第一夜 2 ノア、異変だらけの町を彷徨う

 京都は日本有数の観光地だ。その辺を歩くだけで、至る所にある歴史的・文化的な史跡や建築物を見ることができる。

 年中無休で国内外から多くの観光客で賑わうこの街は、京都の外から見れば観光地としての認識が強い。しかし当然ながら、他の街と同様に普遍的な日常を送る住民たちも多く存在している。

 ここは京都市東山区、その名の通り中心部から東の山手にあり、住宅地の広がるエリア。京都らしい昔ながらの古民家が散在しながらも、大体はどこにでもあるような現代的な家やマンションが多く立ち並ぶ、ごく普通の街だ。


 そう、普通の街……だったはずだ。だけど……。


「なんなんだ、これ」と、ひとり呟いた。


 自宅のマンションから外に出ると、視界に入ったものはもはや“普通かどうか”を語るに足らないほど、常識を逸脱した光景だった。

 この街並みの8割ほどは、いつもと変わらない。しかし、残りの2割が………なんかいろいろとおかしい。

 毎日通学時に見かける近所の建物を一軒一軒全て形や並び順まで、覚えてなんていない。しかし、その一つが全く異なるものに変化していれば、すぐに違和感を覚える程度には見慣れてはいる。

 というより、これは違和感とだけで済ませていいものではない。

 例えば外に出てすぐ少し右に見えるあの家、あそこは白い2階建てで、敷地内にはファミリー向けの大きな車が停めてあった、そんな感じだった気がする。少なくとも、どこにでもあるようなごく普通の一軒家のはずだ。

 ところが、そこにある家は……いや、本当に家なのか?


 本物のレンガで作られたような質感のある外壁。

 窓らしき箇所に張り付けられた、虹色の光を湛えるステンドグラス。

 何かで叩けば簡単に破壊されそうな古びたデザインの木製扉。

 そして、駐車場のあたりに停められた、大きな馬車。

 そんな建物が、ごく一般的なその他の家々の並びに一軒だけ、紛れていた。


 こんなもの、ご近所どころか、どこでも見たことがない。しかし、どこかで似たようなものを見たことがあるかと言われたら……これは、あれだ。ゲームやアニメなどで存在する、俗に言う【異世界】の建物だ。


 なぜこんなものが? いつの間に? もとの家はどこに行った?

 昨日から既に存在していたなら間違いなく気がついていたはずだ。

 それに、この家だけじゃない。周囲を見れば、他にも奇妙な建物がいくつかある。


 壁や柱がビスケットやチョコレートらしきもので構成された、お菓子の家。


 数え切れないほどの立方体を積み上げて作った、箱のような家。


 なんか結界みたいな光に包まれた家。


 なんか魔王とか住んでそうな禍々しい形の家。


 なんかお腹が空いたときに頭部を分けてくれるヒーローがいそうなパン工場っぽい家。


 建物だけじゃない。


 敷地の真ん中に大きな土管が何本か積まれている、見本のような空き地。


 手持ちのモンスターを対戦させそうな、ボールの模様が入った小さなコート。


 道端や敷地内にちらほら置いてある、謎の宝箱。


 それらが、ごく普通の住宅地に溶け込むように、しかし溶けきれずに点在している。

 多すぎて、一つ一つを気に留める余裕もない。


 何なんだこれは、ここは現実なのか?


