04
放課後の中学校の門をくぐると、すれ違う先から在校生に目を向けられた。
上はコートを着ているとしても、下は乳白色のスラックス。僕の通う学園の制服は、中学校では部外者として目立つようだ。
三年間縁がなかった来客者用の下駄箱でスリッパに履き替えると、
「おお、若神子じゃないか」
かつての担任から声をかけられた。クラス名簿を抱えており、職員室にでも向かうところだったのかもしれない。
「あ、お久しぶりです松田先生」
「久しぶりだな。急にどうしたんだ?」
「たまには先輩らしく、うちを受験する後輩たちに激励でもと」
「あー」
松田先生は柔和に顔を綻ばせる。懇意というほど話してきたわけではないが、お世話になったと思えるほどの先生である。これでどの後輩たちを指すのか伝わったようだ。
視界の端になにか映ったのか、松田先生はふと職員室の方角に顔を向けた。
「噂をすればなんとやら。おーい、
名簿を高らかに振りながら、松田先生はその名を呼んだ。
十秒も経たずに、その生徒は不思議そうな顔をしながら現れた。
「どうしたんですか、先生?」
「先輩が来てくれたぞ」
名簿を向けられるがままその首がこちらを向いたので、軽く手を上げた。
「よ、久しぶりだなヒメ」
「あ、ミコ先輩。お久しぶりっす」
久しぶりに会う先輩に、特に感動はないのか。ヒメの声音はまったく変わらなかった。
ヒメと呼んでいるが、この後輩は女子ではない。名字からもじっただけのあだ名で、ヒメと呼んでいるだけの男子である。猫のようなくせっ毛と、いつも眠たそうな目は最後に会ったときのままだった。
「どうしたんすか、今日は?」
「たまには先輩らしく、後輩たちへいいものを差し入れに来た」
「どんないいものっすか?」
「過去三年間の、うちの入試問題だ」
「うわ、マジでいいものじゃないっすか」
リアクションこそ乏しいが、ヒメはこれでも驚いている。なにせ眠たそうな目が見開いてるのだ。
「職員室にはこっちで周知しとくから、そのまま行っていいぞ」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、あっさりと松田先生は去っていった。
お言葉に甘えながら、ヒメと他愛のない雑談をしながら歩みを進める。やはりスラックスが目立つのか、すれ違う生徒たちはこちらに気づくと一度は顔を見てくる。次の瞬間、興味を失ったように元の行動に戻るのだ。
僕はイケメンでもなければ、この学校で目立っていたわけでもない。僕の顔をよく知る後輩は、ヒメを含んで三人しかいない。
かつて所属していた、未だに廃部扱いされている文芸部。
「あ、みこりん先輩じゃないですか!?」
その部室には、僕の顔を見て騒ぎ立てる奴がいた。
「みっこみっこみっこりーん」
口ずさんだ小気味いいリズムに合わせて、その騒がしい奴は首を左右に揺すった。
はしゃいだお出迎えにはもう、ため息すら出なくなった。
「ほんと、おまえは変わらないな、カナセ」
その女子生徒、
「見る目ないですね、みこりん先輩。わたしはあれからひとつ、大きくなったんですよ」
「そんなに変わってないだろ」
頭に手を置いて、背を比べるように動かした。
「なんとDからEになりました」
カナセは腰に両手を当てながら大きく胸を張った。
そのアルファベッドがなにを示すのか言わずがな。こいつには慎みや羞恥がないのかと呆れてしまった。
こういうときのカナセをつつくと、余計ややこしくなる。
「オージは?」
「今日は用があるんで、一足先に帰ったっすね」
「そりゃ残念」
僕を知る最後のひとりの所在を問うと、ヒメが答えた。
「まあいい、差し入れだ」
カバンから角型封筒を取り出し、テーブルに置いた。
「ん、なんですかこれ?」
「過去三年分の入試問題だ」
カナセの疑問に答えながら、コートを脱いだ。
「おまえたち全員、うちを受けるんだろ? 一応、そこに通う先達として、聞きたいことがあればと思ってきたんだよ」
