第一夜 3 ノア、和風なロボットに襲われる


「それにしても寒いな……」


 ゴールデンウィーク明けともなると京都の日中は暖かい、というか、もう十分なほど暑い時期に入ってきている。それでも真夜中は空気が冷えきっていて、やっぱり寒い。上はTシャツ、下はジャージという眠っていた格好のままだったが、念のため外出用の上着を羽織ってきてよかった。

 生まれた時からずっと暮らしている町だけど、こんな真夜中に一人で歩くのは初めてだった。

 厳密には一人だけではなく、一匹もいるのだけど。

 先ほどから変わらず、自分の2メートル先を誘導するように歩く猫を見て思う。

 やはり、普通の猫じゃないよな。


 行動だけでなく、見た目も特徴的な猫だ。高級感のあるフェイクファークッションのようにふわふわとした、それでいて流れるように毛並みの整った白い体毛。左の前脚に包帯巻きで取り付けられた、杖のような形状の義足。暗い夜道で存在感を強く示す、澄んだ黄色と青の光を湛えたオッドアイの瞳。風鈴のように軽やかな音色を響かせる、装飾の入った綺麗な首輪。

 たとえその辺を通り過ぎたことがあるだけだったとしても、一度見れば間違いなく記憶に残り、その存在を忘れることはない。それくらい珍しい外見をしている。

 とにかく不思議で、神秘的な雰囲気まで感じられる。

 だからといってこの猫が神の遣いだとかまだ信じたわけじゃない。


「本当に、どこに行きたいんだ?」


 名も知らぬ猫、その美しく白い毛並みの背に向けて問いかけても、やはり『にゃーん』以外の返事をすることはない。

 猫はたまにこちらを振り返り様子をみることはあれど、歩みを止めることなく進む。高いところに登ったり溝などに隠れたりするようなこともなく、道の真ん中を人間の歩くペースで、しゃらしゃらと軽やかな鈴の音を鳴らしながら進んでいく。義足であることも不自由そうには見えない。


 そうやって猫と散歩する道中も、周囲には異世界風の建造物、他にも秘密の研究所みたいなものや、王子様が住んでそうなお城、なんか紫色の液体が流れ出ている洋館があったりなど、違和感だらけの風景が流れていく。

 ……何この液体? 踏んだら毒ダメージ受けたりしないよな?


 さらに数分、しばらく歩き辿り着いたのは、自宅のあるエリアから繁華街・河原町に向けて進んだ途中にある、鴨川の三条大橋だった。

 鴨川は京都市の中心部を北から南へ定規を引いたようにまっすぐと流れている小さな川だ。千年を越える昔から京都の文化を育んできたといわれているほど長く濃い歴史が刻まれており、この京都にまつわる短歌や古典文学にも数えきれないほど多く登場している。桜や紅葉など四季の彩りが美しく、水の流れがとても清らかで、綺麗に整備された河岸は多くの京都市民、京都を訪れた観光客に安らぎの場を提供してくれている。京都御苑や祇園の花街、清水寺などの多くの社寺が点在する観光地の中心に位置するこの鴨川もまた、京都における主要な観光スポットの一つなのだ。

 この時期、春を過ぎた頃になると多くの河原沿いにある飲食店から川原にせりだして設置される納涼床が立ち並び、ほんのり橙色の明かりを灯して河岸を照らす景色もまた美しい。


 とはいえ今はもう夜の2時だ。河原で憩う人達もとっくにいなくなり、周辺の店もとうに営みを終えている深夜の鴨川は、街灯もほとんどないため、とても暗い。それに今夜は空が少し曇っているためか、月も見えないため、わずかながらに夜空に撒かれた星々が、この鴨川を流れる水音と同じくらいに、弱々しく照らしてくれているだけだった。

 特に変わりもない見慣れた清らかな清流、それを見て、なんだかほっとする気持ちになった。

 鴨川には何も異変が起こっておらず、いつも通りの風景が広がっていた。ただそれだけで少し安心したのだ。


 でもやっぱり何かおかしい。それにしても静かすぎる。

 そこでようやく、また別の違和感があることに気がついた。

 ここは京都の中心部、夜中とはいえ少しばかりは活動する人もいるはず。にもかかわらず、街を歩く人も、川沿いの道路を走行する車も、全く見当たらない。家の近所で人を見かけなかった事については深夜だからと気にも留めていなかったが、ここまで来て誰とも会わないなんて、おかしい。


