第34話 雨 ※


戴冠式が終わり執務もひと段落したレイルは、キリトを小旅行に誘った。行き先はレイルとサガンが子供時代を過ごした海辺の屋敷だった。


馬の足で二時間ほどの距離にあるその屋敷にしばらく滞在しようと言う話になって、あれこれと旅の準備をして一行が王都を発ったのは初夏の頃だった。


一行はレイル、キリト、コルドール、サガン、護衛の騎士達、メイド達と、思いがけず大人数になった。


馬と馬車に分乗して早朝王都を発つと、天気にも恵まれて一行は順調に歩を進め、昼前には海辺の屋敷に着いた。


屋敷のすぐ目の前が海だった。穏やかな海面が太陽の光を眩しく反射している。


「うわあ、僕、海初めて!」


キリトがはしゃいで波打ち際に駆け寄る。その場で靴を脱ぐと足を海水に浸した。


「あはは、冷たい!」


一行はそんなキリトを微笑ましげに見ている。


「泳ぐにはまだ冷たいだろうな」


サガンが言うとレイルが答える。


「丁度良い。キリトの肌を人目に晒したくない」


「お前、相変わらずだな」


コルドールが言って苦笑した。




晴れ間が続くかと思われたが、午後からは雲が出てきて急な雨となった。


雨に降られて後から遅れてやってきた灰色の髪の宰相が、レイルと執務の話をしている。すぐには話がつかないらしく、二人で急拵えの屋敷の執務室に入って行った。

コルドールとサガンは屋敷の警護の打ち合わせで忙しそうだった。


「雨かぁ、レイルも皆も忙しそうだし」


キリトが自分に当てがわれた部屋で、窓から雨の様子を見て独り言を言っていると、雨の降りしきる波打ち際に、何かがキラリと光ったように見えた。


「何かな?」


キリトは好奇心を抑えきれず、砂浜へと続く扉を開けた。




サガンは警護の話し合いを終えて、屋敷の一階の廊下を歩いていた。窓からふと外を見ると、砂浜をキリトが一人で雨に濡れながら歩いているのが目に入った。


サガンは急いで砂浜へと続く廊下の扉を開けて外へ出た。


「キリト、何をしている?」


「サガン。波打ち際で何か光ったと思って見に来たんだけど、ただの空き瓶だった」


キリトは子供っぽい好奇心を恥じるように、俯いて笑っている。

サガンは一安心して息を吐いた。


「さあ、屋敷の中へ入ろう」


サガンが声を掛けると、キリトはうん、と言って屋敷へと歩き出した。


雨に濡れて張り付いた服の上から、キリトの華奢な肩甲骨と背骨が透けて見えている。途端に劣情を刺激されて、サガンは自分に嫌気がさした。

キリトの濡れた背中から視線を外すと、キリトの腕に目が行った。キリトの左手首には細い鎖でできた腕輪が巻かれている。サガンは苦い思いでその腕輪を見つめた。レイルに愛されている証拠の腕輪を。この腕輪をしたまま、レイルに抱かれているのだろうか。

ギリ、と奥歯を噛む。途端にサガンの胸に激情の炎が渦巻き、チリ、と肌を焼いた。手がキリトへと伸びるのを止められない。サガンは前を歩くキリトの腕を引き寄せ、後ろから抱きしめた。


「俺もあなたを、愛していると言ったら?」


「...サガン?」


キリトは突然のことに驚いて、サガンの腕の中で体を固まらせた。


「キリト、愛している。出会った時から、ただ、あなただけを」


強まった雨がカーテンのように二人の姿を隠していく。


「......ごめん。僕は...サガンの気持ちには応えられない」


「……ああ、分かっている」


濡れた服越しにキリトの体温が伝わってくる。堪らなくなって言い募った。


「死を覚悟で、たとえ無理やりにでも、あたたを抱きたいと言ったら、どうする?」


「...死を覚悟、なんて.…..サガンは、そんなことしない」


キリトの肩がわずかに震えている。怯えさせたい訳ではないのに、口から出る言葉を止められない。


「どうでも良い存在に成り果て、忘れ去られるくらいなら、死んであなたの胸に俺の名を刻みたい」


身を屈めて腕の中のキリトの肩口に顔を埋める。


「...サガン...」


洪水の街の天幕でキリトを襲った護衛騎士と自分と、一体どれ程の違いがあるだろう。キリトの魅力の虜になり、キリトの微笑み一つ、言葉一つ、視線一つ欲しがる多くの男どもと自分に、どれ程の違いが。