「さすが我らがみこりん先輩」
手を合わせながら、カナセは目を輝かせた。
「丁度、あの学園について聞きたいことがあったところです。ぜひぜひ教えてください」
「なんだ?」
こういうときのカナセは、どうせくだらないことを吐く。身構えず期待せずに、投げやりに聞いた。
「やっぱり学園と呼ぶほどの高校ともなれば、学校を支配する生徒会や、厳しく生徒を取り締まる風紀員。理事長を親に持つ生徒が権力を振りかざしたり――」
「マンガやアニメの見過ぎだ。そんなものあるわけないだろ」
案の定くだらないことだったと、バッサリと切り捨てながら椅子に座った。
カナセは心底ガッカリしたように肩を落としながら、それでも一縷の望みを託すように言った。
「じゃ、じゃあ学園のアイドル、その親衛隊もいないんですか……?」
「あるわけないだ――いや、それっぽいのはあったな」
「え、あるんですか!?」
望みを託した本人が驚愕した。
「むしろそんなのができるほどの美人がいるんすか?」
淡々としながらも、興味深そうなヒメの口ぶり。
「なにせ名前からして、美人として生きる宿命を背負ってる人だからな」
「一体どんな名前っすか?」
「国の宝に美しい姫と書いて、
「そんな学校一の美女が、なぜ陰キャな僕を!? コクホーさんは
活き活きとしながら、カナセが早口で捲し立てた。
「我らがみこりん先輩が、まさかラブコメ主人公デビューしていたなんて。わたし、来年から付き合いの長い後輩キャラとして参戦するので対戦よろしくおねがいします」
カナセはペコリとつむじを見せてくる。
本人も本気で思っていないことだろう。しかし今回ばかりは半分当たっているだけに、つい苦い顔をしながら目を逸してしまった。
「え……まさか本当に、主人公デビューしたんですか、みこりん先輩?」
視界の端に、丸い目をしたカナセが映った。
「いや、相手は僕じゃないんだけど……それに近いことが起きてるんだ」
長い前髪を表すように、鼻先で平手を左右に振った。
「うちのクラスにさ、こんな髪してる奴がいるんだけど」
「コクホーさんはそんな古きよきエロゲの主人公みたいな人が好きなんですか」
「それだけじゃない。学年一の才女と幼馴染の陽キャギャルまでいる」
「そんなラブコメ主人公みたいな陰キャが、本当にこの世にいるんですか!? わたしたちはとんでもない学園に行こうとしてるんですね。これはもう楽しみです!」
はしゃぐようにカナセは目を輝かせた。
陰キャ。あれのことをそう指し示すのは正しくはないので、訂正を入れる。
「あれは陰キャでもなんでもない。陰キャを自称しているだけの、頭がおかしいイカれてるヤバイ奴だ」
「ミコ先輩にそこまで言わせるとか、一体どんな人ですか?」
ヒメは口を挟まずにはいられなかったようだ。
「今のモテモテな自分の状況について、『クッ、これだけ抑え込んでも、俺の中に眠る陽キャの気が溢れ出るのか。こうなったら陰キャらしい笑い方で抑え込まなければ、イーンキャッキャ!』と、教室のど真ん中で奇声を発してる奴だ」
「頭おかしいっすねその人」
「そんな奴に勝手に友達認定されて、俺たちは陰キャーズだ! と巻き込まれた先輩の気持ちを答えなさい」
「わたしたちのみこりん先輩が、まさかラブコメ主人公の友人キャラデビューしていたなんて……決めました。進学したらわたし、みこりん先輩とサイドストーリーを紡ぎます」
無駄に感動したのか、カナセが流してもいない涙を人差し指で拭った。
「願うなら背景のモブでいたかったよ……」
「ミコ先輩、クラスでの立場、大丈夫っすか?」
「今の僕は、頭のおかしい奴に絡まれている可哀想なクラスメイト扱いさ。みんな優しいんだ」
ヒメに心配ないと告げた。スクールカーストはあっても、上のものは下に優しいそんな素晴らしい高校だと。
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