第35話 懲罰房
サガンは自室に、”先に王都に戻る”と書き置きを残して姿を消した。
皆は不審に思いつつも、予定通りの日程で海辺の屋敷に滞在した。
数日後、一行が海辺の屋敷から王都に戻ると、サガンが団長を務める第二騎士団の騎士がコルドールの元に駆け込んで来た。
「サガン団長がご自分で懲罰房に入って、出てこないのです」
「何だと」
「騎士団長の任務を放棄し私情を優先させたため、と言っていますが、私には何のことやら。コルドール団長は何かご存知ですか?」
コルドールは眉間に皺を寄せて唸った。
コルドールはその足で、王宮の地下の懲罰房に居るというサガンに面会に来た。
薄暗く狭く黴臭い懲罰房で、サガンは解き放った長い赤毛を振り乱し、首を垂れて石の床の上に足を投げ出して座っていた。
「サガン…」
コルドールが掛ける言葉を見つけられずに居ると、サガンが言った。
「コルドール、俺を殺してくれ」
「何、言ってる…」
「もう、生きていけない」
「......お前、キリトに...」
コルドールは何を、とは言わなかった。
「ああ」
サガンの短い肯定の言葉を聞いて、コルドールは苦いため息をついた。
「...暫くここに居るつもりか」
「......そうだね」
「食事くらい、きちんと取れ」
監視の騎士からサガンが殆ど食事を口にしていないと報告を受けていた。コルドールはそれ以上掛ける言葉を見つけられず、懲罰房を後にした。
コルドールはレイルの執務室の前まで来ると、足を止めてまた一つため息を吐いた。憔悴しきったサガンの姿を見て、自分まで気分が落ち込んでいくようだった。
暫く躊躇った後で心を決めて扉をノックすると、ややあって返事があった。扉を開けるとレイルは書き物机に向かって書類に目を落としているところだった。
「サガンを、第三騎士団に異動させてやってくれないか」
コルドールは前置きなしでレイルに言った。第三騎士団はカルザスが団長を務める国境警備の部隊だった。
「何故だ?」
「...サガンが、キリトに気があるのは知っているだろう」
「...ああ」
「どうも、いよいよ限界らしい」
否、既に限界を超えてしまったが、と心の中で呟きながらコルドールは言った。
「あいつには、ここを離れて頭を冷やす時間が必要だ」
「...本人の希望なのか?」
「...いや...」
「...考えておく」
レイルがそう言うと、サガンの異動の話はここまでとなった。
********
カゼインはキリトに異能の紋様について教えながら、以前のレイルとのやり取りを思い出していた。
異能の衆の墓に参った数日後、レイルはカゼインを執務室に呼んだ。
改まった様子のレイルを見て、カゼインが床に片膝をついて跪くと、レイルは言った。
「カゼイン、お前の忠誠を受け取ろう。俺は王座にいる間、異能の衆を虐げることはしない」
「…はっ」
「引き続き、よろしく頼む」
短いやり取りだったが、カゼインは人心地つく思いがした。カゼインが異能の衆の墓の前で真実を明かしたのは、危険な賭けだった。兄王子達を弑した罪で処刑される可能性さえあったのだ。だが、異能の力を持つキリトを伴侶とするのであれば、異能の衆を無下にはしないだろうとの打算もあった。
兄達の事件についてレイルは一言も触れなかったが、胸中はさぞ複雑だったろうと、カゼインは思うのだった。
キリトはカゼインに教えを乞い、紋様の勉強をしていた。異能に関する資料の多くが一部の強硬派によって燃やされてしまったこともあり、紋様の構成を一から学ぶのは思いのほか骨の折れる作業だった。カゼインは根気よく自分の知識を教えてくれる。キリトはそれを乾いたスポンジの様に吸収していた。
「良く理解されていますな。ですが、焦りは禁物です。力の抑制の仕方も併せて訓練せねば」
「はい…でも、早く学びたいのです」
キリトには紋様の習得に関して、とある目的があるのだった。
********
季節は夏の盛りを過ぎようとしていたが、今日も茹だるような暑さで、窓から見える回廊脇の木々もぐったりとしている。
先王の頃は大々的にやっていた異動の任命式だが、今はレイルと宰相によって簡略化され、レイルの執務室に当人だけを呼んで行われるようになっていた。
部屋に入ってきたサガンを見て、レイルは驚いて緑の目を見開いた。
「髪を切ったのか」
サガンは腰まで届くほど長かった赤毛をばっさりと切り、襟足は短く刈り上げていた。
「だいぶ伸びていたからね。頭が軽くなったよ」
「...本当に第三騎士団で良いのか?」
「ああ」
「…俺が道を間違えたら、殴って止めてくれるんじゃないのか」
「…すまない」
「謝るな。…必ず戻って来い」
サガンはそれには答えずにこりと笑うと、レイルに背を向けて部屋を出て行った。
サガンが執務室の私物を片付け終わって、王宮を出ようと門へ向かっていると、背後から駆け寄ってくる足音が耳に入った。聞き間違うはずもない、キリトの足音だった。
「サガン」
呼び止められて、しばらくの逡巡の後に振り返る。
キリトは走ったために息が上がって、頬にわずかに血を上らせている。何度も夢に見た、艶やかな黒髪に黒く輝く瞳、白い肌と華奢な輪郭。本物は夢の何倍も美しかった。
「き、今日王都を発つって聞いて…髪を切ったんだね。最初、分からなかった」
「あまり近寄ると、また襲ってしまうよ」
キリトは悲しげに眉根を寄せて、首を横に振った。
「これ、渡そうと思って」
キリトはサガンに折り畳んだ一枚の紙を手渡した。
「…これは?」
「試作品だから、上手く動くか分からないけど」
サガンが紙を開くと、黒いインクで複雑な紋様が一面に描かれていた。
「使う時は唱えて。”我今癒しの力を使わん”って。僕の癒しの力を込めてあるんだ」
「キリト…」
サガンは堪らなくなって、キリトに手を伸ばすと腕の中に閉じ込めた。
「ありがとう」
長く触れていると手を離せなくなりそうで、一瞬力を込めて、腕を解放する。キリトは長いまつ毛を瞬かせて困ったような顔をしていた。
「…旅の安全を祈ってる。向こうでの活躍も」
「ああ」
サガンはそう言ってキリトに背を向けると、後はもう振り返らず、王宮を去って行ったのだった。
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