第7話 誓いの印
東京に行く話を聞いた翌日、お父さんとお母さんが仕事に行くとすぐに、僕は家を出ようとした。
玄関で靴を履いていると、おばあちゃんが僕のリュックを持って来た。
「それ、なあに?」
「この中に、おにぎりやらお菓子やらお茶が入っとる。今日は一日、銀ちゃんと遊んどいで」
「うんありがと。じゃあ行ってきまーす」
「気をつけてな」
僕はリュックを背負って、少しだけ早歩きで歩いた。おばあちゃんのおにぎりが潰れちゃったら大変だもんね。
いつものように銀ちゃんを呼んで、あの広場まで連れて行ってもらった。
僕は普通にしてたつもりだけど、やっぱり元気が出なくて、銀ちゃんが心配して何度も「大丈夫か?」って聞いてきた。
もう銀ちゃんといっぱい遊べるのは、今日で最後かもしれないから、楽しく過ごさなきゃ…。
そう思って、僕は笑顔でリュックを掲げてみせる。
「銀ちゃん、今日はおにぎりやお菓子をいっぱい持って来たの。後で、一緒に食べようねっ」
「凛の祖母のおにぎりか?楽しみだな」
「よかった。何して遊ぶ?」
僕は、銀ちゃんの手を両手で握って、にこにこと笑った。笑ってないと、涙が溢れそうになるから…。
そして、いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい話して…、僕の様子がおかしい事に銀ちゃんは気付いてた。
もう少ししたら帰らないといけない時間で、真夏の暑い時期でも涼しいこの場所に、ひんやりとした風が吹き抜けていた。
「凛、何かあったのか?」
銀ちゃんが僕の前に膝をついて、僕の肩を掴んで聞いてくる。
「銀ちゃん…あのね、凛、あとちょっとしたら、東京に行くの…。もう銀ちゃんに会えない…。うっ、ぐすっ、銀ちゃん、と離れたくない、けど…家族は一緒にいないと…駄目だって…。ふぅ…っ、ぐすっ」
「そうか…だから元気がなかったんだな」
「うっ、うわぁんっ!でも、ほんとは銀ちゃんと離れたくないっ、銀ちゃんと一緒にいたいよ…っ」
銀ちゃんが僕の腕を引くと、向かい合わせで膝に乗せて僕を抱きしめた。泣きじゃくる僕の耳のそばで「凛…凛…」と囁き続ける。
だんだんと落ち着いてきた僕の耳に口をつけて、銀ちゃんは静かに話し出した。
「凛…よく聞くんだ。俺も今年十才になるから遠くに修行に行かなきゃならない。だから俺も近いうちにここからいなくなる。でも頑張って修行して、必ず迎えに来る。だから凛も東京で頑張るんだ」
「…修行?」
「まあ、勉強みたいなもんだな」
「天狗の学校?銀ちゃんも遠くの学校に行くの?じゃあ、お正月や夏休みに帰って来ても、もう会えないのっ?」
僕は銀ちゃんに会えなくなる事がすごく悲しくて、肩を震わせて次から次へと涙を流し続けた。
「大丈夫だ。俺は凛が好きだ。凛も、いつも俺を大好きだと言って、頬にキスしてくれるだろ?ふふ、そんな凛が可愛くて大好きなんだ。凛…大きくなったら、俺の花嫁になってくれるか?俺は必ず強い天狗になって、おまえを迎えに来るから…」
「花嫁…?お嫁さんのこと?凛、銀ちゃんのお嫁さんになれるの?じ、じゃあ、なる!銀ちゃんのお嫁さんになる!」
銀ちゃんは、見上げた僕の顔を両手で包んでおでこをコツンと合わせた。
「じゃあ約束だ、凛。おまえは俺の花嫁だ。今から凛が俺の花嫁だという契約を結ぶ…。いいか?」
「うんっ、約束だよ。契約って…どうするの?」
「目を閉じて…。凛、俺がいいと言うまで開けるなよ」
「わかった」
僕は銀ちゃんに言われた通りに、ぎゅっと目を閉じた。すると僕の唇に、ふにゃりとした柔らかいものが押し当てられる。びっくりして少し開けた口の隙間から、ぬるりとした温かいものが入ってきた。それと同時に、口の中に苦いような変な味が広がる。
驚いて開きそうになる瞼に力を入れながら、これって銀ちゃんに口と口のちゅうをされてるの?と気付いた。
驚いたけど、銀ちゃんなら全然嫌じゃない。僕は身体の力を抜いて、口の中の銀ちゃんの舌に、そっと舌で触れてみた。
一瞬、銀ちゃんの動きが止まったけど、僕の舌をちろりと舐めて、ゆっくりと顔を離していく。
銀ちゃんの濡れて光る唇をぼんやりと眺めていると、くすりと笑いながら「凛」と僕を呼ぶ優しい声が聞こえてきた。
僕は、はっとして銀ちゃんを見る。
「凛、見てみろ。俺のここに、桜の花びらみたいな印があるだろ?凛の身体の同じ所にも、同じ印がある」
僕は、銀ちゃんが服を捲って見せてくれた印を見て、慌ててTシャツの襟を引っ張って、覗き込んだ。
銀ちゃんと同じ左胸の所に、赤い桜の花びらの形がくっきりと付いていた。
「銀ちゃん見て!凛にもついてるっ」
僕が襟を引っ張った隙間から、僕の胸を覗いた銀ちゃんは大きく頷いて、もう一度、僕をぎゅっと抱きしめた。
「これで凛が俺の花嫁だという契約が出来た。凛、いつか必ず迎えに行くから、待っててくれよ…」
「うんっ、待ってる…」
僕は、銀ちゃんとまた会う約束ができたことで、寂しくて重かった気持ちが軽くなったような気がしていた。
後に、この約束をした事で、あんな面倒臭いことなるなんて思いもよらなかったけど。
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