで無意識の時はあんなに恥ずかしそうにするくせに、自分からの時は平気なの?」

「……わかんない」

「分かんないか」

 一度スキー場に行く前に僕らの泊まる宿というか旅館に寄ってからそこでチェックインをして、荷物をとりあえず一番近かった楽器屋のお姉さんの部屋に置いて、宿から出してくれているスキー場まで行くバスに乗った。

「そう言えば、部屋任せちゃいましたけど、二部屋しか取ってなかったですよね。さっきの部屋に涼とお姉さんがですか? 少し小さい気がするんですが」

 バスには僕と涼が隣に座って、その前の席に楽器屋のお姉さんが一人で座っている。

「違うよ。私と冬川さんじゃない」

「じゃあ、君は野宿じゃない?」

「やだよ⁉︎」

「ちなみに、私と君ってことはないから」

 そんなことは、はなから考えられない。

「じゃあ……え?」

「そうだよ。君たち二人で一部屋」

「「はぁ⁉︎」」

 まさか二人で? いや。流石にそれはいいのか? 僕は別にいいが。

「嫌だった? ごめんね。部屋空いてなかったんだよ。私一人部屋がいいし」

「別に私はいいけど……」

「僕もまあ……」

「じゃあいいじゃん」

「確かに」

「いいや」

「あれ? もっとなんかあると期待してたのに?」

 何に期待してんですか?

「やっぱ悪意あるんじゃん。姉さん」

「うん。本当は部屋ちゃんと空いてた」

 まあ、別に問題はないだろうと思いながらスキー場に向かった。


       4


 なんと幸運なことに晴れており、日は出ていた。一面真っ白という、僕らの街ではあまりみることのできない風景を堪能している。

「しっかり積もってるね。晴れてるし」

「まずリフトのチケット買わないとですね」

「あー。買ってきてあげるから待ってて」

「はーい」

 涼が返事をするとすぐにチケット売り場まで行ってしまった。お金渡そうと思ったけど、後ででいいか。

「君」

「ん?」

 振り向くと突然雪が舞った。というより、突進してきた。思わず目を瞑ると、冷たい塊が顔にぶつかる。

「冷たい!」

「アルミニウムの原料」

「ボーキサイト。じゃねぇ!」

「君はどれくらい滑れるの?」

「強引に話を捻じ曲げるな。毎年家族と来てるからそこそこには」

「万年引きこもりの君が?」

「そちらも変わらないと思われるのですが」

 まあ、そうじゃないとスキーウェアなんて持ってるはずがないし、板も持っているはずがない。

「じゃああまり君の体力を気にせず連れ回しちゃっていんだね?」

「スキーに限ってはまあ平気だと思う」

 山登りの時とかは結構加減してくれたのだろう。連れ回す加減を。

「はい。これね。食事付きの二日券買ってきておいたから」

「いくらでした?」

 スキーウェアの内ポケから財布を取り出す。

「いいよいいよ。私の奢り。ありがたく受け取っておきなさい」

「ありがとうございます」

「あら? あまりすんなり受け取らないタイプだと思ったけど、すんなり受け取ったね」

 前まではそうだったかもしれない。

「サイダーかかるからね」

「そゆこと」

「どういうこと⁉︎ 私そんなことしないよ!」

 軽く体操をしてから、ブーツを閉めて板をつける。足にその重さがかかるため、歩きにくくはなるがスケーティングができるので問題はない。

 小学校の時は大変だった思い出がある。できるようになったのは足腰の筋肉がしっかりしてからだ。

「どっちから行く?」

 クワッドと呼ばれる四人乗りの方のリフトに乗るか、二人乗りの方に乗るかだ。

「クワッドでいんじゃん? 君は?」

 二人乗りの方よりもクワッドの方が少しだけ斜面が急である。とはいえ、初心者コースなのでいきなりそっちに行っても問題はない。

「平気だよ。クワッドで」

 問題はないと思う。これくらいならば毎回滑っているから。

 クワッドの列にはまだ混んでいないので、すぐに乗れた。なぜか良くわからないが、僕は涼と楽器屋のお姉さんの間に座っていて少し気まずい。

「今年もカモシカ見れるかな」

「カモシカ? 何それ」

 カモなのかシカなのかはっきりしてほしい。

「鹿の一種だよ。多分。毎年このリフト乗ると、右側にいるんだよ」

「で、美味しそう」

「おい。食べんな」

 少し注意しながら右側を見ていたが見つけることはできなかった。

「これ、去年よりも積もってそうじゃない?」

「そうっぽいね。でも、今年は全国的にシーズン入るの遅かったらしいけど」

「結構詳しいですね」

「このためだけに生きてるって言っても過言じゃないから」

 趣味なのか。一年に何度も行っている人も結構いるが、自分は一年に一度だけ行って、たまに日帰りも行くかもしれないという感じだ。両親の予定が合うかによるが。

「毎年、何回行ってるんですか?」

「結構いくよ。シーズン中は週一くらい。実はもうすでに一回行ってる。日帰りだったけどね」

「まじで人生かけてるような感じじゃないですか」

「本当に人生賭けてんのは音楽の方だけどね」

 そっか。一応楽器屋だからな。

「もうそろそろバー上げるよ」

 降りるところも近くなってきて涼が言った。バーに乗せていた手をどかすと、涼が上げてくれる。

「降りるときに転ばないように」

「流石に慣れてるから平気だよ」

「さあ、どうだか」

「え? 二人ともそんなに心配?」

 一応毎年行ってるとは言ったはずなのだが。そんな二人の心配を裏切り、ちゃんと転ばずに降りれた。

「へー。リフト登ったところにも食事処があるのか」

 確か下りたところにもあったはずだ。そこに比べたら小さいが、自分がよく行ってたところにはなかった。

「ここは沢山あるよ。下と、そこと、このコースを降りる途中。あと、この山の裏側にも一つあった気がする」

「そうなんですね」

「そこは焼きカレーが美味しいよ」

 涼が言った。めっぽう食べ物のことには詳しいので、涼の言うことはまず間違いない。食べ物と音楽、小説に関しては。カモシカは知らん。

「昼頃に行くとかなり混んでるし、出てくるのも遅いから去年食べてもういいやって感じだけど」

「あそこ遅いよな。私も、あそこで食うって決めた時はそれだけを目的に行くから」

 滑ることだけじゃないんですね。ただひたすらに滑り続けてるだけの人かと思っていたが、そうでも無いっぽい。

「じゃあ、滑りますか」

「最初はゆっくりいけよ。怪我するから」

 楽器屋のお姉さんがスノーボードをつけ終わり(やった事ないからスノーボードは良くわからない)、滑っている人がまばらになっているので滑り始めた。

 体を風が通り抜ける。体の重心を横にずらして曲がると、少しして足の方に反発が来てそれで戻す。次は逆に重心をずらす。

 涼は少し先に滑り始めただけだが、もう結構距離が離れている。三年目とかって言ってなかったっけ? うますぎるだろ。

「ヤッホー。お先」

 後から滑り始めた楽器屋のお姉さんに追い抜かされる。スノーボードが良くわからない自分でも上手いんだなっていうのが良く分かった。滑った所に太陽に反射されてキラキラした粉雪が舞っている。

 楽器屋のお姉さんはすぐに涼も抜かしたが、このコースの半分んくらいのところで減速した。少し平面になっている所だ。僕もすぐにそこまで行く。

「うまいじゃん。これならもうゴンドラ行っちゃってもいいかもしれないね」

「ゴンドラ?」

「長めのコースだよ。あっち側で動いてるの君も見たでしょ?」

「ああ。あれか」

 一度止まった理由は、あそこまで行くから滑り終わったら各自そっちまで移動してということだった。平面を歩くのはめんどくさいため、滑り終えたスピードに任せてそこまで行けるようにここで伝えてくれたのだろう。

「じゃあ、そっち側で」

 楽器屋のお姉さんは真っ赤の分かりやすいスキーウェアだったから、先に行ってしまってもすぐにゴンドラの乗り場で見つけることができた。

 涼のやつは白黒で少し見つけにくい。自分もそんなに違いはないが。

 リフトはいちいち板を外す必要はないが、ゴンドラは外す必要がある。

「こっちでいいでしょ? 団体で乗らないで個人で」

 どうやら、個人というのは団体のところで席が空いていたら入れてもらえるらしい。だからバラバラになる可能性もある。というかそっちの方が高い。

 涼が先頭でその後ろに僕が並んだ。団体の方にも個人の方にもほとんど人はいなくて、どんどん進んでいった。乗り場では、ピッコーン。ピッコーン。という機械的な音が鳴り続けている。

「おひとり様どうぞ」

 先に行こうとした涼を楽器屋のお姉さんが肩を掴んで止めて、先に出る。

「ああ。このままだと君と姉さんが一緒の可能性があったのか」

「そういう事?」

「多分」

 運良く次は二人で一緒に乗れた。ゴンドラは乗り場から出ると加速して、どんどん高度を上げる。

「早。もしかして結構長いの?」

「ここら辺では結構長めらしい。詳しいことはよく分からない」

 すると、隣の人が三キロちょっとだと教えてくれる。関東近郊の中では結構長い方らしい。

 多分これまで僕が滑ったことのある場所の中では最長だ。

「涼、何年目って言ってたっけ?」

「三年目くらい。姉さんが成人してからだから多分あってると思う」

「上手くない?」

「スポーツ全般はね。少しやればなんとかなるとは思う」

 じゃあ、絶対部活とかやったほうがいいだろと思ったが、それだと遊べる時間が少なくなるし、一緒に帰れる時間も少なくなってしまうのか。それはそれでやだな。

 ゴンドラの中では人がいるためあまり話せなかった。涼ならそんな中でも平気で何か仕掛けてくると思ったが、なにもしてこなかった。

 流石に他の人のいる場所が近すぎたのだろうか。終点までつき、板を持ってゴンドラを出る。

「きたきた。まあまあ時間かかるよね」

「さむ」

 確かに下に比べて寒いかもしれない。もしかして、これが原因で涼の活動能力が下がっていたとか? なんかそんな可能性もあり得そうで笑う。

「確かに寒くなるな」

「だよね。抱きついていい?」

「いつもと変わらず元気そうで良かった」

 ブーツで滑りやすいからやめようねと言って、今回は宥める。滑らなければいいと言ってるわけではないが。

「先行くね」

 楽器屋のお姉さんは、僕らが板をつけているとすぐに滑っていってしまった。もしかしたら、最初はしっかり滑れるのか確認するために、僕らが先に行くまで待っていたのかもしれない。

 なんだかんだ言って、しっかり考えてるし、面倒見もいい人だよな。

 斜面は結構急だが、制御が効かなくなることはない。これよりも急なところはあるが、まあこれくらいがちょうどいい。

 一区間? という感じのところまで滑ったところに楽器屋のお姉さんがいたのでそこに止まった。

「結構慎重派だね」

「最初なんでしっかりと思いまして。慣れてきたらもう少しスピードは出しますよ」

 少し遅れて涼も滑ってきた。

「よっこらせっと」

「涼も今日は結構慎重目だね。もしかして、彼にカッコ悪い姿は見せられないからとか?」

「違うー!」

 とりあえず滑り切ると、まだ一時間と少しくらい昼食の時間まではあったので、もう一本そこを滑ってきた。そして、昼食は一番手軽な一番下のところでとることにした。

「よし。カレー」

「カレー? スキー場ってどこにもあるよな」

「あれじゃん。大量に作りやすいとか」

「なるほど」

 楽器屋の姉さんの仮説は結構説得力があった。本当のところはわからない。

 中に入ってみるとかなり大きく、人も多い。

「へー。色々あるな」

 メニューの数もたくさんあって迷ってしまう。ここはまずカレーにしておくかなと考えたが、カレーの中にも色々と種類がある。

「カツカレーを一つ」

「私も同じので」

 決めるの早すぎない? 自分も同じでいいや。

 ここはセルフ式で、最後に取ったものを会計で払うと言った感じだった。

「僕も同じので」

 食事はリフト券と一緒になっているものを買ってくれたので、それを出すだけで済んだ。

「二人ともこれだけうまかったら、左側の方のやつもいけるかもね」

「左側っていうと、あれのこと? 焼きカレーの方の壁にしか見えないやつ」

「あーそれそれ。去年冬川さんは一回行ったよね」

 どんなところだよ。壁に見えるって結構急なんじゃ無いのか。

「冬川さんはあそこで派手に転んでたよね。……あ、だからあんなに慎重になってたのか。地味にトラウマになってんじゃん」

「う……まあ」

「僕もあったわ。転びまくった次の年はめちゃくちゃ慎重になりすぎてたこと」

 確か僕は小学生の時になった記憶がある。

「始めて数年経つと必ずそういう時期が来るんだよね。でも、去年あんなに滑れてたんだから今年は平気だと思うけど」

 空いている席にお盆を置いてから、この建物内はかなり暖かいのでスキーウェアを脱ぐ。

「よし。じゃあいただきます」

「いただきます」

「偉いね二人ともちゃんといただきますって言って。一人暮らしだとそういう習慣まじでなくなるからな」

 スプーンに一口分すくって口に入れる。うん。まあそりゃあ美味しいよね。

「そういえば君はどれくらいの時からやってるんだっけ?」

「言ってなかったっけ? 確か小二くらい。記憶があるのはだけど。もしかしたらそれ以前にも行ってたのかもしれない」

「もうベテランじゃん」

「年に一、二回しか行かないからベテランかどうかは分からないけど」

 だからその分、まだ三度目なのにあんなに滑れる涼がすごい。

「なんであんなに体力ないくせにちゃんと滑れるのか疑問」

 別にコツを掴めば少し力を入れるだけでもいけるので、体力の問題では無いような気がする。こればかりは多分体の使い方だ。結構な年のおじいちゃんやおばあちゃんが平気で滑っているのと同じだろう。

