第一夜 8 ノア、やっと説明してもらえる
「まず、この世界は『めためたドリームワールド』と、そう呼ばれています」
「めためた……何?」 なにその絶妙に変な名称。
「素敵な名前だと思いませんか? 私がそう名付けたのですが、お気に召されなかったでしょうか。それではノアさんにご説明を差し上げる前に、ちゃんと名前を決め直さないといけませんね……」
変だとは口に出してはいなかったが、それが表情で伝わってしまったのかもしれない。それを察したミレニアは困った様子で考えこむ。
というか、呼ばれていますって、君が命名したのかよ。
「では、どのような名前に変更しましょうか。……夢いっぱいワンダーランド……スーパーときめきドリームキングダム……」
何それ微妙……。
自分が生まれるよりずっと前、30年くらい前の何らかの遊戯施設やゲームとかにありがちな感じの古くさい名前がいくつか聞こえてきた。名前の重要性はよくわからないけど、そんな簡単に変えちゃっていいもの? 正直どうでもいいから、これ以上話を脱線させずに進めてほしい。
「それでいい。『めためたドリームワールド』わかりやすい名前だと思うからそのままでいい。だから、それが何なのか、詳しく教えてほしい」
まだ概要すら知らないのにわかりやすいも何もないが、適当に雑な妥協をした。
「そうですか……一応他にいい候補がないかまた考えておきますね」
ミレニアは少し残念そうな口調で、それでもにこやかな表情は崩さずじっと目をこちらに合わせて、再び説明を始める。
「『めためたドリームワールド』は簡単にいえば、人の睡眠中に夢の中で創造された世界、といえるのですが、実際にそれを構成するものが少し複雑でして。
おそらくノアさんは今、自分自身が変わった夢をみていて、ここで出会った不思議な出来事は自分の脳内で起こっていることだと思っていらっしゃるかもしれません。しかし、その解釈は正確なものではありません」
「夢の中……? 確かに非現実なことばかりでこれはまだ夢なんじゃないかって自覚はあったけど、やっぱりそうなのか。でも正確ではないとは、どういうこと?」
「この世界は、ノアさんただ一人の夢によるものではなく、みなさんの夢によって創造された世界なのです」
「みなさんの……って?」
「これは、この京都に住まう人達、みなさんの夢なのです。特定の誰かではなく、不特定多数の、この京都市に住まう百万人を超える人達の夢です。一人一人の夢、それらが混ざり合って、この世界ができているのです」
「えぇ……なんだそれ」
ただでさえ奇妙だというのに、とんでもなく壮大な話になってきたな……。百万人の夢が混在しているだって?
「ノアさんは【シュレディンガーの猫】というものをご存知でしょうか」
「そんなに詳しくないけど、聞いたことはあるな」
「箱の中の猫ちゃんが生きているか死んでいるかわからないため、その中間の存在として考えましょう。というものです」
「説明がざっくりすぎない?」
だが概要としてはそんな感じだったと思う。
ある実験で対象の状態を確認することができない場合に、可能性として考えられる複数の事象が混在した状態であると仮定して検証を続けていこうというものだ。
たとえその仮定が「生と死」のような相反するようなものが合わさったものだったとしても。
実際にその思考実験がどのように現実で活用されているのかまでは、正直よくわからない。ただ、パラレルワールドの設定によく使われる言葉として、小説やゲームなどではよく見かける有名な用語、それが【シュレディンガーの猫】と呼ばれるものだ。
「まぁ、要するに、あれか。不特定多数の人がそれぞれ見ている夢が混在しているから、この空間もまた多種多様に変化したものがごちゃごちゃになっている、ということか」
「とてもご理解が早くて助かります」
「いや、理解はしたくないんだけど……」
なんてこった。どうりで異変だらけなのにその変化に一貫性が無いわけだ。
「じゃあさっきここに来る前、近所でいろんな家とかが現実とは違うものに変わっているのを見たんだけど、それも誰かの夢の中で変化しているものってこと?」
「そうですね。その人の夢の中でも実際に家が変化しているかどうかまではわかりませんが、夢に影響されて変化している、というのは間違いないと思います」
「例えばゲームでありそうな異世界っぽい家があったんだけど」
「そこで眠っている方、すなわちその家の住民の方がきっとそういったゲームなどの夢を見ていらっしゃるのでしょうね」
「お菓子の家とかもあった」
「きっとお菓子をたくさん食べる夢を見ていらっしゃるのでしょうね」
「アン○ンマ○の工場があった」
「きっと町の善良な人々に自分の顔を食べさせる夢を見ていらっしゃるのでしょうね」
「言い方が怖いよ」
なるほど、夢が混在しているといっても実際には変化させることのできる場所は人によって関連づけられているのか。
だとすると今いるこの場所、鴨川はどうなのだろう?
