第一夜 5 ノア、コスプレ少女に絡まれる

 呼吸をするタイミングを失うほどの、ほんの一瞬の間に起こった出来事。


 綺麗な装飾の入った羽織をマントのようにばたばたと靡かせながら駆け寄ってきたその少女は、瞬く間にロボットの背後に迫り、勢いそのまま高く跳び上がり空中で一回転して体を捻らせると、ロボットに豪快な飛び蹴りを浴びせる。


 ごつん、と鈍い打撃音が川原に響く。


 標準的な背格好の女の子1人が片足に体重を乗せた程度の蹴りでは、あの巨体はびくともしない、はずだった。

 ところがその直後、ロボットは衝撃を弾き返すこともできず、そのまま蹴りを受けた反対側、すなわち自分が立っている方向に勢いよく吹っ飛ばされる。


 「ファァ!?」

 思わず変な声をあげて驚いてしまう。


 身構える間もなく、布に包まれた金属の剛体が凄まじい勢いで、体のすぐ横をすり抜けていく。

 あまりに一瞬のことで体が反応できず、部品のようなものが何か頬に当たり肌が切れる感触が走る。

 しかし自分はそんな微かな痛みよりも、目の前にある光景に意識を奪われ、見惚れてしまった。


 5メートルほど先、直前までロボットが影を落としていた場所。そこで、一人の少女が宙を舞う。

 そこだけ時間がゆっくりと流れているような空間で、まるで美しい羽色の鳥が空中で戯れるように黒髪や羽織の袖をひらひらと靡かせ、流星のような煌めきで光の残像を残す。

 そして体を滑らかにくるっと返して、右の足、左の足と、綺麗な姿勢で鮮やかに着地した。


 “日曜の朝にテレビで見るような魔法少女”といった感じの服装。それをベースにして、和服調のアレンジが加わった羽織とスカートからは緑色に輝くラインの入った煌びやかな帯のようなものがはためいている。片側だけ小さなリボンでサイドアップに纏められたセミロングの黒髪は、これもまたどういう原理か、まるで宝石のエメラルドのように、ところどころ美しい緑色に発光していた。奇抜な格好だが、その端麗で目鼻立ちの整った顔とスラリとした均整の取れたスタイルにとてもよく似合っていた。

 真夜中の市街地にこのような姿の女性がいたら違和感しかないが、もしここが何かのイベント会場などでコスプレが許容される場所だったなら、間違いなく良い意味で目立ち過ぎる。それくらい、そのコスチュームだけでなく、その容姿に誰もが目を奪われそうになる程の美しい女性だった。


 ほんの少しの間、呆気に取られたようにその姿を見ていた自分に対して、姿勢を正した少女もまた、こちらを見ている。だけど視線は自分ではなく、その少し後方に向けられている。

 その先に見ているものが何かに気がついて我にかえり、自分も慌てて後方を振り向く。先ほどのロボットはそのまますぐ後ろの河岸壁にぶつかり、鈍く無機質な音を響かせた後はもう動くような様子はなかった。赤く輝いていた目も完全に光を失っている。

 なんだかよくわからないけどとりあえずアレがもう動かなくなったこと(というか、既に動いてなかった気もする)に少し安堵の気持ちが浮かぶも束の間。


「逃げないでくださいね」

 突然耳元で琴を滑らせたような綺麗で張りのある声が聞こえた。


 びくっとして、慌てて少女のいた方を振り返ると、彼女の顔はすぐ目の前にあった。

 ついさっき4、5メートルくらい離れた所に立っていたはずなのに、その気配を感じさせることもなく一瞬で接近していたのだ。


「……まだ逃げてないと思いますけど」


「まだ。ということは、これからお逃げになるのですか?」


「これ以上の危険があるならそうしますけど」


 仮に逃げたとしても、追いかけられたら確実に捕まる。そんなことは先ほどの疾走とたった今の急接近を見れば十分理解できることなので、半ば諦めた気持ちで応える。

 とは言っても、彼女の綺麗な声と落ち着いた口調からは敵意は感じられない。少なくとも、さっき派手な警告音を鳴らしてきた謎のロボよりは。

 そのためか、自分も彼女の言葉に対して冷静に返すことができた。


 彼女はまるで警戒心の強い小動物をあやすかのように、

「いいえ、私は貴方に危害を加えたりしませんから大丈夫ですよ」

 優しく微笑みながら、

「それよりも、お顔に怪我をされていますね。危ないところでしたが、ご無事で何よりです」


「この怪我は攻撃されたとかじゃなくて、さっき吹っ飛ばした時に受けたものなんですけど……」


 直後言わなくてよかったと思ったが、つい口にしてしまった。

 そもそもあのロボットは何もしてこなかったし、勝手に自滅した。

 どちらかと言うと、この少女の攻撃によるものだ。


「そうでしたか、なるほど……これがラッキースケベというやつなのですね。申し訳ありませんでした、すぐに治療させてください」


「え? なんて……」


 いま『ラッキースケベ』って聞こえたけど、気のせい? もし本当にそう言ってたとして、なんでその言葉が出てきたのか確認するのも恥ずかしいし、スルーしておくべきだろうか。