「確かにスキーの板をここまで持ってくるだけでもあんなに息切れてたもんね。ちょっとこいつやばいんじゃ無いかと思ったもん」

「酷くないですか?」

 数十分ほどで食べ終え、ちょっと食休みを入れた。

「明日スキー板レンタルしようかな」

「いきなりですね」

「やりたくなってきた」

「姉さんできるの? スノボ以外やってるところ見たことないけど」

「出来なくはないよ。多分。子供の頃の感覚が残ってればいいなって感じ」

 この人もなんかやってみれば感覚でなんとかなりそうな人だからな。

「あ、ちなみに私結構運動神経いいんだからね」

「聞いてないです」

 食休みを終えて、スキーウェアを着直して先に外に出る。やっぱり寒いなーと思いながら板を持ち運んで移動した横に立っていると、涼に正面から抱きつかれた。

 僕は「うわ」と言って雪に倒れ込む。

「ちょっ、涼なにを……」

「そんなじゃ今日の夜はキュン死するよ」

「なに言ってるか分からないし、流石にちょっと離れろ」

 少しワシントンクラブに行ってくると言っていた、楽器屋のお姉さんが後から来た。死語なので、補足しておくとトイレのことだ。

「甘いね」

「え? 助けてくれないの」

「がんばれ」

 本当にこれはどうすることもできない。完全に上に乗られてしまっている。あいにく寝技などの心得はない。不可能だと諦めて脱力すると、その拘束はすぐに解けた。

「じゃあ、さっき言ってたコースでいい?」

 そのまま、今日はそのコースを永遠に滑り続けた。


       5


「疲れた」

 あのコースは最初少し苦戦したが、普通に滑れるくらいにはなった。圧雪されていなかったから少し苦戦した。

「ああ。疲れたな」

 涼は早々にバスに乗り込んで背もたれに全体重を預けている。その隣に僕は座った。

「お疲れ様。二人とも。一応この後ナイトあったけど、この様子じゃね……」

「無理ですね」

「無理無理。私、これまでで一回も体験できたことはないよ。ナイトセッションに入る前に死んでたから」

 僕は家族と一回だけやったことはある。しかし、わざわざ夜にやるものという感じはなかった。別に時間はいつでもいんじゃね感がある。

「ま、明日も午前中はあるから」

「午後までやるわけじゃないんですか?」

「昼食は別の場所で食べるよ。あんまり遅く帰っても大変だしさ」

 どこで食べるのだろうか。というか、必ず食事がメインになる時ってあるよね。別の目的で行ったのに。

 バスが動き始め、車内は大人しくなった。他の客も多く、ほぼ満席である。バスのエンジン音と、涼の寝息だけが聞こえる。

 ……もう寝てやがる。それも人の肩を枕にして。

「うん。変わらないね」

 楽器屋のお姉さんが前の座席から覗き込んでくる。

「大丈夫。毎回こうだから。私は二年間経験してるから、いいでしょ」

「……疲れて何か言う気力もないです」

「そっか。ごめんごめん。起こしてあげるから別に寝ててもいんだよ」

 よくそんなに元気だよな。あんなに体力ある涼だってこの有様なのに。楽器屋なんかやってるからインテリ系だと思っていたが、本当にアウトドア系なのかもしれない。

 単純にいえば……やめておこう。まあ、天然ではある。

「あー……どうだろう。寝るかな?」

 しかし、寝ることはなく旅館までたどり着いてしまった。涼をゆすって起こすが、起きない。起きるはずがない。

「あの。お姉さん。起きないです」

「……がんばれ」

「嘘だろ。タスケテ」

 涼の正面に立って強く揺する。

「おーい。涼。起きろー」

「お腹減った」

「知らねえよ。多分このあと食べれるから。まじで起きてくれ。おーい」

 多分少しすれば食べられるはずだからというか、どんな寝言だよ。いや、寝ぼけてんのか。

「……」

 起きた涼は無言で僕のことを睨みつけてくる。うわー。めっちゃ不機嫌だ。

「バス……ついたよ」

「分かった」

 すっと立ち上がった瞬間に涼の体がぐらりと揺れる。慌ててその体を支えた。

「頭からなんかさっと血が引くやつ」

「どうでもいいから、ちゃんと自分で立て」

 ほんと勘弁してほしい。こっちも疲れてんだ。

「ほら。迷惑かけちゃうから行くぞ」

「うん」

 バスを降りると楽器屋のお姉さんは先に板などの荷物を下ろしておいてくれていた。このバスはスキー板を後ろに置いて置けるようなタイプのものだ。

 旅館の中に入って、カウンターで鍵を受け取る。楽器屋のお姉さんの部屋は一階だが、僕らの部屋は二階だ。

「大丈夫?」

「何がですか?」

「変なことしない?」

「それは涼に聞いたほうがいいのでは?」

「確かに」

「なんで私が変なことする前提なの!」

「「当たり前だろ」」

 声が重なった。

「……もういいもん。怒った。覚悟しな」

「お姉さん。部屋交換しません?」

「あー。いや。あいにく私、この鍵を自分のってもうすでに決めちゃったからさ」

「旅館のです。勝手に自分のものにしないでください」

 意味わからない理論で嫌だということを伝えるな。僕は謎理論に一般常識で対抗。それも虚しく、部屋は変わらずという結果になった。

 楽器屋のお姉さんの部屋に置いておいた荷物を持って自分たちの部屋に向かった。涼はムスッとしていて不機嫌のまま治ってくれない。

 部屋に入って、机の上に置いてあったお菓子を見つける。……これで釣るか。とりあえず自分の荷物を置いて、座布団に座る。

「あっ。お菓子だ」

 なんか機嫌治ってる。

「旅館行くと必ずあるよね」

「……」

 治ってなかった。めんどくせぇ。

「僕のやつあげるからさ」

「ほんと⁉︎ ありがとう」

「ちょろい」

「……?」

 早速一つお菓子を食べ始めた。涼が食べ終わったら風呂でも入ってこようかな。そう思い、一応風呂の準備をしてある袋を取り出す。

 スキーウェアの下は涼のいるところで脱ぎにくいので、とりあえず上下着たままにしておくことにした。

「風呂入ってくるけど、どうする? 鍵、預けちゃうなら預けちゃうけど」

「私も行く。多分姉さんもすぐ行くと思うし」

「分かった。先行ってるわ。鍵はカウンターに預けといて」

「了解」

 僕がいると何かと気まずいこともあるだろうし。こればっかりは楽器屋のお姉さんを恨む。

 階段を降りると、ちょうど階段脇の通路から楽器屋のお姉さんが出てきた。

「君も風呂に行くの? 奇遇だね」

「食事までは何もせずダラダラしてたいので。あと、涼も後から来るらしいですよ。風呂の中で寝かせないように気をつけてください」

「君はあの子の親か? ま、飯の時間まではゴロゴロしてたいのは分かる」

 風呂は大きくも小さくもなく、六人くらい入ったらいっぱいだろうなという感じだった。ただ、原湯でどこからか引っ張ってきたものではあるらしい。湯の効能みたいなのが書いてあるのを見て原湯だと知った。

 外に出て、山の上だから寒いだろうとパジャマように持ってきたパーカーを着、下もラフ目なジーパンを着た。パジャマになりそうにないのは重々承知の上用意したが、結構寝にくいかもしれない。

「や。どうだった?」

「結構日に焼けたのか痛かったです」

「スキーって意外と焼けるんだよね」

「本当ですよね」

「にしては全く焼けてる感ないけど」

「引きこもり気質なもので」

「佐々木くんって将棋できる?」

 楽器屋のお姉さんが居たのは、風呂から出て左側。外から旅館に入ってすぐ左側が風呂なので、入り口から見ると正面にある。どちらかというと、ただ装飾のためだけにあるような感じの部屋だが、別に休憩のためのスペースとして使っていいのか漫画や将棋、囲碁もあった。

「できますよ」

「じゃあ、一局頼むわ」

 上の方を見ると、鹿の角が置いてある。結構ゴツい。楽器屋のお姉さんが少々長考しているので、このスペースのものを眺めている。

「ここかな」

 そこは僕が考えていた中で最適解だった。即ち、一番嫌な手。

「そうなると迷うんだよな。銀を取るか、桂馬を取るか」

「これ間違っちゃうと結構大きんじゃない?」

「そうなんですよね」

 結局ここは機動力の高い桂馬を取った。スピード勝負になるとこっちの方が強い。ただ、チェスのように後ろに下がることができないのは不便。そう思うと銀の方が良かったのかな。

「そういえば、涼はまだ出てきてないんですか?」

「去年もこんな感じだよ。風呂の時間はめっちゃ長い」

「寝てないですかね?」

「多分平気。周りに人はいたから」

 じゃあ安心できそうだ。

 桂馬を取ったのを引き金にお互いの陣形はボロボロに乱れている。これは立て直した方がいいのか、それともさっき取った駒で攻め込むのがいいのか。

 そんなことを考えながら頭の中で試行錯誤していると、風呂場から涼が出てきた。

「あ、姉さんずるい」

「私だけなのね……」

多分ずるいと言ったのが、将棋をやっていることに対してではないからだと思うが。

「……てか、姉さんもう詰んでんじゃん」

「え? 嘘だー」

 楽器屋のお姉さん側の駒の並びを見てみる。あ、本当だ。詰んでる。

「本当だ」

「……うん。本当だね。これは……」

 指す手順をもう一度考えてみる。

「七手詰めですね」

「多分そう」

「あーあ。負けちゃった。ご飯の時間だけど、アナウンスが鳴るはずなのね。それがなったらそこの食堂で。涼はわかってると思うけど、寝られると君に伝える術がなくなるから今のうちに言っておく」

「分かりました」

 なんか二人とも私が寝るってこと前提で話してるけど私だって寝ない時は寝ないから。とぼやいていたが気にせずに部屋に戻った。

「何する?」

「別に二人になったからって何かしないといけないわけでもないから。テレビつけていい?」

「えー。何かしようよ」

 そう言って自分のバックの中を漁り始めた。下着などが下から出てくる。

 それらを見ないようにとテレビをつけると、いつもは見れないこっち側のテレビがやっていた。だからと言って何かあるわけではなく、いつもやってるような番組に変更する。

「あ、ポッキーある。ポッキーゲームやる?」

「やんない。ちなみに細さは?」

「極細。五十回できる」

 だからやらねぇっつの。

「じゃあ、食べる?」

「あー。一本」

「分かった。ん」

 受け取ろうとしたが、チョコの方がこっちに向いている。それは置いといて、そもそもな……。

「おい……加えてこっちにくるな。やらないって」

「ん」

「ん。じゃねえ」

 無表情でこっちを上目遣いで見てきている。横に目を逸らすが、それだけでどうにかなるような問題ではない。かなり顔が近い。

「……分かったよ」

 涼が咥えてる側と反対側を咥えようとすると、スッと涼の顔が引いた。そして、咥えていたポッキーを食べてしまう。

「やっぱり私が持たなそう」

「出来もしない話題を提供するな!」

 涼の顔が少し赤いが、自分も変わんないだろう。

 そして、涼が顔を引いた時に顔に飛んできた水滴を拭う。

「涼、ドライヤーは」

「してない」

「しようか」

 まだ湿っている髪に触ろうと手を伸ばすと、離れられてしまった。

「君が乾かしてくれるなら」

「なんでさ。ちょっと待ってろ」

 部屋の洗面所に置いてあったドライヤーを取って来て、コンセントに繋ぐ。

「え? やってくれるのね」

「しょうがないからな。風邪引かれても困るし」

 座るように促して、温かい風を送った。そして髪をサラサラと乾かす。

「君だって乾かしてないくせに」

「短いし、すぐ乾くから」

「いや、結構長いと思うよ。後ろ結べるんじゃん?」

「流石に無理」

 乾かしているとようやく夕食ができたというアナウンスが鳴った。まだ少し湿っている感はあるが、これならすぐ乾くだろう。

「あ、行こ」

「そうだな」

 階段を降りていくと、何人かの人が食堂前でスリッパを脱いでいた。少しだけ時間がかかりそうだ。中を少し覗くと、楽器屋のお姉さんはもうすでに中にいる。

「……涼、寒くないの?」

「名前が寒い」

「そんなこと聞いてない」

 涼の服装はなぜかショートパンツとスウェットの上を着ている。見るからに寒そうだ。

「少し寒いかな」

「風邪ひくなよ」

 自分の着てきたスキーウェアを涼の方にかける。

「飯食ってる時とかも、足にかけとけ」

「……あ、ありがとう」

 こいつ、やっぱり恥ずかしがる基準がわからない。いつもあんなに自分からぐいぐいくるくせに。

「廊下は少し寒いよね」

「そうですね」

「ちなみに、さっきの会話は周りの人たち恋愛ドラマとかみるような目で見てたよ。ほら、今も露骨に目を逸らした」

 周りを見ると、確かに目を逸らしている。もっと人の目を気にすればよかったと今更ながら後悔した。涼のせいで日頃から人の目を気にする習慣がなくなっていた……。めちゃくちゃ恥ずかしい。

 隣にいる涼も俯いている。さっき貸したスキーウェアはしっかり膝掛けにしてくれている。風邪をひかれるよりはいいか。

「よし、じゃあ食べるよ」

「……」

「そんなに恥ずかしがらない。君たちってなんだかんだ言って、めちゃくちゃ理想的な関係なんだから。年頃の男女からしたら。周りおっさんばっかだけど」

「完全に追い打ちかけてきてますよね」

 グラスを持って乾杯しようとしたが、その前に旅館の女将さんがくる。

「先に火をつけさせていただきますね」

 小さい鍋のような皿に肉が載っている。その下には固形燃料があって、それに火がつけられた。

「ビールひとつお願いします」

「はーい。少し待っててくださいね」

 すぐに旅館の女将さんはビールを片手にやってきた。それを楽器屋のお姉さんの前に置く。

「じゃ、今日はお疲れ様。乾杯」

「お疲れ様です」

「乾杯」

 グラス同士が当たってキィンと心地の良い音が鳴った。

「うーん。美味しい」

 涼が最初に魚を頬張る。僕は味噌汁を啜った。

「鍋取る?」

「取ります」

 皿を持って、膝立ちになって取ろうとしたら、楽器屋のお姉さんが手をこっちに伸ばしていることに気がついた。

「お皿ちょうだい。どれくらいいる?」

「あ、ありがとうございます。お姉さんと同じくらいで大丈夫です」

「私も取って。姉さんと同じくらいでいいよ」

「オッケー」

 僕ら三人の囲む机の真ん中には大鍋が置かれている。あっさりとした海鮮系の鍋だった。

「にしても、多いですね」

「大丈夫」

 楽器屋のお姉さんが言って、それに涼が続ける。

「私が食べるから」

「どんだけ食えるんだよ」

「食べようと思えばいくらでも」

 人一倍動いている量が多いからなのか? 別に僕と変わらない気もするが、そういうことにしておいた方がしっくりくるのでそうしうことにしておく。でも、ほとんど寝てるわ。涼は。

「あのー。ビール二つください」

「はーい」

 もう一杯飲んだのか? かなり早いな。

「結構飲むんですね。潰れないでくださいよ」

「そんな飲まないって」

「そう言って過去二年間一度も潰れなかったことはない」

 涼がすかさずそう言った。

「ダメじゃん」

「私が運んだよ」

「良く運べたよね。私軽いと思うけどさ。軽いと」

「なんでそこ強調しました?」

 量が多いだけに黙々と食べ続ける。

「そういえば明日は私もスキーやるから」

「出来るんですか?」

「感覚でなんとかなりそうな気がする。だって、止まらなければ転べばいいだけだし」

 極論そうだけどさ。

「家族とは毎回どこ行ってるの?」

「毎年那須の方面ですね。こっちはきたことありません」

「そういえば、ここら辺は水芭蕉の草原が有名だから、今度夏にでも来たいね」

「ハイキングとか?」

 そう言えばそんなの中学生の授業でやった気がする。音楽だったっけな。

「そうそう」

「そんときには君たち二人は受験生だろ」

「あー。確かに」

 急に現実に引き込まれた。

「何か将来の夢とかあるの?」

「ないですね。自分が何やりたいのかとか全く」

「私も同じ」

 スキーの選手にもなってみようかなと絶対無理な妄想をして、一瞬でかき消す。

「何にでもなれるんだから、たくさん悩めばいいよ。私だって悩んでんだから」

「何になりたいんですか?」

「医者」

「そんなの私も聞いたことないんだけど」

「親が医者だったんだよね。ま、ただの憧れだから」

 憧れるならどんなに非現実的でも良いのか。

「歌手にもなってみたい」

「いくらか現実的だね」

「でしょ?」

「あとは……」

「まだあるんですか?」

 でもそれはそれで羨ましいな。

「あるよ。たくさんある。教師とか、研究員とか、小説家とか、外国に旅して写真家とか、南極大陸の調査隊とか、通信兵とかも憧れるかな。でも、今の生活で満足してるの」

「なんか、めっちゃ浅い感じするけど深いですね」

「姉さんは外見が浅いからね」

「胸が小さいとでも言いたいのか」

 楽器屋のお姉さんは「だって〜おかしくない?」と言う。別に何がおかしいのかわからないが、正直言ってまな板ではある。

 口に出したら怒られるだけなので、頭の中に留める程度にしたが、僕の思ってたことが隣から聞こえた。

「まな板」

 しっかり爆弾発言していくスタイルね。さすが涼だわ。会話に入れない僕は小さくなって鍋を食べる。

「……案外、冬川さんも小さいほうだと思うけど」

「私はいいの」

「なんで」

 めっちゃ会話入りにくい。そもそもこの会話気まずい。

「君の友達が言ってた。君はあまり大きくないほうが好みだって」

 飲んでいた鍋のつゆが気管支の中に入り込んで咳き込んだ。楽器屋のお姉さんが少し見えたが、ニヤニヤしてやがる。この酔っぱらいめ。

「お前、だ、誰から聞いたそれ。いや、一人にしか思い浮かばないわ。あいつだ。まじで……」

「どう? 私はドンピシャなの?」

「ごめん。言いにくいから黙秘権を行使する」

 絶対涼に言ったやつはあの祭りで涼と二人で飯食ってる時に来たやつだ。頭おかしいくらいの友達のネットワーク持ってるやつ。

「……ジト」

 楽器屋のお姉さんはくっくっくと言って笑っている。若干酔いが回ってんじゃないのか?

