第一夜 日常の終わりと夢の始まり
第一夜 1 ノア、胡散臭い女神に会う
異変が起こったのは、睡眠中のことだった。
『 起きなさい…… 起きなさい…… 』
突然、夢の中で不思議な声に呼びかけられた。
はっと気がついて周囲を見る。
ほんのりと差し込む光以外には何も見えない真っ暗な空間、そこに自分の体が重力を無視してふわふわと浮かんでいた。
目を細めながら光の先を見ると、女神のような姿……というほどはっきりとはしないが、眩く神々しいオーラを纏った女性の人影が映る。
先ほど聞こえてきた優しげな声は、そこから発せられたものだろうか。
なんというか、とても神秘的な光景だった。
『起きなさい……起きなさい……私のかわいい……ええっと、名前なんでしたっけ?』
いきなり台無しな感じだった。
いやあなたが誰ですか、と思うが、口には出さず無言で様子をみる。
『今日はとても大切な日、あなたが旅立ちの許しを頂く日だったでしょう?』
どうやら返事をしなくても話は続くらしい。
『この日のためにお前を勇敢な男の子に育て上げたつもりです。
さぁ、私についてらっしゃい』
「 ………… 」
『 ………… 』
「 ………… 」
しばらく沈黙の時が流れる。
『おかしいですね……現代の男の子は、このように言われると心の内に秘めた冒険心がくすぐられると聞いたのですけど……』
「それ、けっこう古いゲームのネタですよね? いや有名だから知ってはいるけど、いまどきの高校生の心に響くかなぁ……」
もう少し様子をみてもよかったが、つい返事をしてしまった。
『……やはり、【あなたはオンラインゲームの中に閉じ込められました】とか【突然死んでしまったけど異世界に転生できる権利をゲットしました】とかの設定の方がよかったでしょうか』
設定とか言っちゃってるけど、なんの設定?
今日はゲームをやってはいなかったし、死んでもないですよ、え、死んでないですよね?
「というか、貴女はなんなんですか」
『申し遅れました。私は神です。なんかすごい女神です。
名前は、そうですね……天照イシスアルテミス矢沢弁財天と申します』
「『そうですね』って、それ今考えた感じですよね。神様の名前適当に合体させただけじゃないか、あと、何かおかしいの混じってる」
『適切なツッコミで素晴らしい。あなたは、唐突にこのような変な女神に絡まれても落ち着いていられるのですね。実に素晴らしいです』
「変な、という自覚はあるんですね。まぁ、昔からおかしな夢をみることは時々あるので、慣れてるというか、どうせこれは夢だしってわかっているというか……って、本当に神様?」
『ずいぶん冷めているのですね。まぁとりあえず、目の前にいる主神を信じてください』
「適当に名乗っている神様が勝手に人の主神に居座らないでくれるかなぁ」
『まぁいいじゃないですか。日本とは、神様の存在やその信仰が非常に多種多様な国なのです。古来からこの国には八百万の神がいると伝えられているじゃありませんか。
病気を治したり体調をよくしたい時は健康の神様、受験がうまくいって欲しい時は学問の神様、商売の神様や家庭円満の神様、トイレにだって神様がいるくらいです。あと矢沢。
そういったその時々で必要に応じて、神様を自由に崇拝することが出来るのが日本の文化の良いところです。だからあなたも私を信じてください』
よくわからないけど、矢沢が好きなことは伝わってきた。
「それじゃ、貴女様はいったい何の神様なんですか?」
『 ………… 』
「えぇ……そこまで語っておいてそれは言ってくれないの?」
『ふふ……私は、どのような神でもあって、どのような神でもない、とでも言っておきましょうか。私自身ですらその存在を明確に定義することはできません』
「ようするに自分でもよくわかっていないんですね」
『とにかく、楽しい冒険が始まりますよ』
「話のもっていき方が下手ですね」
ここまで人間にツッコミをいれられる神様がいてたまるか。そう思いながらも、とりあえず話に付き合ってしまっていた。
「だいたい、いきなり冒険と言われても、何の冒険ですか」
『あなたはオンラインゲームの世界に閉じ込められてしまいました。そこから脱出方法を探すための冒険です』
