第12話 荒霊
昨夜、邪神との戦闘で死んだはずの彼が目の前にいる。その見た目、匂い、声色、すべてが他の誰でもないイグ本人のものだ。
「イグ、おまえ……いぎでたのがっ!?」
「えぇ危ない所でしたが、なんとかね」
「ょがっだっつっほんどにぃよがった」
「安心するのは早いですよノア。戦いは終わってないんだから」
どうして無事だった、なぜここにいる? 疑問は沢山あるがそんなことはどうでもいい。ただ彼が生きていたという事実、それだけで十分だ。そして今この窮地に駆けつけてくれたことに俺は心から感謝する。
彼の右手には異国の剣、三日月型のシミターが握られていた。その形は一度古い書物で見た伝説の武器と酷似している。
「まさが……」
「そう、そのまさかです。この剣は奴を殺し得る」
イザヤと打ち合う中で魔王も満身創痍、特別な力を持っていなくてもその隙をつくことは可能なはず。
しかし魔王とイザヤが最初に交わした約束は一対一で正々堂々と戦うこと。ここでイグが手を出せばその約束を破ることになる。そんな勝利、きっとイザヤは望まない……
「でもっ、いっだいいちなんだ……」
「馬鹿ですかあなたは? そんなこと言ってられないでしょ。このままじゃ負けてしまう。この戦いは最早、個人のものじゃない。種族の存亡が懸かってるんだ。そんな約束今さら守ってどうなる!?」
迷うな。どんなに汚いやり方でも、イグの言うとおり勝ちにこだわるべきだろ!
でもやっぱり、迷いを捨てきれない。本当に良いのかっ……? 魔王とはいえ約束は約束、それを破ることは人道に反する。でもイザヤのためだ……あいつに生きていてほしい。だからもうそうするしかないだろ。
「くっ……だのむ」
「その選択に後悔はないですねノア?」
「あぁ……」
ヤマトに来てからずっと晴れない
俺は自身も気付かぬ内に、邪神に対してほんの少しの同情を抱いていた。俺は甘い。
「じゃあ戦いを終わらせましょうか」
イグは剣を片手に駆け出した。どこで覚えたのか、足音一つ立てずに彼は魔王とイザヤに近づいていく。
そこにはなんの迷いも恐怖もなく、ただ目的を淡々と遂行する暗殺者のようだ。俺とイグでは覚悟が違う……
「えっ……????」
はっ? えっ、なんで? 見間違えか? いやいや、そんな訳ない。なんで魔王じゃなくてイザヤが倒れてる? イグは何をしてるんだ?
「あれっ……? イグじゃん……生きてたのっ……」
「よぉ1日ぶりだなイザヤ」
「これはっヴァルザイの
「そうだよクソアマっ! 神殺しのヴァルザイだよぉ! 太陽神であろうと関係ねぇ笑 死ぬんだよお前も!!」
血を吐き散らしながらイザヤは倒れた。イグは歓喜の表情のまま、彼女から刃を引き抜く。
「やっと殺せたぞ! 10年待ったこの瞬ッッ間ッ!!!」
笑うイグに相反して魔王は愕然としている。俺と同じで状況が理解できていないという表情だ。
「よくやりましたね魔王様、イグ」
どこから来たのか、その女は魔王の隣に突然現れた。
「母上! これはどういう了見か!? 手出しは無用と言ったはずだ!?」
魔王はその女を母上と呼んだ。そして凄まじい剣幕で女を叱責する。
「声を荒げなさるな、みっともない。それに母は何もしておりません。これはあそこに転がっている醜い餓鬼のした選択です」
イザヤが倒れ、俺を背負っていた八咫も消滅する。地面にみっともなく転がって、立てないでいる俺に女は侮蔑の目線を向けている。
「しかしだっ! こんな幕引きっ……」
「良いではないですか。どの道、和解はできなかった。あのまま戦っていても結末は変わらなかったでしょう」
母と魔王の会話の違和感、しかしそれも今はどうでもいい。そんなことよりイザヤだ。このままでは彼女が死んでしまう。
「あぁっ……イザヤ」
俺は彼女の所まで体を這いずらせながら進む。
「大丈、夫だよ……ノアっ、貴方だけは……絶対に守るからね」
まだ生きている。致死量の血を流しながらも彼女はまだ立ち上がろうとしている。俺も必死で手を伸ばすが届かない。俺たち二人は惨めにも地面でもがいていた。
俺の母は倒れるイザヤの前に来ると、渾身の勢いで彼女の頭を踏みつけた。
「やめろづ! イザヤにふれっるっなっ!」
「喋るなっ! 貴様のような出来損ないの声は聞きたくもない!」
ヒステリックで釘のような声が俺を突き刺す。そしてイザヤを刺した張本人であるイグは俺の耳元で囁く。
「貴方の卑怯な選択のせいであの女は負けた。さぁここで一緒に見ましょう、くだらない死に様を笑う準備はできましたか!?」
「なんでっ、なん、でなっんだよ、イグッ!」
「僕の夢を叶えるために彼女は邪魔だった。全部貴方のためにやったことだ」
分からない、分かりたくもない。なんでイグは裏切った? 俺たちの関係は全部嘘だったのか?