 旅館の女将さんがやってきて、「食べ終わったお皿、下げちゃってもいいですか?」と言う。

「お願いします」

「ちょっと前までお姉さんに連れてこられて、こんなに小さかったのにね」

「ははは。毎度お世話になってます」

 旅館の女将さんが手で示した高さはだいたい小学生くらいの身長だろう。

「君たちは、妹とか弟さんってわけじゃないだろうし、そんな話聞いてないわよ。もしかして、お姉さんの子供だったり?」

「いや違いますね。姉はまだ未婚です」

「あら。勿体無い」

 楽器屋のお姉さん姉の子供なら確かにそれくらいの歳か。

「この二人は、お姉ちゃんの友達の娘とその彼氏ですね」

 そう考えるとかなり遠い奴らが三人でいると言うことになるな。

「あなたのお姉さんもそんな感じだったわね。昔はお友達とワイワイやって来て。この部屋がほとんどあなたのお姉さんの友達で埋まったこともあったわ」

「その節は、私生まれてるかも知りませんがお姉ちゃんが迷惑をかけました」

「かなり歳が離れてるものね」

 常連となると、話すことも多くなってくるのだろう。しかし、他の旅館に泊まってる人たちから「女将さんビールください」と言う声が聞こえて、そっちに行ってしまった。

「昔から私ここに通ってんだよね」

「シーズン中は週一でしたっけ? 毎回ここなんですか?」

「そうだよ。来週と、その次と、その次も入れてたっけ?」

 ビールを持って来た女将さんが口を挟んだ。

「来週は入ってなかったよ」

「あれ? そうだっけ。部屋空いてます?」

「空いてないのよ」

「あ、そっか。空いてないんだった」

 よく考えたらおかしいくらいの頻度で行ってるんだな。

「お姉さんって、どれくらいの実力なんですか? スノボ」

「私? バックスリップならできるよ」

「バック……?」

「あれでしょ、バク宙のやつ」

「そうそれ。今日はやらなかったけど」

 それから楽器屋のお姉さんは潰れる一歩手前まで飲み、フラフラで部屋に戻って行った。女将さんが止めなかったら確実に酔い潰れていただろうと思う。

 涼は涼であんなに食べたというのにケロッとしてやがる。結局一人で半分以上の鍋を完食していた。

 そして、僕らはふらふらのお姉さんを見送ってから二階の部屋に戻る。

「美味しかった」

「よく太らないよね」

「太れないんだよ。君だって同じようなもんでしょ?」

「僕は少食なだけだ。ただ、太るか太らないかで言われたら、太らないだろうね」

 正直これはなんの差なのだろうか。家族は父さんも母さんも細いからな。頑張らないと太ることはできないと思う。

 食べ終わって部屋に戻ると、中は布団が敷かれていた。

「君はどっちで寝る?」

「どっちでもいいよ。涼の好きな方で」

 そんなに場所とか方角とか気にしない人なので。

「多分決めても意味ないよ。私は誰かいるとそっちに潜り込んでいく習性があるから」

「じゃあなんで最初にどっちがいいか聞いた?」

 意味はないと言われつつも、一応決めるには決めた。

「お姉さんあんなに飲んで明日平気なの?」

「けろっとしてるよ。いつも。何度か親の都合で姉さんのとこ泊まりに行ったけど、毎回飲んだくれて酔い潰れちゃ次の日けろっとしてたからね」

「酒は強いんだな」

「あれが強いように私は見えないけど」

 弱いのはそうなんだろうが、うーん。よく分からない。飲めるようになればわかるのかもしれない。

「私は寝るけど、君は?」

「疲れたし、明日に備えて寝る」

「分かった」

 僕は自分の寝る布団の上に座ってたので、足に布団をかけて立っている涼の方を見る。

「電気消すよ」

「オッケー」

 カチッとなって電気が消え、真っ暗になった。光は外からのわずかな光だけであるが、それでも涼のことは黒いシルエットだけ見える。

「おやすみ」

「待って」

 布団に座って後ろに手をつけている僕に涼は抱きつくように飛び込んできた。完全に下敷きになり、上から抱きつかれている。

「痛い」

「こんなことできるのは、こういう機会だけだからね」

「いつもやってる癖に?」

「こう言う時は雰囲気に合わせなさい」

 甘い匂いに包まれ、髪が頬をくすぐる。

「間違ってもこのまま寝るなよ」

「名案だね。このまま寝よっか」

「お前。今更ながらだけど一度でも僕の話を正しく聞き取ったことあるか?」

 やがて涼は離れて自分の布団に行った。暖房がついているとは言え、さっきまでの温もりがなくなって肌寒い。

「おやすみ」

「ああ。おやすみ」


       6


 夜はそうやって別々の布団で寝たはずなのに。なんで……。朝起きると、涼は僕の腹のところに体を小さくして寝ていた?

 少し服の裾を掴まれている。ちょうど彼女の頭は僕の胸のところにあった。

「涼」

 その状態で涼が顔を上げたため、お互いの顔が近くなる。ポッキーゲームの時よりも近い。

「……おはよう」

 今日は反応が早い。反応が早いのはいいが、この距離はやばい。そう思ったが、なかなか離れてくれない。

「えっとさ。ちょっと離れてもらえるかな?」

「えー」

「逆にくっついてくるなー」

 でも、この距離感にもなれて来た。本当に涼はギリギリを狙う。

 くっついてくる涼を無理やり起こし(起きてたけど)朝風呂に行ってくると言って、半分着替える言い訳作りのために行くことにした。

「おはよう。早いじゃん。朝風呂?」

「着替えるための言い訳作りのためにですが、そうです」

「あー。そこまで考えてなかった。ちょっと気を使わせちゃったかな。悪いね」

「全然平気ですよ。逆に、これで涼が着替えててくれないと色々困りますが」

「冬川さんなら気づくでしょ。あの子一応鋭いから」

 帰ってくると涼は着替えてなかった。

 別にまた部屋の外に出ればいいかなとそのまま朝食を取ることに。朝食は少し控えめな涼なので食べれた。夜と比べたらという話だが。

 そして、今日もスキー場に行く。昨日と違うのはバスから直行せずにレンタルスキーによってからだ。

「レンタル出来ます?」

「できるよ。予約は?」

「ないんですが……」

「まあ、サイズだけあれば貸し出すこと可能だね。ちょっと探してくるから待ってて」

 待っててと言った割には全く待たせずに奥から出て来た。

「ちょっと長いけどいいかい?」

「問題ないです」

「足のサイズは?」

「二五くらいかな」

 それもすぐに持って来て、楽器屋のお姉さんが試しに履いている間に店員さんは調整をしていた。

「ピッタリです」

 そして、それらを持って最初にクワッドに乗った。

「滑れるかな。何年ぶりだろう。先滑って少し手本見せて。普通に滑っちゃっていいから」

「お手本になるか分かりませんが、分かりました」

 普通にと言うのは、スキー板をハの字にせずに平行でいいと言うことだろう。

 ただ、平行は平行でも少し丁寧めにやる。涼はサーっと先に行ってしまった。まあ、最初の一本めなので丁寧に行ったほうがいいだろう。

 事前にゴンドラの方に行ってしまおうと話していたので、そちら側に向かう。

 滑り終わって、ゴンドラに乗るために板を外しているとすぐに楽器屋のお姉さんが来た。赤いスキーウェアの人を見つけようとしてたが、見つからず今日はスノーボードじゃないのかと思ってもう一度探すと見つけられた。

「滑れた滑れた」

「姉さんめっちゃ上手いじゃん」

「良かったよ。感覚残ってて」

「それだけでそんなに滑れるもんじゃないと思いますけど」

「見様見真似だよ。結局それが一番できる」

 うん。運動能力に関しては涼変わらないくらいの化け物だ。二日目の午前中は何事もなく、、、楽器屋のお姉さんが一回派手に転んだ以外は問題なく、終わった。

 楽器屋のお姉さんはレンタルスキーを返して、僕らはすでに着ていた旅館のバスに乗り込んだ。遅れて楽器屋のお姉さんも乗り込んでくる。

「こっからはね、えっとー。少し下ったところの温泉に入って、そこで昼食を食べて帰る感じね」

「分かりました」

 温泉に入るというのは聞いていたので、ちゃんと着替えも持ってきている。けれど、詳細は今初めて聞いた。

「そう言えば、温泉は君一人だね。一緒に入ってあげようか?」

「なんで恥ずかしげもなくそんことが言えるんだ?」

 それからは部屋に荷物を取りに行って、それらをまとめて車に乗り込むだけだった。そして、結構山を下っていく。かなり民家が多いところまでは来た。

「あ、この店寄るね」

 楽器屋のお姉さんがハンドルを切って、店の駐車場に入った。

「舞茸でも買って行ってあげたら家族喜ぶと思うよ」

 涼が言った。

「舞茸?」

「そう。美味しいよ」

 とりあえず良くわからなかったので、みんなと同じように二パック買っておいた。お吸い物くらいしか用途知らないんだけどというと、これから食べにいくところでいくらかわかるよと言われた。

 その店を出て向かった温泉は、普通に温泉だった。別に何かと言って特徴はない。ただ、疲れた体にはゆっくりできて心地よかった。

 温泉から出てくると、やっぱり先に楽器屋のお姉さんが出てきていた。僕も長く入っていたため、待たせてしまったかなと思ったが、僕が出てきてから三十分くらいして涼も出てきた。

「ごめん。結構待たせた」

「こっちもゆっくり出来たしいいよ」

「私も少し寝れたし」

 楽器屋のお姉さんはずっと隣で俯いて寝ていた。これから運転を任せてしまうのでそっとしていたが、涼の声が聞こえた瞬間に起きたから、結構眠りが浅かったのかもしれない。

 僕らは食事処である畳の部屋に移動する。

「ここは、そばがまあまあ有名。他も美味しいけどね」

 楽器屋のお姉さんがそういうので、僕は天ぷらそばにした。涼は舞茸丼、楽器屋のお姉さんは天丼を頼んでいる。

 隣に座っている涼を見ると髪に少し水滴がついている。

「涼、髪ちゃんと乾かした?」

「乾かしてないよ。私はいつも乾かしてない」

「それでいてよく冬川さんはそんなに髪綺麗だよね」

 まだ濡れていると言うと別にいいやと言うので、涼のタオルを借りて拭いてやった。猫の毛のようになかなか水分が取れない。

「ドライヤーないと無理そうだな」

 それでもめげずに拭き続けていたら頼んだ料理が来るまでには乾いた。まだ少々濡れているが仕方がない。

「へー。天ぷらにもできるんだ」

「肉と一緒に焼けばこうなる」

 舞茸の話だ。なるほど。こういうふうに使えばいいのか。今度料理するときは使ってみよう。

 出てきた料理を食べ切って、外に出たときにはもうすでに三時を回っていた。車に乗り込んですぐに涼は寝てしまう。左側が大きく空いてるのにわざわざこっちに寄って来たのは、僕の肩を枕がわりにするためだと後から気がついた。

「全然寝てていいからね。着いたら起こしてあげるから」

「ありがとうございます」

 少しずつ暗くなっていく外の風景と雪のない風景を肩の重みと共に眺めていたら寝てしまった。

 そして着いたことを知らせる声に起こされる。

「着いたよ」

「あ、えっと。おはようございます」

「ん? うん。もう少しで着くから荷物準備しときなって言っても、後ろに全部あるから無理か」

「あー。そうですね」

 起きると肩の重みは消えていたが、太ももに移動している。僕が膝枕をしている形だ。

「涼も起こして何か言ったほうがいんだろうけど……起こすと起こすで可哀想だな」

「いんじゃん。君たちは明日でも会えるんだし」

 確かに冬休み中なので可能だ。起こさないでおいてあげよう。ただ、膝の上から退かす時に起こしちゃったら申し訳ないなと思ったけれど、そんなことで起きることはなかった。

「ここだったけ?」

「そうです。ありがとうございました。楽しかったです」

「どういたしまして」

 僕がスライド式のドアを開けて外に出ると、楽器屋のお姉さんも外に出て来て、後ろのトランクを開けてくれた。

 そこから自分の荷物を背負う。家の方をよく見たら母さんはもう帰って来ているようだ。

「じゃあ、おやすみ。また来年な」

「はは。来年ももう決まってるんですね」

「もちろん」

「その時もお願いします」

 最後に少しだけ頭を下げると、楽器屋のお姉さんは手を振って運転席に入っていく。外は結構寒いが、スキー場ほどの寒さはない。

 玄関に入る前に車の方を見ると、ちょうど走り去っていくところだった。玄関を開けて中に入る。

「ただいまー」

「おかえり。今帰って来たの?」

「そう」

 とりあえずスキー板などの荷物は玄関に置いておいて、服などが入った荷物だけを持ち、母さんのいると思われるリビングに行った。

「楽しかった?」

「うん」

 この家はリビング、ダイニング、キッチンに仕切りがない。母さんはキッチンで夕食を作っていた。

「夕食は食べれる?」

「少なめで」

 昼食の時間は三時でかなり遅かったから。

 とりあえず着たものを全て洗濯機に入れて回してしまい、スキーウェアは自分の部屋のハンガーにかけて乾かしておいた。

「あんた最近さ、外出すること多くなったよね。彼女でも出来た? もしかして、今回のスキーも彼女と……」

「流石に泊まりはやばいわ。友達と行っただけだよ」

「ほんとあんたは浮かないわよねー。浮いた話がひとつもない。まるで昔のお父さんそっくりよ。あんな鈍いような人になっちゃダメだからね」

 父さんのひどい言われようは聞きなれている。聞きなれていいものでもないが、まあ聞きなれた。

「母さんこれお土産ね」

「えー。ありがとう。何これ」

 母さんが僕から受け取った袋の中身を覗く。

「お吸い物しか知らないんだけど」

「僕と同じこと言ってんな」

 撮っておいた今日の昼食の写真を開いて母さんに携帯を渡す。すると母さんはそれを拡大したりしながら見ていた。

「この人の髪綺麗だね」

 慌てて何かと見てみると、写真の端に映った涼の髪の毛だった。

「友達のお姉さんのね」

「ふーん」

 完全に疑われていることは間違いない。

「明日あたり何かに使ってみようかな。あ、明日私休みだから」

「珍しいね」

「仕事がなくなったから休みだって。さすがホワイト企業って感じじゃない?」

「度々泊まり込みとか遅くなったりとかある癖に、よくホワイトって言い切れるよね」

 母さんの方は自称ホワイトだが、父さんの方はバリバリのブラック企業である。

「私がブラックって思わなければホワイト」

 どう言う理論だと聞きたくもなるが、確かに気持ちの問題なのかもしれない。

「ただいま」

 そんなことを話していると、父さんが帰って来た。

「おかえり。早いね」

「ああ。上司に押し付けて来た」

「うん。意味わからん」

 ブラックだが、効率厨と口の上手さでホワイト並みの時間労働で帰ってくることはしばしばある。逆に数日泊まり込むこともある。

 ……なんで僕の周りには変わり者しかいないんだ?

