本編
北大総合博物館の前に立ったイサガシ博士はアルミケースを地面に置く。リワインド装置、いわゆる巻き戻し機の入ったケースはごとりと重たい音を立てた。
ここに来た目的はニッポノサウルスのDNAとそれにまつわる記憶である。原標本であることを理由に提供を渋られてきたが、日本人の手によって学名がつけられた初めての恐竜を復元しない手はない。
「イシガシ先生、早いですね」
呼びかけに答えて、彼女は身体ごと振り向く。長い髪と白衣の裾が広がった。
「アズタ先生こそ、まだ二十分も前ですよ」
「今回の調査はとても楽しみにしていたんですよ」
アズタと呼ばれた六十代くらいの女性は、自分の娘ほどの年齢のイシガシにも敬語を崩さない。
「恐竜自体の復元や発見者の記憶の再現だけならば、いつも通りなんですけどね」
「そう、今回は恐竜の記憶も覗いてみるのでしょう?白亜紀からのメッセージなんてロマンチックじゃないですか」
うっとりとした表情を浮かべたアズタの背後から、背の低い男性が近づいてきた。
「化石を巻き戻して脳を取り出す、なんてゾッとしない話だよ」
生物学者のタガは長身の二人を見上げながら肩をすくめた。DANを取り出して増幅させることを担当するタガは、脳自体やそれを嬉々として扱うイシガシとアズタを避ける傾向にある。
「ラットなんかの現生生物、えっと要は今も存在している動物の記憶の読み取りには成功しているんですけれど、感覚器が違うせいかメッセージと言えるほどの明確なものが得られないことが多いんですよね」
イシガシも淡々とコメントするが、アズタの意気は下がらない。
「それでも、私たちが中世代を知った初めての人間になるかもしれないんですよ?その可能性だけで十分にワクワクします」
後脚の化石が銀色の箱に入れられた。イシガシがPCを操作すると、ブオンという音とともに装置が揺れる。
きっかり一分後にイシガシは箱を開いた。サンプル瓶を手にしたタガがすかさず中の試料を摘み上げる。
「じゃあ、次は私の番ですね」
採取された頭骨の一部を持ったアズタが、彼を押し退けて装置の真横に立った。苦笑しながら部屋を出たタガに構わず、二人はどんどんセットアップを続けていく。
復元された脳のかけらにイシガシが電極を繋いだ。伸びたケーブルの先にあるモニターをアズタが覗き込む。
「……何?」
その戸惑ったような声に、イシガシも画面に近づく。
「……は?」
彼女は幾度も瞬きをした。モニターに移っているのは高層ビルの並ぶ都会の光景。スピーカーからはエンジン音のような唸りが聞こえる。
画面の中に緑色の皮膚をした何者かが現れた。脳の持ち主に向かい合ったそれは何やら音を立てている。
「……もしかして、会話?」
丁寧な言葉遣いが消えたアズタが呟く。イシガシは答えられないまま、ただ白衣を握りしめた。
ホモサピエンスと同様に二足歩行をした生物がいくつもモニターに写っている。顔つきはトカゲや鳥のようで、皮膚の大部分は何かしらで覆われていた。
と、こちらに向き合った個体が喉元に触れる。スピーカーからピッという音がした。
「この記憶を見ているのは8,000万年後くらいの方でしょうか?そんなに早く進化するなんて思っていなかったので、探すのに手間取りましたよ」
ボイスチェンジャーで歪められたような声ではあるものの、間違いなく日本語だ。アズタがひっと息を呑む。
「過去のことは誤解したままでいてほしいんです。せっかくの隠蔽が無駄になっちゃいますから」
そう言いながらそれはこちらに向かい手を伸ばす。イシガシもアズタも思わず一歩後ろに下がった。
画面いっぱいに広げられた、鉤爪のついた手。ものを握り潰すような動きと共に映像がブチリと切れた。
タガが再び部屋に戻ると、二人の女性学者はモニターの前に突っ立っていた。
「で、大昔の地球はどうだったんだ?」
こちらを振り返ることなしにイシガシが答える。
「残念ながら脳が潰れた状態までしか復元できなかったようです」
記憶の化石 @rona_615
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます