第21話 林檎


暗い空に残月が冷ややかに浮かんでいる。木々の隙間を通り抜ける冷風は、既に夜明けが近いことを告げていた。

キリトは樹木に囲まれた回廊を抜けて別棟に入ると、こっそりとあたりの様子を伺った。何度も廊下を折れ曲がったので、既に帰り道は分らない。

そこは王宮の厨房の裏口のようだった。夜明け前だというのに既に働いている人がいる。

裏口に横付けされた荷車にキリトはこっそりとよじ登ると、木箱をよけて端にうずくまり、積んであった布を自分に覆い被せた。

しばらく待っていると荷車がガラガラと音を立てて動き出した。王宮の外に向けて。




キリトは荷車が止まると布の下から這い出し、そっと荷台から抜け出した。


王都の街は暁の光を受けて薄紫色に染まっている。細くたなびいた雲が上空を渡っていく。

どこか目的地がある訳ではなかったが、王都の背後に聳える小高い丘を見ると、そこに登ってみたくなった。




息を切らせて丘を登りきると、開けた大地に大小の木が生えて、草の間から赤茶けた地面が顔を出していた。観光地にでもなっているのか、いくつか屋台も並んで店開きの準備をしている。


「おじさん、林檎ひとつちょうだい。」


懐から銅貨を取り出すと、林檎売りは愛想よく返事をした。


「はいよ!お兄さん綺麗な顔してるね。おまけだよ。」


と言って林檎を二つ、キリトに手渡してくれた。


少し離れた見晴らしの良い場所まで来ると、地面に座り込み林檎を齧る。既に太陽は昇り、王宮の影を地面に作っている。キリトはしばらくの間、景色に見惚れるように動きを止めていた。




「こんなところに居たのか。」


太陽の光を浴びて黄金の巻き毛を輝かせて立つのは、第一騎士団の団長、コルドールだった。


キリトが黒目黒髪の目立つ容姿で助かった。街で何人かで手分けして聞き込みを始めると、すぐにキリトの行き先が知れた。コルドールは大きく息を吐くと言った。


「国境を封鎖して一個師団を動かすと言い出しかねない勢いだったぞ。」


コルドールは天を仰いで言った。誰が、とは言わなかったが、キリトはレイルの顔が頭に浮かんだ。怒っているだろうか。


「...僕、何だか怖くなって...」


コルドールは何も言わずに目で続きを促した。


「奇跡の子って呼ばれるのも、王宮も、レイルも。なんだか怖い。」


キリトは小さな声で呟いた。コルドールは眉間に皺を寄せて難しい顔をして聞いている。


「奇跡の子って呼ばれたって、怪我を完璧に治せる訳じゃないし。力を使い果たして倒れるし。レイルだって...」


昨晩のレイルとの事を思い出すと、目に涙が滲んだ。


「...そ、それに、コルドールは拷問が得意なんでしょう。」


キリトが涙を手の甲でごしごしと拭くと、コルドールは懐から白い清潔そうなハンカチを出してキリトに渡して言った。


「誰から聞いた?」


「レイル。」


コルドールはううんと唸った。


「俺が怖いか?」


キリトは微かに頷いた。


「確かに俺は、時には陰で人に言えないような仕事をして手を汚してきた。だが、それがあってこそ、この国の繁栄もあると思っている。」


「...ごめん。」


謝るキリトに、コルドールは首を横に振って続ける。


「レイルはこの国を背負って立つ次代の王だ。重荷を背負っている。そしてその重荷の片端を、お前にも預けたいと思っているのだろう。」


「...奇跡の子だから?」


「そうではないと、分かっているんじゃないのか?」


コルドールはキリトの頭をひとつポンと叩くと言った。


「とにかく一度、王宮に戻ってはくれないか。」


キリトは少し迷った末に小さく頷いた。



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