 それから数日間の残りの冬休みは全くなにもなくという感じだった。


       7


 学校は始まり、今日も今日で涼の家に寄る。

「おはよう」

「なんだかんだ言って、一度も涼が寝過ごしたことないよね」

「君との約束だもん。すっぽかすはずがない」

「それだと、僕以外との約束はすっぽかす可能性があると言うことになるけど」

「そうだけど?」

「さいですか」

 学校が始まったらただいつもの生活に戻ってしまうだけで、それと言って変わることはない。

「明日なんだけどさ」

「なんだよ」

「俺ら休みなんだわ」

 学校初日。柳田はそんなことを言った。

「二日目早々か」

「ああ」

 多分、俺らというのは柳田の彼女のことだろう。話していてそんな気がした。

「で、なんだよ」

「図書員の仕事があるのな」

 この学校は部活などのように委員会も自由に参加することができる。もちろん、参加しないことも可能だ。ただ、僕は先生にお願いされて仕方なく図書委員会に入っている。

 担任が、今年は誰も一年生が入ってこなかったから「本好きの佐々木、やってくれないか?」と言われたのだ。もちろん断ったのだが、柳田がバカやったせいで、連帯責任で強制入会。

「マジで恨む」

「あれは、マジですまなかった。話を戻すけど、変わってくんねぇ?」

「やだ」

「頼むって。冬川さんには許可取ったから」

「お前、僕の意見を尊重する気ないだろ。そもそも、涼は図書委員じゃなかった気がしたんだけど」

 無所属のニートとも呼ばれる存在だった気がする。これ、本当にニートと呼ばれ、呼び出しでも委員会の仕事がある人は来なくて大丈夫ですの後に、ニートの方は必ず来てくださいというのがお約束という、意味のわからん校風がある。

「彼女がね、冬川さんに頼めば、お前もついてくるだろうって言ってたから」

「首謀者はお前じゃなかったか……。わかったよ。やっておく。なにして来んのかしらねぇけど」

「映画見てくる」

「普通にズル休みかよ」

 予想してなかったわけではないが。

「じゃ、よろしくなー」と言われたきり、この話題については持ち上がらず、次の日の図書室を閉める時間までカウンターに居座ることになった。

「本当申し訳ない。僕が図書委員なばっかりに」

「別にいいよ。私も図書委員に入ろうかと思ってたし。ここ一年間」

「それ、これまでもこれからも入ろうとしてないやつだろ」

 僕らがワイワイやっていると、少なくとも一階には誰もいない図書室に先生が入って来た。僕のことを無理やり入れた、担任の先生だ。

「お二方、ここは図書室だぞ。静かにな」

「すみません」

 涼が謝ったが、すぐに先生は誰もいないのに気がついて言った。

「ああ。誰もいないのな」

「いないですね」

「今日は、あのバカとその彼女が担当じゃなかったっけ? そもそも、冬川さんは図書委員じゃないよな」

「今日、あいつら映画見に行ってんですよ」

 言ってからしまったと思った。でも、口止めはされてなかったしいっか。

「あいつら……ズル休みか。言質取ったからな」

「君、密告しとくから」

「なんでだよ」

「冬川さん。悪いのは柳田達だから大丈夫」

 ここで先生が味方になってくれるのはありがたいが、後で怒られるだろうな。一言謝罪入れとくか。なんの謝罪かは伏せて。

「はぁ。あいつらも青春だよな。俺なんかこんなにしょぱいのに」

「なんかいつだったかも聞いたことあるんですけど。でも、先生奥さんいるじゃないですか」

「私も既視感があるな。先生の奥さんに言ってもいんですか? しょっぱいって」

 若めの先生で、多分三〇代前半である。

「絶対言うな。と言うか、お前らなんでそんなこと知ってんだよ」

「学校内じゃ有名だよ。しかも、結構美人って。私よりかは分からないけど」

 たまに涼から出てくる謎の自信。

「確かに冬川さんの方が美人だけどさ……」

「セクハラです」

「奇行はしないよ?」

「名誉毀損です」

「……」

 涼にそう言われた先生は僕に泣きついてくる。ただ気持ち悪い。

「なー。佐々木。俺、冬川さんに嫌われてる気がする」

「気持ち悪いです」

「……そんな俺って嫌われてる先生だったっけ? まあ、それは置いといて、俺の妻の噂なんてどっから流れた?」

 置いておけないことだが、大丈夫。先生は多分校内で一番人気の先生だ。

「決まってんじゃん」

「ああ。決まってる」

「いや、分からんて。まさか自分らとか言わないよな。ストーカーだかんな」

「圭斗ですよ」

「甥っ子!」

 そして、休日は休日で涼と楽器屋に行って色々弾かせてもらったり。最近は僕も新しく仕入れたものを触らせてもらえる。ものによってなにが違うかなども分かるようになってきた。




春眠のリナリア


       1


 そして、時間は流れ三月の上旬。まだまだ寒い時期に僕らは初めて喧嘩をした。

「ねえ。なんで? なんで分かってくれないの⁉︎ なんで君は!」

「分かんないよ。分かんないし、何なんだよ。涼!」

 きっかけは分からない。いつも通り涼が来て、本を読んでいて、些細なすれ違いがことを大きくしてしまったのかもしれない。ここ数日、少しだけ忙しく、涼と話す時間が少なかった。そして、彼女が僕の家に来て久しぶりに話し込んでいた時のことだ。彼女が来たのは今日も水曜日だった。バイトを入れていないから。

「分かんない!」

「どう、涼自身もわからないことを僕がわからなけりゃならないんだ?」

「だって。だって。私はわからないし、君の方が」

「だから!」

「違う!」

 彼女はベットの上に座っていた僕を押し倒す。

「なんで、分かってくれないの。だって……私は……」

 聞きたくない。そんなの。脳が聞きたくないと彼女の声を抑圧する。

「私は君の──た、ただの──だよ」

「何が、意味がわからない」

「分かってよ。もう……」

 彼女が僕を押し倒す力が弱まった。彼女は僕に覆い被さるようにしながら僕の胸の中で泣いた。顔は見えなかった。泣き声も聞こえなかった。ただ、冷たい温もりだけが感覚としてあった。久しぶりに誰かと喧嘩をして、こんなにめんどくさいものだったんだなとつくづく思った。

 少し経ってもしかしたら寝てしまったかもと思いながらも、少し戸惑いながら声をかける。

「涼。ごめん。悪かった」

「ううん。私が悪かった。ごめん……」

「いや。涼は……」

「私が悪い。だって私が」

「これは僕が悪い」

「私」

 数回僕が私がというやりとりをした後、僕の胸のところから離れない涼は顔を埋めたまま頭をぐりぐりやる。

「なんで分かってくれないの……」

 それだけ言って小さく笑い出した。僕も釣られて笑う。彼女がごめんというから僕もごめんと返す。それ切り会話は途絶えた。

 僕から離れた彼女は少しの間床に座って俯いていたが、立ち上がって座ってる僕の方を見る。

「そろそろ帰るね」

「ああ。もう、そんな時間か」

 外はすでに暗くなっている。彼女を見送って一度部屋に戻ったが、じっとしているのも耐えきれずに散歩に行くことにした。

 しかし、上着を持っていかず、寒かったのですぐに帰って来た。

 帰って来た僕は朝整えたシーツにシワを作りながらベットに倒れ込む。少し涙が出る。それが彼女と喧嘩してしまったからだということに気づくのに、少しの時間を要した。それからふと起きて、前日に来た服を片付けて、またベットに倒れ込むと寝てしまった。親は疲れていたのだろうと察して起こしてくれなかったみたいだ。

 日が変わって今日、彼女とは昨日あんなことがあったが、全く変わらずにいれている。少しぎこちない感じがあったが、そんなぎこちなさはすぐになくなった。

 そして週末。いつもの週末通り駅からお姉さんの楽器屋に行く。この後に古本屋も寄るか聞いたが、まだお互い読む本は残っていたため今日はいいやということに。

「「こんにちは」」

「いらっしゃい。新しいの入ったけど弾いてく?」

 最近、新しいのが入って来てなかったから久しぶりだ。

「弾きます」

「私も」

「じゃあ持ってくるから待ってて」

 楽器屋のお姉さんが取ってくる間に僕らは他のギターやベースを触ってみる。

「はい。これ」

「ありがとうございます」

 僕が彼女にああじゃないこうじゃない。と教えてもらいながら弾いて、そこからは好きに弾いてみる。彼女も自分で弾き始めると、僕は楽器屋のお姉さんの視線に気付いた。

「どうしました?」

 僕が弾くのをやめるとこの建物は防音なのでかなり静かになる。外の音も聞こえない。

「えっ? えっと。いや。なんでもないよ」

 まあいいや。ギターをまた弾く。

「上手くなったよね」

「そうですか?」

「うん。多分、そこら辺の人たちに比べたら普通にうまいよ」

「私が教えてたからね」

「あ、まあ」

「なによ。まあって」

 彼女はそう言って怒る。

「もっと自信持ちなよ。来た時よりは上手くなってるから」

 いつも通りギターを弾いていると、お客さんが来る。

「いらっしゃい」

「いつもの弦あります?」

 前にも見たことがある人だった。定期的に来ているのだろう。

「そういえば、私ももうないんだった。姉さん。いつものある?」

「あるよ」

 袋に詰められた大量の弦を買って、彼女は自分のバックに入れた。

「まいどー」

 弦を買いに来たお客さんは他になにも見ることなく帰って行く。

「私たちも帰ろうか」

「そうだな。そろそろ帰ります」

「帰っちゃうの? まあいいや。また来てね」

 今日もそんなに珍しいことはなく、僕らの家のある駅まで帰って来た。

「少し遠回りしない?」

「いいよ」

 遠回りといっても、どこを通りたいのか聞くと河川敷の方だった。ただ、喉が渇いたので途中のコンビニによる。

「喉乾いてない?」

「あー。乾いたかも」

 店のガラス張りの冷蔵庫からサイダーを二本取り出して買った。一本を自分の肩がけのバックに入れ、涼にもう一本を渡した。

「え? いいの?」

「喉乾いたんだろ」

「ありがとう」

 早速開けて飲もうとした彼女に僕は少し意地悪をしたくなったので言う。最初の時の意趣返しでもある。

「ちなみにそれ、振っておいたから」

「え……」

 彼女の歩み止まって、僕から数歩遅れる。数歩だけ先に行った僕は振り向いて彼女の方を向いた。

「じゃあ、賭ける?」

「何を?」

「今度のデートの昼食代」

「いいよ。ちなみに涼はどっちに賭けるの?」

「君の持ってるやつと交換して、君のが噴き出すっていうパターン」

 こっちが被害を受ける上に、賭けにまで負けるのか。最悪なパターンだが、別にいい。自分のも彼女のもどっちも別に振っていないんだから。

 今回の賭けは僕が勝てる。

「はい」

 僕は彼女から受け取って、自分のを渡す。

「本当にいいのね? 交換しちゃって」

「逆に君が交換させたいから言ったのかと思ったけど、私はこっちに賭けるよ」

「分かった」

 彼女から受け取ったペットボトルの蓋を安心し切って開けると、炭酸水が噴きだす。彼女のしてやったりという顔が見えた。あれ? なんでだ。少し考えたが、すぐにわかった。

 なるほど。そういうことか。

「僕が勝てるわけがない賭けだったよ」

「なんで?」

「涼が、今僕の持っている炭酸の状態を決められるのに」

 交換するということは、交換する前に振っておけば彼女は絶対に勝てる。

「やっぱ僕は涼には勝てないよ」

 つくづくそう思った。だって、振られていると言われて、歩みを止めてその間に自分の炭酸を振っておくなど、到底考えられるわけがない。ものすごい頭の回転だ。

「チェスもね」

「チェスは別に引き分けばっかだろ。一回、涼が勝ったことあるくらい?」

「二回ね」

「二回か。でも、引き分けの中の一試合は僕が完全に勝ってたのに、通信障害で落ちた結果、復帰した時にはボロボロになってて、引き分けにしか抑えられなかったような気がする」

「あれは逆によく引き分けにできたよね」

 僕らがやると必ずドロドロでステールメイトで終わる。これはお互い夜にやるため、頭が全く回っていないからだ。

「絶対あんな時間にやるものじゃないよね」

「ポーンとクイーンを間違えると詰む」

「あれは……ははは。君がひとつも頭回ってなかった時のね」

 遠回りをしても、いずれは家に着いてしまう。まだ一緒にいたいが、彼女のお母さんが心配するため解散となった。

 帰って来て気がついたが、今日も母さんは遅くなるから何か作っておいてとメールが来ていた。不在着信が入っている。楽器屋にいたからなのか全く気付かなかった。

 冷蔵庫を見ると、いつしかにもまして何もなく、買い足さなくてはならないなという感じだ。本当に空っぽで、出汁とかめんつゆとかしか入っていない。他はなにも入っていないのだ。肉とか一パックは入っててもいいだろうに。

 サイダーのペットボトルを洗い乾かす。それからまた買い物に行くために外に出た。

 そして、帰って来て冷蔵庫を開け、冷蔵庫の中に冷やしておいたサイダーを取り出し、買って来た食材を入れておく。

 取り出したおいたサイダーはその場でパキパキっと音を鳴らしながら蓋を開けて一口飲んだ。


       2


 ある五月の雨の日。

「……」

「……」

 ビッシャビシャの彼女がきた。これ、絶対大変だし、碌でもないやつだ。

「えっと。まあ……上がって。いや、その前にタオル持ってくるから待ってて」

「なんかごめん」

 風呂場でタオルを取って来て彼女に渡した。そのタオルで彼女は顔を拭き、髪についた水滴を拭き取る。そして、一通り拭き終わったあと家に上がった。

「風呂入る?」

「入る」

 なんだろう。閉め出されたりしたのかな。とりあえず聞かないで、風呂に入ってもらおう。風邪をひかれないように。

「着替えは……持ってないよな。洗濯するといっても、時間かかるからな」

「下着持ってる」

「なんでだよ。意味わからん」

 とりあえず、僕の服を貸してやるから早く入ってこいといって押し込んだ。その間に自分の服を適当に選んで、それを風呂場の脱衣所に置いておく。五月といえども少し寒いから、スウェットで構わないだろう。逆に、それ以外を貸すと明日自分の着るものがなくなる可能性がある。

 彼女の服は洗ってしまってもいいのか迷ったが、今日は母さんも父さんも会社に泊まり込んでいるため、なにも問題はないから洗ってしまった。

 下着とかは極力見ないようにして、さっさと洗濯機に詰め込む。

「マジで、なにがあったんだよ」

 閉め出されたとしても、なぜ下着だけ持ってくる?

 考えても意味がないため、極力考えないようにしながら、自分の部屋で本棚に入っていた適当なものを読み返した。二十分ほどすると階段を登ってくる音がして、終わったんだなと気づく。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「どこにいるのか少し探しちゃったよ」

「ああ。ごめ……」

 僕は部屋に入って来た彼女から目を逸らす。露骨に目を逸らして、ドアと反対側の方向を向いた。

「バカ! 履け!」

「だって、ズボン緩いんだもん」

 彼女は置いておいたはずのズボンを履いていなかった。オーバーサイズのスウェットを着させていたため、下着とかは見えていないが危うい。そのために目を逸らしたのだ。オーバーサイズのスウェットにしたことだけは、数分前の自分を褒めたい。

 緩いんだもんって言ったって、どこに履かないやついるんだ。緩くたって、違うやつ出してもらうまでは履いてろよ。

「えっとー……」

「ごめん」

 服のサイズとか気にしてなかった僕も悪いけどさ。とりあえず、タンスを漁って中学の頃に部活で来ていた短パンを出す。紐で縛れるし、問題ないだろう。

「早くこれ履け」

 タンスからとったそれを後ろに放り投げる。

「ありがとう」

 いいから早く履いてほしい。なんとなく疲れたと思い、ため息をつく。すると、耳元で彼女が囁いた。

「ねえ。興味ないの?」

「……。とりあえず、履いてもらおうか。それまでは口聞かないことにする」

「えー。なんで? オーバーサイズなんだから、横になったりのぞいたりしない限り見えないって」

 無視を決め込む。しかし、その決意も一瞬で打ち壊された。

 バサッとベットに倒れ込んだような音がする。実際、彼女はベットインしたため、ベットに倒れ込んだ音だ。

「おい。さっき横にならねければって言ったのは誰だ」

 その音に振り向いてしまった僕は、ベットインした彼女の頬を引っ張る。

「痛い痛い。取れちゃう。伸びちゃう」

「さっさと履いてくれ」

 彼女は不服とばかりに「はーい」と返事をして、やっとのことで履いてくれた。

「私って、そんなに魅力ないんだ……」

「魅力ないわけじゃないけど」

「せっかく女の子の生足見れる機会なのに?」

「別にいつも涼、ショートパンツだから見てるし」

 だから珍しいものでもない。そう思って答えただけなのに、白い目で見られた。

「……足フェチ」

「違うわ! 完全に誘導しただろ」

「ジト」

 あのな……。本日二回目の大きなため息をつく。

「で? なんで追いされた?」

「私追い出されたことになってない?」

「なってるね」

 なんであんな雨の中来たのかを、説明してもらおう。話を変えたかったというのも事実。

「まず、追い出されたわけでも、家出して来たわけでもないから安心して」

「分かった。別に不安には思ってなかったけど」

 彼女がなぜここに来たのか、というのを簡単にまとめるとこうらしい。

 現在、彼女のお母さんが、兄のところに行ってしまい、家に誰もいない。彼女が出かけているうちにお母さんは家を出てしまい、家の鍵をかけられてしまった。しかも、彼女は鍵を持って行きなさいと言われていたにもかかわらず、持っていくのを忘れてしまい、家に入れない。

「っていうのは建前で」

「っていうのは建前なのね? ちゃんと鍵持って来たの?」

「いや持ってきてないのは本当」

 彼女はなんで僕の家にきたんだ?

