02

 思いつきでVチューバーを始めたいと言い出したのが、よくわかる浅はかさである。


 所属事務所はこの意味すら通じぬアヤちゃんに、Vチューバーで大成することの難しさを説くのは無駄かもしれない。そもそもVチューバーがなぜ人気コンテンツなのかもわかっていない節もある。


「そもそもさ、Vチューバーがどんな存在かわかってる?」


「リン、お姉ちゃんのことバカにしてるでしょ?」


「バカ以前に、アヤちゃんは浅はかなんだよ」


「むっー……!」


 抗議の眼差したっぷりに、アヤちゃんは唇をすぼめた。ただ箱の意味がわからないことがそれだけのことだとは通じたのだろう。それ以上はなにも言えずにいる。


 眼力が抜けたアヤちゃんは、これ以上浅はか扱いされてたまるかというように口にした。


「Vチューバーは、現代の新しいアイドルの形でしょ?」


「そうそう、正解正解」


 やる気のない拍手を送ると、浅はかなアヤちゃんは気をよくしたように胸に手を当てた。


「まさに、お姉ちゃんにピッタリな職業でしょ?」


「その自信は一体どこから出てくるんだ」


「だってお姉ちゃん、高校のときはみんなのアイドルだったもの」


 アヤちゃんはドヤ顔を見せる。自惚れの自画自賛でもなんでもない。それは僕もよく知っているだろう、という自信の表れからくるものだ。


 たしかにアヤちゃんは、高校生のときは男たちのアイドルだったようだ。


 透き通るような白い肌に、艶のある桜色の唇。くっきりとした鼻梁。スラリと長い手足に、凹凸がハッキリしているスタイル。光沢ある栗毛のロングヘアに、輝くような大きな瞳。


 一通り美人を表す言葉を羅列したが、アヤちゃんにはもっとわかりやすい表現がある。


 太陽。陽だまりなんてヌクヌクとした甘いものではなく、問答無用に光をバラまく存在。アヤちゃんの陽キャは、太陽の陽。性格がそのまま外見的魅力に直結しているから、ときには鬱陶しいくらいに眩しいのだ。


 いい意味でも、悪い意味でも、男女分け隔てないアヤちゃん。それで勘違いするものは後を絶たず。告白された数は両手足を使っても足りないようだ。


 元々特別アイドル扱いされたい性格ではないが、その現状はそれはそれで楽しかったようだ。男たちをいいように扱ってきたわけではないが、『お姉ちゃんはみんなのアイドルなんだよ』とよく自慢してきて鬱陶しかった。


 そういう意味でアヤちゃんは、アイドル扱いされて調子に乗っていたのだ。


 伸びに伸びたSランク美少女の鼻は、ある日を境にポッキリと折られてしまった。僕がそれを知らないとでも思っているのか。


「なーにがみんなのアイドルだ。コクホー先輩にあっさりとその座を奪われたくせに」


「……うっ」


 アヤちゃんは苦い顔をしながら怯んだ。


 コクホー先輩とは、アヤちゃんが三年生のときに入学した一年生。僕のひとつ上の先輩である。


 アヤちゃんが高校三年になってから、お姉ちゃんはみんなのアイドルだから、発言がなくなった。そういう扱いに飽きたのかと思ったら違ったようだ。


 後輩にその座を奪われた。僕の前では見栄っ張りだから、それを言えなかったのだ。


 アヤちゃんがSランク美少女なら、コクホー先輩はSSランク美少女。ああ、この人にその座を奪われたんだなと、入学してすぐに察した。


「コクホー先輩は、なんか格が違うよね。アイドルで収まる器じゃないっていうか――アヤちゃん、告白された回数、両手両足じゃ足りないんだっけ?」


「お、お姉ちゃんはみんなのアイドルだったからね」


「コクホー先輩はさ、ゼロ人だってさ」


「つまり、お姉ちゃんの勝ちってことでしょ?」


 少し力を取り戻したアヤちゃんを鼻で笑った。


「よくナンパされる人って、こいつならワンチャンありそう、って思われてるらしいよ」


「くっー!」


 これでもかと顔を真っ赤にして、頬を膨らませたアヤちゃん。僕の枕を投げつけてきたので、あっさりとそれをはたき落とした。


「コクホー先輩はさ、アヤちゃんと同じアイドルなんてステージにいないんだ。まさに手を伸ばすだけでも恐れ多い高嶺の花。憧れることしか許されない、お国のお姫様ってやつだね」


 あの人に好意を抱かれる男は、前世と合わせてどれだけの徳を積んできたのか。……いや、本当に、なんであんな頭がおかしい男に夢中になれるのか、我が学園の七不思議である。


 コクホー先輩の好みがイカれているのはさておいて、いい具合のところに話は進んだ。


「アヤちゃんが目指したいのはさ、まさにVチューバー界のコクホー先輩。コメント欄がいつも赤色で満たされるのは、みんなのお姫様に上り詰めた一握りの頂点だけなんだ」


「みんなのお姫様だっていうなら、お姉ちゃんだって負けてないもん」


 自信満々に胸へ手を当てたアヤちゃん。


 Vチューバー云々ではなく、コクホー先輩に張り合っているその様子。社会的に見てコクホー先輩より下であることが許せないのではない。僕がアヤちゃんより上だと持ち上げているのが気に食わないのだ。


「なにせお姉ちゃん、サークルじゃ姫って呼ばれてるからね」


「オタサーの姫やってんじゃねー!」


「ぎゃん!」


 足元の枕を顔面にぶつけると、アヤちゃんはブサイクな声で鳴いた。


 これ以上相手するだけ時間は無駄だと、オタサーの姫を部屋から追い出した。


「はぁー……」


 短時間でドッと疲れて、椅子の背もたれに身体を預けた。


 いつもは薬にこそならないが毒にもならない。そんな思いつきで色々と始めるのだが、Vチューバーとはまた頭が痛かった。なまじ個人で始められる資金力があるだけに、知らない内に始めるのではないかと恐れてすらいる。


 やりたいと思いついたことは、行動に移さなければ気がすまない。それでなんとかなってきたポテンシャルと成功体験があるから、失敗しても次々と新しいことに手を出せるのだ。


 常に石橋を叩いてきた僕とはえらい違いだ。本当に僕らは血を分けた姉弟なのか……と疑うまでもないことに、ついかぶりを振った。


「やっぱりアヤちゃんは、血からして違うのかな」


 新生児取り違え。


 若神子家の中で、アヤちゃんだけ血が繋がっていなかった。その事実を家族全員が知り、アヤちゃんの血縁者家族と顔を合わせてから、もう四年が経っていた。


 あれから僕ら姉弟のあり方は、まるで変わっていない。驚くほどに今まで通り。血の繋がりのことなんて知らなくても、きっと僕らの関係は今と変わらなかっただろう。


 それでも……なんとなく、あんな姉が初恋ということが、未だに後ろめたく感じるのだ。

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