キリトの細い肩を掴んで自分の方を向かせる。キリトは黒曜石の瞳を怯えたように見開いている。その視線を避けるように、キリトの首筋に顔を埋めた。


「あ、や、だ...」


キリトの声に構わず、白い肌にわずかに歯を立てて吸い上げる。


「や、や、離して」


「愛している」


免罪符の様に、その言葉を口にする。夢にまで見たキリトをこの腕に抱いて、何故、こんなにも苦しいのか。


サガンはキリトの上着の襟元を両手で掴むと、一気に引き裂いた。


「ひ、ぃ、や、サガン...」


破れた服の下から、なめらかな白皙の肌が現れた。寒さのためか、仄かに色づく胸のしこりを固く尖らせている。


「ああ、綺麗だ」


サガンは熱に浮かされたように呟いた。

キリトの腕は捕えたままで、もう片方の手で腰を引き寄せると身を屈めて胸の飾りに唇を寄せる。ちゅ、と音を立てて口付けた。


「やだ、や...」


キリトの嫌がる言葉にさえ欲望を刺激されて、止められずに胸元に舌を這わせた。


「ふ、っく、う......ひっく、…ひっく」


しゃくりあげる声に、サガンは我に返った。キリトの頬に幾筋も涙が伝っている。


「...キリト...」


「...やだって、言ってる...!」


キリトは腕を掴むサガンの手が緩んだことを感じて、体をねじってサガンの腕から抜け出すと、屋敷の方へ走り出した。



********



夢中で雨の中を走り、気づけばキリトは玄関を入ってすぐのコルドールの部屋の前に居た。酷い格好で屋敷の中を歩き回る事もできず、散々迷った後で控えめに扉を叩くと、すぐに中から返事があった。そっと扉を開くと、目の前にコルドールが立っていた。


「一体どうした!」


コルドールは驚いて声を上げた。キリトは全身ずぶ濡れで、破れた上着の前を手でかき合わせ、微かに震えている。白く細い首筋には赤い鬱血の跡があった。


「...何でもない」


「...何でもなくは、ないだろう。とにかく入れ」


「...服、貸してくれない?」


「構わないが、何があった?」


「...い、言いたくない」


キリトは涙が滲みそうになるのを堪えて言った。


コルドールはそれ以上聞かず、チェストから大判の布を取ってくると、キリトの頭に掛けた。





コルドールは大きな体に似合わず存外に繊細な手つきで、部屋にあったティーセットでキリトにお茶を入れてくれた。


キリトはお茶を一口飲むと、ほう、と息をついた。破れた上着は脱ぎ、濡れた下の服も脱いで、コルドールの大きなシャツを一枚借りて羽織っていた。


コルドールはキリトを眉間に皺を寄せて見つめている。泣いたためか、キリトの目元が赤く痛々しかった。


「ゆっくり飲め。お前の服は、後でメイドに言って届けさせる」




扉がノックされて丁度良くメイドが顔を出した。お茶の準備をしに来たらしい。


「キリトの服をここへ持ってきてくれるか?」


コルドールの言葉にメイドが目を白黒させている。キリトは大きなシャツを一枚羽織っただけの姿で、シャツの下からはスラリとした白い足を覗かせていた。


「口外は無用だ」


コルドールが低い声でメイドに口止めした。


「す、すぐにお持ちします」


とメイドは言って出て行った。


「あの、迷惑かけて、ごめん」


「気にするな。何かあればいつでも言え」



********


キリトは自室に戻り、窓際の椅子に腰掛けて、雨上がりの夜空に淡く光る半月を見るともなしに見ていた。すると、扉がノックされて今日の執務を終えたレイルが入って来た。



「詰襟の服を着ているのは珍しいな。よく似合っている」


「そう?ありがとう」


キリトはレイルに、にこりと微笑んだ。


「髪が少し濡れているな。風呂に入ったのか?」


「これは、雨に濡れて...」


「雨?雨の中、外に出たのか」


レイルは首を傾げて言う。


「...あの、僕、疲れたからもう休むね」


レイルは自分に背を向けて寝台へ行こうとするキリトを背後から抱きしめた。キリトがびくりとして固まる。


「...待て、なぜ俺の目を見ない」

 

「そんな、こと…」


レイルはキリトの肩を掴むと、自分の方に振り向かせた。

サガンに同じように後ろから抱き竦められ、肩を掴まれたことがキリトの頭に一瞬よぎり、ぎゅっと目を閉じる。


「震えているのか?…なぜ」


「…あ、...なんでも…」


レイルは何かに勘付いたかのように、キリトの詰襟の首元に手を伸ばした。ゆっくりと襟のボタンを外す。一つ、また一つ。


そっと襟元をくつろげると、襟の間から白い首筋に赤い鬱血の痕があるのが見えた。


「…これは?」


「虫に、刺されて…」


「以前にも、同じようなことを言っていたな」


「あれは…」


「誰かを庇い立てているのか?それとも、合意の上か」


「...レイル、僕は…」


「キリト、俺は、心が狭いから、どちらも許せない」


レイルは苦しげに眉根を寄せている。


「愛しているんだ。渡さない、誰にも」


レイルはキリトの頭の後ろに手を回して引き寄せると、深く口付けた。





淫らに肉を打つ音が部屋に響いている。掠れた喘ぎ声がその音に混じる。キリトは寝台に獣のような姿で四つん這いにされて、レイルに後ろから貫かれていた。


「あ、あ、あああ、あ」


キリトは快楽の波に翻弄されながら、その声が自分の口から出てることが、どこか信じられないような気持ちで居た。


「あん、あ、あああ、ああ」


既に何度も達して、どちらのものとも知れない汗と精液が寝台を汚している。


「れ、イル、…も、ゆるして」



「まだ、だ」


レイルはキリトの腰を掴むと一際強く攻め立てた。


「ひああぁ、ああああああ」


いつ終わるとも知れない二人の深い情交を、窓から月だけが見ていた。


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