超新星に捧ぐ墓碑銘(テーマ:「架空“☆1”レビュー」)

 私は先日行われ、連日ニュースで取り上げられて話題となったミュージカル『堕天』、あの初日公演を観劇した約三百人の観客の内の一人である。

 本稿では『堕天』および主演女優であった天音あまね悠花はるかについて語っていければと思う。

『堕天』はオリジナル脚本であり、その詳しい内容についてはあの日観劇した客以外は知るはずもないので、まずは以下に大まかなあらすじを記していく。


『堕天』は天使であるサリエルが天界を追放され、下界で人間として生きていく物語である。


 第一幕は、天界で軽やかに歌を歌うサリエルの場面から始まる。その自由奔放さに神の怒りを買ってしまい、人間に変えられて、天界から追放される。空腹で道端に倒れてしまったサリエルは、その見目麗しさに目をつけた人買いのモリスに拾われる。そこでサリエルは苦悶の日々を送ることになるが、ある日、同じ境遇であったジャンと共に脱走する。


 続けて第二幕は、街で苦労しながらも力を合わせて生きていくサリエルとジャンの姿が描かれていく。街の人々との交流、ジャンとの間に育まれていく愛情、そこではサリエルの幸福な日々が主軸となる。しかし、その後半ではモリスが再登場し、ジャンは殺されてしまう。


 最後の第三幕は、憎悪に囚われたサリエルがモリスを追い詰める姿が描かれていく。サリエルがいよいよモリスを殺害しようとするが、その寸前でジャンのことを想い、手を止める。復讐を止めたサリエルの前に神が現れ、全てをなかったことにして天使に戻っても良い、と告げる。しかし、サリエルはそれを否定し、これまでに関わってきた人々と共に喪失の悲しみを受け入れて人間として生きていくことを選び、物語は幕を閉じる。


 以上が『堕天』のあらすじとなる。天使を不変的で虚しい存在として描き、人間は変わっていくことに意義がある存在だとして描いた、傑作であった。

 脚本家は本作を主演である天音悠花の為に執筆したと語っている。それゆえに、二度と公演されることはない、とも。


 さて、それでは本作における天音悠花の演技について語っていこう。

 彼女の場面に応じた歌声の変化は圧巻の表現力だった。冒頭では天使としての軽やかだが感情のこもらないどこか空虚な歌声を、モリスのもとでは初めて味わう苦しみが込められた歌声を、脱走後はジャンと共に過ごしていく日々に感じる喜びの込められた歌声を、ジャンを奪われた際には絶望と憎悪の込められた歌声を、最後には人として悲しみを受け入れて生きていく覚悟の込められた歌声を。それらはまさしく、サリエルが様々な感情を得ていく様子を見事に歌で表現していたと言える。

 歌以外の演技についても同様だ。目の前にサリエルがいる、と誰もが感じたことだろう。彼女が全身や表情、声音で表現するそれぞれの感情は全身に染み渡ってくるようであり、とても目を離すことはできなかった。心を奪われるという表現が何よりも相応しい。


 天音悠花の過去の演技については何度も見たことがある。彼女が素晴らしい役者であることをこれまで疑ったことはない。

 しかし、本作における彼女の演技はそれらと比べてもあまりに頭抜けていた。神がかり的だったと言っても良い。

 脚本家が述べていたように、サリエルという役柄は天音悠花の為にあり、天音悠花という人間はサリエルという役柄の為にあった。本気でそう思わされる程の魂を震わせる演技であった。


 それゆえに、もう二度と、誰も、天音悠花の生の演技も『堕天』という作品も観る機会がないことが残念でならない。


 天音悠花は『堕天』の初日公演直後に交通事故で命を落とした。事件性は見られず、彼女の不注意によるものだったようだ。

 それは己の生命を燃やし尽くすような、空前絶後の演技をした対価だったように思えてしまう。元よりエトワールと呼べる女優だったが、『堕天』における彼女はまさしく超新星シュペルノヴァだったのだ。限界を超えた先で起こる、一瞬の煌めきだったように感じてならない。


 正直なところ、私は本稿を執筆するかどうかは随分と思い悩んだ。あの初回公演を観たからこそ、哀しみや喪失感は途方もないものであり、今も寄る辺を失ったような思いで日々を過ごしている。

 しかし、私は『堕天』という物語を通じて、天音悠花が全身全霊の演技で描き出したものに目を向けたいと思う。あの場にいた三百人余りは彼女の煌めきを受けて、何を思っただろう。何を感じただろう。少なくとも、私は二度と忘れられないものを彼女から受け取った。


 私は私にできることをして、これからも精一杯生きていく所存である。今はまず、この文章を書き記すことが私の使命だと感じられた。

 本稿を天音悠花という美しき存在に捧げる墓碑銘とさせていただければ幸いである。

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