第32話 葡萄酒
「何で俺が...」
コルドールは風に煽られて顔に掛かる金の巻き毛を邪魔そうに手で払いながら、目の前を歩く二人を見つめた。前を行くのはキリトとカルザスだ。
レイルは戴冠式の招待客達との挨拶があるため、街歩きに来られなかった。代わりに白羽の矢が立ったのがコルドールだった。
街を通り過ぎる男達が、時折チラリ、チラリとキリトに視線を投げていく。騎士の格好をして剣を下げたカルザスと自分が付いているのでなければ、何人かはキリトに声を掛けていただろう。レイルの心配も当然と言えた。
「相変わらずの賑わいだな。コルドール、昼食はどうしようか?」
カルザスはコルドールを振り返って言った。
「雄鶏亭にしよう」
コルドールは騎士達の行きつけの食堂の名前を挙げた。キリトは通りに並ぶ屋台を熱心に見ている様子だったが、この三人で外で食べるのでは目立って仕方がなかった。
昼食時を過ぎていたが店内は人が多く賑やかだった。何人かの騎士達が、三人に気づくと立ち上がって席を空けてくれた。
「悪いな、邪魔して」
「いえ、もう立つところだったのです。お気になさらず」
騎士達はチラリとキリトを盗み見ると店を出て行った。やれやれ、と思いながらカルザスに話しかける。
「どうだ、国境の様子は?」
「ふむ、先王が亡くなって国境も荒れるかと思ったが、そうでもなかったな。次の王が即位するのは早いに越したことはないと思ってはいたが。今日の戴冠式を見て一安心したよ」
「ああ、俺もだ」
「第一騎士団は、大変だったようだな」
「ああ...」
レイルが襲撃された事件と、第一王子と第二王子が差し違えた事件を言っているのだろう。コルドールが団長を務める第一騎士団は、王族の周辺警護が主な仕事だ。責を問われずにコルドールの首が繋がっているのは、一重にレイルの寛大さのお陰と言えた。
言葉を途切れさせたコルドールを見て、キリトは言った。
「二人は仲が良いんだね」
「...仲が良い...」
コルドールとカルザスは二人で微妙な顔をした。
「まあ、長い付き合いではあるな。二人とも傭兵部隊あがりなんだ。」
食堂の女主人がやってきて、注文した料理をどっかりとテーブルの上に置いた。
「あら団長さん達、珍しくお揃いで。こちらの綺麗なお兄さんは?」
「やあ、久しぶりだね。こちらは国王陛下の婚約者殿さ。」
カルザスは悪戯っぽく微笑むと、声を顰めて女主人に言った。
「ええっ」
「内緒だよ」
と言って口の前に人差し指を立てている。
キリトは困った様に首を傾げてコルドールを見た。コルドールはやれやれというように両手を広げて見せた。
女主人が「そんなことならお祝いしなくちゃね」と言って葡萄酒の瓶を持ってきてくれたので、昼から突然、酒宴が始まった。
「キリト、お前、酒は飲めるのか?」
コルドールがキリトに聞いたのは、既にキリトが杯に注がれた葡萄酒を半分ほど飲んだ後だった。
「分かんない」
ほんのりと頬を赤くしてキリトが言う。
「分かんない、って」
「私もコルドールと同じ様に、キリトと呼んでも?」
葡萄酒を軽く飲み干して、カルザスが聞いた。
「いいよ。カルザスと呼んでも?」
にこにこと笑ってキリトが聞く。
「もちろん」
キリトは酔いやすいたちなのか、頬も首筋も桃色に染め上げて、潤んだ瞳でカルザスを見つめている。
「ああ、本当に可愛いな。うっかり間違いを犯してしまいそうだ」
「お前な、冗談抜きで死にたくなかったら、軽々しい真似はしない方が身のためだぞ」
コルドールの忠告にカルザスは、
「キリトのように美しい人の為に死ぬなら本望さ」
といって声を上げて笑った。皆で料理を口にしては酒を飲む。葡萄酒の瓶はあっという間に空になった。
「そうだ、ぼく、まき割りがまだだった。かえらないと」
キリトが赤い顔をして呂律の回らない舌でそう言うので、一行は王宮に戻ることになった。
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