「ごめん。全く意味がわかんない」

「簡単だよ。君のとこの親がいないって聞いたから、泊まりに来た。第一、そうしないと下着とか持ってこないでしょ」

「第一、下着しか持ってきてないだろ」

 元々泊まる気ならば、自分の服を持ってきて欲しかった。

「で、なんでわざわざ鍵とかおいてきたの?」

「こうすれば断られないかなって」

「……今からでも断ってやろうかな」

「レディに雨の中外で野宿しろと?」

「言ってない。兄の家行けよって」

「めんどくさい」

 こっちも盛大に困っていますが。さて、どうしたものか。このままいくとというか、現時点彼女が泊まることは確定していると言える。

「じゃあ、今日は泊まっていくんだな?」

「いいの?」

「断る理由ないし」

「じゃあ、普通に鍵持ってくればよかった」

「僕も、そうしてもらえると嬉しかったな……」

 つくづく困らせてくるやつだ。鍵は別に持ってこなくてもいいけど、とりあえず服だけは持ってきて欲しかった。

「携帯も持ってきてないからな」

「逆になに持ってきたの?」

「下着。以上」

「おかしいて」

 さて、この土日はしっかり休むことなど不可能だと割り切ろう。どう考えても無理だから。

「せっかくのお泊まり会だし、何やる?」

 ほら。これだもん。

「そうだ。恋バナとか」

「彼氏彼女の関係でそれやって意味ないだろ」

「確かに」

 実際にやったらどうなるんだろうか? 初恋の話とかになって、自分じゃないのかよみたいになってなんか逆に気まずくなりそう。

 僕は初恋は涼だからいんですけど。本当に。

「必要ならば部屋用意するけど。っていうか、これ一番最初にやることだったな。ちょっと待ってて」

「ジト」

「……オーケー。嫌なのね。目で訴えなくていいから」

 となると、今日はどこで寝ることになるのだろうか。最悪自分は一回のソファーでいいや。

「とりあえず、何やっててもいいの?」

「僕が健全な男子と理解した上で、器物破損など社会から足を踏み出さない範囲なら」

「分かった。理解した上でならいいのね」

「理解した上でやめろって。うっ。おい! 理解した上でやめろって意味だ」

 全く何も理解しておらず、しっかりとベットに押し倒される始末。これは早々に夕飯の準備とでも言って抜け出すか。

「理解した上で、許容範囲だと」

「理解していない上に、許容範囲でもないわ。はい。夕飯の用意するからどいて」

「まだ三時」

「早すぎたか……」

「早すぎるね」

 ただ、ちょうど良く洗濯をしていた洗濯機の終わったことを知らせる音が鳴った。

 よし。ナイス。

「洗濯物干すから、一緒に来てくんない?」

「私の下着とか……えっち」

「だから一緒に来てもらうんだろ」

 疲れた。どれだけ涼が人前では遠慮してくれているかが分かった。


       3


 何やっててもいいとは言ったものの、彼女は何もすることがなかったようだ。

 ベットに寝っ転がっている。

「携帯は持ってくればよかった」

「もう必需品みたいなもんだからな」

「君、貸してよ。見て見ぬ振りしてあげるから」

 僕は本を読んでいるため、携帯は使っていないからロックだけ外して涼に渡した。

「何もやましいものなんて見てないから」

「嘘だ」

 嘘じゃない。彼女は検索ページの履歴開いて見ている。

「なんもない」

「何もないどころか、最近使ってないよ」

「本当だ。最終の履歴が二日前」

 漫画とかはアプリで読んでいるし、動画もアプリで見ている。それに調べることはまず辞書を引く。

「漫画の方は……普通か」

「漫画は適当に好きなやつ読んでいいよ」

 しかし、私はウェブ漫画だからと言って、検索ページの方で検索をして自分は知らないものを読んでいた。あとで読んでみよう。

 そして、本を読み終わって違うものを取り出そうとするまでの約二時間、全く気が付かずに本に没頭していた。

「そろそろ夕飯つくんないとな」

「私、手伝うよ」

「助かる」

 冷蔵庫に残っていたもので何を作ろうか思いつかなかったため、とりあえず米を研いで炊飯器に入れ、そこに鶏肉も一枚とチューブの生姜やもろもろを入れ込んでおく。濃いめの醤油のタレも作っておいて、彼女にレタスを食べやすい大きさに千切らせる。

 あとは、豆腐ともやしだけを入れためちゃくちゃ適当な味噌汁。これだけ作っておけば何とかなるだろ。

 雨が降っていなくて、買い物に行けたらもう少しいいものを作れたのだが。午前中の雨の降っていない内に行っておけばよかった。

「洗濯から料理まで。同居したら楽だろうな」

「全部やらせるつもり?」

「主夫だね」

「僕は働きたいよ」

 家のことだけやってるのはいつか腐りそうだ。

「思ったより早く終わったな」

 めっちゃ適当だったからか三十分ほどで終わってしまった。あとはご飯が炊けるのとかを待つだけだ。

「風呂入っちゃおうかな。涼、先入る?」

「一回入ったけど、入ろっかな。食後じゃないんだ」

「食後派か。僕もいつも食後に入ってるから食後でいっか」

 となると暇だ。リビングのソファーに座って、携帯をいじる。涼も隣に座ってきた。距離はものすごく近い。

「そういえば君。スマホの壁紙、山登りの時のままじゃん」

「撮る時間なかったからな」

 全く撮っていないため、壁紙を変えるにも変えるものがない。

「スキーの時は?」

「あの時は涼についていくのに必死だったから」

 スキーの時も撮っていなかった。そもそも、ゲレンデで携帯を取り出すのは落としそうで少し怖し。

「そっか」

 なんか変えられるものないかなと、写真のフォルダを漁ってみるが、涼のことを撮っていないのであるはずがない。

「喧嘩の時とか取ればよかったのに」

「どうやってだよ。正面からとか無理に決まってんだろ」

「ほら、天井にカメラつけとけばさ」

 そんなことしたくないし、そんなん壁紙にしたくないわ。

「あ、そうだ」

 写真のフォルダの中にある、ある写真を壁紙にしてみる。

「スキーの時の昼食? 私写ってないじゃん」

「写ってるよ」

 外面の端っこを指して涼に見せる。

「ほら」

「髪!」

 スキーの二日目に、温泉のレストランで撮った、母さんに勘違いされた写真だ。よく考えたら勘違いはされていないけど。

「そんなんでいいの? 必要だったら今撮らせてあげるけど」

「いいよ。いつしかの花火のやつにしておくから」

「もう何だかんだで一年経っちゃうじゃん」

「だな」

 今年もあの丘の上で見ることになりそうだ。高三になったというのに、勉強など全くやっていない。もっぱら本と携帯だ。

 ソファーの前に置いてある机にテレビのリモコンが置いてあったので、つけてたが時間が時間なのでニュースしかやっていない。番組表を見ても、土日だからか面白いのは全く。

「何もやってねー」

「君はさ、付き合うなら年上? 年下?」

「いきなりだな。同年」

「それ無し」

 現時点、同年と付き合ってるから同年って答えたのに、一瞬で否定された。

「どっちでもいい」

「えー」

「年齢は気にしないよ。ま、早く死なれてもやだし、一人にさせるのもやだし、できれば年上かな」

「年上?」

 涼は意外というふうに僕の目を見つめてきた。

「ほら、女性の方が平均寿命高い」

「うわ。ドライ」

 ドライで悪かったな。と思っていると、彼女は続けた。

「でも、優しいね」

「恥ずかしいからやめろ」

 受け流すついでにもう暇だから風呂に入ってくると言って、早めの風呂を済ませてしまった。風呂に入る前に、携帯のパスワードなどは教えておく。勝手に使っておいてくれればいいと思ったからだ。

 しかし、風呂から出てくると。

「クソ!」

 そう言って彼女はソファーに携帯を投げつけていた。

「え? 待って。何事?」

「煽られた」

「チェス?」

 というかそれ僕の携帯なんですけどと言う間もなく、次々に疑問が出てくる。

「とりあえず局面は?」

「勝利画面」

「意味わかんない」

 携帯を拾い上げて、画面を見てみると本当に勝利画面だった。しっかり勝っているし、ボロ勝ちなのだが。

「散々煽ってきた挙句、通信切断だよ」

「なるほどね」

 それはムカつくが、やっぱり僕の携帯なんですけど?

「ところで、クイズね」

「いきなりだなおい」

「この世界に私がいないとします」

「やだ」

「私もやだ」

 なんなのこれ? 何に誘導されてる?

「じゃあ、この世界に私しかいないとします」

「それもなんかやだ」

「え? 別に良くない?」

 結局それだけだった。だから、やることもなくてもうご飯にしちゃおうってなる。外に出かけられたら色々とできるんだけど。または彼女が楽器でも持ってきてくれれば……。

 炊き上がったご飯の中に入っている鶏肉を引き揚げて、食べやすいくらいの大きさに切って、よそったご飯の上に乗せる。そして、レタスを適当に乗せて、タレも適当にかければなんとなく良さそうなものが出来上がった。

「あと、一品くらい何か欲しいところだな」

「私は何も作れないし……。卵かけご飯とか?」

「なんでもう米あるのに、もう一品で卵かけご飯ってなるのさ」

「分かんない」

「あ、卵焼き作るか」

 これを思いついたのは彼女のおかげではなく、卵かけご飯のおかげだな。

 冷蔵庫の手前の方に二個くらいならあったことを覚えている。皿の中に卵を溶き、フライパンに流し込む。焼き上がったものを半分に切って、後ろの棚から取り出した二枚の皿の上にひっくり返して落とす。

「んなもんでいいだろ」

「十分十分」

 料理はダイニングの机の上に運んで、いち早く座っている彼女の対面に座る。

「お粗末物ですが」

「そんなそんな。なんなら、カップラーメンだと思ってたから」

「一回、夕食食べにきたことあったよな? 一応、米だけはおかわりあるから、好きに取ってくれ」

「ありがとう」

 僕らは、揃って手を合わせて食べ始めた。


       4


 食事が終わると、いつしかの夜のように彼女の押しが強くなった。受け流すのが大変になる前に、食器は洗ってしまおうと思い、一旦抜け出して彼女にはテレビでも見せて大人しくしておく。

 まあ、大人しくしててくれるのも食器を洗い終わるまでで、そのあとはしっかりと子聡い悪戯を受け流しながら寝る時間まで騒がしくしていた。ポッキーを見つけやがって、またあのゲームが始まるとは思っていなかったが、結局彼女の方から逃げていた。

「じゃあ、僕は一回のソファーででも寝るか……」

「ジト」

「ら。目で訴えなくていいから。目で」

 そんなこんなで、一つのベットで僕らは寝ることになる。彼女は寝る前から僕の胸のところに潜り込んできたので、スキーの時の朝に、彼女が起きたのと同じ様な感じだった。そして、朝も。

「……おはよう」

 夜寝た時と全く体勢が変わっていない。

「あと、少し」

「別に寝ててもいいからさ、服離してくれないかな?」

「君と、あと少し」

 これは長期戦になりそうだ。でも、結局自分も二度寝をしてしまい、次起きた時には思ったよりすんなりと彼女も起きてくれた。

「おはよう」

「……おはよう」

「朝食の準備してくるわ」

 一人彼女を残して、部屋を出た。その間に着替えなど済ましてもらっちゃおうと考えていたが、彼女は自分の服を持っていないことに気づき、引き返す。

 すると、彼女は三度目をしていたので、さすがに起こさずにしておいた。なので、自分の着替える服だけ取り出して、リビングで着替え、寝巻きをしまいに行く。それでもやはり彼女の起きる気配はしなかった。

 朝食は簡単に、トーストとハムエッグくらい作っておくことにしようと、顔を洗いながら考えていたのだが、昨日、卵を使い切ってしまっていることに気がついて没案に。

 キッチンに入ってから乾かしていた五つの食器を片付けて、冷蔵庫の中を漁る。

「朝食で卵ないのはな……」

 昨日食べなければよかったと後悔してもすでに遅い。

「しゃあない。ピザトーストだ」

 厚切りのパンにベーコンやらピーマンやらケチャップやらを乗っけて、最後にチーズを。それをオーブンに入れておく。あとはボタンを押せば出来上がりだ。

 そのボタンを押さなかったのはもちろん彼女を起こすためで、彼女に占領された自分の部屋に向かう。

「涼。朝食できたからそろそろ起きろ」

「起きてるよー。あ、気にしないで入っていいから」

 彼女なら同席替え中にもおんなじこと言うんだろうな、と迷惑に思いながら扉を開ける。

「あのさ」

「なに?」

「思ってたことドンピシャにすんのやめない?」

 彼女は着ていたスエットを脱ぎ捨てて、白いTシャツに着替えるところだった。

「よく分かんない」

 まあ、それ以外はなにも問題がないってわけでもなく。

「なんで、サラッとそのTシャツ着ようとしてんの? ていうかもう着てんの?」

「だって、今日は昨日に比べて暖かいから」

 分かった。それはいいとしよう。

 だけど、僕が聞いたのはそのことではなくて。

「なんで僕の着てるの?」

「私のなかったからさ」

「涼の服、乾いてるけど……着るわけがないよね」

 だってもう着ちゃったんだから。

「うん。着ない。昨日少し寒かったし、ちょっとあれ分厚いんだよね」

 そっか。諦めましょう。

「じゃあ、朝食、もう少しで出来るから顔とか洗ってきちゃいな。これタオルね」

「ありがとう」

 少したってから、レンジのボタンを押して、コップに牛乳などを入れる。

「……おはよう」

「おはよう」

 もうおはようは言わなかったけ? そう思ったけれど、言われたら癖で返してしまう。日本人ならばみんなそうなんじゃないだろうか。

「なんか、夫婦みたい」

「……」

「あれ? 逆になにも言われないと、私が恥ずかしいだけなんだけど」

「はいはい」

 朝からこのテンションのやつをまともに相手していたら、いくら昼寝をしていても足りない。

「ピザトースト作ったから。座ってていいよ」

「はーい」

 オーブンでトーストが焼き終わり、取り出して皿に載せる。それを両手で持ってダイニングのテーブルまで持って行き、涼の前に置く。

「うわー。ありがとう」

「ただのピザトーストだけどね」

 テレビをつけて、ニュースで天気予報を見てみると、今日は晴れるらしい。実際外は昨日と打って変わって晴れている。二人で手を合わせて食べ始める。

「よかったな。今日は晴れて」

「うん」

「これで心置きなく追い出せるな」

「うん……」

 彼女はピザトーストを食べている。チーズがしっかり伸びていた。

「ん? やめて。私、行くあてないから」

「行く当てないって言い方やめてくれない? 捨てられた猫みたいで、捨てにくいから」

「捨てないでー」

 捨てるもなにも、別に好きなだけいてもらって構わないが。まあ、邪魔だったら追い出す。

「あと、自分の服たたんどけよ」

「君がやってくれるんじゃないのね?」

「別にいんだけど……」

「えっち」

「だろ」

 だんだん、この会話の扱い方も慣れてきた。実際、食べた後に彼女が自分でたたんでくれた。

 朝食を食べ終わった後は、食器だけ片付けてしまい、リビングでゴロゴロしていた。いつも通り、自分の部屋から本を持ってきて、ソファーでくつろぎながら読む。

 それから、昼食の時間も近づいてきて、なにを作ろうか考えていた。食材もなにも見当たらなかったので、買い物に行こうとも思ったが、めんどくさいのでやめる。どうにかしてあり物で済ませよう。

