03

 趣味はゲーム配信。もはや生きがいであり、将来はこれで食べていきたい。


 学校の成績はそこそこ。優等生とテスト勉強をしてるから、平均七十点はキープ。


 おしゃれは無頓着。アヤちゃんが選んでくれるから、着る服に困ったことはない。


 同級生との交友は控えめ。クラスでつるんでる奴らはいるが、学校外で会うことはない。


 若神子麟太郎りんたろうの生き方を振り返る度、僕は名前負けしているなと常々思う。陰キャなんて枠に自分を収めて卑下するつもりはないが、常日頃あんな姉が側にいて、なぜアヤちゃんみたいな陽キャになれなかったのか。


 やっぱり環境ではなく、親から受け継いだ血こそがものをいうのだろうか?


「あ、このプリン、マリ好みかも」


「え、ほんと、お姉ちゃん?」


「はい、あーん」


「あーん。……んー、美味しい」


 眼の前の仲睦まじい姉妹を見る度、やっぱり血じゃないんだな、と考えを改めるわけだ。


 杉宮沙友理さゆり。通称ユリちゃん。僕の血縁上の姉だ。


 杉宮麻理恵まりえ。通称マリちゃん。アヤちゃんの血縁上の妹だ。


 ユリちゃんの髪が濡れ羽色に対して、ユリちゃんはアヤちゃんと同じ栗毛。どちらも美人さんであるが、顔のパーツは絶対的に違う。違うのだが、ふたりに共通したほわほわというか、おっとりというか、陽だまりのような温かみのある性格が、そのまま顔つきに表れている。それが似ていないはずのそっくりな姉妹を生み出したのだ。


 今日のサイドポニーテールの向きは、ユリちゃんが右でマリちゃんが左。まさに仲良し姉妹の証である。


 そんな仲睦まじい様を正面から眺めていたら、ユリちゃんがふと気づいたように目を向けてきた。


「リンくんも一口どうぞ」


 プリンを乗せたスプーンを、ユリちゃんはテーブル越しに向けてきた。


 僕がずっと眺めてくるものだから、食べたいと誤解したのだろう。


「そういうの、僕はいいから」


「いいからいいから、はい、あーん」


「あーんはしません」


「もー、リンくんったら。恥ずかしがらなくてもいいのに」


 すぐに諦めたユリちゃんは、眉尻を下げながらプリンを食べた。


「これでもわたしは、リンくんのお姉ちゃんでもあるんだから。お姉ちゃんとして、もっと弟に甘えて貰いたいのです」


「年頃の男の子は、お姉ちゃんにあーんされるのは恥ずかしいの」


「えー。でもアヤなら絶対、そういうのしてそうなのに」


「うん。だから鬱陶しいんだ」


 コーヒーを飲みながら、苦い顔を浮かべた。


「リンくんったら酷いなー。マリにそんなこと言われたら、わたしだったら泣いちゃうところだよ」


「アヤちゃんの諦めない顔も、それに抵抗するリンくんの顔も目に浮かぶ」


 わざとらしく悲しむユリちゃんの隣で、マリちゃんはクスクスと笑った。


「アヤちゃん、今日は来られなくて残念だったねー」


「撮影らしいからね、仕方ないよ」


 読者モデルをしているアヤちゃんは、今日の日程は前から決まっていた。だから今回のお出かけについては、三人で楽しんでおいでー、と送り出されたのだ。


 新生児取り違えが起きた、若神子家と杉宮家。それが発覚したのは僕が小学六年生だった、丁度四年前の今頃。一月の半ばが過ぎた辺りだ。


 杉宮家の弁護士を通して、それが両親にもたらされ、アヤちゃんに知らされ……そしてアヤちゃんから直接告げられたときは、悪い夢かなにかかと思った。だってアヤちゃんは絶対的に、どうしようもないほどに僕のお姉ちゃんであったから、そうでなくなる日が来るなんて考えもしなかった。