「それさっきボツ設定にしてませんでしたっけ」
『はいはい、もうなんでもいいんですよ』
「急に投げやりにならないで」
情緒不安定なのかこの女神は。
『まぁとりあえず行ってみればわかりますよ。まずは一日体験、いや、一夜体験してみてください。大丈夫、完全無料です。体験期間が終わったら自動課金みたいなサービスではないですから』
「急に胡散臭くなってきた。いや、初めから胡散臭いか」
『見返りとして、現実のあなたの生活にもきっと大きな果実がシェアされることでしょう。人間的デベロップメントで結果にもコミットできて、イノベーションでシナジーでウィンウィンですよ。それはもうクリティカルなライフハックです』
「胡散臭いって言ってるのにさらに怪しい言葉を畳み掛けてこないで」
『とにかくリアルが充実します。アル充というやつです』
「大量にお酒飲んでるみたいになってるよ」
いくらツッコミを入れても止まることなく女神(自称)はたたみ込むように話を続けてくる。どうやらやると言わない限り話は続きそうな感じだ。
「まぁよくわからないけど……どうせこれ夢の中のことですよね? できる範囲のことであれば付き合ってもいいけど、結局何をして欲しいのかが全くわからなくて、どうしろと」
『やってくれるのですね! さすが、私のかわいい……誰でしたっけ?』
「いや無理に呼ぼうとしなくてもいいから」
そもそも名前知ってる?
『まぁいいか。さてそれでは、遣いの者をそちらにやりますので、一緒に外出してみてください。これがただの夢じゃない、ということがすぐに認識できると思いますよ。
その後はあなたの好きな通りに自由に行動してくださって構いません。自分がしたいこと、やるべきと思ったことをしてください。この世はでっかいオープンワールドです。今こそアドベンチャー、ですよ』
「ただの夢じゃないって……やっぱりよくわからないだけど、遣いの者って?」
『もうすでに到着していますよ。では、行ってらっしゃい。素敵な“夢”を』
最後にそう伝えてくると、女神(自称)はそのシルエットを映していた淡い光と共に、テレビの電源を落としたようにすっと消滅した。そして、何も見えなくなった薄暗い空間にただ一人、自分だけが取り残された。
…………。
いったい何だったんだというのだ。冒険だって?
ただの夢じゃないとか、自由に行動しろとか言ってたけど、この状態でどうしろというのだ。
ぺろっ。
戸惑いながらもしばらく暗闇に体を漂わせていると突然、何かが自分の頬に触れた。しっとりひんやりとした感覚が脳を刺激する。
冷たいな……今度は何だ……?
……………………。
「……あれ?」
はっとして、夢の中で開いていたはずの目を、開く。
同じような薄暗い空間。だけど、さっきまでいた場所とは違った。
視界の先には僅かな光でうっすらと存在を主張する真っ白な壁紙が広がっている。
いつも眠る時に見慣れた天井。
どうやら目が覚めたらしく、ベッドの上で眠っていた現実の自分へと意識が戻ってきたようだ。
さっきの不思議なやりとりは、やはりただの夢だったのだろう。
よくわからない胡散臭さ満載の女神から冒険に出ることを促されるという不思議な体験だったし、なんか色々言われたけど、夢なら気にする必要はないのかもしれない。
しかし……目が覚める直前に感じた冷たいもの、あれは何だったのだろう。
左の頬に手を当ててみる。するとそこには、実際に何かで濡れて、そしてすぐに気化して冷たくなったような、わずかな湿り気が残っていた。
……何だ、これは?
その原因が気になり、軽く寝返りをうって左側、自室のドアがある方に顔を向ける。
すると、すぐ側の枕元、視界を覆うほど目前の距離に、ふわふわした体毛を揺らした一匹の猫が座っていた。
びっくり硬直した寝姿勢のまま猫を見る、自分。
同じく微動だにせず、前脚を立てて腰を下ろした姿勢で視線を合わせてくる、猫。
すぐ側の置き時計だけがいつも通りのテンポで秒針を動かし、深夜2時を知らせてくれていた。
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