「そう言えば、君の親っていつ帰ってくるの?」

「昼頃って言ってたな。涼の方は?」

 彼女が言ってくれるまで忘れていた。昼頃とは言っててものの、もう少しは帰ってこないだろう。

「分からないんだよね。ほら、携帯も持ってきてないから、連絡の手段もない」

 なるほど。僕の携帯からかければいいんじゃないか? そう提案しようとしたが、その前に彼女に遮られてしまう。

「そんなことはどうでもいんだけど、心なしか車の音が」

 家の前は細めの道なので、車の通りも少ない。しかし、車の帰ってくる音と共に、車がバックしている時に出る音も聞こえる。

「まじか。とりま、僕の部屋に逃げ込む?」

「なんで君はそんなに落ち着いていられるの?」

「慌ててもしょうがないし……。やばい。どうしよう」

 後からこれは本当にやばいなと思い、焦り出す。とりあえず、自分の部屋に押し込む。そして、リビングに戻った。適当な携帯のサイトを開いて、それを見ていた体にする。

「ただいまー」

「おかえり。母さん。早かったね」

「ちょっと早めに終わったからね。昼食はもう作ってくれてる?」

「まだ。ちょっとこれから、友達と遊んでくるから。だから、僕は昼飯は大丈夫」

 どうにか無事に彼女を外に出したい。少し時間を稼がなければ。

 もう最悪バレてしまってもいいのだが、事情も事情である。これは逃した方が良い。とは言っても。

「もう行くの?」

「行くよ」

「そう。行ってらっしゃい」

 そう言われたものの、一旦自分の部屋に戻る。

 部屋に入って、涼は「どうするの」と目で訴えてきていた。お母さんの片付けが落ち着いてから出るという手もあったが、多分時間がかかる。だから……と思ったら、最高のシチュエーション。お母さんがトイレに入った。

「行って。後から家を出るから」

「分かった」

 最初はどうしようかと思ったが、何事もなくてよかった。涼はもう外に出ている。

 やがてお母さんが出てきた。

「行ってくる」

「あ、まだ行ってなかったのね。行ってらっしゃい」

 その後涼と合流して、いつも通り古本屋とかを周った。




夏の花火の残花


       1


 気づけば、制服も冬服から夏服に変わって、付き合いはいめてから一年という時が経っていた。もう少ししたら僕らは卒業である。もう早々に進路も決めなくてはならない。

 しかし、夏休みに入ってもそんなものは決まらず、彼女と一年ぶりの夏祭り。

 今日は珍しく僕の方が先に集合場所である、河川敷についていた。去年より、少し早い時間なのでまだ河川敷に場所どりしている人は少ない。

 彼女が来たのはその時間を少し過ぎてからだった。

「お待たせ。待った?」

「いや。今来たところ」

「よかった」

 彼女は白いTシャツとショートパンツという去年と変わらない格好で来た。別に着飾らなくても綺麗なので、そっちの方が僕は好きだ。

「もう一年じゃん」

「なんか年末みたいなこと言ってるね」

「いやいや。去年一番印象に残ったのは、君と夏祭りを回ったことだからね」

 彼女の中にではそうなのだろう。僕は告白したことが一番覚えてるな。多分去年の中で一番ドキドキしていた。

 今年は去年よりも並んで歩く距離が狭い。肩が時々触れ合う。でも、手は繋いでいない。……確殺オーバーキルだから。

「今年はまだは去年よりも、少し早いからまだ明るいね」

「そうだな」

 やっぱり、祭りということもあり、雰囲気を堪能するためにまずは歩き出す。露天になにがあるのかを確認するというのもある。

 まだ時間的にも人はそこまで多くない。

「あったあった」

「なにが?」

 ペットボトルが氷水の中に入っている。一本一八〇円。去年と変わらない値段だ。

「サイダー二本ください」

「はいよー。彼女とでも飲むのか?」

「ははは。まあ、そうですね」

 露天の店員さんは笑いながら、氷水に入っていたペットボトルを二本取り出して、まだ濡れているそれをこっちに差し出してきたので、それを受け取る。

「はい」

「ありがとう」

 それから、買った一本を彼女に手渡した。自分のはとりあえず横掛けのバックに入れておく。濡れているが、それは気にしない。最近は、僕がサイダーを奢るというのが毎回のことになったいる。

「今年はなにを食べるの?」

「たこ焼きかな」

「去年と一緒じゃん」

「そういう君はどうなの?」

「焼きそば」

「去年と一緒じゃん」

 そんなバカみたいでどうでもいいことを話していると、黒津が僕らのことを見つけて、こっちにきた。

「よ、佐々木。珍しいな。俺らとくるか?」

 去年はあんなに「誘ってやらねぇ」とか言ってたくせに、今年は誘ってくるのか? 今年もお前らと付き合ってる余裕はないよ。

「なんで私がいるのに」

 ほんとその通りだわ。

「今回もいいや」

「そうか。またな」

 なんだか含みを持った言い方が、地味にうざい。

「今年も早めに飯食っちゃって、あっちに移動するか」

「そうだね……」

「どうした?」

「いや。これまで君も、友達と言ってたのかなって」

 まあ、友達と行ってたこともあったが、それも小学生中学年とか高学年とかまでの話だ。もはや中学校からは興味がなくなって一回も行っていない。高校では一年の時だけ友達に誘われていったけど。

「窓枠から見える花火とその音を本読みながら堪能するだけだよ」

「あ、前にもそんなこと言ってたね」

 去年とほとんど同じところに出ていた焼きそばとたこ焼きを買って、やっぱりあの公園のベンチに座って食べる。彼女がそのベンチがいいと言うのだ。なぜかは知らない。

「あーあ。夏休み終わったら受験か。もう決めた? 進路」

「とりあえず、経済学部に行こうかなって思ってる。楽そうだし、とりあえず大学卒業っていう名目をもらえればいいから」

「もっと真剣に考えた方がいんじゃないの?」

「じゃあ、そういう涼はどうなんだよ」

「分かんない。早く決めろって言われてるよ。三年になってから」

 なんか、二者面談が長引いて大変とか言ってたっけ。そこそこのところに行ける学力はあるらしいから、先生もそんなに強くは言わないらしいけど。

「と、去年通りならば圭斗が来る頃だけど……」

「よう。佐々木。よく分かったな」

「あー。来ちゃったか」

 上を見上げると、目が合った。

「もしかして、君は預言者?」

 なわけないだろ。

 圭斗はベンチの後ろに立っており、真上から見下ろしている。とりあえず、見上げ続けるのも疲れるから前に行ってくれないかなと思っていると、すぐに僕らの前に回ってきた。

「佐々木。お前さ、俺の叔父に何か言っただろ」

「なにも言ってないよ」

「言ってたよ」

 一つ思いつくことはあったけど。……ってなんか彼女は僕を売ったし。

「まあいいや」

「いいんだ」

「ああ。ところで、佐々木。お前、最近大丈夫か? いろんなとこ徘徊してるって噂が……」

「どっからだよ。少し人が外に出るようになったからって、徘徊者呼ばわりするな」

 なんとも失礼なやつだ。

「ははは。そういう事じゃねぇよ。まあいいや。じゃあな。あんまり囚われるなよ」

「は? どういう意味だ」

 彼はそのこと答えをいう前に手を振りながら去っていってしまった。なんだかモヤモヤが残るが、そういえばあいつとの会話でモヤモヤが残らなかったことがない。

「ジト」

「いや。徘徊なんてしてないから」

「ならいいけど」

 本当にしてない。最近散歩すらもしてないもん。もしかして、りょうと喧嘩した時、散歩しに行ったのが……。さすがに前すぎるか。

 少しの間黙り込んで考えこんでいると、耳に生暖かい吐息がかかる。

「待った。噛むな」

「バレたかー」

「飛び降りるぞ」

「このベンチそんなに高くないからいいよ」

「なんでベンチからなんだよ」

 ベンチから飛び降りたところで、なにになるんだ。清水の舞台から飛び降りると、ギリギリ死なないらしい。それなのにベンチからって……。

 露店で買ったものを食べ終わって「そろそろ行こうか」と彼女が言った。

「ああ。りんご飴買ってからな」

「うん。君も食べる?」

「僕はいいよ」

 公園の外側を通る道には灯がたくさんついておりとても明るいが、公園内はなにも灯がないため真っ暗だ。僕らは、少しぶりにその光の元に出る。

「りんご飴の屋台ってどこにあったっけ?」

「さあ。歩いてれば見つかるんじゃないの」

 少し歩くと、僕らの求めていたりんご飴屋の露店が出ていた。露天の上についている看板には、大きくりんご飴と赤い文字で書かれている。

「買ってくるね」

「ああ」

 僕は少しだけ離れたところから、人ごみの中からちらちらと見える彼女がりんご飴を買うところを眺める。

 お金を払い、箱に刺さっている幾つかのりんご飴の中から選んでいた。そう変わりはないだろと思いながら、子供にも見えるように低めに作られたそれを、腰を屈めながら選んでいる彼女のことを笑った。

 光の多さに、視界が滲む。彼女がこちらに戻ってくる。

「買ってきた」

 彼女は片手に赤い球のようなものが刺さった棒を持っている。

「そうか。じゃあ、行こう」

 僕は先に歩き出したが、彼女は横に並んで歩いてこなかった。どうしたんだろうと後ろを振り向くと、彼女はその場にとどまって僕のことを見ていた。

「……どうした?」

 彼女は僕の顔をじっと見つめているだけで、何も言わない。

「僕の顔に何かついてる?」

 彼女は、その質問には答えなかった。ただ、僕のことを見つめ続けるだけだ。そして、それはほんの一秒にも満たなかったのかもしれないが、長い沈黙の末、彼女は口を開く。

「ねぇ……なんで、泣いてるの?」

「えっ?」

 その瞬間、このボヤけているのは、光ではないことに気がついた。泣いている姿を見られたくなくて、僕は目を逸らす。別に何も悲しくなんてなく、泣いているはずもないのに。

 乱雑に目を擦って再び彼女の方を見たが、なぜか彼女のことを見失ってしまった。まるで、消えてしまったかのようだった。。

 慌てて左右を見渡す。しかし、彼女は普通に元いたところにいた。なぜそのようなことが起こったのかは分からない。ただの勘違いなのだろうと決め込む。

「目にゴミでも入ったちゃった?」

「……ああ。そうかもしれない」

 少し目を擦る。なんでだろう。今……。

「行こ」

「ああ。ごめん」

 なんで自分が謝ったのかもよくわからない。待たせてしまったからなのか、心配をかけてしまったからなのか。もうこんなこと考えるのはやめようと、話を逸らそうと彼女に話しかける。

「ところでさ、涼」

「何?」

「りんご飴って、本当に中にりんご入ってるの?」

 小さい頃から一回も食べたことがないため、よく知らない。りんご飴という名前なだけあって、本当に中にリンゴが入っているのだろうか。それともりんごのように見えるからりんご飴という名前なだけなのだろうか。

「入ってるよ。生のりんごに、シロップとか飴がコーティングされてるの」

「へー」

 よく考えたらこんなに大きい飴どうやって食べるのかって話か。

「食べる?」

「大丈夫」

 単純に、それは本当にりんごなのかというのが気になっただけだ。なんか、いちご飴というのもあるが、それは生のイチゴにコーティングされているのだろう。

 美味しいかどうかは置いておいて、子供は好きそうだよな。「りんご飴買って!」と言っている子を去年も見かけたし。

「じゃあ、人気のない二人きりになれるところへ」

「語弊があるから『見晴らしのいいところへ』でいいよ」

「見晴らしのいい、二人きりになれるところへ」

 もういいや。それで。


       2


 狭い階段を一段一段せっせと登る。もはや息が切れて、上り始めた時よりも彼女との間は広がり、十数段ごとに彼女が振り返ってわざわざ僕のことを待っていてくれていた。

「待って。やっぱり、ここは僕の体力じゃ持たないって」

「ほら、すぐそこだから」

「そのすぐそこが、全然すぐそこじゃないことくらい分かってるからな」

 左右、どこを見渡しても木、そして葉っぱ。こんな場所に登って、見晴らしのいい場所などあるのかと疑問になるが、ある。事実、去年はこの上で涼と花火を見た。

 そして、そこまで登っていくまでに何度もすぐそこと言われたのだ。夏目漱石のこころで読んだそこ一里を初めて体験したし、初めて他人からその単語を聞いた。

「スキーではあんなに連れ回しても平気だったくせに」

「スキーとこれは全然違うって」

 重力に身を任せて滑るのと、重力に抵抗して上に登るのじゃ全く違う。疲れ方もだ。そもそも、スキーでさえも結構きつかったっていうのに。

「やっぱり、運動は今後の課題かもね。部活入れば?」

「やだよ。……チェス部作るから、人数集めてくれない?」

「いいよ。……って、それじゃ意味ないから。もっと動きなさいよ」

 正直、めっちゃ疲れるから話すのも嫌なんだけど。

「あ。ここからはもうすぐだ」

「……」

 なるべく体力を使わないように、喋らずに数段上にいる彼女の顔を見て「本当かよ」と目で訴える。

「これは本当のやつ。ほら、もうそこに空が見える」

 階段の先を見ると、確かに真っ暗なだけだったところから、少し星が見える。本当だ。もう少しだ。

 携帯を取り出して時間を確認すると、まだ二十分ほど時間がある。少し早く着き過ぎてしまったかもしれない。彼女と話していればすぐだろうから、そんなに問題ではないけれど。

「まだだよね?」

「まだだよ」

 階段を上り切って、上を見るとやっぱり星空が広がっていた。思わず見惚れてしまうほどに。彼女も同じように空を見上げながら言った。

「君はさ、今流れ星が流れたらなんて願い事する?」

「何だろう」

 何かあった気がする。少し前まで叶えばいいのにと思っていたことがあったような。思い出せないからすぐにどうでもいいことだったんだろうなと諦める。

「私は、一つあるよ」

「何?」

「なーんだ」

「……何食べたいの?」

 彼女はこういう願い事とかそういうののことは絶対に教えてくれない。

「……今は団子かな」

「団子が食べたい」

「私、そんな浅はかじゃないから」

「いい線だと思ったんだけどな」

 空を見上げているのも疲れてきたので、街の祭りの風景を眺める。ここからでも、人の流れや光の群れが見えた。

 そんな中、やっぱり自分は何をやっているんだろうという疑問が浮かんだ。なぜ、そんなことを思うのか。それもまた疑問として残るばかりである。

「ねえ。少し前の質問の続き」

「前の質問?」

 僕は彼女の方を見たが、彼女は変わらずに祭りの風景を眺め続けている。少しだけ光はここまで届いていて、暖色の光に照らせれた彼女の横顔はどこか寂しげだった。

「もし、私が、いなかったらどうする?」

「嫌だ」

「それで前回はおじゃんになったんでしょ! 続けさせてよ」

 別に続ければいいだけの話だと思うが、一向にこっちを向いてくれない彼女の横顔だけを見つめるのもだんだん居心地が悪くなってきたので、祭りの風景を眺め直す。

「うん。分かった。いいよ続けて」

「そして、君は私と一緒にいた記憶がある。そんな状態で、この世界に私がいなかったらどうする?」

「分かんない。探すかもしれないし、別になにもしないかもしれない」

「そこは探すと断言して欲しかったけど、まあいいや」

 断言はできない。お世辞もなにも、正直なことを言ってしまう性格だから仕方がない。「でも、一生心に残り続けるモヤモヤにはなるだろう」とも付け加える。

「じゃあ、その記憶もなかったら?」

「……何かあった? 悲しいこととか」

 さっきから彼女の話を聞いていると、少し病んでるとしか思えない。

「いや、違う。君が真剣な雰囲気にしちゃうからいけないんでしょ。ほら、茶化して茶化して」

「無理だろ。いきなりそんなこと言われても。まあ、記憶がないんだったら、なにもしないだろうね」

 それこそもうスワンプマンとか、そういう哲学的な話になってしまう。

「友達と遊んだりは?」

「すると思う?」

「あ、ぼっちだもんね。酷なこと聞いたわー」

「おい。流石に聞き逃せないな。とはいえ、こうやって外に来てるのも涼がいるからだから。もし、涼がいなかったら、それこそ窓越しの花火鑑賞になるよ。本読みながらね」

「悲しいね」

 毎回それのバカにされてる感がすごいんですけど。

「私がいてよかったね」

 たまに彼女がするしたり顔はムカつくどころか少し懐かしく感じた。

「今更ながらだけど、お前馬鹿にしてるよな?」

「してる」

 せめて否定してほしかった。

「サラッといえばどうにかなるとか思うなよ」

「じゃあ、しっかり言ってあげようか?」

「やめてくれ」

 話を戻すが、なぜこんな質問を彼女がしたのか分からない。なんか意味があるのか、毎回のような意味のない会話なのか。しかし、今回は後者とは思えなかった。

「話戻すけど」

「そうだな。結局、涼が何を言いたいのか分からないまま、今回も終わるところだった」

「ほんと。いっつも話逸れて、あらぬ方向に行ってるよね。君が逸らすからさ」

「ほら、そう言った側から、自分から話逸らしちゃってるぞ」

 今回も答えは出ずに終わるかもと覚悟したが、先の話を促して脱線した話をしっかりレールに戻す。

「うん。そうだね。長引かせるのもこれくらいにしようか」

「何を?」

「なーんだ。じゃなくて、ほら。終わらせないと。こんなの」

 どう言う意味だ? 分からない。

 少しだけ考えて、こう言うことかなという予想を出す。この会話の答えをはやく出して、終わらせないと花火が始まってしまう。そういうことだろう。

「分からない、じゃなくて。これは、君が進めるべき問題だよ。心の準備はできたの?」

「……どういう、意味?」

「君はもう分かってるでしょ」

 分からない。全然。でも、こんなのダメだと自分でも分かってんだ。

「お願い。私は君が先に進んで欲しいから」

 分かってんだよ。ようやく分かった気がする。できればもう少し現実逃避を続けていたい。しかし、そんなのは自分自身が許してくれないだろう。

「現実逃避はしちゃダメだよ?」

「ははは。そうだな」と言う僕の声は最後の方が段々と小さくなっていってもはや彼女には聞こえなくなっていただろう。

 いつのまにか僕は祭りの風景ではなく、下の雑草を眺めていた。横を見ると、彼女はこちらを向いている。僕は少しの間彼女と見つめあっていたが、僕は彼女の方に体を向けると、彼女も同じように体を向けたので向かい合わせになる。