 そんな疑問を抱くこちらの様子なんて気に留める様子など全く無く、猫はそのまま三条大橋を渡り終えると、遊歩道に続くなだらかな坂道を降りていく。

 鴨川沿いの遊歩道は広く綺麗に整備されており、京都市民や観光客の憩いの場として提供されている。

 日中はベンチや草の上に腰掛けてくつろいでいる人達や、遊んでいる子供達、いちゃいちゃカップル、犬の散歩をしている人、ジョギングをしている人、いちゃいちゃカップル、絵を描いている人、楽器を奏でる人、いちゃいちゃカップル、いちゃいちゃカップルなどで賑わうフリースペースなのだ。

 だけど、どこかの飼い猫が家に帰る為に到達するような場所ではない。ついでに言うと、いちゃいちゃカップルがたくさん集まるべき場所でもない。

 そんな自由の広場も、やはりこの時間は照明が消えており、ただの真っ暗な空間だった。猫はその闇の中に入り、リズム良く鳴り響いていた風鈴の音と共に、ようやく歩みを止め、腰を地面に落とした。


「結局、どこに行きたいんだ」

 問いかけても猫は振り向くことなく、可愛らしく丸めた背中の曲線に沿って頭も上方に向けて、夜空を見上げているだけだった。

 あまり光が届かない夜闇の中、ふんわりした白い体毛が静かに揺れていた。

 何を見ているのだろう、と、猫が向いている方向と同じ夜空を見上げる。

 すると、星空の中で、何か光るものが動いているのがわかった。

 流れ星? いや、もっと近い距離、飛行機やヘリコプターのように、夜空の大気中に何かが漂っている。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 今度は何の音だ……?

 鴨川が奏でるさらさらとした優しいせせらぎ以外には何もなかった静寂な空間、それを破壊するように、エンジン音のような、何か機械的なものが動作しているような大きな音が響き渡る。

 

 空から落ちてくるように何かの物体が飛来してくる音だ。


 ゴォォン!


 直後、その音源の正体を視認することよりも早く、自分の背後10メートルほどの位置に激しい轟音を鳴らして、それが落下した。

 衝撃が地を震わせて足に伝わり、全身をピリピリさせる。


「え……なんだこれ」


 慌てて背後を振り向く。

 そこに落ちてきたものは、大きな人型のロボットだった。

 着地時の体を丸めた姿勢でも高さ2メートル程はある巨体に、十二単衣のような着物を纏っており、顔や関節は、歴史の資料や博物館で見た事があるようなカラクリ人形のような構造をしていた。


 なんだ……どこから落ちてきたんだ……いや、そんなことより、危険なものじゃないのか?


 ロボットは膝をついた姿勢から立ち上がると、その手に斧のような刃物を握り、目を赤く光らせてこちらをロックオンしたように睨みつけてくる。そして、警告音のようなサイレンを鳴らし始めた。


 どう見ても友好的な様子は一切感じない。

 むしろその逆で、攻撃対象のように見られてるけど……なにこの超展開。

 今にも襲いかかってきそうだけど、戦わないといけない感じなの?

 いやいや、戦う手段なんてなにもないし、とにかく逃げた方がいいんじゃないだろうか。


 まて、そういえば猫、あいつはどこに行った?

 意図したことなのかはわからないが、ここに連れてきたのはあの猫だ。

 猫の手も借りたいとかじゃないが、

 あいつに何か目的があって、示したい道があるのであれば……

 ……あれ?

 慌てて見た方向には、ただの雑草の影しか見えなくなっていた。

 さっきまで座っていた場所から、白いアイツの姿が消えていた。


 そして川原には、自分(丸腰)と、その自分をターゲットにしたっぽい、大きなロボ一体(刃物装備)。


 えぇ…………。


 どうすんの、これ。

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