歌は風に乗って

 旅人ユーフォルは、その後毎日のように二人の家を訪ねてきた。

 始めの頃、ナツキは頑なに玄関扉を開けようとしなかった。そうするとユーフォルは家の前の木陰に座って、ハープを奏でながら歌い始めるのだった。

 ナツキは無視を決め込んだが、その音色のやけに澄んで明朗なのが気にかかる。苛つきつつも、いつも通りの生活をこなしていた。

 ロルハは窓辺の椅子に腰掛けて、窓枠に頬杖をつきながら、その歌をしずかに聴いていた。


 ある朝ナツキがベッドルームに行くと、師匠の姿がなかった。慌てて探していると、戸外からユーフォルの呼ぶ声がする。

「彼女はここだよ、心配しないで」

 急いで表に出ると、魔女は玄関先の壁にもたれて、旅人の演奏に聴き入っていた。ナツキが何か言おうとすると、ロルハは申し訳なさそうな様子で、ちょっとナツキの方を見た。それで弟子の方も根負けして、共にハープの調べに耳を傾けた。


 そこからユーフォルはなしくずし的に家へと出入りするようになった。朝食に森のリンゴをかじり、あとはハープを奏でながら歌って過ごしていた。

 ロルハは旅人の奏でる音楽のことを、ずいぶん気に入ったようだった。体調が許す日は外出して、森の中で歌っているユーフォルの側に行く。木に杖を立てかけ、切り株に腰掛けて、そうしてしずかに耳を澄ませていた。柔らかな木漏れ日が、彼女の頬を照らしていた。


 弟子は思った。師匠に万一のことがあってはいけない。それに、あの旅人は生意気だ。あんなに師匠と仲良さそうにして。許せん。

 それで、ナツキは黒猫に姿を変え、二人の後をつけることにした。

 茂みをがさごそかき分けて、着いた先は川のほとりだった。ロルハとユーフォルは川に足を浸して、水をかけあって遊んでいる。その楽しげな様子を、黒猫のナツキは茂みの中から歯噛みして見ていた。

 やがてユーフォルはロルハの手を引いて、川から上がってきた。側に立つ木の陰に彼女を座らせると、おもむろに上着を脱がせ始めた。ノースリーブの肩口があらわになる。ナツキは真っ赤になって茂みを飛び出した。

「フシャーッ!」

 毛を逆立てて威嚇していると、ユーフォルは「おや、猫ちゃんが来たね」と、呑気に構えている。ふいに抱き上げられたので、ナツキは憎き旅人の顔面を思い切りひっかいてやった。

 そのままジタバタと暴れていると、首根っこをつままれて、ユーフォルの顔が目の前に来た。

「もしかして、妬いちゃった? かわいいね」

 その言葉に動揺してか、ナツキの変身が解けた。煙がぽんっと立ちのぼり、彼女は人間の姿に戻る。そして間髪入れずに旅人へと腹パンをぶち込んだ。

「あ痛ぁ! って、アレ。ナツキくん。何故ここに?」

「黙れこの変態野郎! 師匠に何する気だ!」

「何って? 別に後ろめたいことはしていないけれど」

「シラを切るな、師匠の、ふ、服を脱がせていたじゃないかっ」

 ああ、なるほど。ユーフォルは一人合点する。

「うん、まず落ち着こうか。私は彼女の服が濡れてしまったので、乾かす手伝いをしただけ」

 よく見ると、側にある木の枝に、ロルハとユーフォルの服がいくつか掛けられていた。

「それに、服を脱がせたのだって問題じゃないさ。だって私は女だからね」

「え」

 ナツキは目を丸くして、ユーフォルの体の上から下までまじまじと見つめた。上着を脱いだ上半身には、わずかに胸の膨らみがうかがえた。確かに中性的な顔立ちではあったが、まさか女だったとは。

「……だからといって、あたしは許さないからな! 師匠に気安く触れるなよ!」

「あっはは。気をつけるよ」

 そんな二人のやり取りを、ロルハは木陰に座ってしずかに見守っていた。その表情は柔らかく、口元には笑みさえ浮かべていた。川辺には日の光が降り注ぎ、涼やかな風が吹き抜けていた。

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