「もし私がいなくなったら、結局ぼっちで読書するのに戻るなんて、本当に人付き合い下手だなー」

「何だよ。いきなり向き合ったと思ったら」

 彼女は、僕の胸の中に飛び込んでくる。僕がそれを優しく受け止めると、彼女は言った。

「最後に、何かして欲しいこととかある?」

 彼女から出てきた声は、僕の着ている服に遮られて少しぐぐもっていた。

 無言で抱き合って「最後」など忘れて、彼女の存在をもう一度確かめた。確かに、僕は彼女を抱きしめている。確かに僕は彼女はいる。彼女はいなくなってなんかいない。彼女を、覚えている。

 彼女は何か言おうとしたが、彼女の声がぐぐもるのが少し嫌だったので僕は彼女を離して、祭りの風景に視界を泳がせた。決して泣きたかったわけではない。

 話すタイミングを失った彼女も同じようにして祭りの風景を眺める。

 そして、僕は彼女とここにきた時に最初に彼女が質問して、僕が思い出せなかったことをやっと思い出せた。「今、流れ星が流れたら、何を願いたいか」これに対する答えは……。

 しかし、この質問に対する答えを認めてしまうと……。

「私はさ」

 僕が決心して、口に出す前に彼女から口を開いた。

「あ、そうだ! 去年のやつが残ってたよね?」

「消費期限切れです」

「あちゃー。じゃ、これはお預けかな。『もっと君と一緒にいたかった』なんて言ったら、いつまでこの状態が続いちゃうか分からないもんね?」

 お預けも何も。僕も一緒にいたかったよ。

 しかし、もうすでにそれは過去の願望であって、願い事ではない。

 だから、僕は彼女に言う。

 最後のお願いを。


「名前を……呼んでほしかった」


 河川敷の方から、『ヒューー』という花火の打ち上がる音が聞こえる。こんな事をしているうちに花火が始まってしまった。


「そっか。ごめんね」と彼女は謝る。そりゃそうだ。不可能なんだから。


 夜空に赤い花が咲く。僕は、それに見惚れていた。そして、彼女は続けた。光に遅れて、音がやってくる。


「──」


 彼女の声はそれと重なって、聞こえることはなかった。いや。聞こえなかったのではない。そんな音、存在しなかったのだ。無かったことは、幻想としても、幻聴としても作り出せない。

 赤い花火の残火は、儚く散って、去年感じたロマンチックさのかけらなど、どこにも無かった。ただ、残酷な残火に続いて幾発もの花火が打ち上げられるだけ。

 もう一度、彼女の方を見た時、





 彼女の姿はどこにもなかった。







       3


 十年ほど前の話をしよう。

 ある少年と迷子になった少女の祭りの時の話だ。

 八月の中旬。夏真っ盛りで、まだまだ蒸し暑い日が続いている。そこでは様々な露店が立ち並んでおり、暖色の灯りがここ一体を照らしていた。その光が届かない少し外れた公園の一角に、ベンチが置いてある。

 そのベンチは、公園の中でもその光からとても遠く、わずかな光のみが届いていた。その光よりも、まだ月の光の方が強いかもしれない。

 そんなところに一人、少女がいたのだ。

 少女は泣いており、せっかくの可愛い顔が台無しになっている。笑えば可愛いだろうし、あと数年もすれば、美人だと噂されるようにもなるだろう。

 そんな少女のところに、一人の少年がやってくる。背は少女よりも低く、年下のように見えるが、二人の歳は変わらない。少年はそのベンチに座って泣いている少女に気がついて、話しかけた。

「どうしたの?」

 そう、少年が聞くと彼女の泣き声は少しだけ小さくなった。しかし、まだ少女は泣く事をやめず、少年に見向きもしない。

「……なんで泣いてるの?」

 少年が優しく声をかけたおかげで、少女は落ち着きを取り戻す。

 まだ泣いているが、先ほどよりかは余裕ができたようにも見える。

「……お母さんが、見つからないの」

 少年は、俯いている少女の隣に座った。

「迷子?」

「うん」

 まだ警戒している少女に、少年は会話を続ける。そうすると、だんだんと少女は打ち解けてきたようだ。

「どこで逸れちゃったの?」

 少女は細い腕を伸ばして、暖色の光の灯る方に向ける。その指の先は、りんご飴を売っている露店だった。

「あそこの、りんご飴屋さん」

 少女は、りんご飴屋でお母さんにりんご飴を買ってもらおうとしていたら、人混みに飲まれてしまって、母親と逸れてしまったのだ。

 そして、母親を探していたが見つからず、歩き疲れた少女はこの公園にやってきてベンチに座って泣いていた。

 そこで、少年は「探しに行こう」と言う。少女は驚いたようだった。

「僕は、──って言うんだ。よろしく」

 それによって、少女は一段と驚く。そして、笑った。少女の中にあった不安は、もう無くなった。

「なんで笑うんだよ」

「ふふふ。うん。よろしく」

 名前がおかしくて笑ったわけではない。いや、少女からしたら面白かったのかもしれない。ただ、それは単なる偶然であって、逆に、それが少女をより一層安心させたのだろう。

「ねえ。君は誰と祭りに来てるの?」

「母さんと」

「君のお母さんは? どこにいるの?」

 こんなに小さい子だ。同い年にも関わらず、この少年は背が小さいため、少女に年下だと思われている。

 話を戻すが、小学生低学年くらいの子が、母親と来ているのに、一緒にいないと言うのもおかしな話である。友達と来たのならば一人になってしまったのも分からない話ではないけれど。

「さあ。なんでだろうね」

 少年はそう答えた。迷子で不安になっていたが、落ち着きを取り戻した少女にまた迷子ということを思い出させて、不安にさせたくなかったんだろう。

 面白いことに事実、少年も現在迷子である。

「教えてくれてもいいじゃん」

「うーん。仕方がないな。なんででしょう」

「迷子!」

「せいか……あれ?」

 しっかりと少女は一発で当ててくる。少年の気遣いも虚しく、だ。実際、今は少女にとって迷子というのはどうでもいい。ただ単に、一人というのが怖かっただけなのだ。

「うん。えっとー。正解」

「やったー」

 少年も少年ですごく、現在の迷子という状況をどうにかなるだろくらいにしか思っていない。最悪、家に帰ればいいしと。

 母親が必死に探しているのに気楽なものだ。

「大丈夫。すぐお母さんも見つかるよ」

「君のお母さんは?」

「さあ。最悪、家に帰ればいいだけだから」

「あ、そっか」

 少女は何か納得したように言う。

「じゃあ、家に帰ればいいかな」

「母さん探した方がいいでしょ。ほら、もう少しで花火が始まっちゃう」

 少年は公園の時計を指す。もうすでに花火が打ち上がる時間までは二十分を切っていた。

「お母さんと見れるかな」

「きっと見つかるよ」

 少女の母親は、案外すぐに見つかった。少女が少女の母親に気づいてそちらに走り去っていく。

 少年に「ありがとう。また会おうね──」と言いながら。そして、離れていく少女を見送って、少年は自分の母親を探しに行った。

 無事母親との再開を果たした少女は母親に「よかったー」と言われて抱きつかれている。

「あの子は誰? 知り合いだったの?」

 母親は、少女があの少年と一緒にいるのを見ていたため、聞いた。もう、少年は自分の母親を探しに行ってしまったがためにもう見当たらない。

「知らない子」

「あら。そう。お礼は言った?」

「うん。言った」

 それを聞いて、少女の母親はにこりと微笑むが、少年はなぜ一人でしかも娘といてくれたのかと言う疑問が残った。

「なんであの子一人でいたのかしら」

 その疑問に、少女は一言「迷子だって」と答えたため、少女の母親は大丈夫かなと心配をするのだった。キョロキョロと周辺を探すが、やはりもう見当たらない。

 少年と少女がそこで出会ったのは、偶然だったのだろうか。それからの二人のことについては、少女のゲームソフトが入っている箱の横にある、細やかに日記帳に記されている。

 少女はその祭りの日、助けてくれた少年のことをいつか好きになるのだろうと思い続け、実際中学の頃に少年のことを久しぶりに見てそこで恋した。高校ではその時の少年の方から告白されて、二人は付き合い始める。ただし、少年の方はその祭でのことを覚えていないのは何とも勿体無い。




エピローグ 残夏


       1


 目が覚めたのはやっぱりいつもと同じくらいの時間だった。夏休みでもこの時間に起きるという習慣は変えない。変えてしまうと、学校が始まってからが大変だから。

 枕元に置いてある携帯のアラームを止めて、体を起こした。今日も頬を伝う涙を拭って、布団を出た。

 昨日は祭りだったから、寝る時間も少なかったため、少し眠気が残る。

 昨日は、一人寂しく祭りを周って、去年涼と花火を見たあの神社で花火を眺めていた。そこに、涼はいなかった。

「行ってきます」

 家には誰もいないが、出て行く時にそう言った。鍵を閉めて、その鍵はしっかりバックの中にしまっておく。

 顔を洗ったり、服を着替えたり、朝食を取ったり。それらをすまして適当な本を読み返していたら、外に出ようと思っていた時間を少し過ぎてしまった。

 読む本がなくなってしまったため、新しい本を買いに行くのだ。そして、楽器屋も寄って行く。古本屋に行ってからなら十一時過ぎくらいで行っても迷惑な時間ではなくなるだろう。

 電車に乗って、都会の方まで出る。

 本当は、その二つだけが目的ではない。もう一つ、重要なことがある。やっと、一区切りがついたのだ。これまで一回も行っていなかったので、そろそろ行くべきだろう。それに、今日はその日でもある。

 古本屋では、ほしかった本は見つからなかったが、その代わりに面白そうなものが見つかったので別にいいとしよう。

 そして、次は楽器屋に向かう。最近は稀にはきていたものの、回数自体は減っていたので、なんだか久しぶりだ。

「こんにちは」

「いらっしゃい」

 僕が中に入って、会計で楽器屋のお姉さんが座っているところまで行くと、やっと誰がきたのか分かったみたいだ。

「あれ。佐々木君。久しぶりじゃない」

「はい。お久しぶりです」

「元気だった? 最近はなんできてくれなかったんだよ」

 元気は元気だった。ただ、どこか病んでいた感がある。

「ははは。すみませんって。最近は忙しかったんです」

 なんだかんだ言って、二ヶ月近くは来ていなかったかもしれない。

「君が来てないうちに幾つか新しいのが入ったよ。弾いてく?」

「弾いていきます」

 それはもうすでに棚にあって、前回見たのとは違うやつだったので、新しいのが入ったんだなというのは思っていた。

 それを持って、これまで涼に教えてもらっていた通りに弾き始める。

 指は最初にここに来た時と比べてスムーズに動いており、少し難しめのやつも弾けるようになってきた。もうかれこれ一年だ。でも、弾く事自体も結構久しぶりなので色々とつっかえるところがある。

「君さ」

 弾いていると楽器屋のお姉さんに声をかけられたので、楽器を弾く手を止める。やっぱり楽器を弾かないと店の前は車の通りが多いにも関わらず、防音の壁によりとても静かになる。

「どうしました?」

 楽器屋のお姉さんは僕のことを見つめていた。いつしかの時と同じだ。まだあの時の僕は、圭斗の言葉を借りれば「囚われていた」時のこと。

「なんか、吹っ切れた感じがするね。憑き物が落ちたと言うか」

「……確かに、そうかもしれません。憑き物なんて言ったら、怒られそうですけど」

「よく分からないけど、良かったよ。これまでの君はなんか痛々しかったし。あんなことがあったら、そりゃあ……そうなんだろうけどさ……」

 僕はそのことを思い出して、俯く。影を落とした僕の表情を見て、慌てて楽器屋のお姉さんは謝ってきた。

「ごめん。こんなこと」

「いえ。大丈夫です」

 楽器屋のお姉さんは「私もまだ区切りはつけられてないんだけどさ」と付け加える。

 それから一時間と少しほど弾き続けて、少しお腹が減ってきたところで店を出ることにした。

「そろそろ、お暇させていただきます」

「もっと居てくれてもいいのにー」

「もっと居たいですけど、大切な人のところに行く予定があるので。……実は、まだ一度も行ってないんですよ」

 そう言うと、楽器屋のお姉さんはフッと笑う。

「……そっか。じゃあ、早く言ってあげないとね。また来てよ。全然来てくれないと寂しいからさ」

「はい。また来ます」

 そうは言ったものの、これから受験や何やらで色々と忙しくなるため、やっぱり前回のようにというわけにはいかなくなるだろう。

 それでも、ここに定期的にくることはだいたい予想できる。


 これまで見て見ぬ振りどころか、無いものを見ずに無いものを有るものとして見続けていた。しかし、それも昨日のあの花火の夜にやめた。

 だから、僕は区切りをつけるためにそこまで行くのだ。

「お会計は二一六円(税込)です」

 途中で寄ったコンビニエンスストアで炭酸水を二本買う。めちゃくちゃ中途半端な数字だったが、なぜかピッタリと小銭があった。

 その上に、小銭がしっかりとなくなってお札だけになるという。これまでに二回くらいしかこんなことはないから、一人でテンション上がっていた。

 ここで飲み物と一緒に昼食も買おうと思ったが、あまりお腹が空いていなかったのでやめた。

「花とか買ってくればよかったかな」

 何も持ってきておらず、何だかサイダーだけと言うのも少し申し訳ない気がする。花屋があったら、そこで何か買って行こう。もしなかったら、今日はこれだけで許してもらうことにして、今度何かしら持っていくことにしよう。

 生憎、涼の墓まで行く途中に花屋などなかった。


 ちょうど五ヶ月前。この日、涼は死んだ。

 信号無視をしたトラックに轢かれて死んだのだ。

 僕はその日から数日学校を休み、本を読みあさっていた。もはや現実逃避というレベルではないくらいに部屋に引きこもった。そして、それが一週間ほど続いて、僕と「彼女」は喧嘩をしたのだった。自分が作り出した「涼の幻影」と。