 ラッキースケベとは、例えば目の前で転倒した女性の下着を拝んでしまったりとか、曲がり角でぶつかった際に女性の胸に接触してしまうなどといった、不意のアクシデントで意図せずスケベエピソードをゲットしてしまうこと。みたいな意味だったはずだ、たぶん。

 ついでに言うと彼女はその和装風スカートの下には見せパン、ドロワーズとか言ったっけ、みたいなものを履いていたため、今の飛び蹴り時にそれを見てしまったことはラッキースケベには該当しない。はずだと思う、たぶん……。


「どうかなさいましたか? はやく治療させてください」


「あ、いやいや! これくらいの擦り傷なんては舐めれば治る程度のものだから、大丈夫です」


 変なことを考えているところに再び声をかけられ、つい恥ずかしくなり慌てて断りを入れる。


「なるほど、それで治るのですね。でも頬の傷を自分で舐めることなんてできませんよ。それとも……“このような展開”であれば、私が舐めて差し上げた方がよろしいのでしょうか? 正直申し上げると、こういったことは苦手なのですが、仕方のないことでしょうか……」


 彼女は恥じらいながらもゆっくり、囁くように言葉を返すその口を、自分の頬に近づけてきた。


「いやいや待って、本当に舐める必要はないから!」


 慌てて後退りした。今“このような展開”とか言った? 展開って何?


「……そうですか。しかし、傷を放っておくわけにはいきません。すぐに私の魔法で治療しますね」


 少女はそう言って微笑むと、すぅっと右腕をこちらに伸ばし、傷ついた頬に触れてきた。そして目を閉じ祈るように何かを呟き始める。

 すると、黒髪の一部から発していた幻想的な光がより強まり、彼女の体全体を輝かせるように広がっていく。やがて光は右手に集中し、そして自分の頬にある傷へと伝わってきた。


「え、まさか本当に……魔法?」


 光は頬に吸い込まれるように収まっていく、すると、そこにあった傷と痛みは……特に無くなったりはしなかった。


 …………あれ?


「えー……申し訳ございません、私、やはり怪我を治療する魔法は使えないようですね」


 彼女は手を下ろして、残念そうに、しかし淡々と話す。


「使えへんのかい」

 思わず関西弁でツッコむ。


「せっかくの演出チャンスでしたのに、うまくいかないものですね……」


 演出チャンス……? さっきからよくわからないワードがちょくちょく出てくる。


「仕方ありませんね、切り替えましょう。ところで……『君は何者なんだ』とでも仰りたいご様子でいらっしゃいますね」


 魔法らしきものが失敗したことを無かったような感じにして、ついでに怪我のことも放置したまま、少女は何やら得意げな顔で語り始める。

 いや、まぁ何者なんだと、そりゃ思うだろう。

 今のところ、彼女に対して怪しさ純度100%の感情しかない。


「ふふっ、『ミステリアスな少女が現れた』とも言いたげなお顔ですね。いい感じです。ここは過度な自己紹介は控えて情報を小出しにした方が、よりミステリアスさが発揮されるかもしれません。ここはもう少しお淑やかな感じで話を続けましょうか。あぁ、でもどうしても気になることがあって確認したくて仕方がありません。でもあまりグイグイ行くと変な人と思われるかもしれませんね。でも相手の殿方も変というか、普通ではない感じっぽいですし、お互い様でしょうか。しかし……」


 独り言なのか、あえて言っているのか、ガッツリ心の声が聞こえている。何やら少し興奮気味だ。あと、最初に爆走飛び蹴りで現れた時点で、お淑やかな感じはあまりないです。


「いや、変な人だなとは思うけど、特に何も……。それよりも、あなただけでなく現在のこの状況全てが不思議なことすぎて、なにがなんだか」


 独り言だったのかもしれないけど、一応、返事をする。

 それを聞いて、ぶつぶつと言葉を続けていた少女も我に返る。


「あぁ……申し訳ございませんでした。貴方も突然のことで驚いていらっしゃるかもしれませんね。わからないことばかりで、色々と気になることはおありかと思います。ですがどうしても、まず先に私の方から貴方にお聞きしたいことがございます」


 一転、真剣な表情で向き直る。お淑やかな(つもりでいる)少女は、表情の変化が激しい。

 そして、意を決したように、声のボリュームを一段階上げて問いかけてくる。


「私……魔女みたいでしたか!? それとも魔法少女みたいでしたか!?」



「…………はい?」

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