本日零時2分からドラマティック

未明

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 たまに、私の身体の中の絵の具が生きて動き出す。

 いつもは古びた絵画みたいに土色をしていて、かぴかぴの絵の具はところどころはげているのだけれど、あるときあるときから思い出したように動き出す。まるで時を戻したように。それはもしかしたら、ミイラが棺桶から出てきて、笑った顔がやわらかかったくらいの衝撃なのかもしれない。

 容赦なく夜は進んでいく。太陽があちらに沈んでこちらから昇ってくるのは、コンパスを一周させたら円が完結するくらいの当たり前で綺麗なことのはずなのに、その円の中に入れられた僕らは毎日毎日、遠心力によって身ぐるみ剥がされるような思いをしなければいけない。ちょうど時計の針は零時を回って、ここから針は落ちていくばかり。ちょうど太陽は僕らの真下にいるのだろうか。いや、公転軌道はそんなに単純じゃなかった気がする。

 そしてやはり、背中に焦燥感をざりざりと刷り込まれた僕の身体は暴走を始める。なんてことはない些細なこと、目の前のスマホの電源を切ること、風呂に入ること、布団を敷くこと、少し伸びをして上を向くこと、すべての行動を止める。ここからがドラマティックな映像作品の始まりだったりする。もちろん、ドラマが爆音で奏でられるのは僕の身体内限定だ。外はなにも変わってはいない。コンパスが淡々と公転軌道をなぞるだけ。

 もっというと、僕自身もそんなに変化しているわけじゃない。水槽をかき混ぜたら、底に溜まっていた藻の欠片や埃が踊り出して、また沈んでいくレベルのものでしかない。ただそれによって僕は水槽自体がまったく別の場所に移動したかのような、その衝撃で水槽内に渦が起こったかのような錯覚をする。

 すべてが終わって、また古びた絵画色に戻った時、僕は失望や喪失感より安心感を覚える。それが僕のルーティン。それでいい。生きてさえいれば。

 僕のやっていることはすべて、小さな傷をえぐり続けて自然治癒力と格闘するような、治りかけの瘡蓋を剥がしてしまっていつまでも治りきらない擦り傷と向き合っているだけの話。本当は抗えないほどの不幸なんてこれっぽっちもなかった。断言できる。僕は抗えた。できたはずなのにそれをしなかったから、僕は僕に失望したのだ。失望したと同時に、安心したのだ。もうその頃には膿んだ傷に愛着さえ持ち始めていた。


 実を言うと、僕は何度も抗ったことがあった。抗う方法をメモに書き連ね、何枚にもなった。僕はそれを自分自身でめちゃくちゃにした。一枚一枚手の中に丸め、小さく冷たい石のようにかため、放ったあの感触を今も覚えている。幸せになるための努力なんていらない。幸せになるための努力なんて、いらない。ほっとしたように、頬を緩めていたと思う。冷たい夜だった。


 深夜、小さく雨が降る日の外出で、濡らした緑色のパーカ。ティッシュに混ざってゴミ箱に放られたメモ用紙。机の隅に何冊も重ねられた創作ノート。本棚を蹴った時に傷んだ文庫本の折り目。


 自分しか気づかないような日常の些細な違和感に、意味のないドラマが眠っている。

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