見たところ、少し宝箱らしきものが落ちていることを除けば特に大きな変化はなさそうだ。
住宅地ではないから付近で眠る人がいないので改変されない、とかだろうか。
「ここはいつも通りの夜の鴨川って感じで、あまり変化がないようだけど?」
「そんな事はありませんよ。むしろこの鴨川の遊歩道のように、日常で多く人があつまる場所ほど、多くの潜在意識の中に登場するものです。探索してみればいろいろな発見があるかと思いますよ。ただ……」
鴨川の静かな流れに目を落として、ミレニアは続ける。
「夢というものはそれほど非現実的なものばかりではありません。本来、夢とは人が睡眠中にその日一日の記憶の整理をする過程でみるものだと言われています。この普段通りの京都の街並みや風景も、この鴨川が奏でる美しい水音も、ここに住む人たちが見て、感じている、いつも通りの景色が再現されたもの、ということです」
「なるほど、つまり個人の家とかなら特定の人物の意識に影響されやすいけど、鴨川は多くの人が共有するものだし、みんながみんな変な夢を見ているわけじゃない。だから少数が変な夢を見ていても大きくは影響されず平準化されている、ってことか」
「ノアさんは本当に素晴らしい理解力をお持ちなのですね。さすが魔女っ娘という素晴らしいネーミングセンスをお持ちなだけありますね」
「いや、魔女っ娘は関係ないだろ。あと別に自分で編み出した単語じゃない」
改めて眺める鴨川はいつも通りというか、むしろいつも以上に清らかで美しく見える気もする。
まぁ、変な宝箱は点在しているのだけど。
「所々に落ちている箱、これは何なんだ?」
「現実で実際に、それぞれの場所で誰かが宝物にしているものを落としたとか、隠してあるとか、何か思い入れのある出来事があったとか、そのようなことだと思います。
個人的なことでも強い想いがあればこの世界に反映されますから」
「宝物、ねぇ……」
さっき一つだけ開けて確認したのだが、内容が際どい雑誌だったので、目の前の少女には話しにくいので触れないでおこう。
まぁ、だいたい話はわかった。
ここまで聞いたことを全て信じられるわけではないが、現にこんな世界に来てしまっている以上、あまり深く疑ってもしょうがない。
問題は、なぜ自分がここに来てしまったのか。
いや、それ以上に気にしないといけないことは……。
「いったい、どうすれば元の現実世界に戻ることができるんだ?」
「へ? 現実に戻る……ですか? あぁ」
彼女は一瞬困惑した顔をするが、質問の意図をすぐ理解したのか、納得したような顔で応える。
「いいえ、何もしなくても、戻ることは可能ですよ。
だって、ここは夢の世界ですから。ノアさん自身も現実ではご自宅で眠りについているだけなのです。そして、夢は必ず終わりを迎えるものですよ。次の朝、目覚めた時に。
ですから、何もしなくても大丈夫ですよ」
「そうなのか、それだけのことなのか」
さっき彼女が、『自分1人ではなくみなさんの夢』と言っていたが、それは自分もまた夢を見ているということでもあるのか。
「あ、でももしノアさんがどうしてもこの世界からすぐに離脱したいとおっしゃるのであれば、例外的な方法ですが、一つだけ存在します」
「例外的な方法? どんなことをすれば?」
ミレニアは変わらぬ笑顔で淡々と答える。
「死ねばすぐにこの世界から退場できます」
「急に怖いよ!」
「大丈夫ですよ。あくまで夢の中での死はその世界での終わりを指すだけで、現実には影響しません。たとえ大怪我を負うようなことがあったとしても、朝を迎えた時には、五体満足、無事な状態で現実に戻ることが可能です。ただ……」
「ただ……なにか?」
「先ほども頬を負傷された時、痛みを感じられましたよね。感覚が現実と変わらない通りにある以上、例えば体の一部が切断された時の痛みとか、毒をうけて内臓が破壊された時の苦しみとかは、そのまま体感することになるかもしれません」
「それはそれで怖いよ!」
上品な感じでなぜこんな恐ろしいことを平然と話せるんだこの娘は。
「じゃあ、特にやるべきことがあるわけでもなく、現実の自分が目覚めるまでやり過ごすことができたら、元の世界に戻れるということか」
できれば無傷で、だが。
「はい、元に戻るだけなら、何もしなくても大丈夫です。
しかし……やるべきことならありますよ」
ミレニアはそれまでもにこやかな表情ではあったが、それとはまた違った笑顔、これから外へ遊びに行く子供のような無邪気な笑顔を返す。
感情の昂りに連動しているらしい黒髪の先端がまた、エメラルドの光を発する。
「やるべきこと、って?」
聞いてみるが、なんだか嫌な予感しかしない。
「やるべきこと……ノアさん、そんなこと、わかりきっているじゃありませんか……」
彼女は左腕から垂れ下がった羽織の袖に右の手を差し込む。そこにどのように収納していたのか、身の丈の半分ほどもある大きな杖を取り出して、高く掲げ宣言するのだった。
「さぁ、冒険の時間ですよ!」
「うん、やっぱりもうちょっと何か説明が欲しい!」
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