 別に異世界なんてものが本当に存在するなんて思ってはいない。

 それでも、もしそこが見たことのない建物、見たことのない生物、見たことのない魔法のような何かで溢れているのであれば、自分は異世界に迷い込んだのだと納得するしかないのだろう。

 しかし、この空間はあまりにも中途半端だ。

 異世界なら異世界で、何というか、コンセプトってやつがあるだろう。

 ここは、目立つ変化がいくつかあるものの、それ以外の部分に目を向ければ、いつも見ている京都の街並みだ。

 そして、変化の内容も多様で、あまりにも自由すぎる。


「本当に、何が起こってこうなったんだ」

 呟きながら何度も繰り返し周囲を見ていると、自分の少し前を歩いていた猫がこちらを振り向き、にゃーんと鳴いた。

 そうだ、なぜ自分がこんな空間に迷い込んだのか。きっかけは、この猫だった。

 夢の中で変な自称女神に冒険に出ろとかなんとか言われた直後に目を覚ましたときに枕元にいた猫。

 どこから寝室に侵入してきたのかわからない、初めて見る猫。

 女神が『遣いの者をやる』とか言っていた、その後現れた猫。

 そんな言葉を、本気で信じたわけじゃない。

 だけど、この突如現れた侵入者に何だか意思が込められたような不思議なものを感じてしまい、家の外に逃してやるついでに少しだけ様子を見てみようと思い一緒に玄関の外に出たのだった。

 猫がその住処へとすぐに去っていくようなら、それを見送って、すぐ自分も部屋に戻るつもりだった。

 しかし猫はこちらの様子を見るように少しずつ距離をとりながらも、視界から消えていくことはなかった。試しに少し後ろをついていくと、猫もまた少し歩き、こちらの様子を伺う。まるで、どこかへと一緒に散歩をしたくて、誘導しているかのようだった。

 結局、自宅に引き返すタイミングを見失い、マンション前の通りに出るまでついてきてしまった。

 そして今、こんな状況に直面している。

 さっき目覚めたと思っていたけど、自分はまだ変な夢をみているままなのだろうか。

 夢でも、現実だとしても、誰かこの状況を説明してほしい。

 しかしその誰かも、ここには一匹の猫しかいない。


「なぁ、これは現実なのか?」

 にゃーん。


「お前は本当に神の遣いか何かだって言うのか?」

 にゃーん。


「俺をどこかに連れて行きたいのか?」

 にゃーん。


 問いかけに対して、ちゃんとレスポンスがある。しかし、イエスかノーかもわからない。

「……とりあえずついて行くよ」

 そう伝えると、猫はまた視界の先へと歩みを進めていく。

 どこに行こうというのだ。


「とりあえず、この箱、試しに開けて見てもいいか」

 街中を歩くほど異常な変化は至る所に様々見られるのだがその一つ一つをじっくり確認しているとキリがない。

 しかしそこら中に落ちている宝箱のようなもの。ここに何があるのか試しに一つくらい確認してみてもいいのでは、そう思い、聞いてみる。


 猫はにゃーん、という変わり映えのない返事をすると足を止めて、こちらを見る。

 やはりこちらの言葉は認識できているのだろうか。許可は得られたのだとしよう。道端に落ちているものを確認するのになぜ猫の許可をもらっているのか、自分自身が滑稽で仕方がないのだが。

 ともかく、どれか開けてみよう。

 デザインは違えど見るからに宝箱って感じのものは数分歩いただけでもたくさん落ちていた。

 どれを開けたいというのは特に無いが、ちょうど目の前に少しばかり金の装飾が煌びやかでいかにも宝箱って感じのものが一つあったので、これに決めた。


 ギィイィィ……。


 箱の軋む音が静かな夜道に響く。

 鍵などはかかっておらず、重厚感のある蓋に手をかけるだけで、簡単に開いた。

 箱の隙間から、何やら虹色に輝く光が漏れ出てくる。

 なんだこの光……まるでゲームなどでレアなアイテムがゲットできる時のような演出だな。一体何が入っているんだ。

 不思議な期待感のある演出に乗せられるまま、一気に蓋を持ち上げて宝箱を全開にする。

 直後、風船に詰め込まれていた空気のように、内部の光が一気に拡散する。

 薄くなり消滅していく光の中、宝箱の底にあるものが少しずつ視認できるようになっていく。

 一冊の本らしきものが入っているようだが、これは…………。


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「……………………」

 ガシャッ。


 扱いに困ったので、宝箱をそっと閉じた。

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