 友達は色々と心配してくれたらしいが、どのような声をかけてくれたのかなどは全く覚えていない。

 僕は彼女の幻影を自ら作り出していたから、それに惑わされてそんな友達からの言葉なんて無かったことにしてしまっていたのだろう。

 そう。僕はここ五ヶ月間ほど幻影に囚われ続けていたのだった。


 涼の墓は同じような四角い石が並んだ中にあった。はかなんだからそれが普通なのはわかっているが。

 涼の墓にはすでに花が添えられており、もはや僕の買ってきたものが入る場所はなかった。まあ、買ってこなくて良かったなと言う感じだ。

 コンビニエンスストアで買ったサイダーを一本置き、手を合わせる。

(これまで来れなくてごめん。やっと、君が死んだことを受け入れられたんだよ)

 受け入れられても、まだどこかで理解できていないような気はしなくもない。

(これまで、ずっと僕が作り出した君の幻想に囚われてたんだ)

 そんなこと実際に涼が聞いたら「なに自分で作った幻想なんかに囚われてんの?」とかって言われそうだ。

(でも、僕が作り出した君の幻想が僕を解放してくれたんだよ。あの、花火の夜に)

 あの喧嘩をした涼も、雨の中ずぶ濡れでやってきた涼も、その日泊まって行った涼も、一緒に祭りを周った涼も、抱きしめて本当にいるんだと確認した涼も、全部僕の幻覚。声も幻聴。全てが幻想だったんだ。

(あのさ。なんで……なんで君は死んだの? 死ななくちゃいけなかったの? まだ、半年と少ししか経っていなかったのに。まだ色々やりたかったことあったのに。なんで。なんで。なんで……)

 もはやそれは八つ当たりで、自分だってなにを言っているのか分からなくなっていた。

(……ごめん。やっぱり、君ともっと居たかったよ、涼。これからも目に見えない幻想に囚われながら生きて行くことになるよ。それでも、僕の名前を一度でも呼んで欲しかったかな。「君」じゃなくて)

 しかし、それももはや叶わぬ夢のまた夢。記憶にないものは、幻想としても作り出せない。だから、「彼女」も僕の名前は呼んでくれなかった。

(じゃあ、僕はそろそろ帰ることにするよ。また、来るから。次はお線香とか花も持ってくるから)

 閉じていた目を開けて、涼の墓に背を向けて来た道を戻る。腹、減ったな。あのカフェでも寄って行くか。少し遠回りにならなくもないが、今日はそんなの気にしない。

「こんにちは」

 そんなこと考えていると、前から来た女性からそう声をかけられた。

「……こんにちは」

 その声にはどこか涼の面影があった。まさかお母さんだったのかもしれないけれど、花は結構新しかったし……。まあいいか。

「さて、何するかな」

 古本屋など入ってしまったし、今日の予定はもうない。だからと言ってここに長居するのも、あの人が涼のお母さんとかだったら気まずいし、不審者とか言われてもおかしくない。

 帰り道、墓地の一角にある、大きな大木の横を通った時、涼の声が聞こえた気がした。

 僕は振り向き、その声がした方向を見る。しかし、そこに涼はいない。

 どうせ、都合の良い勘違いだろう。幻覚、幻聴、幻想。そんな都合のいい勘違い。

 でも、僕には聞こえた気がした。

 好きだよ、旅憂。と──。




サイダー、ビー玉、夏の空


 これは、この小説の元となった短編の物語です。



 夏休みのある日の夏祭り。まだ明るい時間だ。

「サイダー2本ちょうだい。」

 屋台で2本のサイダーを氷水から取り出して買う。手に触れた氷水が心地よい。

「毎度。誰かと飲むんかい?」

「はい」

「いいなあ。」

 隣にいる彼女にサイダーを一本渡す。

「ありがとう。」

 ショートカットに白いtシャツ、ショートパンツ。どこにでもいるような高校生だ。

「こんな昼間でよかったのか?祭りは夜が本番なのに。」

「うん。あまり混んでないし、夜だと何も見えなくなっちゃうから。」

 そっか。と納得する。


「よっ!お前も一緒に回るか?」

 学校の友達だ。仲が良く、何かと話しかけてくる。

「ごめん。今日は彼女と一緒だ。」

「……そっか。」


「今年は着物じゃなくてごめんね。」

 プシュ!と買ったサイダーを開けて2人で並んで歩きながら飲む。

「そうだ!あそこ登ろうよ。」

「昔っからずっとあそこで遊んでたよな。最近は忙しくて全く。」



 登ると小さな社がある小高い丘。ここは町の人の中でも一部の人たちしか知らない絶景スポットだ。子供の頃を思い出す。

 こっちこっち。早く!

 こんなとこ何があるんだよ?

 昨日見つけたの!ほら、こっち。

 うわー。すげー。

 でしょ?

「ふふ。懐かしい。見つけたの私だったよね。よくここにいたおじさんはどこに行ったんだろう?」

 階段を登り切る。

「ここは変わらないな。」

「綺麗な空だね。」

 真っ青な空が広がっている。

「もう夏……か。早い。」

「ほんと。」


「ねえ、将来は何をするの?」

「俺?将来か。」

 彼女はころころと笑う。そして私はね、と。将来の話をする。

「俺は、大学行って、就職して。君と会って。それしか考えてない。」

「その間にもっとできる頃あるでしょ?君はもっとしっかり将来のこと考えないとだな。」

「はは、そりゃ当分の、いや、一生分の課題だ。」

 彼女が僕の胸の前に握った手を出す。

「これをあげる。」

 手のひらを上に向けて受け取る。手のひらに乗っているのは一つのビー玉。綺麗な青色をしている。

「何に使うんだよこんなの。」

「割ったら願いが叶うかも。」

「迷信だな。」

「うん。じゃあ。君だしっかり生きるんだよ。私の分まで。」

 涙がこぼれ落ちる。その時彼女はもう隣にいなかった。





アナザーストーリー


柳田と彼女


 さて、色々とめんどくさいことになった。とりあえず、こいつの弟を問い詰めてやりたい。あいつは確実に黒格だ。はぁ、これについては順を追って説明して行こう。


「誰か千捺の配布物届けておいてほしんだが、誰か家近いやついねぇか?」

 担任がそう言った。珍しく千捺が休みなので、その配布物を届けくれと。確かに少し大切なものも入っている。例を挙げればテスト範囲。

 ま、自分はやってもできないから意味ないんだけどな。赤点取んなければ十分ってもんだ。

 話を戻すが、問題はその配布物を誰が持って行くか。自分は近いことには近いのだが、こういうのは同姓の方がいいもんだろ。誰も行かないんだったら、別に行くけど。千捺の家族に渡してくればいいだけだから、せいぜい数分程度。俺がやらんくたって、誰かやるだろ。

 そう思っていた矢先。

「柳田君が家近いんじゃなかったっけ?」

「そうだよ! 柳田君がいい」

 ……なんでクラスの女子たちはこんなに俺にしたがるんだ? 第一、最初に言ったお前。確か千捺の家の道挟んでいくつかのところだよな。なんで俺に押し付ける?

「柳田。やってくれるか?」

「ああ。まあいいよ。やるよ」

「柳田、先生には敬語使えー」

「気が向いたら」

 暇つぶしできる散歩が増えた。そう思っていただけだったのだが。


 帰り道。千捺の家に寄る。頼まれたんだから半分以上不良に見えるらしい(高身長でボサボサの髪、目つきの悪さだけでそう判断された)俺でもほっぽることはねぇ。

 目的の場所でチャイムを鳴らす。最悪一回鳴らして出てこなかったら明日でもいいだろくらいに思っていた。熱ならばどうせ寝込んでんだろうし。

 少し経って、出てこないなと思い、踵を返そうとしたところでドアが開く。遅えな。

 開いたドアの向こうには誰もいなかった。

「だれ?」

 否、小さいのがいた。中学生だろう。小さくてただ前を向いていた俺は気が付かなかった。

 誰もいなくて、なんだよって思ってやっぱり帰ろうとしたくらいだし、声かけられるまでは下に目線をやらなかったし、なんか生意気そうだし。

 女の子みたいな顔立ちだ。でも、声は低いから多分男。制服が男用だから、多分男。

「これ。千捺に渡しといてくれ」

「だれ?」

 まじか。こいつまじでめんどくせぇ。

「柳田だ」

「ふーん」

 聞いときながら興味ないとかまじでこいつ生意気だな。俺の中学の時よりも生意気なんじゃないか?

「いいよ。入って。姉ちゃんの部屋は階段上がってすぐ左だから。変なことしたら殺す」

 典型的なシスコンか。というより、お前が渡してくれればいいだろ。

 いつまでもここにいるわけには行かないので、家に上がらせていただく。あのシスコンはよくみるとゲームのコントローラを持っている。しかも、髪で隠れた耳を見てみると、イヤホンが繋がっている。

「ああ。オッケー。了解。一個分隊に支援要請。遅延戦闘を行おう」

 ……どんなゲームやってんだよ。中学生の口から出てくるには専門的すぎる言葉が多いなぁ。そして、このシスコンもう完全に俺のこととか気にしてねぇ。

 まあいい。さっさとこれ渡して帰ろう。

 ドアをノックする。

「起きてるか? 柳田だ。学校から配布物預かってきた」

 最悪、扉の外にでも置いていけばいいだろと思っていたし、そっちの方が良かった。

 そもそも女子の部屋に入るなんてこと……。

「……柳田君? 入っていいよ。起きてる」

「あー……。扉の外に置いておくから。じゃあな」

「待って。入ってきて、くれないの? せっかく来たのに?」

「ま、まあ。じゃあな」

 お前の弟に殺されても困るし。俺自身も、千捺も。

 またしても、帰ろうとしたところで扉が開いた。でも、今回は背は小さいが頭は見える。

「……」

 みるからに頭が回ってなさそうな千捺は俺のことをじっと見つめる。

「俺は……か、帰るから。早く元気になれよ……」

 裾を掴まれる。

「寂しい。すぐ行っちゃうのは」

 上目遣いの懇願。

「えっとな……」

「寂しい」

 掴まれている服の裾がクイっと引っ張られる。部屋に入れということだろうか。

 でも、どうやらそうじゃないことらしいのはすぐに分かる。こいつ、倒れたのだ。反射的に体が動かなかったら地面に倒れていただろう。

「あっぶね」

 心臓にわりんだよ。ほんと無理しないでくれ。

 千捺の顔を見ると、静かに寝息を立てている。こっちの気も知らずにねやがって。仕方がないからベットに千捺を運んで、布団をかけてやろうとしたところで気がつく。まだ腕の裾を掴んでいる。

「ダメだ。離してくれない……」


 と言うわけだ。クラスメイトは黒。あと、あのシスコンの弟も黒な気がする。いや。絶対黒だ。

 質素な部屋だが、それでも同級生の女子の部屋。早く抜け出してぇ。

「ち……千捺。離して」

「柳田君……」

 あ?

「好き」

 ……寝ぼけて、裾を掴まれてのこれは破壊力が強すぎる。と、とりあえず……。

「ごめん。じゃあな!」

 無理やり手を離させて部屋から出て行く。一応あのシスコンの弟の方に顔を出してお邪魔しましたとは伝えておく。

「あ? ああ。衛生は隊長の蘇生。斥候は察敵。俺は味方を援護する。……ああ。そうだ。スモーク炊けよ」

 まじでこいつはなんのゲームやってんだよ。


 家に帰ってきて勉強をしているが捗らない。これは……どうすればいいんだ。とりあえず、寝ぼけていて千捺が忘れてくれることを願うしかないか。


 後日、柳田はめっちゃ風邪引いた。

「……絶対これあいつのやつ貰ったわ」



(結構楽になったな)

 熱を測ってみると三七度前半まで下がっていた。

(そういえば、柳田君がきたような……)

 夢だよなー。そう思いながらベットから出る。ベットの横には今日のものと思われる配布物が置いてある。弟がわざわざ運んでくれたかな? あとでお礼言っておかないと。

「姉ちゃん」

 弟がノックもせずに部屋の中を覗き込んでくる。別にいいからなにも言わないけど。

「良かった。起きてる」

「うん。熱も三七度台にまで下がったよ。これありがとね。わざわざ運んできてくれて」

「それね、柳田って人が置いて行った。なんかあの人いきなり飛び出すように家を出てったけど、姉ちゃんなにもされてないよね?」

 ……嘘、でしょ。まさか。寝ぼけて好きって言っちゃった気もするんだけど。

「ねえ。一応聞くけど柳田君を家にあげたのって……」

「わざとだけど」

「あああああぁぁぁああぁ。……や、私、やっちゃった……」

「まあ、好機として、今度から攻めてみたら?」

「う……うん。そうする」

 さすが我が弟と言ったところか。

 ちなみにこの後、せっかく下がったのに三八度まで熱が再び上がった。


 そして数日後、柳田の願いも虚しく柳田は千捺の猛攻撃に音を上げることになる。




圭斗と涼


「……冬川さんか。どうした? 珍しいな」

 小学校の時と変わらない机の向かいに置いてあった椅子に冬川さんは座った。冬川さんが俺に話しかけてくることなんて普通に珍しい。まだ話しかけられたわけじゃないが。

「俺も他の女子と話してっと幼なじみになんて言われっか分からないんだが」

「大丈夫。圭斗は眼中にないから」

「ひでえ」

 にしても何の用だろうか? 思いつくことはなにもない。適当に言ってみるか。

「佐々木?」

「そう」

 全く狙ってない。正直なところ冗談で言った。だから、驚きは隠さない。

「まじか……まあいいや。あいつがどうした?」

「佐々木君の好みは?」

 まじかー。佐々木と冬川さんは予想してなかった。でも、お似合いかもしれないな。

「それは一歩譲って教えてやるが、何で俺に聞いた?」

「よく佐々木君と話してるから」

「あっ。そう」

 あいつの好み……。あいつの好みなー。聞いたことねぇ。

「あいつの好みなんて、正直知らないな」

「一歩譲ってくれるって言ってたじゃん。百歩譲って」

「何歩でも答えは変らねぇよ。あいつの浮いた話なんて全く聞いたことないからな」

 ……あー。思い当たる節あるかも。

「無くはないかも」

 冬川さんの顔が少し明るくなった気がした。今更ながらこの会話が誰かに聞かれていないか周りを見るが、誰もいない。

 じゃあ何で自分はこんなところにいるかだが、幼馴染の委員会が終わるのを待っている。

「えっとな。あんま自信はないが」

 冬川さんからは教えてくれオーラがすごく出ている。

「俺ら前にキャラメイクできるゲームやってたんだよ。そん時、俺らは理想のキャラ普通に作ってたんだけど、まあ、語弊を恐れずに言うと美人で理想なな。それで佐々木が作ったキャラってのは、どこにでもいるような女の子だったよ。多分あいつの理想は低すぎる」

「……それだけ?」

 不満そうだな。もう少しサービスすっか。でもなに話してやるかな。

「他に特徴なかったの?」

「特徴ねぇー。……あ、貧乳だった」

 冬川さんは自分の胸に手を当てる。少しあるが、まあ小さい。

「うん。言いにくいけどそんなもん」

「……ありがとう」

 なんかごめん佐々木。余計なこと言ったかも。

「けーくん。委員会終わった……よ」

 その二人が話しているところに一人の少女が入り込んでくる。

「……」

「妬くな。妬くな。違うから」

「ならいいけど」

「帰るのか?」

「うん。帰ろ」


 涼はその二人の後ろ姿を羨ましげに見つめていた。





圭斗と佐々木


「なあ。佐々木、お前さあ」

「なに?」

 こいつは読書中には滅多に何もしてこない。ただ、前の席にある椅子にただぼーっと座っているだけ。友達たくさんいるくせに。

「好きな人いるの?」

 考えるまでもないことなので即答する。

「いない」

「うわ。謝ろうと思ったけどやっぱやめた」

「何なんだよ。何やらかしたんだよ」




        君が名前を呼んでくれない理由 完

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