憎い。イザヤ以外の全部が憎い。俺を捨てた母親、人類を殺し続ける邪神と魔王、邪神を生み出した人類、俺を裏切ったイグ…… こいつらはどうしてこんなに醜いんだ? 見た目は普通なのに、その中身は芯の底まで腐りきってる。
憎き母は力なく倒れるイザヤから剣と勾玉を奪うと、その髪を掴み上げて叫んだ。
「さあ魔王様、この女の首を落としなさい」
イザヤの胸からは止めどなく血が流れている。いつ意識を失ってもおかしくない。それなのに彼女は不敵に笑む。
「相変わらず情け容赦がないねぇ母上、そんなんじゃ、そのうち魔王からも愛想尽かされちゃうよ」
「貴方は悪い子ですねイザヤ、私たちは和解の道を提示した。それを断るからこうなるのですよ」
「うん……やっぱりっ私の選択は何も間違ってなかった。お前らのような醜悪な獣と共栄なんてありえないよ」
「相変わらずの減らず口、もう死になさいイザヤ。さぁ! 魔王様、早くその
魔王は剣を振り上げれない。明らかに迷っている。
「まだ終われないっ……私は死んだっていい。人の姿を捨ててでもノアだけは助ける。私の中の邪神、魂を解放する」
「まずいっ! 早くとどめを!」
イザヤの謎めいた発言により周囲の緊張感が一気に高まる。微笑んでいたイグの顔は青くなり、母は焦りで冷や汗をかいている。
そして魔王の顔からも迷いが消える。決断は迅速で的確、魔王はイザヤの頸を断つために最高速度で 天羽々斬を振った。
しかしイザヤは首を下げ、口で刃を受け止めると、恐ろしいほどの
「なにっ!?」
「完全神化・
地上で太陽が爆ぜる。次の瞬間、俺の視界が暗転する。おそらくその場にいた全員が眩しすぎる光を直視し失明したにちがいない。
「イザヤっ! どごっだぁ!」
目が見えなくなった俺は必死に手探りで彼女を探す。周囲に響くのは悪魔的な怪音。肉が咬みちぎられたり、骨が折れたり、とにかく人体が破壊される音だ。誰が誰に対して何をしてるのかは分からない……考えたくない。
しばらくすると音はおさまり、地面を這いずる俺の体が何者かに持ち上げられる。その腕はザラザラでとても人間のものとは思えない。しかし力の入れ方から感じられるのは慈愛の心。殺意は欠片もない。
「イザヤなのがっ……?」
「そうだよっ、あんじんじてのぁ、ぜだいたすけるからねぇ、ぇぇ」
俺のしわがれた声よりもっとひどい声、イザヤの鈴のような声色とはまるで違う。それでも声の主がイザヤであることはなぜか分かる。
体に振動が伝わってくる。何も見えないからどこを走ってるのかは分からないが、彼女が俺を抱きしめながらどこかに向かっているのは理解できる。
どこに向かっているのだろうか? どうしてあれだけの傷を負いながら動けるのだろう……
「どごへいく?」
「ごれがら、どうっなる?」
「からだになにがっぉごってる?」
「なんでへんじ、じない?」
返事はなかった。彼女の体に何がおきているのだろう。俺の頭には
とにかく俺の願いは一つだけ。彼女と二人で帰れればそれで良い。それでいいんだ……
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