「大丈夫だよ、リン。私はこれからもずっと、リンのお姉ちゃんだから」


 きっと、今にも泣きそうな顔でもしていたのかもしれない。アヤちゃんはいつもと変わらぬ眩しいくらいの声音を発しながら、抱き締めてきたのだ。


 アヤちゃんの本当の両親、そして僕の本当の姉との顔合わせ。家族総出で会食会場のホテルに行ったときのことは、今でも忘れられない。


「あれ、ユリ?」


「え、アヤ?」


 なんと取り違えられた者同士が、既に友人だったのだ。


 本当の家族との初対面。その緊張は一瞬で吹き飛んで、


『そうかふたりはもう友達だったのか。これからは家族ぐるみの付き合いで両家仲良くしよう、はっはっは』


 というノリで、アヤちゃんも、ユリちゃんも、若神子家の両親も杉宮家の両親もわだかまりもなく打ち解けたのだ。


 両家族を襲った新生児取り違えという大事件は、かくして秒で収束した。僕とマリちゃんだけが、気持ちがしばらくついていかなかったほどである。そういう意味では大事件の被害者は、僕ら弟妹のふたりだったかもしれない。


 姉たちが打ち解けたいのは、相手方の両親だけではない。僕ら弟妹もだ。だから月に一回、こうして四人で出かけるようになった。打ち解けた今でも、その習慣は変わらず残っている。


 今日は映画からのスイーツビュッフェという流れだ。


 マリちゃんはババロアを口にしてから言った。


「アヤちゃん、将来はこのままモデルの道に進むのかな?」


「いやー、進まないんじゃないかな。楽しそうにはやってるけど、本気でこの道で食べていきたいってほどの努力は見られないし」


「そうかな? 努力してるから、売れっ子さんになれたんじゃない?」


「アヤちゃんが売れてるのは、結局おばさんのお膳立てがあってのものだよ」


 これはアヤちゃんも認めてることだ。


 そもそもアヤちゃんが読者モデルを始めたのは、高校一年生の夏。マリちゃんたちの母親、つまりアヤちゃんの生みの親に、一度やってみないかって誘われたことから始まった。軽い気持ちで引き受けたアヤちゃんだったが、読者の評判もよかったようだ。


 一回きりのつもりだったアヤちゃんを褒めちぎり、もう一回やってみない、とおばさんは誘った。そしてその一回で終わらなかったから、アヤちゃんは今日も撮影に勤しんでいるのだ。


 面倒臭い売り込みや交渉などは、全部おばさん任せ。そういった雑誌を作ってた人だから顔も広いし伝手もあるから、アヤちゃんを売れっ子と呼ばれるまで押し上げられたのだ。


「それを疑うならおばさんに、わたしもアヤちゃんみたいになりたい、って頼んでみるといい。やっとその日が来たかって張り切ってくれるよ」


 マリちゃんは困ったように眉尻を下げた。


「わ、わたしは……そういうのはちょっと、向いてないから」


「じゃあ、ユリちゃんで試してみよう」


「リンくんは意地悪だなー。わたしがそういうの苦手なの、知ってるでしょ?」


 ユリちゃんはわざとらしく唇を尖らせた。


 注目を浴びるのが好きじゃないふたりは、読者モデルをやりたがらない。娘を雑誌に飾りたいとずっと夢見てきたが、無理強いはできずおばさんは諦めていたのだ。


「だからアヤには感謝してるんだ。わたしたちの代わりに、お母さんのやりたかったこと叶えてくれてるから」


 ユリちゃんは嬉しそうにそう口にした。


「なまじ美人姉妹を抱えてるだけに、なおさら口惜しかったろうからね」


「び、美人姉妹って……!」


 軽い気持ちで僕が口にしたことに、マリちゃんは顔を赤くしながら両手を振った。


「お、お姉ちゃんはともかく……、わたしなんて、そんなことないから」


「もう、マリったら自己評価低いなー。アヤと血の繋がった妹が、可愛くないわけないんだから」


 ユリちゃんは妹のサイドポニーテールに手を触れた。


「いつもこうしていれば、学校では一番可愛い女の子なのに」


 もったいなそうな目をするユリちゃん。


 たしかに今日のマリちゃんは、学校で見る姿とはまるで別人だ。いつもの髪型は二つ結びだし、黒縁メガネを外してコンタクトをつけている。たったそれだけの違いなのに、ついつい目が惹かれてしまうくらいに可愛かった。


 贔屓目はあるかもしれないが、間違いなく今のマリちゃんは学年一の美少女だ。


「無理無理無理無理!」


 そんな自分の魅力を否定するように、マリちゃんは思い切りかぶりを振った。


「学園にはコクホー先輩がいるから。あの人を差し置いて、学校一なんて絶対無理」


「まあ、あの人はアヤちゃんをアイドルの座から引きずり降ろした、学園のお姫様だからね。色々と別格だ」


「そうそう、アヤちゃんが勝てない人なんて、わたしが勝てるわけないから」


 僕の補足に、力強くマリちゃんは頷く。


 すると僕の目を真っ直ぐと捉えたユリちゃんは、眉をへの字にした。


「もう、ダメでしょうリンくん。こういうときは、『そんなことないよ』『マリちゃんが一番可愛いよ』って言わないと」


 教鞭を振るうように、ユリちゃんは人差し指を立てた。


「今日だってリンくんとのお出かけだから、朝から張り切って御洒落した――」


「もう、お姉ちゃん! 余計なこと言わないで!」


 マリちゃんはしがみくつように、ユリちゃんの口を塞いだ。


 その必死さの裏がわからないほど、鈍感なつもりはない。ドキリとしたし、ニヤけそうにすらなった。


 心からマリちゃんが一番可愛いと思っている。


 それを素直に口にすることは、この先もないだろう。


「でも、学校ではいつものほうがいいと思うよ」


「そ、そうだよね。いくら張り切ったって、わたしなんて……」


 ポニーテールの先を弄りながら、マリちゃんは自虐的に笑った。


 その自覚のなさがまた可愛い。


「そのまま学校に行ったら、あっという間に男たちに囲まれる。男のあしらい方がわからない内は、今まで通りのほうがいいよ」


「え、あ……うん、そうする」


 胸元で当てた手に、マリちゃんは目を落とす。気恥ずかしそうにしているのは、素直に褒められたと通じたからだ。


 ただ褒めただけではない。マリちゃんの自衛としても、その可愛さは隠し通したほうがいい。中学校は女子校だったから、僕以外の男は耐性がない。苦手といってもいいほどだ。


 だからふと、疑問が湧いてきた。


「そういえばなんでマリちゃん、うちの高校選んだの?」


「え、なんでって……なんで?」


 マリちゃんは不思議そうに首を傾げた。


「うちはそこそこの進学校ではあるけど、マリちゃんが通ってた中高一貫校おじょうさまがっこうと比べたら、箔がつくような学校じゃないだろ? 男が苦手なのに、なんでそのまま進学しないで、うちを選んだのかなって」


「それは、その……」


 赤面したと思ったら、マリちゃんは下を向いた。答えを探すように唸りながら、こちらの様子をチラチラと窺ってくる。


「あ、飲み物取ってくるね!」


 わざとらしく話を打ち切ったマリちゃんは席を立った。


 そんな小さくなっていく背中を眺めていると、目端にニヤニヤとしている顔が映った。


「もう、リンくんは女心がわかってないなー」


「え、どういうこと?」


「どういうことでしょう?」


 答えに思い至らぬことか。もしくは思い至った先のことか。それを楽しそうにしながら、ユリちゃんはニマニマしている。


 一体どういうことだろうか、と不思議そうな顔を取り繕った。


 マリちゃんがなぜうちの学校を選んだのか。今のでそれがわからないほど鈍くはない。


 僕らは大好きな姉たちが、本当の姉ではなかったとショックを受けたもの同士。大事件があっという間に円満解決したからこそ、気持ちが置いてけぼりを食らってしまったもの同士でもある。


 立ち直るなんて大げさなものではないけれど。同じ立場であったからこそ、僕らを置いていった姉たちに追いつくため一緒に進むことができた。


 苦難なんて大げさなものではないけれど。一緒に壁を乗り越えたからこそ、芽生える気持ちがあったのだ。


 この気持ちは一方通行のものではなかった。


 だからこそ、どうしたものかと今日も悩み続けている。


 なにせ血の繋がらない初恋の姉。その妹を好きになってしまったのだ。


 この想いを叶えるなんて、できるわけがなかった。

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